政治家にもいろいろの人がいる。二世、三世の家業化している人、説得されて、立候補した人、自ら発意して政治家を志している人、・・・
普通に考えて、人前で、演説したり、多くの人を相手に何事か主張し続けることは、エネルギーがいることであり、誰もが憧れる職業とは思えない。
だが、選ばれた人間として、多くの利害関係を決するキーマンとして、あるいは、特別な力を発揮しうる場面に登場したり、大きな公共工事をふるさとにひっぱってきたり、議員歳費やモロモロの手当てがあるなど、とんでもない魅力的な職業かもしれない。
現実に、政治は国民の生活に大きな影響を与える。税金で勤労の成果を奪われたり、生活そのものがしにくい環境が作られたり、不公正がはびこり、社会に耐え難い苦しみをもたらすこともある。
利害関係の存在する社会にあって、政治家の思惑が決定的であり、国民の代表として、最強の立場であり、選挙以外に恐いものはないわけで、政治家は国民生活を左右する強力な立場である。
政治家を志した人は、そのことを強く意識しているだろうが、なかには、その立場を守ることを目的と化しているのではと思わせられる人がいる。
こういう人は直ちに、政界を去っていただきたい。正に世のため人のため、に働く、それ以外の目的をもっている人は、政治家にはならないでいただきたい。
そして政治家を志した以上、それは生涯をかけて奮闘していただきたい。選挙で落選したとしても、志が折れないのであれば、絶対に諦めないでほしい。 腰掛で政治にタッチしないでもらいたい。
矛盾するが、一方では、政治は特殊な人が携わるものではなくて、誰もが、参加するものであって、できれば、具体的な政治活動に、全員が参加できるものでなくてはならず、一部の専門家まかせにしてはならない、とも思う。こちらの方が、いいかもしれない。だが、簡単ではない。どうしても代表を通じてとなる。
声の大小、資力、等々、力関係が、生物である限り、人間社会に付きまとう。恋人を獲得できるかどうかは、この力関係がモノをいう場合もあるが、それだけともいえない面もある。いわく言い難い、相性というものもある。すべてが、合理的に物事がすすむわけでもない。
この混沌、多様性のなかで、政治はどのように進められていくのか、不公正や弱者無視や驕りから、無縁の、明るい政治を人類は実現しなければならないと思う。ゆくゆくはそうなってほしい。
ある組織のなかで、強大なカリスマ的人物がいて、絶対無謬の人がいる場合がある。その人が、ある事件を起こし、裁判で訴えられたことがあった。ところで、その人物は、時効を理由に、その裁判に勝利した。その人物のカリスマ性はそれでも衰えをみせない。
別の組織からは、組織同士の協力をとりつけるのに、このカリスマ人物を国会にきてもらおうか、などと脅す手段をチラつかせることもあった。効果覿面だったという。
弱み、スキャンダル、人事権、・・・いろいろ駆使して政治家は動き、世の中を動かす。人間社会はまさに、なんだかなあ である。