空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

コロナ対策にみる政権のインチキ

2021年01月15日 18時19分56秒 | 思考試行

 新型コロナウイルスは、人と人との接触がある限り、止むことがない。ために飲食店が極めてつらい立場に追い込まれている。営業時間の短縮を言われ、なおかつ昼間も自粛を当然のように政権がいうものだから、飲食店は、補償も充分ではないなかで、どうやって生きていくのか、「死ねということか」と憤りを隠さない。

 国に金がないわけではない。というより、国債発行により、国民に充分な補償を準備することは、できることであって、それは個人が借金することと同じではない。政府が国民から借金をする形であって、国民が国債を引き受けてくれる以上何の問題もないという識者がいる。国債は満期がくれば、借りかえればいいわけで、個人が金融機関から金を借りて、借りたものは返さなくてはならないのとは、事情が違う。

 これを、個人の借金の場合とごっちゃにして、しかも、この国の借金は後代の国民につけまわすことになるいう議論がある。だが、国民は金を貸しているのであって、借りているわけではないから、債権を後代の人間が持つということを意味する。国民が、債権者なのであるから、借金を返さなければならないというのは、理屈が通らない。

 であれば、コロナ禍の非常時にあって、国債発行を、することについて、なにを躊躇することがあるのだろう。無尽蔵に国債発行が可能というわけにはいかないだろうが、限度については、然るべく計算が可能という識者がいる。そのそこそこの限度を守れば、この機能を使わない手はない。非常時であり、政権が国民をどう見ているのかが問題となる。 

 躊躇なく、するべき休業補償をするなど、困っている国民にただちに必要な手立てをすることだ。 人類は、まだまだ完璧な水準にはないのは確かで、無用な兵器や武器に多額の国費を使っている。こうした無駄をかかえつつ、国民が生活に苦しみ、生存さえ危うくなるような事態のなかで、この対策に消極的な、ケチ臭い政権の振る舞いは国民を大事には思っていないことをあきらかにしている。

 そして、感染者を保護するためには、自宅、宿泊施設などではなく、中国がやったような大規模施設が必要であり、無症状の人こそ保護しなければならないから、大規模な検査が必要である。漫然と感染者を見逃している今のやり方では、感染を止めることはできない。

 大阪府もまた例外ではない。吉村知事は、上記のような検査態勢など作ろうとはせず、政権側、厚労省サイドと同様な立場に立っている。これでは、感染を止めることはできない。大胆な方針転向が必要である。羽鳥モーニングショーで、玉川徹氏がずっと主張しているが、正にその通りである。彼の姿勢、方向性、その視野はまさに健全であり、政権側ないし感染対策にあたっているグループは、いつまで、正論を無視し続けるのか、今後の経緯を注視し続けなければならない。

 


コロナ対策で野党は政権交代を宣言できる実力を示せ

2021年01月09日 18時10分16秒 | 思考試行

 当然、野党が、政権与党の現在のコロナ対策について、対案を有していることが条件ではあるが、どこをどのようにしていくか、どこに現在のモタモタしている原因があるのか具体的に突き付けて、現在の政権の能力不足をあばき、政権交代を宣言したらどうか。

 首相自らが、国民に会食をやめてくれと言いながら、自らはやめていないという、とんでもない実態があきらかとなっており、まさに、コロナ対策にあたる能力も意欲もないことを示しているのだから、野党が、今こそ抜本的な対策の見直しを、打ち出し、能力のあるところを示したらどうかと思う。

 マスコミの報道も、これはいい、といわざるを得ない対策を打ち出すならば、放ってはおかないだろうし、コロナ危機は、政府与党がもたついている現在、野党にとって、絶好の能力を示す機会であり、その能力の切れ味をみせる大チャンスである。

 日本がもつ能力を、生かしきるためには、中心になる司令部こそ重要である。野党がこのような時期に、優れたアイデア、方策をもって、各界各層と連携をとり、具体的な成果をあげるべきだ。

 単に、ごそごそと部分的な「文句」を言うだけでは不十分である。いつでも政権交代ができる能力を示すべきである。

 司令部のあるべき能力を、野党勢力が実現してみせなければならない。動かない部分を動かそうとすることばかりではなく、実際に動く部分を持ち込んでみたらどうか。コロナ対策のために政権与党とはちがう動きをみせてほしい。

 政権与党とは違う、野党の実力、能力を示して、声高く政権交代を宣言するのだ。


政治に個人がどう対処していくべきか

2021年01月03日 18時49分54秒 | 思考試行

 グローバル社会のなかで、人類文化はどのようになっていくのか、その方向性は、はたして健全な方向をたどっていくことができるだろうか。

 ニュースをみるかぎりは人類が滅びの道をたどっているようにしかみえないのだが、国ぐにが、お互い核兵器を持ち合い、にらみあっていて、領土問題や国境問題、さまざまな形の紛争がたえず、一国内においても、さまざまな勢力がしのぎをけずりあっていて、みんな仲良くというわけにはいかない生存競争を繰り広げている。

 こんな調子で、いつまでやっていけるのだろうかと危惧するのだが、一般庶民としては、指導者層がなんとかしてくれるのだろうと考えているのか、広い視野でものごとに悩んでいる風にはみえない。

 政治のこととなれば、関わりたくないという人も多く、また、そう簡単に政治の世界に参加できないし、政治の世界で、簡単には、頭角をあらわすことはできない構造ができているようにもみえる。

 看板、カバン、地盤を一代で築くことは至難であり、「家業化」しているようにみえる。政治こそもっと広い分野の人びとが関与し、政治をするにふさわしい人に携わってほしいものと考える。

 台湾の天才が、コロナ対策でその才能を発揮したことが報道されているが日本にはそうした天才がいないのだろうか。実はいるのだが、そういう人がウデを発揮できないような構造になっているのでないか。

 政権が学術会議の人事にまで口を出すようでは、話にならない。政権が傲慢なために、多くの才能が生かし切れていないのではないかと思われる。政権に学問のことなどわかるはずもないのだから、もっと謙虚にならないといけない。政権が学問の研究方向を決めようとしたり、制限を加えるようでは学問研究の足を引っ張ることになることは明らかである。

 ものごとが機能的に効率よく動くためには、自由な雰囲気、自発的な動きを抑えないことである。官僚組織から意欲的なアイデアがでず、官僚が政権の顔色を伺っているようでは、生き生きしたエネルギーがでてこないのは、まさに、政権が官僚人事を一手に握り、個々の官僚に睨みをきかせている効果である。

 人類が真っ当な考え方に立たなければ生存すらも危うい状況のなかで、はたして正当な方向を向くことができるかどうか、コロナ禍で、個人はしっかりと意見をもち、行動していく必要性が高まっている。