空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

発言できる機会の多い人たちの役割

2020年01月19日 19時50分39秒 | 思考試行

 サンデージャポンとか、結構人気のようだが、「意見」を言える環境にある人らの言動は、実質的にオピニオンリーダーになりうる。小生は以前からこのことに注目していて、特にお笑い芸人の方々こそが、「世のため人のため」になる要であると思っている。彼らがなにをいい、どういう価値観をもつかが重要である。

 人情話などは、日常茶飯のことの、日常生活を送っているのではないかと思われる「楽屋裏」の話はとりわけ面白く示唆に富む。

 かつて、西川きよしさんが政治の世界に涼風をもちこまれたが、横山ノックさんのようにあまりにも人間的な失敗をされたこともあった。個人的な野心が前にですぎたようだった。政治の世界は、既得権益の壁があり、思いつきで、これを改変することは難しいと思うが、庶民がなかなか実行できないところを、喜劇人、お笑い芸人の方々が相当な努力をされて、その「発言権」を有効に発揮していただきたいと思っている。

 権力もそれを知っていて、桜を見る会には大勢のタレントが招待されていた。これは権力側の「工作」の一部でもあるが、逆に言えば、タレントが「世のため人のため」に活躍できる力を得たことでもある。くれぐれも、「権力の犬」などにはならないでほしいけれども、多くの誘惑があるだろうし、どこまで、それができるかは、まさに人物次第である。しかしながら、彼らは、今や高収入を得て、「支配者側」の自己認識であるかもしれず、実態は「権力のお友達」とみなければならないかもしれない。

 人の前で、何事かを話し、ストーリーを展開するにあたって、どのようにやるか、意欲的に世のため人のためという認識を持っているかいないかで、人類の行く先にも影響するに違いない。ちえをしぼって、素晴らしい仕事をしていただきたいと期待している。

 


その気になることが大事

2020年01月13日 12時17分21秒 | 思考試行

 世の中、相当便利になってきて、今や世界中の出来事が、古くから積み重ねられてきた知恵や知識が、従来とは、まったく違うスピードで得ることができるようになってきた。小生など、俳句を始めて、新しい兼題が出ると、これは直ちにネット検索をして情報を探す。たちどころに、いろいろ、でてきて、しかも、珍しい場面などが動画で紹介してくれたりする。

 ネット検索なしに作句することなどできない感じである。また、同じ兼題で、過去どのような作句がされているか、その解釈、わからない文字、意味、書き順、などなど至れり尽くせりである。世の中森羅万象すべてやる気さえあれば、どんなことも調べられるような気になる。

 これで、みんなが、さまざま知ることができるようになって、政治家が適当なことを言ってもその真偽や、真っ当さなどたちどころに白日のもとにさらされることになる。変なことはおこりようもないと思いたいところだが、実は、世の中は、変化を始めているのかどうかわからないところがある。寝てるんかなと思ってしまう。

 非正規雇用がはびこり、多くの人が、とても快適な暮らしなどできない状態に追い込まれても、政府は簡単には救いの手をさしのべたりしない。失業が減ったなどと自慢する始末である。

 富裕層や、権力者は、四六時中、弱者のことを、心配したり、常人では不可能な「お考え」を生み出しで、世のため人のために「ご努力」をされている、とは思えない。実に優雅な「お暮し」をされて、おいしいワイン、料理、楽しいゴルフなど、すてきな時間をお過ごしのことと思う。

 その蓄えの一部を、保釈金や逃亡資金に使うだけではなく、弱者のために制度的に使ったらいかがだろうか。景気も良くなるし、喜ぶ人も増えるし、何より、富裕層の方々は、尊敬のまなざしを集めて、さらにより幸せになれるのになあと思う。

 松本仁志の「すべらない話」の番組をみていて、話がせこくて、ちょっと悲しくなった。特に表彰されたガクト君の話は、ビジネスに生きる芸術家の余裕のなさを見せつけられた。なんだか豪勢なくらしをなさっているようであるが、いま少し、品性をお磨きになられたらと思ったところである。かれらが、「世のため人のため」のアイデアをおもしろおかしくやってくれたらなと思う。目覚めない庶民の方々が、「ん!」となって、世の中を根底からかえてしまうようなお力をお持ちだと思うのだが、いかがでしょうか。


社会は突然変わることになるかもしれないが時間はあるか

2020年01月03日 22時49分55秒 | 思考試行

 世界の現状は、たいへんなことばかり。大きな理想をかかえて、みんなで努力しようという方向にはなっていなくて、なんらかの「利益追及」が介在して、その権益を守ること、あるいは侵されないこと、要するにもめごとに対処することで精いっぱいの感じである。

 キリスト教の聖書に書かれてあることが、正しいのだ、と言い張る人々がかなり大勢いて、大真面目だという。こういうわかりやすいレベルの状況から脱出することは、そんなに難しいこととは思えないが、アメリカはどうやら、自分と反対意見には耳を貸さないという分断状態があるようで、そうなると、事は簡単ではない。何しろ他人の意見は一切聞かないのだから。解決の見通しはたたない。

 日本と韓国との関係でも、韓国の国情には、信じがたいほどの溝を感じてしまう。話しあえる相手ではないと思ってしまう。

 だが、韓国に、話しができそうな著作が出てきたり、新しい動きもあるようだ。いずれにしても、じっくりと議論したり、冷静にはなしあったりしないとなれば、ロクなことにならないことは、歴史が示している。

 論理的に話をすることを、だからと言って、諦めるわけにはいかない。

 人の話を聞かずに、頭から被せてくる輩、わかった風に、誤解を起こさせるような単純化、どこからか買収されて、居丈高になる輩、いろんな連中がマスコミに跋扈している。えらいもので、そんな連中は、見抜かれてしまうのか、それなりの扱いとなっている。

 だが、本当に、「みんなのことを」考えている人は、どこで活躍しているのだろうか。マスコミは当然彼らを無視し、とりあげることはないし、なにかスキャンダルはないだろうかと、見ないふりをしながら、観察は続けている。

 どうすれば、世の中がよくなるのか。どこに、課題があるのだろうか。急所はどこなのか。

 その解決法の大事なポイントは、選挙にあるとは思うが、この簡単な行為のなかに、ごまかし、だまし、過小評価、さまざまな手練手管が渦巻いて、庶民は、おおかた騙されている。

 まじめにやっていた連中も、食っていかなくてはならないから、挫折する。口実を設けて、正義を貫いているつもりが、いつの間にか、食うことにエネルギーをとられてしまう。

 食うために、妥協し、従い、諦め、節を曲げる。かくして、世の中はなかなか変わらない。

 だが、投票するだけなら、できるのではないか、簡単ではないか。かくして、簡単に世の中は、変わることになるかもしれない。

 説得力のある体系的な「論理」「政策」が、提示されれば、それが採用される可能性はなしとは言えない。だが、それが、人類にとって正解かどうか、どのように判断できるかどうかが問題である。静かに落ち着いて、常識として多くの人々に把握されることが必須である。その時期は、もう迫っているのだろうか。

 だが、状況が、切迫していて、残された時間はそれほどないのかもしれない。