空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

お勧めのうどん屋さん「十兵衛」・・・平野イーオン前

2008年04月30日 21時22分23秒 | 思考試行
 なかなかな、うどん屋さんを知っている。昼休みは、満杯で席はない。店主は、常連さんのために、むしろ時間時に、遠くから来られても困るという。これは、ホンネの話である。
 
 製品には、ものすごい執念をもって、取り組んでいる。自家製の麺だから、麺には、その執念がこめられている。思い入れがあるのだ。勧められて、ホームページも開設しているから、メニューもご覧いただきたい。普通のうどん屋さんではないことがおわかりになるだろう。美男美女の夫婦が経営する喜連の名店である。

 場所は喜連のイーオン北入り口の、紀陽銀行東隣にある。店の名前は「十兵衛」という。できれば、そんなわけで、時間を外して、行ってみていただきたい。メニューも凝っているから、そのコダワリを、ご覧いただきたいと思う。フトコロの深い大阪には、こんな店があるのだ。

 庶民的な店構えであるが、店主の面構えをみて、なるほど現在の十兵衛だなと、思われるだろう。これは、少し違う店だと思われるはずである。とにかくうどんに関しては、店主は、半端ではないこだわりを持っている。研究熱心である。

 うどんにコダワリのある人は、一度味わえば、店主の姿勢の真剣さに気付くはずである。しかし、心構えを聞かれても、店主は当たり前のことを当たり前にしているだけですと、素っ気無く応えるだけにすぎない。

 真面目に、仕事にとりくむ職人が、ここにいるのである。一年以上続いた、イーオンが、工事中の時にも、店を閉めずに、そのまま営業していた。その間、何事もないかのように、常連の人々が彼の店を訪れていたという。

 それが、彼の常連様大事の気持ちとなっている。しかし、その腕を味わうのは、常連だけのみでいいとは思えない。真面目に、いい仕事をしている人は、このようにして、人がかってに宣伝してくれるのである。彼の仕事を、味わい、そして、あなたもまた、刺激をうけて、あなたのビジネスの糧としていただきたいと思う。仕事の、心構えは、共通なのである。

電動ベッドが来た。

2008年04月30日 12時58分37秒 | 思考試行
 約束の11時半、ベッドが来た。なかなかの重量で、男二人がかりでやっと持ちあがる程度である。病院のベッドよりは、2cm幅が広くなっているというが、横幅がスリムで、電動型であり、よくできている。

 そして、マットレスが、特殊なもので、ジョクソウができにくくしているものらしい。これが、ベッドのレンタル料金より高い。開発に値段がかかったのだろうか。今日、介護の程度について、調査員がくることになっていて、その程度によって、レンタル料金が変わる。前は要支援2ということであったが、少し、そのランクは上がるのではと、介護の看護師さんは言っている。

 それにしても、こういう具合であれば、何人かで協力してやれば、在宅介護も可能かなと思う。なにより、介護をうける人が、実の娘にみてもらっているという安心感が大きいようだ。小生などは、邪魔者に転化するので、その辺の呼吸は、理解しているつもりだが、いよいよ、新しい生活が始まるという感じがする。

 マットレスの具合もいいらしく、とりあえず、落ち着いた。ついでに、事務所の机の配置も、ベッド搬入の際にどけたが、この方が新鮮か、ということで、壁際にくっつけた。そうとうスペースが増えて、案外こちらの方がいいみたいである。

趣味は動く趣味を

2008年04月30日 08時36分16秒 | 思考試行
 顧問先で聞いた話。彼の親戚の人が、もう70台になっているのだが、すこぶる元気であるという。近くの神社、地元の観光地、有名神社などの、ボランティアの説明員をしているという。

 勉強もいるだろうし、何しろ体を動かさないといけない。なるほど、それは、いいなと思った。当方は、最近はコンピュータの将棋ゲームに挑戦するのが、趣味のようになっている。まだ、一度しか勝てず、悔しい思いをしているのだが、説明員は、社会的にも有用であるし、健康的である。けっこう喜ばれてもいるだろう。

 ちょっと、オタク気味の当方は意表をつかれた。だが、この悔しさは、如何ともし難い。ここは、体を動かして、情報を集め、研鑽をつんで、一泡吹かせてみたいのである。チョットした一方的な遺恨試合になっている。相手は、何とも思ってはいないし、勝ったからどうということもなく、ましてや、このソフトは、無料でダウンロードしたものであり、待ったなしとか、機能もシンプルであること、情け容赦のないことなどに文句をつける筋合いではない。

 古本屋さんとか、デッカイ本屋さんあたり、を訪ねて、必勝本を漁るとか、あるいは、将棋会館あたりまで、出向くなり、一つ体を動かしてみようかなと思っている。


ベッドが今日くる。

2008年04月30日 08時17分28秒 | 思考試行
 今日は、待望のベッドがくる。介護の区分変更は、まだだが、介護保険の基準と違うものでも、(少し形が小さいもの。)値段がそうは、変わらないということで、発注したものである。

 トイレに行くのに、寝床から、立ち上がるのが、もっとも大変で、これがかなり楽になるのでは、ともくろんでいる。医師も、ベッドのほうがかなり楽です、と保証してくれた。居住性や、掃除もしやすいし、そのほうがいいだろう。

 このところ、子供、孫ときて、刺激を与えられたら、けっこう元気が出てきた。食欲も少しすすみ、起きているときが増えた。昨日来た孫には、御小遣いをやると言った具合で、頭のほうもしっかりしている。ネコが嫌いといっていたが、身内がきてくれて、心強くなったのか、けっこう強くしかったりして、微妙な変化がでるものである。これは、少々フカイ。

 ベッドがくれば、いよいよ本格的な同居という感じがある。当初は、いずれはかえらなければ、と言っていたが、それも言わなくなった。うまく、自然な形で移行すればいいのだが、それには、小生の姿勢が一番であろう。つきすぎず離れずぐらいの感じでいこうと思っている。こちらも無理しないことが重要だろうと、何となく、そのように考えている。


コンジョワルの構造

2008年04月29日 15時27分24秒 | 思考試行
 当事者のごく周辺には、あまり良い様には思われていなくて、そこから、少し離れたところでは、評判がいい、みたいなことがある。

 当の情報発生源が、自らを良くするための言辞を弄して、白を黒とし、感謝すべきを無視し、成果を横取りするのである。また、少し離れた周辺部に誤解させる振る舞いをする。

 たとえば、一切の経費負担を、「奉仕者」にさせておきながら、イザというときには、少し離れた周辺部の前では、いつも、自分も経費負担をしているかのような振る舞いをする。すなわち、財布を取り出したり、(それは、取り出すだけで、負担はしないのだが、とりあえず出すカッコウをするのである。)いつも、その当事者だけの場合は、そんなことも一切しないのにである。従って不意をつかれたような気分にさせられる。

 意識的か、無意識か、解らないようなタイミング、雰囲気を醸し出すのだ。結局は自分が世話になっていることを、感謝したくないためか、負担に思いたくないためか、それほどのことをしてもらっているわけではない、という状況として、少し離れた周辺部に思わせたいらしいのである。

 そして、それに気付いた、当方が機嫌を斜めにしているなとみれば、今度は、卑屈な姿勢をとる。機嫌を直したな、とみれば、今度は横柄な態度をシコウする。卑屈と傲慢を揺れ動くブランコ人生である。

 したがって、当事者だけのときは態度は、わりに、丁寧であるが、少し他の人が加わると、態度は変わる。横柄な自己の立場を、最大限主張し始める。

 こういう人は、案外いるもんだ、ということを知った。だれしも、人に感謝されたい、褒められたいという気分はもっているものだが、こういう人は言説でその状況を獲得しようする。注意深く観察していると、一言でいえば、ケチンボである。

 ただで、できることは、意外にマメにする。こういう人が、いると本当に神経が疲れる。良くしても、悪者にされてしまう可能性があるからだ。しかも、そうとは解らないようにするから、下手に嘆いたりすると、こちらが、本当に悪者になってしまう。こういう人は本当にコンジョワルと言うのだろうと思う。

 少し離れた人には、みえない現象、しかし、当事者はよく解っている。当初は妻が当事者で、小生は「少し離れた人」であった。当時は、妻はそうとう辛い思いをしたという。小生が理解できなかったからだ。しかし、今は違う。妻とは情報交換をして、真相は共有しているから、その人の言説は、正確に理解できる。隠している部分を明らかにし、二人の間では、なるほど、そういうことか、という具合に分析が可能なのである。

 なぜ、そうなったのか。それも、真相を知るようになって、その人の幼少期のことなど、考えてみると、その育ちのなかで、形成されてきた道筋をたどれるような気がする。比較的に裕福で、兄弟姉妹が多くいて、親との関係といえども、うまく立ち回るものと、そうではないものがいたり、競争関係の激しさ、などなど、人生を理解するその仕方に、独特のものが形成されてきたのだろうと思う。

春の叙勲と・・・街宣車

2008年04月29日 10時27分30秒 | 思考試行
春の叙勲の受章者が、新聞2面を使って掲載されている。大臣経験者、高級官僚、学者、公務員、議員、財界、文化人、などなど各分野に亘っている。単に専業主婦というのは、ないようだ。

叙勲とは何だろうか。このリストはどこで準備されているのだろうか。一度調べてみたいものだと思う。よく言えば、業績をよく調べているということになるのだろうが、悪く言えば、順位のつけようもないものを、無理やり、何らかの価値基準に基づいて、並べているということになる。

当然、受章をことわっている人もいると思われるが、それを、発表することは、その人にとっては、迷惑千万だろうし、その位置づけがどうなのか、ということもある。場合によっては、攻撃対象になる危険性もある。

小生は、どうも、この叙勲制度には、素直になれない気分がある。この気分はどこからくるのであろうか。どうも、そこには、戦前の国家主義のニオイがするからだろうか。皇室の位置づけにも関係することがらになっているからだろうか。

そして、それを悪用する人びとの存在を、感じさせられることもある。街宣車が、恫喝するように道路を行進する姿のなかに、その不健康さをみるのである。

介護のこと。

2008年04月29日 09時44分09秒 | 思考試行
 今朝、女医さんが来てくれた。2回目であるが、すっかり、馴染んだ感じが、妻にも義母にもある。

 生活の状況、とくに、食事内容を尋ねている。さらに、生活全般にわたって、チェックが入る。

 有用なシステムであることが実感される。

 今日は、連休の始まりに該当するが、休日に関わらず、往診してくれているわけだが、まことに有り難いことである。

 指導の主要な話しが、食事のことが多い。人間は、やはり、食べないとだめだということであろう。

テンション

2008年04月28日 09時45分13秒 | 思考試行
 若者達のエネルギーが、どのように発揮されるかで、世の中の動向が決まる。最近は、「テンション」という言葉もよく聞く。今朝のNHKでは、長塚京三氏が、俳優の気持ちの持ち方として、「上機嫌」であることという。

 何事をやるにしても、覚悟というか、心構えで、事の成否が決まってしまうような経験が誰しもあると思う。同じ仕事をやるにしても、構えが違えば、結果は当然違ってくる。

 上機嫌でおれない事情も多い。これは、多くは、自己利益のみを追求して、他を省みない連中が跋扈しているからに他ならない。これに対してどうするか。かれらは、そういう態度を続けていれば、どうなるのか、を真剣には考えてはいない。彼らが上機嫌になれない、そういう価値観を我々が共有することである。

 それには、折にふれ、そういう連中の行状を暴露し、その低劣さを知らしめ、大いに嗤ってやろうではありませんか。勲章好きのオエライさん達は、絶好のターゲットだと思います。

古本の楽しみ

2008年04月28日 09時14分14秒 | 思考試行
 昨日、散歩していて(自転車車ででかけたのだが、ところどころで歩いたので、広義の散歩ということにする。)古本屋に立ち寄り、本を4冊購入したことを書いた。

 昨夜から、また、今朝バラバラと読みかける。何しろ、10年から20年前の本であるが、コチトラにとっては、ナツメロ流行歌に似て、知っている登場人物が多いのと、当時の時代背景を経験しているから、けっこう、新鮮なのである。

 バリバリ、現役で活躍していた当時の人が、その後の事件で犯罪者になってしまった人もいる。そういう例を見ると、なるほど、当時から、その傾向があったのだな、と納得させられたりする。

 まるで、先を見通したカミサマの目でみているようで、興味は尽きない。

 古本屋のオヤジが、丁寧な接客をしていて、珍しく思えた。いつもの値段の2割引だという。店内にはいると、なかなか稀少本もあるのだが、値段が高い。店の外に投売りしているものと、峻別している。整理もできている。大まかな分野別になっているのだが、それでも、相当の手が入っているなあと思ってしまう。

 できれば、整理もそこそこに、値段付けも真面目でないほうが、こちらとしてはありがたいというか、物色の楽しみも増えるというものだが、商売の駆け引きの、この辺の呼吸は難しいものである。

政治の抜本的な変革を期待する。

2008年04月27日 21時35分49秒 | 思考試行
 山口の補選で、自民党が負けた。いま、解散すれば、自民党は負けるということが、ハッキリした。しかし、これは、一議席のことだから、議席の数ということからみれば、どうということはない、と政権サイドは思うかもしれない。

 しかし、民意は、自民党を批判する人が多いということを、ハッキリさせたということで、政権についている姿はすでに、支持を失い、今は、ただ、かりそめの議席に胡坐をかいているにすぎないのである。

 国民に負担を押し付け、金持ち優遇、官僚利権にメスを入れきれず、無駄な税金の使い方など、徐々に政権の本質が、ようやく一般の人びとの知れるところとなってきたということではないか。

 小泉劇場で、掠め取った議席の本質が、どうやら、化けの皮がはがれたということだ。この上は、いさぎよく民意に尋ねて、政権を移譲し、下野することが世のため、人のためになるのではないか。抜本的に政策を練り直して、真に、国民、世界に役立つ政治を展開するための準備をすべきである。

 反省もなく、政権にしがみついているのは、見苦しい。利権構造のしがらみから解放されて、生まれ変わった自民党を見たいものである。


マイナスは、プラスにできるのに、中国政府は頭がカタイ。

2008年04月27日 19時25分34秒 | 思考試行
 中国人の「聖火リレー」に対する思い入れが、目立つ。何とも程度が低く、いささか気分を害している。

 自己主張を臆面もなく、しているのを見ていると、何ともやりきれない感じがする。

 誰かが立案し、指導しているのだろうが、画一的な行動パターンをみていると、病根の根深さを思わされる。

 外交というのは、なかなか困難で、価値観、思惑の違い、などで、とんでもないことになることもあるようだが、常識というのは、各国そんなに違うモノなのだろうか。

 共通の常識、ルールのようなものは、簡単にはいかないものだろうか。餃子騒ぎも結局は、ウヤムヤになりそうだし、あのままで終わらせてしまう神経が解らない。

 中国は病気だといわざるを得ない。事故の原因は、状況から、だいたいわかるし、中国政府も、本当はわかっていて、今のような態度をとり続けているのなら、そのこと自体が問題である。

 事故は事故として、キチント処理すれば、それは、中国自身にとって、事故は必ずしもマイナスではなく、むしろ新たな前進にすることができたと思うのだが、頭が固いのか、最悪のコースを選んでいる。

なかなかの日曜日

2008年04月27日 19時03分48秒 | 思考試行
 小生もメタボということで、折にふれ、運動せよとの家内の厳しい命令がでる。今日は好天気、自転車で外出した。  
 
 歩きとちがって、距離が相当変わる。やはり、文明の利器はたいしたものである。古本屋を見つけて、物色する。今日は2割引という。一冊100円の本を4冊買う。定価にすれば、5000円をこえるから、本当に得した気分になる。いずれも、時代遅れのように思うが、それはそうでもない。

 古本漁りを始めてから、何年になるだろうか。これも、放送大学と同じで、あまり直に儲かったとか、実務的に役立つということではなく、ジワット効いてくる感じで、豊かな気分にさせてくれるのである。

 岸田秀さんの「嫉妬の時代」、落合信彦「極限」、鷲田小彌太「自分で考える技術」、日下公人「個性を以て貴しとす」の4冊である。どうです。お買い得でしょう。もっとも、読まなければ意味がないし、読んでどうということもないかもしれない。それでも、何か自力がつきそうとは思いませんか。

 そして、ツタヤによって、「あ・うん」と「穴」という旧作を2本借りてきた。なかなかの日曜日ということである。

邪魔がはいる

2008年04月26日 19時39分25秒 | 思考試行
今我が家には、87歳の義母がいる。ほぼ一日寝ている。ご本人は、頭は至極しっかりしているが、ともかく、眠いという。目覚めてもまだ眠いという。一日が早いと言う。食事して、寝るとまた、食事という感じのようである。

食事の好みも、どうやら明らかとなり、意外にノンベエということも判明した、コップいっぱいの缶ビールを発見、主食代わりとなった。おいしいを連発している。家内は、アルコールはだめで、心臓がドキドキするという。したがって、焼酎の小生と乾杯するのだが、儀式として定着、食欲も少しは進むようである。


中国よ、しっかりしてくれ。

2008年04月26日 10時29分38秒 | 思考試行
 聖火リレーが、ヘンテコな形になってきた。中国の自ら招いたことであると思う。ものごと、作用と反作用がある。弾圧し、自分の都合のいいようにしたならば、押さえつけられ、不当な扱いを受けたほうは黙っていないのは、あたりまえのことである。 
 
 愛国心を、野放図にもりあげ、狭いセクト主義に陥った国民のあわれな姿が、展開されている。悲しいニュース画面である。

 指導者がどういう態度であるか、が重要なのは、勿論であるが、民衆の程度ということも思う。少々の扇動があろうと、動じない賢い民衆であって欲しいと思う。

 今回のことが、狭い愛国心を叫ぶ愚を知るきっかけになれば、それはそれで、意味のあることだといえる。

 中国が変われば、地球は相当よくなる。どのように変化していくのか、観察していきたい。広い国土、多くの人口、成長を続ける中国が、健全に世界のリーダーになってくれることを切に望みたい。公害垂れ流しから、歴史の試練を経た人間の深い知恵をみせてくれる日を待っている。

素晴らしい道具・・・ブログ

2008年04月26日 10時16分26秒 | 思考試行
 何でもいいから、新しいことを、体験することに、挑戦する姿勢を忘れてはいけないと思う。それは、必ず何か、新しい発見をもたらし、生きる力となる。それが、リスクのあるときには、勿論ある程度の覚悟もいるが、リスクを恐れて何もしないというのでは、前進はない。何らかのリスクを覚悟しながらも、細心の注意をはらいつつ、前へいく。そこに、人生の醍醐味があると思う。

 といいながら、自身はどうだろうか。豪胆に見えた、父は意外にもリスクをとりたがらない人であり、その選択はいつも、安全確実を指向していたので、どうやら、その資質を受け継いだと見えて、どっちかと言えば、小生もその傾向。たまに、意を決して行動すると、きっちりと不安が的中、リスクといえるほどのものではないが、それなりに、傷ついた記憶があって、小心翼翼の日常生活といえる。

 その意味では、このブログを始めて、なにか少し生活に変化があるようには思う。日常生活のなかでは、なかなかいえないことを、正論を言えるわけで、無茶苦茶もいえるかもしれないが、それは、スジがよくない。あくまで、自分が正しいと思ったことを披瀝でき、毎日、何人かの方が明らかに目を通して下さっていて、それは相互に意味のあることであれば、こんなうれしいことはないのである。

これでも、世のため人のための精神を、ベースにして生きていきたいと思っており、その実践が可能なのだから、いい道具を与えられたと、喜んでいる。