空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

悲惨な状況からどう離脱するのか。

2009年02月28日 16時11分24秒 | 思考試行
なんだろう。人生において、何を味わえば幸せで、不幸とは何をさすのだろうか。

戦争、家族との別離、離婚、病気、死、破産、貧困、飢餓、複雑な人間関係、争い、いじめ、などなど、生きている限り、何らかの困難な現象から無縁ではありえないけれども、いつまでこの状況が続くのだろうか。

地球上では、いまのいま、飢餓に、戦争の惨禍に、苦しむ人がいて効果的な対策が充分にとられているとはいいがたい状況がある。誰もが、こんなことは続けてはいけない、と思っているのだろうか。それとも、何かのために、その状況が続いてもいいのだと考えているのだろうか。

国連や、国の首脳者は、取り組んではいるのだろう。だが、それは充分ではないことは知っている。では、どうするのか。処方箋が示せないのだろうか。国際会議の議題にはあがっているとは思えない。国益ばかりに目がいって、地球全体のことにまでの余裕がないということなのか。

せっかくの科学技術の進歩を勝ち得ながら、充分にその機能を活かしきれていない。特に、その気になればやれる人びとは、サボらずに、提案し、リードし、悲惨な状況の改善のために、全力を尽くすべきである。

具体的な、工程を示してほしいものである。


木のエクボ・・・過去、現在、未来・・・

2009年02月27日 08時12分23秒 | 思考試行
世の中は、どう進むのかといえば、過去の出来事の積み重ねで、今があり、今のことが未来につながるのであって、当たり前といえば、そうであるが、やはり、その意味をよく自覚しておくことが重要であると思う。

小生宅に、子供の頃から、いや小生が生まれる前から、一本の樫の木が庭にある。その幹の中ほどに、エクボが二つある。それは、小生が小学生の頃、木製の野球バットで、木の幹をスイングして傷つけたものである。そのときの様子は、今も思い出される。

コツンと叩くと、簡単に木の皮がむけて、中の、白い、肌が見えた。いたましいという感じはあまりしなかったが、どこかに、ヒッカカルものがあったようには思う。傷は二箇所あり、二日にわたってスイングしたのだった。

二度目のときには、そのイタミが明確に自覚できた。誰に注意されたというのではなく、自分で、もうしないと、はっきり気持ちを決めた記憶がある。

以来、家を出て、学生時代、就職、転勤などあって、今自宅に戻っているわけだが木のエクボは、今も、くっきりとある。全体の幹は太くなっているが、その傷の部分が復活することはない。大きく凹んでいるのである。

人生、世界、すべてがそうである。今のいま、どうするかが、未来に影響する。未来が開けるような、そんな行動を、心がけなければならない。傷を見るたびに、そう思う。

「おひとりさま」について

2009年02月24日 10時33分59秒 | 思考試行
人間一人では生きていけない。ただ、いつも誰かに監視されていたり、干渉されるのではかなわない。人との関わり、と一人の世界、双方のバランスが大事なのだろう。

適当に塩梅しながら、生活していくことになる。今朝のテレビで、一人暮らしのことをNHKが取り上げていた。カラオケ、絵手紙、図書館・・・仲間作りのさまざまな知恵、近所との付き合いなど紹介されていた。

番組に登場するひとは、忙しく、活動していて、みんな若々しい。楽しく人生を歩んでいるという姿がいい。

そして、その背景には、一定のお金もいる。そこで、萩原先生のレクチャーがつく。必要とする金額は、生命保険の会社がいうよりかなり現実的な話をしていて、好感が持てた。

食べるだけなら、一人の場合は8万円という。家内と、そうだよな、これぐらいでいけるよな、となった。不当に高くいって、資産運用が必要という論法で話がされることが多いから、騙されないことである。

彼女は現金を貯金することを勧める。いつなんどきでも、対応しようと思えば現金が必要なのは当たり前である。下手に資産運用などするわけにはいかない。

それにしても、生活設計はお金だけではうまくいかない。趣味や、仲間は、一瞬にはできない。時間をかけて、育てていかなくてはならない。なにをどのようにしていくのか、ここが人生の醍醐味である。

生まれるときは一人、死ぬときも一人、どのようにしていくのか、設計図を訂正しながら、補正しながら、完成を目指していくことになるのだろう。

小生の場合、放送大学が結構意味を持ってきている。活用を一考されたら如何だろうか。

「裁判官」 著者・朔 立木(さく たつき)・・・ を読んで

2009年02月23日 10時20分28秒 | 思考試行
映画「チェンジリング」を観ての帰りに、書店に立ち寄り、タイトルの文庫本を買う。

元裁判官が書いたと本ということで、興味を持った。早速読んでみて、仰天した。なるほど裁判官も人間であるが、庶民とは違う。まさに囚人のような息苦しい生き方に、同情を禁じえない。同時に、その荒廃した心理状態に陥るのも無理とは思えないという感想を持つ。

そこで、裁判員制度のアイデアが出てきたのだろうか。あまりに、密室で常識はずれの世界になっているということか。

太宰治を、連想するような破滅的とも見える独特の生き方が出てくる。著者によれば、もちろんフィクションの部分もあるが、実際からの取材とあって、驚くばかりである。

人間それほど変わりはないというか、裁判官だからといって、超人ではないのだが日頃なじみがないから、途轍もない人のように思っている向きもあると思う。かくいう小生もその感があった。

ただ、あるとき小さな仕事の報酬をもらえないことがあって、勉強を兼ねて、支払い命令の手続きを簡裁でとり、最後に強制執行の手続きまで、自分でしたことがあった。

そのときに始めて、裁判所の実態に少し触れたことがあって、この本を読んだときに、なるほどと、腑に落ちることが多い。今度の制度の改革がどの方向に向かうのかは不明だが、やる意味は充分あるとこの本を読んで思う。

「チェンジリング」をみて

2009年02月22日 11時08分30秒 | 思考試行
勧善懲悪のストーリーで、歴史を振り返ってみている。民主主義の本質にも迫っている。

警察権力などの腐敗ぶり、市長らとの癒着、自分達の都合に良いようにしてきた実態を、実話として、みごとに、暴いている。アメリカの銃社会がなぜ伝統なのかがわかる気がする。他人まかせにはできない実態があったのである。

ところで、スマップのイナガキゴロウ君が、映画評論みたいなことをやっていて、主人公の女優の演技を高く評価していた。そして、監督のクリント・イーストウッドは凄い、という。

ただ、この作品の本質には、見事に全然ふれない。コメントについて、あるいは、背景、指導があるのかどうかは知らないが、ストンと抜けているのには驚いた。

今、何故、このような映画が作られたかを考えたとき、形を変えた不合理な実態がいまなおあることを、告発しているのであって、その主張を無視した、そうしたことに触れない作品感想は、ある意味で、相当な悪意と、いまを生きるタレントとしての、したたかさも感じる。

せっかくの作品を、浅薄な演技論に矮小化するような、そういう風潮は、弱者を平気で切り捨てる勝ち組強欲資本家たちの喜ぶところであるし、彼らの子分としての役割を果たしているともいえる。

実話を元にしているとあって、大事なテーマをキチンと整理しているし、勧善懲悪の心地いい映画である。そして、今ある「不合理」を告発し、改善していくバネになりうる資質を、この映画は持っている。

選ぶ側の問題、質も問われている

2009年02月20日 08時29分25秒 | 思考試行
自分の利益のみを追求していて、いいのだろうか。今の世の中、利己主義の蔓延で、本当にギスギスしたものになってしまっている。

昔、吉田松陰は叔父に厳しくしつけられた。頬を蚊がさしたときに、思わず手が頬にいったところ、叔父さんにホッペタを張り飛ばされたという。

それは、自分だけのことに、気をとられている、ということらしい。無私の精神が徹底されていることがわかる。

日本には、こういう伝統はあったと思う。家族内においても、企業内においても、社長や、家長は、自分のことだけを考えていたわけではなく、思いやりがあったと思う。

外に対しても、礼儀の本質はそこにあったのではないか。相手のことを考えて、事にあたる。自分の利益ばかりを追いかけるような人は、話にもならない存在として軽蔑されていた。

政治家は、自らの権益を守るためには、必要な手立てさえ打たない。都合で予算さえ人質にする。話し合いの論拠が、本音が、隠された自己利益である。国民のことを真剣に考えているとは思えない。

アメリカ流の強欲資本主義がまかりとおり、弱者をきりすて、利用し、人を物のように使い捨てにしてきた。とんでもない状況が展開している。この方向を切り替えるには、国民の意思が明確に反映されなければならない。今度の選挙は、本当に意味がある。

真に、一人ひとりの人のことを考える政治がされるためには、お互いのことを考えることができる環境、関係ができなければならない。そして、そういう価値観の人びとが増えなければならない。選ぶ人の質は、選ばれる人の質も決めてしまう。


田舎暮らしに期待

2009年02月19日 09時45分09秒 | 思考試行
経済を立て直すのに、テクニックがいるのかどうかは解らないが、海千山千のテダレが、情勢を読み、手をうって儲けを計り、そのことで、景気が良くなるといった見方をする向きがある。

だから、政府など、格別のことをしなくてもいいんだという考え方である。大体において、庶民は、日々の生活ができればいいのであって、大儲けしようとか、人より少しでも優位になろうなんてあまり考えてはいない。世間並みに平和にすごせれば、その中でささやかな楽しみを見つけて暮らすということになる。

オバマ氏は、住宅問題で、今朝の新聞をみると、大きな対策を打っている。早いという印象がある。日本は、統計でも、アメリカ以上の痛手を被っているといわれているが、これからどうなるのだろう。

近く、知人が田舎暮らしをするべく、引越しをする。田舎は都会と違って難しい面もあるだろうが、食料を確保できるという、強みがある。高齢化で、維持できなくなった家を購入したというが、うまくいくことを願っている。食料危機のときはタノンマッセと言ってある。なかば冗談であるが、本気もある。

どんなことがあっても、人間食えさえすれば、なんとかやっていけるという思いがある。都市部で、道具のように使われて、ポイステされるような扱いをうけることを思えば、田舎暮らしはうまくいくのではないか、と期待したい。

中川サンだけが悪い??マスコミ、政界、みんな知っていた?

2009年02月18日 07時34分51秒 | 思考試行
どうやら飲んでいたことが、チラホラでてきた。彼の酒問題は、今回が初めてではないようで、みんな知っているという。政治家は勿論、マスコミの記者連中も知っていたという。

それを風邪薬のせいにしたり、イイヌケに終始する。真実を知っているのに、明らかであるのに、事なかれにする。貸し借りの世界がそこにはある。マスコミの責任はまことに大きい。

こういう馴れ合い関係が、弱者を産み出すことになる。派遣業法のような、もともと違法なピンハネのヤクザ仕事を合法化してしまった。なんだかんだと、国民のせいにして、働き方の多様性などと、理屈づけをしながら、平気でこんな法律を合法化する。結果として、年末の寒空に、泊まるところもなく、多くの人が投げ出された。

そして、政治家達の認識は、ワインの誘惑に耐え切れないようなオボッチャンたちがすき放題にしていても、許しているのである。マスコミもそれを許している。本当に情けない限りである。

こうして、真実がでてくると、本質が明らかとなって、良いではないかということも言える。

ただ、恐れるのは、またまた大連立とか言い出して、またまた起こる、憲法9条の改悪の問題に発展することである。平和が脅かされる心配である。戦争をしたくてたまらない連中が、政界にはゴマンといるのである。

難局にどう対処するか、いい検証の機会

2009年02月12日 07時30分12秒 | 思考試行
これから経済はどのようになっていくのだろうか。百年に一度の・・・と連呼されているが、アメリカの経済政策もそう簡単に効果が出そうにないという雰囲気があるのか、株が下がっている。

新しい公共事業を起こさないと、雇用が確保できないとしているオバマの政策には注目したい。その方向は、環境対策も絡めていて、良いように思う。

日本の場合は、なんだか、比較すべくもなく、展望に欠ける。真剣さにおいて、政治家の質の違いを見せつけられて、辛い気分である。

インターネットで、大前研一氏が処方箋を出している。大胆に、地球規模で、考えている。視野が広い。彼は以前に政治家を志したことがあって、うまくいかなかったのか、その後政治的活動はないようだが、彼のような人が、いま、政治の世界にいてくれたらという思いがする。

天災がおこったわけではなく、人災であるわけだが、どのように事態が変化していくのか、不安でもあるが、楽しみでもある。

何事もなければ、平凡な日々の生活の積み重ねのなかで、生きているだけである。それを有り難いとも思ってはいない。

ところが、そのことが、如何に大事なことであるか、有り難いことであるか、現実に体験してみるとよく解る。

突如職を奪われたり、住む場所がなくなったりという、気の毒な状況になってしまった人達に、どう対処したのか、するのか、さまざまな団体、機関、政党、経営者等を検証する材料である。

口先だけでなく、現実対応の能力が試される。お互い切磋琢磨して、どのようにこの難局を切り抜けていくのか、味わいつつ体験していこう。

「世のため人のため」は、常識ではなかった。

2009年02月11日 08時07分52秒 | 思考試行
すべての分野で、人に負けることはない。逆に勝つこともない。指標を変え、見方を変えて、検討すれば、劣っていることは、優れていることとなり、その逆も成立するというもんだ。

そうは言っても、分野を限定してみれば、その「優劣」は明らかである。絶対的な差はある。それを認めたうえで、三月号の文藝春秋をみたとき、中谷巌さんの「竹中平蔵君、僕は間違えた」には、仰天した。

えっ、それをみていなかったの!という感じ。氏は言う。「一番大きな欠落は、社会へのまなざしだった。」

すべての根源、努力の源泉は、ここにあるのではなかったのか、と驚いた。世のため人のため、というのは、必ずしも、有名人の当たり前の立場ではなかったのだ。

氏の書かれたものは、もう、コチトラの「常識」の分野に入ってきて、心地よく違和感がない。しかし、原点が・・・違っていたとはと、仰天する。

こちらの能力ないし、努力の程度は、自分でもタイシタコトハナイことを知っているので、原点があっていても、間違っていても、社会的には問題ないてなことだが考えてみれば、みんな同一ではなく、だから全体としてはうまくいっていることになるのかもしれない。

オボッチャン、オジョウチャンにいつまでまかせるのか。

2009年02月10日 12時13分59秒 | 思考試行
麻生さんは、生活に不安なく、きまぐれのオボッチャンという環境で、順調に育ってきた人なのであろう。政治家になるのも、ハングリーな精神から志したのではないのは明らかである。

彼に限らず、自民党の多くの政治家は、ほとんど、地盤看板カバンという、先代の遺産を引き継ぐ形で、権力と利権、名誉をほしいままにしてきている。

候補者は、誰であってもいい、支配側にとっては、現態勢を維持できることが重要で、個人の資質はあまり意味をもたない。

日本の政治は、官僚がその実質を担ってきた。官僚は、自らの組織を守り、言い訳の効く様にして、細かに体系を作り上げ、あらゆる組織と対抗してきた。国とか国民とかは、眼中になく、自らの持ち場からみて、その他はシモジモであり、奉仕の立場など上から下まで、これっぽちもなかった。

社会保険庁はなくなることとなった。労働組合は、社会党系で、上とはツーツーであり、共産党系を排除、孤立化させて、いいようにゼイタクしてきた。当然といえば当然だが、他の官庁、部署も恐らくは、似たような事情にあると思われる。

これらをどう変えていくのか、政治の方向が本当に国民にむいたものになっていくのはいつなのか。これはまさに、国民自らが、本当に投票行動でその意思を示すかどうかにかかっている。


衣食住の確保の次には、タブーなき検討を

2009年02月10日 08時45分03秒 | 思考試行
結局は、衣食住があれば、人間はまずは安心なのだから、このためには、どういう個人的事情があろうと、生存を確保することが、保証することが、どんな世の中であろうと、最低の条件とすべきである。

日本の憲法も、25条で明文化している。これを貫徹しないといけない。年末の派遣村のような事態が今でも続いているのは、国の怠慢である。こういうことをマスコミは明確に打ち出さなければならない。常識としなければならない。

その上の、より人間的な暮らしを立てていくのは、個人の努力も必要だろう。だが、最低条件は、だれでも確保できるとあれば、みんなその状態に甘んずるだろうか。前向きな努力をしなくなるだろうか。

そこには、多くの課題が存在する。意欲の問題は、単純に「報酬」だけではない。どこにその根源があるのかが、検討されなければならない。これは、人類にとっての大きな課題である。

まずは、健康上の問題、意欲の問題、さまざまな理由で働けない場合、働かなくてもいいという条件を保証する、こういう世の中であっていいと思う。自殺者が年間3万人を越えるという実態は、冷たい政治状況、実情を示している。

どだい、本人は、仕事をしていると思っていても、生産に関与しない多くの人びとは、それほど、本質的な仕事とはいえないともいえる。

今の、世の中の実態は、人間社会にとっては、プロセスにすぎない。完成にはほど遠いし、目を覆うような惨状に満ち満ちている。といって、その全部を計画的に管理できるものでもない。そこに、工夫をこらす分野がある。

さまざまに、あらゆる可能性、方向性を探っていかなければならない。タブーと思われていたことも、検討しようではないか。本質にせまるためには、困難な状況を打開するためには、すべてが検討の対象である。面白い時代を迎えたといえるかもしれない。

ピンチをチャンスに

2009年02月10日 08時12分28秒 | 思考試行
経済の動向が、激しい変化に直面している。ニッサンも2万人の人員減を発表した。

小生の場合は、バブルのときもそうであったが、今回も、世間が、あまり大きな変化をしているという実感がない。昨日は、バスにのって、地下鉄にものったが、それほど不況感というのは、世間でも、まだないようにみえる。

多分、これから、いろんな現象がでてくるのだろうが、具体的にどうすればいいのか、個人的な覚悟はしておかなくてはとは思っている。

余裕があるのは、今のところ、ということかもしれない。マスコミ関係の連中は、立場としては、庶民の味方の顔をするから、まるで、庶民のための有効な対策を次々と打ち出してくれるかのような錯覚を誘う。

聞いていると、結局は選挙ということぐらいしかいっていない。体系的な対策を、取材してという「仕事」がない。ここが、大いに不満である。

どこかに知恵者がいて、あるいは、対策案が練られていても、発掘されていないのではという感じもある。

ピンチはチャンスという。過去からの、当然と思ってきた経緯が検討のまな板にのせられるし、さまざまな観点から、対策がこうじられるべきだから、世の中が変わる絶好の機会であることは確かである。

このチャンスを生かして、一段の進歩の機会としたいものである。


進まない電子申請

2009年02月09日 17時58分08秒 | 思考試行
もう早くから、公的な手続きの、電子申請が喧伝されて、いかにも便利になったように言われているがとても簡単にはできないようになっている。

その証拠に、現実に使われていない。これは、どう考えたらよいか。明らかに、使わせないような力学が働いている。

コンピュータは、キーをたたくだけの操作である。順序を踏んで、操作すればすむ話である。ところが、これを説明するのに、いかにも簡単にできるように言ってはいるが、説明の論旨は次々と枝分かれして、複雑怪奇となり、操作にたどりつけない構造になっている。

ただし、できないことはないようにしてある。とんでもなく根気のいい人か、頭のいい人か、それとも「秘伝」を伝授された人だけが、使っているようである。

何度か研修会にもいったが、これが、また、ただちに使える話にはならない。講師はなんか悪意をもっているのか、それとも、単に説明下手か、真相は不明だが、いずれにしても、利用できるまでにはいかない。

高いソフト会社のシステムをいれるとできるようだが、そんなソフトをいれたら、顧問料とペイしない。彼らはどこで、そのシステムを作ったのか。

疑問が湧くが、それは、単なる邪推だろうか。便利になれば、職がなくなると思う人がいる。利権がある。商売にしたい。いろんな思惑が働いている。

そうした事情を、すべて明らかにして、かちゃかちゃと、うまく組み合わせて、みんながうまくいくような「方程式」を立てて、解決できないものかと思う。

目標

2009年02月09日 08時44分47秒 | 思考試行
仕事について、新しい感覚を得た気分がする。「警官の血」をみてそう思ったのだが、やはり、ターゲットを明確にして、調べに調べて、本質を明らかにし、それを作品にする、そういう仕事をしてみたいと思う。

課題は、巨悪の洗い出しと、その撲滅である。きれいな姿、尊敬されるべき体裁をとっているコモノではあるが、庶民に、悪影響を与えている連中の、その本質を暴いて、かれらが作り上げた偶像を破壊したい。