空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

元はといえば

2015年01月30日 22時19分24秒 | 思考試行

何億という数のうちのひとつ、偶然のなせる業。まわりあわせ、くみあわせで、人間は生まれてきている。否、人間のみならず、生きとし生けるものすべては、そのようにして、命を得、そして、次の世代と交代していく。

発生、消滅、なにがあっても不思議ではないし、不合理なことも多い。理屈なんてないといってもいい。そうかと思えば、なんだか、みえない力みたいなものもあって、それぞれの関係というのは、縁のようなもので、がんじがらめになっているようにも感じられる。

全く何もない、なんて言い切れないような感覚もある。だが、本質は、はっきりとはつかめない。あるような、ないような、変なこと、馬鹿なことをすれば、関係性の力学が働いて、それなりに、反動というか反応があったりする。

意味のある、「いいこと」をすれば、それなりの、ご褒美もあるような気もする。で、結局は、正しいと思うこと、やるべきだと思うことをきちんとやることしかないと思える。

それが、報われようと、報われまいと、それはどうでもいいことと考えて、すべてをうけいれ、たんたんと、自分なりに行動していく。それでいいではないかと思う。

元はといえば、なんにもないに等しい存在なのであり、いつ消えたとしても、なんの不思議もない存在である。けれども、なげやりではなく、丁寧に生きていかなければ、たちどころに、芥子粒のような存在であっても、その芥子粒世界のなかで、滅茶苦茶になるのは、確かなのである。


相撲取りの品格

2015年01月27日 17時25分06秒 | 思考試行

勝っておごらず、負けて腐らず、品格を維持することは難しい。前人未到の優勝回数を重ねて、横綱白鵬は、ついに、その馬脚をあらわした。

取り直しの一番に、モンゴル人としての日頃の鬱憤をぶつけた。だいたい懸賞金を受け取る際の、どうだ、みたいな表情、態度は、日本人の好むところではない。

モンゴルでは、かっこいいのかもしれないが、日本では、最低の品のなさである。白鵬は、日本の相撲道について、これから本格的に勉強すべきである。

かつて、北尾という横綱がいたが、ついに品格のなさのせいで、角界から去ることとなった。親方を馬鹿にし、まさに、品格のなさが響いたのである。

謙虚に、相撲道を極めて、人間としての修行もしなければならない。まだ若いのだから、今の時点で完成する必要もない、

ここでしっかりと、学んでほしいものだ。日本人をうならせる品格を身につけてほしいものだ。


死ぬも生きるも

2015年01月26日 17時11分26秒 | 思考試行

人間の一生は、まさに長いようで短く、短いようで長い。そして、とても理屈では説明できない不合理な人生があり、そうだそうだと、納得のいく人生もあるようだ。

正義感にかられて、自らの命を捨てることも厭わない人もいれば、人を裏切り、犠牲にしても自らは生き延びる選択をしてしまう人もいる。

自分自身を考えても、はたして、自己犠牲を貫徹して、人の命を助けることができるかと問えば、自信はない。いざとなれば、自己保身に走る可能性が大である。

そういうときがきたときには、堂々と、自らの命を顧みず、やるべきことをやるのみと腹をくくることができる人間になりたいものだが、そこまでの覚悟が、本当にあるかと問われれば、うつむくほかない。

後藤氏は、生後2週間の愛児をおいて、自ら、救出のためにイスラム国にむかったという。暴挙といわれるだろうし、おそらく、通常理解の範疇をこえている。止むにやまれぬ心情があるのだろう。

だが、人類の実態は、いくらでも人命を浪費し、奪い、非合理を貫徹する。人生は、長いか、短いか関係がない。思いを貫徹する勇気のある人が、現実に存在するということ、いつかは、そんなことを必要としない世の中を作るための礎となられたということかもしれない。

為政者の感覚、今の世の中を動かしている権力者が何を考えているか、国民がどう考えるか、すべてはプロセスであり、今の実態は決して完成した世の中の姿ではない。


戦争ができる国になりたいのが本音だろう

2015年01月25日 12時14分06秒 | 思考試行

何か事があれば、戦争ができる、そういう国があたりまえの姿であって、今のように、アメリカの庇護のもとに、自国の安全を担保している姿は、耐えられない。憲法を変えたがっている人はそう考えているにちがいない。

中国、韓国、北朝鮮、ロシア、みんな日本のこの現状をみて、どうせ大した反撃もないし、なんせ戦争をしようとしてもできない国なのだから、アメリカの意向さえ読んでいればいい。日本は、一人前の国ではない、ぐらいに考えているにちがいない。

それでもだ、日本は憲法のおかげで、戦争をしないでこれた。がまんの連続であったにしろ、他国の人を戦争で殺すことはなかった。これは、人類の未来をさきどりする行為であり、方針となりうる平和を目指す国家として模範的な国家である。

不満を武力で解決するとなれば、必ず優劣があり、究極においては、どちらかがコテンパンにやられて深い恨みを抱きつつ、暮らすということになる。弱い方は、何らかの慰めを求めて、散発的なテロ行為でもしようかということにもなりかねない。

強者は、内部矛盾をかかえて、これまた、いつかは混乱をきたすタネを抱かえ込んでいる。人類全体の幸せなり、調和を考えていないわけだから、貧富の差を平気で拡大し、弱者を切り捨てて平気なのだから、そんな考え方がいつまでも続くわけがない。

弱者に勝ちほこり、それを生きがいとしている連中が権力を握っているようでは、そんな世界がいつまでも続くわけがない。そんなバカな連中がいるかぎり、いつかは淘汰されなければならないし、いつかは、そうなるだろう。新自由主義など、その最たるものではないか。まあ、好きにしていろよ!


貧困撲滅のために

2015年01月23日 12時33分36秒 | 思考試行

格差拡大を防ぐこと、そういう考え方があたりまえであること、一人だけいい思いをしたり、他者を踏みつけにしていい、という価値観が恥ずべきことであることを知ること。

お互いがお互いを助け合って生きる社会にすること、そのために何をするのか、着飾った権威付けの衣装や、宝石や、しかつめらしい表情や、そんなものはいらない。

暖かい心、弱者を放置しておれない心情、人間として、当然考えるやるべきこと、それをやろうではないか。国や、民族、宗教、そんなことにこだわらないで生きていけたらいいのであるが、過渡的には、お互いを尊重する姿勢こそ大事である。

対立する相手を抹殺するしかない、そんな考え方に、簡単に組みしないことでる。

排他的であったり、偏見であったり、それが、回りまわって対立、紛争の種になる。変なことは、すぐわかる。いくらごまかしても無駄だ。

そして、誤魔化しの連中は、自己反省が必要である。自ら省みて、自分の所業を真摯に検討してみてほしい。真っ当な人間になってくれ。


「理」が通る世界にしなければならない

2015年01月22日 13時22分42秒 | 思考試行

イスラム国の人質事件がついに日本人にも波及してきた。言いがかりともいえる内容だが、安倍首相の中東訪問の機会をとらえて、脅迫がなされた。

相手は、どこまで本気なのかはわからない。ただ、イスラム国では、現実に処刑が行われていることは、間違いないし、西欧諸国とは、真っ向から対立しており、今や、軍事的に解決するほかないようにみえるぐらいである。

西欧側が屈服して、イスラム国に降伏するとは思えない。となると、イスラム国の消滅を目指すほか道がないかのようにしかみえない。で、その方向へと動きつつある。

だが、それでいいのであろうか。いいはずがない。日本は、憲法の制約もあり、平和的な解決を図るほか道がないのであるが、それこそ、世界平和にむけての、人類の唯一とるべき道ではないか。

論理と実行を通じて、この事件に対処するほかない。イスラム国が、どのようにして出てきたのか、西欧諸国の今までのやり方に、何か問題はなかったのか、西欧諸国がそれこそ、歴史認識を詳らかにして、歴史をふりかえらなければならないのではないか。

アフリカ諸国になしてきたこと、奴隷制度・・・人類の歴史そのものついても、真摯にふりかえり、過去からの教訓をえなければならない。

そのなかで、とるべき道がみえるのではないか。日本が安全保障の道をどのようにして勝ち取っていくのか、憲法を改悪して、普通の国となり、軍備を背景に自らの権益を主張することでいいのであろうか。

確かに、中国のふるまい、韓国のふるまい、北朝鮮の振る舞いなどみていれば、軍備をもって、自らの主権をまもるというのは、あたりまえにみえるけれども、そこには、かならず、利権が発生し、利用するヤカラが発生して、庶民を軍隊にいれ、戦争も辞さないとなれば、そこが、悲劇の温床となるのは、目に見えている。

現在の状況から、平和的に、とるべき道を必死にさがすことが、今こそ大事である。その論理が通らないようでは人類に明日はない。また、なくて当然かもしれない。殺し合うしか能のない生物は、消えてもらって結構ということである。


臨床心理士を目指してみようか

2015年01月11日 11時08分01秒 | 思考試行

放送大学には、大学院コースができていて、臨床心理士をめざすコースもある。そこは、大人気で倍率は、相当高い。他のコースに比較しても、かなり違う。

今の時代においては、いろいろと悩みを持つ人も多い。需要があるとみて、人気になっているのだろうか。それとも、自身が、悩みを抱えていて、その解決を考えているのかもしれない。

たしかに、手術をするわけでもなく、考え方だけで、悩みを解消できるとするならば、もちろん万能というわけではないが、なかなか魅力的な職業かもしれない。

ただし、そこへ至る道は、なかなか大変である。大学院を修了して、なおかつ、実務経験が必要であり、その上で、受験資格が得られるというものである。しかも、更新制であり、終身の資格ではない。

そして、それほど、待遇がいいとも聞かない。努力さえすれば、それなりの境遇が待遇が得られるかといえば、そうはいかないようでもある。

ただ、人生において、人の役に立つ仕事につけることは、幸せなことである。検討してみるか。


映画「ゴーン・ガール」をみる

2015年01月09日 17時22分20秒 | 思考試行

久しぶりの洋画、期待にたがわぬ強烈な筋立て。人間洞察の面白さを満喫させてくれた。それにしても、こういう映画は、邦画ではほとんど見ることはできないのではないか。

フィクションとはいえ、想像を絶するストーリー展開である。R15指定で、大人の世界がたっぷりでてくるので、よりリアル感がある。

日本人としては、こんなタイプの人間がいたら、みんなビックリするだろうが、本音の妄想世界では、結構存在しているのかもしれない。裸の自分を見せられたような気分もある。

支配、被支配について、これほど真剣になるとすれば、おおくの、人生の喜び、味わい、のほとんどすべてを体験できないし、なんとあわれな、かわいそうな人生であることか。

作者の作成意欲は、どこからでてきたのだろう。人々を唖然とさせながら、日常生活の退屈極まる生活こそ、捨てたものではなく、素晴らしいものであることを知らしめてくれているのかもしれない。

こんな嫁さんに比べれば、・・・ということである。幸せだなあ、ボカー。


だんだん真っ当な方へ

2015年01月08日 11時07分52秒 | 思考試行

紆余曲折があっても、いずれは、真っ当な方向へと人類はその歩をすすめると思って、私たちは、希望を持って生きて行くほかない。

フランスで、イスラム過激派と思われる襲撃があった。以前にも、火炎瓶がなげこまれて、事務所が全焼したこともあるという。今回は、自動小銃で、11人の人が殺害された。

人間の価値観、考え方の違いで、事件が起こる。痛ましい事件である。意見の違う同士が、どのようにすれば共生できるのだろうか。

その解決は不可能であろうか。人間個々の考え方、価値観は変動する。新しい知識をえたり、発見があったりすれば、今までの価値観を捨て去るべきだと考えることもある。変更可能であり、また、そうでなければならない。

それぞれの確信人物は、自らの価値観を絶対だと信じて、行動しているのだろうが、その内実は、危うい根拠のもと、それも根拠足りえない浅薄なものにすぎないと断言してもいいだろう。

だが、悲劇は現実のものとして、繰り返されている。その解決こそ、人類の大きな課題である。どこから手をつけるか、思案を重ね、体験を積み、しっかりした方針を持ちたいものである。


しっかりした考えかどうか

2015年01月07日 09時53分06秒 | 思考試行

損保業界大手は、代理店制度を大幅にかえ、それにのらない代理店の手数料を五分の一まで減らした。その理由は、売上規模のみである。そして、効率経営をいいながら、利益増加分は、株主へいく。顧客の保険料は下げない。むしろ値上げしている。資本の支配による経営改革、資本の独善的な行動である。社会について、どういう認識をしているのだろうか。

貧困と格差拡大が、混乱を招き、紛争をよぶことは自明のことだと思う。非正規雇用の増大が問題となるなかで、かの竹中氏は、正社員は必要ではない。全員非正規雇用にすべきだ、と言っているらしい。

小泉内閣で始まった、労働法の改悪で、今のような若者たちから夢を奪い、結婚もできないような状況に追い込み、格差社会をもたらしたのだが、その政策の推進役が、かの竹中氏であった。その彼が、さらなる格差の拡大を主張している。

格差社会がいかなる弊害を呼ぶか。怨嗟、反人間的価値観の横行、戦争紛争の根源的原因となる。世界の紛争原因のすべてに関わる。それでも、格差拡大を主張するのは何故だろうか。

人間社会について、どのような社会にしようと考えるのだろうか。競争原理を振りかざして、貧困層をさらに貶め、現代の奴隷として、富者をますます富ませる。そんなことで人間的な社会ができると本当に考えているのだろうか。


アクシデントにあいそうだった

2015年01月06日 20時17分35秒 | 思考試行

人生なにがあっても不思議はないのだが、今日、あやうく、やるべきことの半分で、終了と勘違いをした。気がつかなければ、それで、万事休す、である。

途中で気づき、事なきをえたが、まったく油断できない。

万事、準備万端であればいいのだが、往々にして、手抜かりというものがあって、痛い目に会うこととなる。

教訓として、今後の参考にしていきたい。

 


勘違い

2015年01月05日 09時29分42秒 | 思考試行

人の自分にたいする評価、自己評価は、実際よりも高いといわれている。あいつは、私とドッコイドッコイだなと思っているとすれば、それは、相手の力量は、そうとう上だということらしい。

自己評価が高くないと、まさに、生きてはいけないのである。調子の悪いことがあれば、外部のせいにし、うまくいけば、自分の手柄にする。これこそ、元気に生きていける条件らしい。

そのことをふまえて、自己観察をしながら、元気に生きていけたらそれでいいのである。控えめになったり、反省的になったりしないで、そういう自分を観察しながら、生きていく。

うつ病患者は、実は、リアルに現実をとらえているともいう。それなら、若干の錯覚をしながら生きていることを知りながら、陽気に生きることである。お互いがそういう理解をしていれば、揉め事も多少は減るかもしれない。

年賀状が二度来る人もいる。どうということのない年賀状であるが、気にかけているか、かけていないか、いろんなランクがあって、対人関係というのは、なかなか微妙なものである。


消え去るのみの一生

2015年01月04日 21時55分09秒 | 思考試行

意味がある、と言ってもいいし、ないといっても差し支えないような、結局、どちらともいえないような気がする。

父親をみていると、明らかに、彼がいなければ、自身の存在はないのであるが、そうかといって、人並み外れて、優秀だったり、傑出していたわけではない。

だが、それなりに、努力してきたのは間違いない。なまけ放題で、生きてきたわけではなく、そのときどきにするべきことをし、頑張ってきたのである。

そのおかげで、明らかに自分がいる。そして、そのあと、何人もの人間が生まれてきた。それは、かれなくしては存在し得ないのだから、何事かを明らかに、なしてきている。

係累を作った作らないは、人生への関わりに大きく影響する。それがない人は、生きてきた証は、立て難い。生まれて消えて、何事も残さない。

ごく一部の人間の記憶に、薄ぼんやりと残るのみである。その記憶も危うい。すぐに消え去る水の泡のごとしである。

でありながら、自身の認識としては、大きく、大層なもののように感じている。一方、客観的には、大したものでないことは、わかっている。実に気楽な存在なのである。なにも力む必要はないのである。


スキルをみがくこと

2015年01月03日 11時52分09秒 | 思考試行

なんに限らず、「スキル」はできないものにとっては、それを入手することは、憧れである。その分野において、スキルがなければ、悔しい思いをせざるを得ないし、スキルがあれば、鼻高々であって、社会に対しても、自身の人生の成功への貢献度は当然高くなるし、万事いいのである。

では、どんなスキルをみがくか。有益な仕事の、スキルは必須であり、その範囲はひろい。今年は、意識的に、このスキルをみがく行為について、積極的に挑戦していこうか。

料理、掃除、洗濯、など家事についてのスキル磨きもいいし、メンタル面の健康維持についてのスキルなど、魅力的である。

とりわけ、国同士の諍いや、紛争解決にむけてのスキルなどは、これから必須である。なんだ、そんな簡単なことなのか、というようなスキルがないものだろうか。

むかし、みんなをバカにしてしまう薬があって、それをみんなにふりかけて、いがみあっていた人々がなかよく、手をとりあってダンスしているマンガをみたことがあった。

其の辺に、ヒントがあるような気がする。深刻な、深淵な哲学、誰もが簡単に理解できないようなものの考え方では、到底この問題を解くことはできないような気がする。


問題解決にむけて

2015年01月02日 20時04分03秒 | 思考試行

現実に生きていけるのならば、それでいい、てなもんだが、どうせ生きていくのならば、少々の楽しみも欲しいし、生きがいもほしい。そのためにはどうするか。

それには、自分のことばかり、自己都合のみ考えているのでは、真の喜びには、なかなか近づけないのではないか。

困難のなかで、お互い助け合いながら、問題の根源にむかって、チームプレイで努力していけるならば、苦しいこともあるだろうが、その分喜びは大きいのではないだろうか。

無理をせず、自然体で、そのような生き方ができるのならば、その人の人生は、ほぼ成功といえるのではないか。

社会なり、国家が、そのような基本的な考え方で活動していたら、外国に対しても、武力でなんとかしようとは思わないはずである。

本当に人道的立場から、物事の解決にすすむことができるのではないだろうか。では、拉致問題などどう考えるのか。話もできないような、とんでもない国家。話にならない低レベルの国家。現実にそんな国があるのだという驚き。

こういう問題をどう解決していくのか。中国もあまり話がわかりそうもない。ひょっとすると、日本の側に問題があるのだろうか。はじめから、話し合うことはできないのだろうか。