空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

福知山線脱線事故の原因はどこにあるのか

2011年09月30日 20時22分12秒 | 思考試行

カーブの急さとか、施設の問題とか、ハードの危険性についての認識があったかどうかに、問題が集中しているようであるが、本当の原因は、そんなところにはない。

何故、運転手がそんなに急がなければならなかったのかである。猛スピードでカーブに向かったその原因である。

前の停車駅で、トラブルがあって、予定どおりに運行できていなかったこと、そして、その遅れをとりもどせないと、叱責され、「日勤教育」という処罰が待っていること、ここに事故の本質がある。

国鉄時代の労使関係に懲りて、JRになってから、労務管理の実態がどうだったのか、力関係の変化があって、労働者は、非人間的な扱いをされることを危惧し、危険をかえりみず、正常運行に戻ろうと、必死であった状況がみてとれる。

労働者をどのように、日常管理していたのか、どういう扱いをしていたのか、実態が調査されなくてはならない。

それを問題にしないで、管理者の責任を問うというのは、本質を外れている。こんなことでは、事故で犠牲になった多くの人がうかばれない。人を根本のところで大事にしない考えが、事故原因の最大の問題である。

ニュースはその点を追及しない。いったい何をみているのか。


なにをどうするか

2011年09月30日 07時35分50秒 | 思考試行

これからの時代

我々はどうしていけばいいのだろうか、みんなが暮らしていけるように、するのがあたりまえと思うのだが、

政府は小さくてよい、自由に競争すればいい、敗者はギリギリ生存できればいい、自殺するものは致し方ない、死ぬのはかって、・・・

家族バラバラ、自分の都合ばかり、子育てのたいへんさ、うさばらし、・・・ごまかし、

ごまかしのかみ、ほとけ、ぶっぽう、・・・・イデオロギー、

生きていくのがたいへん、

どうしてやっていこうか、ほんきで、しくみをつくらねは、

いつまでひとりでがんばるつもり、

余裕があれば、助けよう、手をさしのべよう、なにかしよう、

そして、それが、あなたをすくう、にんげんらしさをかんじる、

ほんとうだ、やってみてくれ、ぼくもやる、すこしずつ、

そのきもちを いかす、そういうしくみを、しくみを・・・つくってえなあ・・・

(79.0  26)

 


「面白い」「楽しい」の大切さ

2011年09月29日 20時23分38秒 | 思考試行

興味がもてるものがない、ことは問題なのかもしれない。今日会った方が、スマートフォンについて、ゲームがたくさんあるようだが、そういうものには興味がもてないという話から、だいたいにおいて、楽しみがないというような話になった。

小生の場合は、本当に楽しいのか、と言われれば、楽しいとはいえないのかもしれないが、傍目には一人遊びを、コンピュータ相手にする方だから、楽しんでいるとみられているようだ。

事実、気がつけば、相当長時間、パソコンの前に座っている。

仕事でパソコンを使う機会もあり、ついでにインターネットであちこち思いつくままに、検索などしていると時間が経つのを忘れてしまう。

おもえばインターネットで、なんでもあり、の世界になった。大抵のことは、調べがつくし、買い物もできる。

門外不出などと、情報コントロールが出来た時代から、その気になればなんでもわかる時代になったことによって、人間社会は、大きく変貌しようとしているようだ。

イスラム圏の独裁政権が、相次いで倒され、その後どうなっていくのか。これは、携帯電話の普及によるところが大きいと言われる。一部の者に情報が独占されていた時代から、そうではなくなって、大きく変化が始まっている。

どうなっていくのだろうか。その際に、一人ひとりが、何を面白いと思えるか、楽しいと思えるか、が大きな問題となってくる。                                                   (本日朝 78.8  26)


「もったいない」と「絆」と「憲法9条」

2011年09月29日 10時04分47秒 | 思考試行

これは、日本の宝物である。

これをないがしろにする人達がいる。自民党の諸君である。彼らは、今の憲法は「おしつけられた憲法」だからとして、自主憲法を制定を主張する。

その本音は、憲法9条が邪魔でしかたがないというところにある。戦争ができない。武器をジャンジャンもてない、といいながらけっこうすでに持っているのだが、とにかく「普通」ではないと思っているのだ。

この日本の宝物は、日本だけのものではなく、世界に広めていって、支障のあるものではない。

だれもが賛成できるものと思いきや、ショック・ドクトリンという本を見ると、シカゴ学派の連中の、新保守主義・新自由主義とよばれる主張があって、これは、まさに、貧富の格差を作り出すための方策をあからさまに主張する。

自由放任の市場こそが、いいとするのだが、要するに、力ある者が儲けて何が悪いのか、ということであるようだ。

人間の幸福とは何だろうか。相対的な優位性の獲得ばかりであるまい。といって、すべて管理されているのも息がつまる。そのアンバイが難しいが、そこには、適切な人間観ともいうべき価値観の存在が要求される。

健康で、人間らしい考え方が、多様性と共存性をもって存在する必要性が高まっているのではないか。


世界はどうなるか

2011年09月28日 16時14分37秒 | 思考試行

アメリカもヨーロッパも、苦戦している。勿論日本もそうである。ただ、日本は震災と原発事故があって、やるべき仕事は、はっきりしている。

やるべきことをしながら、世界が順調に日々進歩していくことができなければいけないわけで、誰もがそう考えていると思いたい。

ところが、実情は、そんなにうまい具合にはいかない。自分の幸せは追求するけれども、他者に対しては、敵であったり、利用する対象であって、ひとを共に生きていく「仲間」と考えない人は、まだまだ多い。

世界に、こういう人々が多数であれば、好転は見込めない。その好転のきっかけは、どこで、始まるだろうか。日本に、その可能性はないだろうか。

日本は、憲法9条という人類の奇跡ともいうべき平和憲法を有する、聖職者のような国である。世界に向け憲法9条を武器にして、働きかけをもっと強めるべきではないだろうか。

隣国の韓国や中国、ロシア、北朝鮮・・・などなど、それぞれの国家のモノイイが、丸腰日本を侮っているかのようにみえることがある。

これに怒って、憲法9条をなげうち、「普通の国」となるならば、国益のためには、戦争も辞さないという道へと進むことになる。

世界的な規模で、ものごとを考えなければならない時代である。


参議院予算委員会の質疑が始まった

2011年09月28日 09時31分16秒 | 思考試行

冒頭の自民党議員の質問は、例によって、手続き問題からである。あまり意味があるとも思えないことに時間をかけている。

被災者のために、迅速な審議といいながら、この調子である。そして、野次が相変わらずヒドイ。どういう人達が集まっているところなのか、選挙で本当に選ばれた人たちだろうか。

はなしにならない品性。こんな国会なら、いらない。

ネジレのなかで、与野党が話し合いをしなければ、何一つすすまないのであるから、すべきことは、それだけである。チャッチャと、やらんでどうするのか。

 


「タニタ社員食堂レシピ」を実行中

2011年09月27日 10時39分01秒 | 思考試行

書店で品切れ状態のところもあったタニタ社員食堂のレシピ本を、実行中である。2か月で、3kgほど減った。

テレビで番組になって、評判になったようで、本の帯には300万部突破とある。野菜がおおくて、高級食材を使っていない。味付けが丁寧である。

映画でも何でも、最近は、「いい」と聞いたものには、基本的には、飛びつくようにしている。もっとも、自己審査は必須であるけれども。

それで、その方針は、けっこううまい具合にいっている。世界が広がったという感じがある。

評判のいいものは、それだけのことがある。期待を裏切られることが、ほとんどないのである。

この辺が、同時に危ないところでもあって、無名のものについては、見逃すこととなるので、それではいけないから、開発するぐらいの気持ちも必要である。何に対しても、好奇心を持っておくということになる。

毎朝の体重測定が、こうなると楽しみである。今朝は、昨日と同じだったが、来客があって、お菓子をつまんだことを、妻に指摘された。きびしいものである。

 


人の関係について

2011年09月26日 10時10分38秒 | 思考試行

世話になっている人に対して、どういう態度をとるのか。すなおに、感謝することが、できるかどうか。

感謝をすることによって、世話をしている人も報われる。よりやる気になれる。それは、お互いにとって、何一つ「ソン」をすることがない。

それどころか、相互に、プラスとなって、それこそ「幸せ」といえる状況となる。

ところが、感謝しない人がいるとすればどうなるだろうか。本当に世話になっている人を、軽く扱う。心をこめて、料理をしても、それについては、言葉を発せず、事情で、テンヤモノですませたとき、そのテンヤモノを褒める。

その場合、安いものより、高いものを評価する。もちろん費用は自分ではださないのだが。

自分のことは、よく考えている。外部の人への対応は丁寧である。自分の評価を高めるための言動をする。何でも自分でやっていると言う。年金は、自分のためだけに使う。嗜好品、衣服、医療費の一部などである。

真実は、周囲の助けによってまわっているのだが、本人は、それを考えてはいない。事情を知らない外部の評価は、本人を高く評価する。そして、その評価を、世話をしている人に言う。

それは、あなたは周囲にいながら何もしていないのか、の暗黙の非難となる。

このようにして、本人のウソが、世話をしている人を傷つける。

 

 

 


道具だての要素

2011年09月25日 06時45分26秒 | 思考試行

恋愛、勇気、危機の中で、スリル、裏切り、友情、破壊、意外性、・・・映画や演劇で用いられる筋の要素は、どんどん新しいものを注入しなければ、観客を呼べない。

といっても、限界がある。奇跡的な本当にあった話なんて、まずはない。

ところが、光より早いニュウートリノが発見されたという。何回も測定しているが、誤りは見られないという。但しそれが本当なら、従来の物理理論が覆される。

そのために、発表そのものの姿勢は、大発見とうたう、よりも、誤りがあれば指摘してほしい、という姿勢である。

もし、それが真実ならば、タイムトラベルも可能となる。時をさかのぼれる。

映画などでは、すでにタイムトラベルは、何度も「実行」されているが、本当に可能となれば、世の中はどうなるのだろうか。

ここはこのようにしたい。あそこはこうでありたい。などと「手直し」の連続で、結局は、地球上に人類が出てきたことが、「間違い」ということになりはしないだろうか。

 

 

 


調査活動項目

2011年09月24日 07時35分08秒 | 思考試行

ある国が紙幣を刷りまくる。当然その貨幣価値は下落する。一方の国は、通貨の価値の信用下落を招くからとして、紙幣を刷りまくるということはしない、この場合、通貨の信用下落を招くとした国の通貨の価値は、高くなる。

輸出企業が苦しくなるのは、通貨価値の下落した通貨の価格そのままで売ると、自国通貨に変える際に、損をするのであって、自国通貨建てで、売るのであれば、相手は今までの値段では買えないだけのことである。

輸出企業製品は、相手国にとっては、高値になるが、それは仕方がない、と考えるのだが、そうはいかない。値上げになるから、その製品は相手国では、売れなくなる。それはこまるから、ギリギリまで、値段は据え置くことになる。

基軸通貨になっている相手側の買値そのものに問題があるのだが、刷りまくって増えた金は、誰かが自由にできる金が増えていることを意味し、それは、どこかに噴出する。買えるものに集中する。日本の株式が、安いとみれば、買いにくるだろう。

株式を多数もてば、その会社をどうしようと、株主の勝手である。切り刻んで売りまくり、配当にあてる。売り逃げれば何の責任もない。投資に比べて、インカムが多ければ、それでいいのである。

会社の業績をあげるためには、従業員の福利厚生、給料をカットする。非正規労働者に入れ替える。会社の儲けを確保して、この会社も売り物にする。内部留保があれば、配当にまわさせるのもいい。なんでもありで、儲けを追及する。戦争だって、ビジネスである。災害で漁場、漁港が被害をうけたとなれば、そこをリゾート地にする。儲けのためならなんでもする。

こうして、金を動かすだけで、大儲けが可能な連中が動けるのは、なんの規制もうけないことが条件である。儲けても、その成果が税金等で吸い上げられるとすれば、うまみが減る。

したがって、こういう連中は、無制限の自由を求める。

だいたい、こういう仕組みのように思うが、これに対抗するのは、どうするのか。このアブク銭を取り上げる手段を講ずるほかない。取り上げた金をどうするか。これは、貧者に分け与える。その分け与え方が問題である。実際に労働する人に比べて、有利であれば、問題である。分配技術が問題となる。

とりあげるためにも、分配のためにも、個人の登録が必要である。番号を振って、すべての情報を管理する。所得、病歴、・・・と考えると、なんだかなあと思いはじめる。調査項目である。


貧富の差について

2011年09月23日 07時36分02秒 | 思考試行

必要もないのに、莫大な富を持ってどうするのだろか。贅沢をして楽しいのだろうか。それで、生きる喜びがあるのだろうか。

油断のない目配り、張り詰めた神経、怒り、戦い、・・・絶え間ない緊張のなかで生きていることだろう。

こちらは、その状況を観察しながら、その企みにのらないように警戒するばかりである。こんな連中と付き合えば、ロクなことにはならない。一線を引いて、それを越えれば、たちどころに縁ぎりをしなければならない。

マフィアの手口は、チョットしたことから始まるそうだ。少しずつ引きずり込む。こちらが、しっかりしていないと、騙される。気付いたら、ただちにやめることだ。

新自由主義といったり、民営化といったり、規制を外せ、といったり、公教育に攻撃をくわえたり、その本質が貧富の差の拡大にあるなんて、誰も思わない。ところが、そうではないようだ。

「ショック・ドクトリン」-ナオミ・キャンベル著は、過去のさまざまな事例をあげている。まだ、全部は読めていないが、人間のやることは、想像を絶することもある、ことがよくわかる。

結果は、貧富の格差である。格差のあるところに、問題の根源と結果がある。

 


ショック・ドクトリンを購入

2011年09月22日 21時41分24秒 | 思考試行

ブログで、この本を紹介されていて、今日出かけた機会に書店に立ち寄ったら、横積みになっていた。内橋さんの名前が帯にある。

さっそく電車のなかで、読み始める。これは、たいへんなことが書いてあるようだ。

小泉、竹中路線も、この流れをくんでいるようだ。非正規労働者を大量に作り出し、金持ちはより金持ちに、貧乏人はさらに貧乏人に。こんなことをして、何がウレシイのか。

人類社会が、どの方向へ向かうのか。一筋縄ではいかない。よほど周到な準備をして、こういう傾向に対していかなければならない。

さっそく、この本に、取り掛かりたい。


思い出の質問

2011年09月21日 17時29分36秒 | 思考試行

昔、年金相談で質問を受けた。若い人で、珍しいなあと思っていたら、その質問には驚いた。極めて短い質問であった。

それは、「年金について教えて」という質問であった。

おそらくは、大まかな、概略の仕組みかなんかを質問したかったのだろうが、通常は具体的な、質問を受けることが多いから、焦点が当然絞られている。その説明のために、周辺の仕組みの話は当然必要だけれど、総合的に言えとなると、途方にくれてしまう。

それは、本を読んで貰わないと、とてもここでは出来ない、と言ってしまった。しかし、考えれば、それなりに、こたえる方法はあったのではないかと思う。

最初に書いたが、まさに、その取っ掛かりを知りたかったに違いない。こちらの思い込みで、直ちにお手上げ状態になったのは、うまくなかった。(こちlらも若かった。)

こういう質問に対して、ちゃんとこたえる世の中こそ、成熟してきているといえるのではないか。

こういう質問に対して、キチントこたえることによって、無用な争いをしたり、とんでもないメンツの張り合いであったり、つまらん現象が山ほどあるのが、次々と解決していくようになっていくのではないだろうか。

もっと、親切でなければならない。


芸術それとも・・・

2011年09月21日 17時09分37秒 | 思考試行

絵、音楽、文章、舞台、映画、詩、俳句、短歌、小説、歌、舞踊、バレー、スポーツ、・・・なんと多くの感動を誘うツールを人間は持っていることだろう。

それぞれ要素が異なり、ジャンルのなかでも、全部同じではないから、どれだけ多様な効果を及ぼすのだろうか。その組み合わせは、天文学的な数となる。

それぞれの人間のなす行動が、それぞれに及ぼしあって、影響し合って、結局は、「生きるよろこび」へと収束していくようにみえる。

積み重ね、積み重ねて、挙句の果てには、体力、知力、すべてが衰えて、飽きて、そして死を迎えるのだとしたら、幸せといわねばならない。

長寿というのは、その幸せの可能性が高い。とにもかくにも長生きするならば、自然の摂理であるとして、誰も嘆くこともない。そして、それなりに、ご本人も納得できるのではないか。

長い人生が、さまざまな工夫や、ツールを駆使して、彩られ、そしてできるならば、そこへ新しいツールの少しでも付け加えることができるならば、よくぞこの世にうまれけりと、満足できるのではないだろうか。

それには、ご本人の「こころがけ」の要素が大きいように思う。どう思えるか、どう考えるか、どう人に対応できるかである。広い心で、肯定的に、優しい気持ちをもてるようなら、それは実現可能だと思うのだけれど。