空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

考え方の問題

2014年01月31日 20時56分47秒 | 思考試行

糖尿病と宣告されて、早一週間が過ぎた。あれほどきっちりと飲んでいた酒をやめ、ほぼ完全なカロリーコントロールを実行し、運動にも心がけてきた。

効果はテキメンで、体重は、約2kg減少した。身体は正直である。自分の身体でありながら、本人の意思とは関わりなく、動いている自分の身体である。化学工場として、機能し、仕事を継続している。

こちらの意図に応えて、キチント体重減という結果を出してきた。かつてない意識的な取り組みによる成果である。無理をするつもりはないし、そうすれば継続が困難となる。

今まで、本人として、いい加減にしてきたこと、真剣に取り組んでこなかったことが、こうして明らかとなったわけで、今後は、このことを契機として、丁寧に配慮していこうと思う。誠実に、自分の身体に向き合いたいと思う。

平成26年にはいって、一ケ月が経過した。まことに早いものである。今年の年頭が、こんな事態から始まるとは思ってもみなかったが、これも佳きかなである。


ついに76.9kgになる

2014年01月30日 15時44分45秒 | 思考試行

リバウンドと思いきや、今朝の計量で、ついに76kg台に突入した。順調に体重が減っている。腹も減っているという実感がある。

疋踏み運動も続けている。体重が減らない訳がないという確信がある。すべては、23日の定期の通院日に採血し、HbA1cが、7.2となったことから始まった。

この頃は、計量もしていなかったし、飲酒もしていたから、当然今の感覚で生活していたわけではなかった。細部にわたって、管理すると、如何に今までは杜撰であったかと思い知らされる。

明確な合併症が出る前に、対処できてよかったと言えるが、実はすでに、心筋梗塞を起こした病歴があり、それなりに注意をしてきたのであるが、それでは不徹底であることが明らかとなったことで、今回の改善の端緒となったのである。

「人間万事塞翁が馬」である。この宣告を受けることで、生活の質が良くなり、健康を保てるならば、新たな気分で人生に臨めることができる。


さっそくリバウンド?

2014年01月29日 11時43分29秒 | 思考試行

今朝の計量は、77.5kgであった。昨日が77.0だったから、まさにリバウンドではないか。夕飯前には、歩いたし、食事も徹底しているのに、これはなんだ。

家内が、詳細に思い返すと、健康食品を注文して、それが到着したものだから、コーヒーにその甘味料を使ったことや、山芋いりの付け合せの料理を、二つに分けなかったことから、小生が食べ過ぎていたのではないか、などと指摘する。

なるほど、数値は正直である。原因があって、現れる。体が急な環境激変で、体重減を止めようとしたのかなどと、考えたが、どうやら、やはりカロリーが増えていたのかもしれない。

ともあれ、あまり、一喜一憂せずに、基本的な生活習慣を確立していくほかなく、現象を観察していくことにした。食事そのものは、格別悲惨なわけではなく、むしろ、バランスをとりながら、いろんな料理を食べられるので、むしろ豊かな感じさえする。

総体に、材料の値段が手頃であり、家計にとってもプラスに働くのではと思われる。


糖尿病になって

2014年01月28日 23時41分44秒 | 思考試行

とにかく、考え方をきりかえた。食事をタニタ式の献立にかえ、有酸素運動として、歩くことを意図的に実行している。そして、今朝の計量は、77kgとなった。昨日から、900gの減である。

少し急すぎるかもしれないと思ったが、たしかに、寝床のなかでも、朝方、体が熱い感じがある。燃えている実感がある。

放送大学で、「食と健康」という科目があるが、まさに、今の自分のことが語られている。気分としては、糖尿病対策については、すでに、ほぼ満点の対策がこうじられていると自負している。

要は継続である。あまり力まずに、着実に実行していきたいと思う。

なぜ努力するか。それは、せっかくの人生を、合併症の連続でつまらないものにしたくないし、もう少し、力量を高めて世のため人のために、少しでも役立つ仕事をしたいと思うからである。

体調管理だけではなく、人間としての成長をめざすための努力をつづけていくなかで、仕事の具体化ができたらと思う。


タニタ式の実践で大効果

2014年01月27日 22時50分59秒 | 思考試行

今朝の「計量」で、成果が出た。おそらく79kgまで増えていた体重が、酒をやめ、タニタ式の食事に切り替えて、77.9kgになっていた。久しぶりの77台である。心を入れ替えて、糖尿病であることを宣告された以上、改善のために前へすすむしかない。

酒をやめて、気分が変わった。動作が心なしか軽い。やるべきことを順にすることが出来ている。妻のサポートもできている。料理に挑戦しながら、手順を考え、料理本をよく読み、妻と一緒に完成していく。後片付けもやる。いやいやするのではないから、仕事が進む。

以前の妻の労力は、小生の援助らしいものが意識的なものではなかったし、たいへんだったろうと思う。今は、かなり全面的にコミットしているから、お互いの感情もすれ違いがなく、はるかに意思疎通ができている。

酒なくして、何の人生かと思い込んでいたが、むしろ、飲まなくてよくなった、という考え方はどうだろうか、などと思っている。わざわざ、頭の調子を狂わせ、体に負担をあたえるのだから、飲む必要はないのである。

この変貌ぶりには、我ながら呆れるぐらいである。人生、いろいろあるもんだ。


考えの切り換え

2014年01月26日 15時15分02秒 | 思考試行

糖尿病になって、禁酒することにした。酒が生きがいのように思っていたのが、体重制限、カロリー制限をするにあたって、なぜ、酒を飲まなければならないのかと考え直せば、必要なものではないことは明らかである。

数値は簡単には下がらないだろうし、体重も簡単には落ちないだろうが、病気と宣告された以上、こちらも考えをかえなければと思った次第である。

家内は、相当なショックを受けたらしく、さっそく境界時代に買い求めていたダイエット本を読み始めた。今回は、自分自身ももっとコミットしなければならないと、料理にも関心をもって、さらに家内をサポートしていく決意を固めた。

宣告以来、まだ、3日目であるが、こちらは、もう考えを切り替えているが、家内は、まだ、あの時にこうすれば、ああすれば、とこちらに挑発をかけてくることもある。

無理もないが、すんだことはすんだこととして、これから前向きに行くしかない。もはや元にはもどれないのだ。新しい考え方、楽しみも見つけながら、生活していくということだ。


浜矩子さんの本を読む

2014年01月25日 13時51分50秒 | 思考試行

高橋乗宣氏との共著「2014年戦後最大級の経済危機がやってくる!」という題名だが、一読して、これはたいへんだと思ったものの、なぜ、今年にやってくるのかの根拠がわからない。しかしながら、全体の流れとして、金だけ印刷すればいいとか、クリックだけで、大金を手にする人がいて、一方では、労働者の賃金は、下がる一方の状況をみれば、今年でなくともいつかは、破綻してもおかしくないように思う。

そして、エピローグで、来るべき社会のモデルとして、多様性と包摂性を重視することが述べられている。これには、まさに同感である。弱肉強食や、儲けたもの勝ちというような社会が人間の目指すべき社会でないことは明らかである。

分配を重視して、自分だけ良ければ病からの脱出がかなえば、世の中、どんなに住みやすくなることか。こんな簡単なことが、ワカランカといいたい。彼女は、アベノミクスをアホノミクスを言い放っているが、彼女の予言があたれば、エライことだ。

一時は、テレビにもよく出ておられたが、アベノミクスで株価が回復している折柄、予言が外れた風になっていて、登場回数は相当減っているようだ。

しかし、経済動向の予想は、難しい。意見が180度違う場合も多い。いずれは、多様性をみとめる包容力のある人間社会になるだろうが、まだまだ、時間がかかるのだろうか。


ついに糖尿病の宣告をうける

2014年01月24日 12時44分51秒 | 思考試行

長年、境界型といわれていたが、突然の採血結果でHbA1c7.2ということで、これは、もう放置できません、といわれ、直ちに投薬対象となった。

様子を見ましょうも何もない。心臓の専門病院だが、滅多にない血液検査で判明したものである。帰宅して家内から、特にご下問がないものだから、時間をおいて、この旨報告すると、かなりのショックを受けたようで、糖尿病だけは、ならないようにと思っていたのに、と暫らくは、最近の飲酒状況であるとか、ヨーグルトにジャムをいれていたとか、餅を食べていたとか、ひとしきりコーゲキのあと、にわかに対策会議となった。

医師からは、特段の生活指導もなく、ただ、投薬と副作用について、フラッとしたり、ドキドキしたりすれば、甘いものを食べてください、といわれただけであった。

糖尿病は、今や国民病ともいわれ、インターネットで調べると、数値のこと、対策のこと、山ほど出てくる。ついに、きたかの気分だが、ここは切り替えて、禁酒でも、運動でもなんでもやっていくつもりである。

そう腹を決めると、今朝の一枚のパンも味わいながら、意識的によくかんで食べる。まことにおいしいのである。何事か、仕事をなすまでは、大事に生きていくつもりである。昼食もうまかった。


言葉にすれば

2014年01月23日 10時11分25秒 | 思考試行

何を考えているかは、言葉にしないと他者には理解できない。なるべく、自分の考えを知らせようとするのと、隠そうとするのは、言わば両極端であるが、時に、人は自分の意見表明を抑制したり、他者の考えを聞いてからにしょうとか、ここは、何としても言わなければと思うときもあって、一様ではない。

だが、基本的な傾向として、抑制的であろうとする考えは、大人の対応として普通ではある。揉め事を起こしたくなければ、基本的に黙っていればいいわけで、我慢が大事だと思うからである。もちろん副作用がある。怒りのために、心身のバランスだって崩しかねない。

開放的に、なっていれば、健康上は問題ない。ストレスをためないことを主眼に、できる限り前向きに、発言していく。おかしいと思えば黙ってはいない。まずは、発言していく。この姿勢は、周囲の人にとっては、理解しやすくその考えが健康であれば、まわりにも好影響を及ぼすだろう。

で、どちらかといえば、言葉にすることの方がいいと思われる。誤解を防ぎ、等身大の自分を表現できることは、当人にとってもいいことである。抑制的な雰囲気のある集団からの避難の効果もある。嫌なことをなるべくしないためには、意見表明こそ重要である。


どうするか

2014年01月22日 23時35分54秒 | 思考試行

何か仕事をするとして、どういう段取りでそれをするのか。これを前もって考えているかどうかで、効率が全く違う。やみくもにスタートしても、すぐに、非効率な動きになってしまう。熟慮して、段取りを準備していると、多くの仕事を、効率よく片付けることが可能である。

手順、計画、全てにわたっていえることだが、何にもすることがない、なんて事態になっているとしたら、落ち着いて、考えるべきだ。根本から、見直す必要がある。なにをどうするのかは、各人の自由である。条件を考える必要があれば、それは、自分の選択である。何を条件とするかを含めて、自分が決めることである。

受身にならずに、主体的に判断していく。周りの空気にのまれずに、自己決定をしていく。かなり困難な作業だが、これをやるなかで、自分自身の人生を味わうことが、始めてできる。

でなければ、振り回され、何をしに生まれてきたのか、などと虚無的な心境にならざるを得ないのではないか。原発再開は、明らかに、先送りの見切り発車であり、無責任な生きかたである。どこに、確信をもてる根拠があるというのか。


殺し合うしかないのか

2014年01月21日 09時50分30秒 | 思考試行

抗争する当事者にとって、解決は和解というのは簡単ではない。闘い、殺しあうしかないと考えるのが、人間の常のようだ。歴史的にもそうだし、今もなお、紛争地域では、殺しあっている。

原発がどうしようもない存在であるにも関わらず、当事者はやめる選択はとらない。従来からの力を利用して、なんとか存続をはかる。ここにも、力のぶつかり合いがある。

損害保険業の世界でも、そうだ。代理店の手数料lをさげまくって、今月の、ある顧客分の手数料をみると、その手数料がそのまま銀行の振込手数料になっている。すなわち、代理店には、一円の手数料もないのである。顧客への連絡の経費もなく、ボランティアである。生存をゆるさない実態がある。えいえいとして、顧客を開拓し、さまざまな投資をし、やっと獲得した顧客。これらを、まるごと奪っているのである。ドロボウである。一流企業も落ちたものである。

よくぞここまで、手数料を下げるものだとあきれるが、これも、資本主義社会に生きる体験として、彼らが何をしていくのか、観察の材料と考えている。「尊敬すべき」金の亡者達の行く末をみていきたい。


前向きに

2014年01月20日 10時15分20秒 | 思考試行

前しかないから、前へ行く。ただ、過去は、反省材料であるし、参考資料で、とらわれてはいけないが、懲りないのもいけない。うまく活かして、無駄にはしない。失敗は、大きな財産である。骨身にしみて、いい薬である。

刺激を受けて、何事かに取り組む。それが見つかれば、幸いである。大いに、力をいれて取り組む。失敗もするだろうが、簡単に成功するようでは、面白くない。試行錯誤のなかで、完成をめざしていく。

 


共通認識を探そうとはしない

2014年01月19日 10時51分32秒 | 思考試行

政治家が、所見を述べる。課題について、まるで異なる意見がでてくる。その根底の出発点がどこにあるのかが意見の違う根本原因だが、その根底がどのようなものか、常に明らかであるとは限らない。

公明党は、創価学会という宗教団体と密接に関係しながら、信仰を共通土台にしている。どういう教義なのかは、一般によく知らされているわけではない。ご利益がある、病気がなおった、信者同士の仲間意識、助け合い、他者への共通批判の同志意識、池田大作賛美、などなど共通認識があるだろうが、池田氏が右向け右といえば、そうなるという、統制集団であることも特徴である。

共産党は、情勢分析をしながら、その立ち位置を決めているから、かつては、党内にソ連派、中国派、などあって、論争が表面化していたが、最近はそんな論争もなく、志位氏の意向ですべてが決まっているようにみえる。

とかく、組織となれば、意見を揃えなければならないが、すべてを一致させることは不可能であり、人間は、その置かれた環境の下で、そこのルールに従って生きることとなる。どのような価値観であろうとも、周辺と根本的な相違がないかぎり成立し、機能する。

というわけで、お互いの相互理解や、主張の分析について、深く勉強したりしない。かくて、無駄な争いがとぎれることはなく、政争は継続する。


人との交わりの中で

2014年01月18日 21時56分11秒 | 思考試行

結局のところ、人との関係がどうであるかが、人生を豊かにするかどうかを決める。人と争い、比較して嘆いたりしているよりも、愛情をもって人に対することができるとすれば、それは本当に幸せといえる。

一人ひとりを愛おしく思い、暖かい心で、できることを協力しようとしているならば、自ずと、自分自身も気持ちよく共に喜び、苦しい時はともに、その解決をめざして、力をだすことができる。

そこから、新しい発見もうまれる。相対的に、自分を見ることができるならば、自己中心主義に陥ることなく、開かれた心を獲得できるのではないか。

人を蹴落としても、富を追及する世界からは、味気ない世界しか見えないのではないだろうか。多くの人がそのことに気付き、生活態度が一変するとき、楽しい豊かな世界が実現するのではと思う。

個人の信条のみではなく、構造的に、人を縛り、人をクイモノにするものがあるとすれば、これは、是非打破しなければならない。打破の実現は、単に、力で云々ではなく、個人の信条が、その水準に達しなければ不可能だろう。


いつもと違う道をドライブ

2014年01月17日 09時58分09秒 | 思考試行

顧客を訪問しての帰途、いつもと違うコースを走ってみた。風景が当然ながら全然違う。いつも通る道は、何度も通っているから、慣れており、其の辺一帯は、どこもかも知っている気分でいる。おおまかな土地勘はあるものだと思っていた。

いつもは、一方通行があるので、そこは、通れないのだが、帰途となれば、逆コースは、順コースであり、そこを走ってみることにしたのである。

これが、新鮮であった。もう10年以上見ていなかった風景が突然現れる。昔と大幅に変わっているが、当時と変わっていない建物が不意にでてきたりする。道路整備が、まだまだ遅れているところがでてくる。自治体の行政力がモロに出ていたりする。

一方通行があちこちにあって、ぐるぐる回され、全然知らない土地へきたみたいな気分になる。まるで、旅行者である。ようやく広い道にたどり着き、馴染みのある道路の合流する。そこで、旅行は終了である。考えれば平面を、線と線で結んだ特定の地点を移動していただけだから、平面全体を理解できているわけではないので、いわば当然である。

ちょっと変えることが、これだけ新鮮な気分を招来させてくれるのである。生活のなかで、ちょっと変化をいれることを心がけていきたいと思ったことである。