空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

どうするかの選択

2018年06月30日 11時03分48秒 | 思考試行

サッカーの決勝トーナメントへの進出は、たいへんドラマチックであった。終盤、時間つぶしの賭けにでた日本チームは作戦成功により、念願の成果を得た。

正攻法で、攻撃を続ける選択もあったわけだが、そもそも、ここで勝つというよりも、引き分け狙いであったのではないかと思われる。6人ものメンバー入れ替えは、次の決勝トーナメントの対策ともいわれる。

主力メンバーの体力温存が図られたという。テレビで見る限り、選手は元気に走り回って、体力など関係ないようにさえ思えるのだが、そうはいかないのだろう。監督はいろいろ考えていることがよくわかる。

結局、イエローカードの枚数で、セネガルは敗退となったわけだが、ポーランド、セネガルが敗退、コロンビア、日本の決勝トーナメント進出は、なかなか予想しずらい結果であった。

サッカーの、点が入りにくく、番狂わせの起こりやすいゲームであることが、こういうドラマをうまれさすのだが、この機会に各国の実情とか、国情を知ることとなって、その意味でも、ワールドカップは、実に面白い。


何が生きがいとなりうるか

2018年06月29日 17時24分53秒 | 思考試行

結局のところ、自らの名誉、財産、権力となるというのでは、本当の生きがいにはなりえない、というか、こういう人ばかりであると、あまり魅力的な社会とは言えないだろう。

だからといって、こういう自らの欲望にギラギラしている人がまったくいないようでは社会が活性化しないことが予測される。 

健康な競争心は、お互いの努力を高め合うし、結果として、科学技術の進歩や、社会にいい影響をもたらす。競争する気は、さらさらなく、仕方なく生きている人もいるだろう。競争には、他者のこともあり、自己の目標だったり、考え方の標準であるかもしれない。結果、強者と弱者が発生する。

うまく言えば、構成のバランスが大事ということになる。どちらか一色の構成では、うまくいくはずもない。だからといって、強い者が勝ちつづけ、弱者は切り捨てられるままではよくないのも明らかである。

社会全体として、この辺のバランスをとり、弱者を含めて人間社会が、より良くなるように努力しなければならない。

そのなかで、個人の生きがいはどう考えればよいのだろうか。たんに強者の立場にたって、その上で、弱者を救いたいと思うのか、それとも、強者の立場に立つことのみを生きがいとするのか、さもなくば、強者をめざすことなく、弱者のなかで、弱者として、弱者のために生きていくのか。

なにも考えずに、弱者となったら、なったで、弱者としてただ単に、生き抜くと考えるか。なされるまま、生きるのみと考えて、考えることをやめて、その日その日を、なんとなく生きていくか。

どのように生きてもよし、死ぬことをみずから選ぶことだけはやめる、という心構えでいくか、生きてるなかで、ささやかな楽しみを見つけて、それを生きがいとするかなど、選択肢はさまざまにある。

いろいろ考えているうちに、老境を迎え、ただただ息をしているだけとなるのは必至であり、その前に、何らかの、やりたいことをやれたら、それを幸せというのかもしれない。


分水嶺

2018年06月28日 10時46分54秒 | 思考試行

山の頂上では、水の流れの行先が、反対方向へそれぞれ別れることとなる。人間社会も、人を大事にするか、しないか、方向が逆向きの事象がよくみられる。

大事にする方では、幸せな家庭、会社、地域などがあって、困難なことがあっても、助け合って、生きていくが、反対方向では、人を馬鹿にし、差別し、できるだけ安く雇用し、儲け専一の価値観の社会となる。

日本は、敗戦以後初めて、民主主義に触れた。そもそも民主主義というのは、民衆自身がかちとってきたものであり、君主やら領主やら支配者が反省をして、でてきた制度ではない。ところが、日本の場合は、敗戦によって、もたらされたものである。

時代が落ち着くにしたがって、中小企業であっても社長が君臨して、民主主義など邪魔で、人など代わりはいくらでもいる、とばかりに使い捨ても平気だという連中がでてきている。表面は上品に、善人ぶってはいるが本音のところでは、人食い人種である。

権力志向の者たちには、下級は上級の手下であり、奴隷であり、生殺与奪を握ったものこそ、支配者であり、その他はゴミである、ぐらいの認識でいる。

日本の場合は、どうやら、権力志向、儲け専一派が、いま支配者であり、彼らの都合のいい政治、制度、を目論むヤカラの勢力の方が優勢のようである。これでは、人間社会にとって、不幸である。さて、それが、どう変わっていくのか、楽しみとしよう。


正義がとおる世の中に

2018年06月27日 09時33分21秒 | 思考試行

胡散臭い言い訳や、自分の人事を頭において、忖度する検察や、あちこちで、権力に媚びる連中のなんと多いことか。筋をとおして、世の中をよくするために、みんな当然のように、行動する、そんな国にしたいものである。

安倍首相は、個人的には、決して悪巧みをするような人物にはみえないし、どちらかといえば、好感の持てるいい人物であるようにみえる。ただ、その考え方は、戦争への道を平気ですすめようとしている、これは、政治家として、戦争のできる国というのは常識だと考えているからかもしれない。

そして、役人の人事権をとりあげたために、役人たちが忖度を始めた。彼が一言つぶやけば、周囲がサーっと動く。秘書が本人の顔として、動くものだから、役人は踊りに踊らされる。

ついには、決裁文書の改竄である。決裁文書というのは、それまで、ああでもないこうでもない、とやりながら、決定となった文書であり、証拠の文書である。役人のなかにも、抵抗する術として、経過を詳細に書いて決裁文書に良心を潜ませた。

ところが役人のトップクラスが、国会で追い込まれて、ありえない断言、ウソをつき通した。で、決裁文書の改竄を決行した、プロセスのなかで、プライドをずたずたにされた下級公務員が、自殺した。マスコミは詳細に事件を追うことをしない。

本質をそらして、この国のエリートたちは、今、最低水準の状態にあるのではないか。これでもかと情報がでてきている。国民は、麻生君のいうように、新聞を読まない人が頼りであるなんて、言わせておいていいのか。


老いということ

2018年06月26日 00時33分43秒 | 思考試行

人生の終わりにむかって、ちゃくちゃくと進んでいる実感がでてくる。医療保険、健康データ、体の実感、否応なく若くはないことを思い知らされる。

ただ、身体は、鍛えれば、それなりのことがあるともいうし、結局は、人それぞれである。心掛けて、ケアするか、しないかで、相当な違いはあるだろう。

身体もそうだが、頭の方も、徐々にその機能がおちてくる。視力、聴力、の衰えは、新しい知識を追うことも困難にさせる。こうしたなかで、どう人生をやっていくのか。

長島一茂氏が、かつて、重度のうつ病だったと話していた。とことん苦しみ、自殺願望に悩まされて、毎日神様に死を願っていたという。そして、ある日から、もういつ死んでもいい、と考え方が変わったという。飲んでいた薬も、飲むのをやめたという。なぜなら、もう死ぬのだから、薬など飲む必要がないという考え方である。

そうしているうちに、自殺願望は消えたという。他者にあれこれ言われても気にならないという。今は、ただ感謝のみだという。苦しみのなかで、悟ったということのようだ。老いを迎えて、面白い話を聞いた。


国民はしっかりしないといけない

2018年06月24日 22時45分58秒 | 思考試行

安倍首相が憲法9条に、自衛隊の存在を書き込みたいのは、何故だろうか、それは、自衛隊が軍隊として、他国と戦争ができることをはっきりと合法的にしたい、国として、普通の国となり、武力を通じて闘うことを夢としているということである。

ロシア、中国、韓国、それぞれ、どこか日本を侮り、一人前扱いされていないと為政者は考えるのだろう。そして、国民もまた、北朝鮮の振る舞いをみていると、自衛隊の存在を頼もしく思ったりしているのではないか。

しかし、現行憲法は、はっきりと、戦争などどうころんでもできない規定となっている。相手が露骨な侵略をしてきたとしても、純粋に読めば直ちに反撃というわけにはいかない。それでも、自衛権はある、として、反撃もしないという考え方は全体としてはもっていないようにみえる。言葉をかえれば、降りかかってきた火の粉は、はらう、従って、戦争だってやることはありうる、ぐらいには考えているようだ。

しかし、憲法の規定は、絶対に戦争はしないという。矛盾している。だったら、どうするのか。外交や取りうる手段を通じて、絶対に戦争しないという決意に立っているのである。これこそ、人類の模範である。究極の目標をすでに達成している国なのである。これを守って、日本が、滅ぼされるとしたら、人類は、早晩、必ず滅びるだろう。


サッカーの魅力と幻滅

2018年06月23日 11時49分56秒 | 思考試行

今大会は、強いといわれているチームが苦戦したり、審判だけの判断ではなく、画面で見直して、判定が下るという新しい試みがされている。

誤審を防ぐということで、極めて有効だが、かつてのワザとひっくり返って相手からファールをとる「演技」的な行為もばれたりしている。ネイマールのこけたのも、それはわざとだ、と指摘されて、かっこわるい場面もあった。

だいたい、サッカーは、本当に痛いのか、そうでないのか、わからない場合がある。ずる賢く、カゲでいろいろ工作したりしている場面もみる。こういうのを、あまり見せられると、競技自体の品の悪さを思わされる。

一方、見事な判断、技術、のやりとりは、魅力的である。まさに芸術をみる思いである。そして、何しろ、点が簡単には入らないこと、相当の実力差があっても、やってみないとわからない面もあって、それが、さらに魅力的にみせるし、感動を呼ぶ。

野球などとは違うきびしく、激しい競技だが、華麗だったりするから、世界的にもっとも人気のあるスポーツなのだろう。なにしろ、ボールが一つあれば、ゲームができるのだから、貧しい国の子供たちに人気があるのは、よくわかる。

かつて、オウンゴールをやってしまった選手が殺されたりしているというが、競技は競技として、楽しめるように、観客は、大人になるべきだ。


いいなおし?本当が漏れただけ?

2018年06月22日 13時26分43秒 | 思考試行

河村予算委員長の発言で、安倍首相が「集中審議は勘弁」と発言したといったのは「間違いだった」と撤回した。「予算委員会、よろしくね」という挨拶はあったというが、勘弁とは言っていないという。

こんな間違いがあるだろうか。これを間違いという言い方で撤回できるのだろうか。その神経を疑う。

20日夜、安倍首相、麻生財務相、二階幹事長、河村予算委員長が銀座のステーキ店で会食。その際に、河村氏が記者団に「(首相が)『もう集中審議は勘弁してくれ』って言うから、『なかなかそうはいかないでしょ』って言っときましたけど」と話していた、ということの撤回である。

間違いなんて話ではないではないか。こんな言い方が、昨今よくでてくる。

本音をすなおに出すなら、それはそれなのだが、出しておいて、間違いとか、忘れたとか、言い訳がむちゃくちゃである。

国民を舐めきっているのだろう。それでも支持率が極端には下がらないから、安心しきっているようだ。少選挙区制という低い支持率であっても、相対的に、野党よりも、少しでも多ければ、議席を多数確保できる選挙制度にのって、我が世の春を謳歌しているのである。


どうあるべきか

2018年06月21日 18時20分37秒 | 思考試行

最近、大人のふるまいが問題になっている。日大アメフト部の問題からはじまって、大学指導部のあり方、実態が明らかとなってきた。

どこの世界にも、「権力者」がいて、そういう人びとが、びっくりするほど、程度が低いことである。みるからに、ウソだということを真面目な顔をして、言いつのる。

うそをつき、資料がない、廃棄した。記憶がない、挙句の果てには、役所の決裁文書さえも改竄する。バレても、驚くことに、平然としている。それがどうした、の顔つきである。ここまで開き直られて、世論はどうなっているかといえば、さほどショックには思っていないようにみえる。

政権は、強気で彼らの準備する大資本のための、政策を次々と、やっていく姿勢を鮮明にしてきている。議席を多数獲得したという実績を最大限利用して、国民の目をくらませ、洗脳を企んでいるのだろうか。

大多数の国民には、おそらく、見えていないに違いないという確信があるようにさえみえる。国民はどう思っているのだろうか。


備災という言葉

2018年06月20日 11時23分27秒 | 思考試行

防災、減災、から「備災」に変更すべきではないか、テレビで、専門家が言っていた。確かに、災害を防ぐことはできず、減災も難しいとすれば、起こる災害に備えるしかない。

できることをやっておくしかない。我が家でも、かなり以前から、水を買い込んで、ガスコンロもあり、非常用の食料も備蓄してきていた。ぼちぼち、入れ替えもしなければな、といっていた段階で今回の地震となった。

実際の被害はなかったが、生理的に恐怖感を味わい、現実に一週間は、要警戒ということで、あらためて、点検をはじめた。当時、何かの指導書のようなものを見てしたのだろう。リュックの中には、細々と、とりそろえてあるが、使い方を熟知しているとは言い難いものもある。

個人の場合は、自分で可能なかぎり、対処できるようにしておくのは当然として、公的なものについても、災害に備える観点から、建物、塀、など厳重な点検が必要だということを痛感する。

そして、大量の帰宅難民の対策など、大阪の場合、不十分であることがはっきりした。道路が機能しているのに、バスの手配であるとか、緊急時の対応が不十分であることに驚いた。

この地震は、災害の備えるために、なにが必要かを明確にした。じん速に対策をするのかどうか、サッカー勝利に浮かれている場合ではない。


今朝の地震には驚いた。

2018年06月18日 17時54分06秒 | 思考試行

足元から揺さぶる異常な揺れには、本当に驚いた。ひごろ、もういい加減な年齢になったことだし、覚悟はできているぐらいに思っていたのだが、何のことはない。実際の揺れに、身体は正直なもので、直感的に根底からの不安を感じた。心臓の具合が変である。何だか落ち着かず、気持ちが悪いぐらいだ。

テレビのインタビューで、中年の女性が心臓に悪いと言っていた。まさに同感であった。人の話は、気持ちを込めて、しっかり聞かないといけないなと実感した。いままで、人様の言うことを、ちゃんと聞いてきたのだろうかと反省させられる。

そして、今日は、国会中継もやっていた。麻生財務大臣は、足を組んで、いかにも大物議員、大物大臣の態度物腰なのだが、その答弁ぶりが、苦し気で、痛々しい。正直に思いのままに答弁しているという風ではない。

質問通告がなかった、などとまともに聞かれたことにこたえず、逃げまわるばかりである。最近、こんな風な言葉を発する人が目立つ。気持ちよく、正直に話せばいいではないか。まさに国会では、そういう議論をしてほしいものだ。


今朝の地震には驚いた。

2018年06月18日 17時30分28秒 | 思考試行

足元から揺れる感覚には驚いた。生理的な不安というか、心臓の具合が悪く感じる。日頃、すっかり覚悟をしているかのように思っていたが、何のことはない。身体は正直で、生命の不安を直感するのか、根底からの不安感を覚える。それが、まともに心臓への影響となった感じがした。

テレビの報道で、ある女性が「心臓にわるい。」とこたえておられたが、まさに同感であった。どこでも聞く言葉だけど、自分の感想とぴったりあっていた。

人が何か言った場合に、その言葉をよくよく聞いて、その気持に寄り添わなくてはいけないなと感じた。人の発する言葉を、気持ちをこめて、共感をもって聞くことの重要性を、今回身に染みて感じた。

そして、今日は、国会中継もやっていた。麻生財務大臣が、本当にお粗末に見えた。足を組んで大物らしい態度物腰なのだが、その話しぶりが、逃げまわっている感じであって、正直に、真意の思いを話しているという感じがまったくしない。

正直であるのは、いかにも苦し気である。逃げて、かっこつけて、言い抜けようと必死なのが正直に透けてみえるのである。

大物国会議員?、大臣?、ちっとも、偉大な人には見えないのである。情けない。もういい加減にしてくれと言いたい。


日本をどうしていくか・・・本音をめぐって

2018年06月17日 23時24分37秒 | 思考試行

いい国にしたいものである。民主主義を貫徹しながら、国民一人ひとりがしっかりしている、そんな国にしたいものだ。官僚が国民を馬鹿にしていたり、ヒエラルキーがあるのが当然だという本音は、古い日本の体質からきていることは明らかだろう。

彼らの内部の実情というのは、どんな実態にあるのだろう。職制にしばられ、上司は部下を家来のように使っているのだろう。これでは、出世競争に躍起となるはずで、その人事権を安倍総理がもってしまったものだから、みんな右へならえという実に情けない状況となってしまった。

日本を誇りある国にするためには、振る舞いや、価値観が当然問題となる。人間社会において、どうあるべきかを考察するならば、ある姿勢なり、振る舞い方が出てくるのではないか。

人を馬鹿にしたり、無視したり、子供を虐待したり、なぜそうなるのか、なにが問題なのか、そのよってきたるところを知って改善に踏み出すべきである。

日大のアメフト事件、レスリングの意地悪事件、そして、その謝罪の仕方。そこには、本当には反省していない本音がでてきた。うそをつこうとして、本音を語ってしまうのだから、正直な人たちだといえばいいのだろうか。こんなに鮮やかに、シラをきられると笑ってしまう。

本当に、反省したり、謝罪したりしたことがない、まだ「人間」になりきっていない人々が結構いる、ということが白日のもとに晒されたわけだが、かれらは、本当の功労者かもしれない。


謝罪の仕方

2018年06月16日 00時20分21秒 | 思考試行

レスリングの栄監督が謝罪した。

伊調選手、田南部コーチにも謝罪すると言った。その弁明がまたおかしい。謝るなら、キチンと謝るべきで、いくらかはねじ曲げ、真実とは違う匂いがまた漂う。

本当には、謝ってはいないし、その気はないのだろう。誤解云々という言葉が出てくる。相手にも、責任があるかのごとく言うのである。

実態はどうだったのだろう。自分が、手塩にかけて、世話をしてきた愛弟子が、他にコーチを見つけて、そこでも練習するようになった。そこで、悔しくなったのか、意地悪をした。

いろいろと嫌がらせをし、練習環境を奪う行動をとる。自分の手元から離れるとこうなるんだ、とう具合である。

そうしたと言えば、本当の謝罪になる。本人たちには、まだ直接謝罪できていないという。誤解だのなんだの言っているうちは、本当の謝罪ではないのだから、拒否されるのは当然だ。ここにも古い日本の体質がある。


いい方向へ向かっていると思いたい

2018年06月14日 10時52分35秒 | 思考試行

トランプ大統領と金正恩会談は、思っていたより、いい効果をうみだしそうな雰囲気がある。細かいところまでつめきれなくとも、大筋で、方向性が生まれたということは大きい。

具体化がどれだけ進むかであるが、そもそも、核を持っているものが、自らは捨てようとせず、後から持とうとする国にたいして、一方的にお前は捨てろ、などと主張するところに、無理がある。

自分の捨てるつもりであるから、君も持つなというならわかる。しかも、核を持っていることを背景にしながら、他国へ費用負担を指示したりするなど、完全な属国扱いだが、それも、これも、核をもっているか、いないか、が背景にあるとすれば、人間社会はまだまだだなといわざるを得ない。

論理的には、おかしくとも、現実的には力の強いものが、コントロールして、そのものが、それほど独善的でないならば、よしとしなければならないのかもしれない。

それでも、戦争をするような事態が、突然起こったりしないように、なることはいいことだし、この方向で、世界がいろいろ変化していくことは、望ましい。

ただし、武器の生産をビジネスにしている連中にとっては、好ましい方向ではないことは明らかで、こういう連中の動向には気をつけなければならない。