空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

権力者のおごり

2016年01月31日 12時42分59秒 | 思考試行

自民党のおごりは、徐々にひどくなっている。前政権のことを引き合いにだしながら、自分達の評価をあげようとする。

しかしながら、そこにはウソが交じる。民主党政権は、真面目であった。それは紛れもない事実。だが、自民党の悪辣な足の引っ張りに、ついに国民は騙されてしまった。

自民も民主も、ほんとうのところは、弱者の真の味方とはいえない面もある。徹底して、弱者の味方をする気持ちはない。

人間にとって、至れりつくせりがいいのかどうかは、不明だが、自殺者がたくさんいても、知らんぷりであったり、困ったことに遭遇した人のことに冷淡であるのは、嘆かわしい。

問題を真正面から取り上げて、解決にむかう、そうした、健全な政治の方向が、国民注視のもとで、実行されるようでなければ、まだまだ、世の中本物とはいえない。

少しずつでも、改善の動きにチャント足をだして欲しいものである。


甘利氏辞任

2016年01月30日 09時35分49秒 | 思考試行

政治家の日常とは、どんなものだろうか。菓子折りをもってきて、そのなかには、常に封筒がはいっているものなんだろうか。そして、届けだけすれば、それでいいのだろうか。

大きな利権と関連する政治の世界である。諸外国の実情は、汚職、横領はあたりまえみたいだ。中国などは、政治家が相当に、蓄財していると言われる。観光にくる爆買といわれる現象をもたらしている人々は、どんな仕事をしているのだろうか。

企業だって、バス事故にみると、規制違反があり、それを有名無実化している実態があり、安ければそれでいい消費者も問題かもしれないが、それだけ苦しい生活実態がある。

ルールがあっても、平気で給料の切り下げをする自治体がある。無茶苦茶である。

だいたい、なぜ、高級官僚は高い給料でないといけないのか。政治家は、なぜ、金がかかるのだろう。貧富の格差を、拡大して、何のためにそうするのだろうか。

怪しい、なぜなぜだらけの実態がある。世の中、どのようになりながら、良くなっていくのだろうか。


触れる

2016年01月29日 10時55分55秒 | 思考試行

外から見ているだけではわからない。実際の生活で、危険から逃れてばかりだと、危険はなかったが、なんともつまらないということになる。

やりたいことをやったほうが、人生山谷あっても、その方が、豊かであったといえるかもしれない。それほど情熱的でもなく、事なかれで終始するならば、それなりに安全な生活であったということになるであろうが、それで、満足できる人はそれでいいだろう。

だが、やってしまう人がいる。そして、それなりの苦労を体験することとなる。自分のせいならば、それは致し方ないと諦めもつくけれども、時代というか、世の中に、引っ張り回されることになるのは、悲劇である。

とりわけ信頼していた相手に裏切られ、あるいは、見込み違いで、苦難のときを迎えてときには、ここから抜け出るのは、身体の不調であるとか、どこかに、不具合がでてきたりする。それは、後になって考えると、得難い転機だったりする。

人間万事塞翁が馬ということもある。真面目に、真剣に生きていくならば、何があろうと、致し方ないのである。自ら、自分を騙してはならないということだ。


好み

2016年01月28日 10時41分01秒 | 思考試行

人は結局のところ、自分の好きなように生きるのが、一番幸せだろう。そして、そのことで、どれだけの人に迷惑をかけることになるのかが悩みの種になるかもしれないが、そこは、それこそ、「好み」の問題となる。

だんだん年齢が気になるようになって、同級生らの健康状況を聞くたびに、残された時間を思い知らされる感じがある。本当に好きなことをやるなら、早くやればいいのに、と思うけれども、そう簡単に踏み出せない。

そうこうしているうちに、どんなやりたいことだったのか、忘れる始末で、それは、もともと本当にはやりたいこととはいえるようなことではなかった、ということになる。

なんとも締まらない話である。そうしたなかで、俳句は、去年の7月ぐらいから、投句を始めて、明らかに生活の中の宿題となり、リズムをもちこんでいる。昨日は、テストの往路で書店に立ち寄り、気になっていた金子兜太氏が特集になっている本を購入した。

詳しくはわからないが、相当にはげしく、当然ながら、マネなどできそうもなく、好みとしては違うと感じている。だが、政治に発言するし、人物としては、好ましい。作品の徹底ぶりについていけてないだけかもしれないが、自分の好みはなんなのだろう、と突きつけられる。


今日こそ、今こそ

2016年01月27日 11時01分27秒 | 思考試行

放送大学の単位認定テストの最中で、今日は午後から受験する。この最後の一日が、最大の勉強集中日となる。この日のために、学費を支払っているようなもので、テキストへの集中を実行するのである。

したがって、このブログは、早く終わらせて、読み込みにもどらなくてはならないのだが、他にも、何かと、やるべきことはあるので、そういうものを一つずつ片付けながら、最後に集中にいくのである。

いままで、見過ごしていたものが、さっと入ってくる実感。これは、テストをうけるという緊張感がそうさせる。

新しい感覚が生ずる。いままで、見ていたはずなのに、読んでいたはずなのに、始めて読んだような、はっきり理解できた感覚が生ずるのである。

まさに、試験を受けるということが、日常とは違う感覚を齎すようである。火事場の馬鹿力ともいう。そんな感じであろうか。

泥縄の妙味と言おうか、その追い詰められたなかで、新たな意欲がわくような、そんな事件、課題に会わないだろうかと期待もしているのである。

 


テレビの繰り返し場面

2016年01月26日 15時59分47秒 | 思考試行

同じ場面を何度も繰り返す。まるで、忘れるだろうから、繰り返すんだよ、とでもいいたいのか、それとも単なる時間調整なのか、肝腎なところをあとに回して、ひっぱっては、cm挿入だ。

そもそも、民放のばあい、放送内容よりも、cmが大事なので、少なくとも、法則局が怖いのはスポンサーであり、視聴者には、彼らが喜ぶ材料を提供して、騙してでも何でも、とにかく視聴率をあげて、誰もが、みたくなるように仕向けるのである。

結果として、スポンサーのご機嫌がとれることに懸命になる。テレビ業界なんぞに、社会改善の機能なんて求める方がおかしいのである。

だが、視聴者が自らに有用なものしか関心を寄せず、ことの本質を報道しなければ、離れていってしまうとなれば、放置はできない。

結局は視聴者側がどれほどシビアに、見ているかにかかってくる。さまなければ、騙され、誘導され、クイモノにされるだけのことである。

まだ、どこの世界にも、理想社会というのは、存在しないわけであるから、少しずつ改善していくなかで、その内はっきりとその像が示されるようになるかもしれない。


金かねカネ・・・カネがそんなに大事か

2016年01月25日 09時23分56秒 | 思考試行

甘利さんが、羊羹もろた。金ももろた。と言われて、記憶をたどるという。一週間はかかるという。金をもらったかどうかは、あちこちから同じようなことがあって、覚えてはいられないということか。意味不明である。

ノートを調べるのなら、数分もかからない。訪問者と会ったことは認めていて、相手が渡したというのだから、その事実そのものを否定する手段はない。相手がウソをついているとしかいいようがない。

甘利さんは、どう答えるのか。相手がウソをついているというしかないのではないか。どう調べてももらったことはない。ということは、相手の人が、自分を貶めようとして、画策しているのだ、とそういえばいいのではないか。

それには、証拠はいらない。ただ、相手側に証拠がある場合は、甘利さんがウソをついたことになる。そうなると、どうするのか。相手の証拠は、証拠にならないと、突っぱねるか。それも難しいのではないか。

で、一番いいと思われるのは、すべてを認めて、秘書のせいにして、自分もサッサと辞任することである。せっかく、安部政権の重要閣僚になっているのだが、そんなものは、手放してしまえばいいのではないか。

政治家は、多かれ少なかれ、口利きをして、いくばくかのモノを頂戴するというのは、常識ではないか。形を変えて、利権はあって、そこに報酬の伴わないわけはない。

価値観を変えて、別の生き方もいいのではないか。あるいは、出直しも有りうる。秘書のせいであれば、連座といっても、仕方ないなとなる。しばらく、休養すれば、また復帰だ。


芸能人こそ政治的に意見を出していくことが必要

2016年01月24日 08時48分06秒 | 思考試行

芸能人が政治的な意見を言わないとか、色を出さないというのは、世の中の実情の反映である。常識とか、あるべき姿とかいわれていることが、実はそうではないことを示しているのである。

労働基準法とか、憲法とか、これに反する当たり前でない実情があるのである。法律が適用されていなかったり、不当な圧力があるのである。特に、資本がからみ、コマーシャルがからみ、正論を通さない実情があるのだろう。

だが、戦争がなくならなかったり、どう考えても、殺し合うような関係はどこからくるかといえば、この正論を許さない、不当さにある。不当なことが、背景にあるからである。

その不当さは、当然こわさなければ副作用が出てくる。正しいことが、主張できず、裏の力が勝つ状態なのである。これは、是正しなければ、変なことが続々でてくる。

一部の富者が貧者をくいものにする。富を集中させる仕組を壊さない限り、貧者は生きてはいけないから、テロだって起きるのである。根本をただしていかなければならない。

そのためには、マスコミに露出する芸能人こそ意見表明をできる状況を作らないといけないのである。工夫すべきである。


芸能人は、無色でいいのだろうか

2016年01月23日 00時27分10秒 | 思考試行

芸能人は無色でなければ、という意見がある。それでいいのだろうか。そんなことはない。無色を気取っていることは、現政権に従い、服従していることを意味する。

やはり、はっきりモノを言わなければ人間ではない。いろんな力学が働く中で、堂々と自分が正しいと思うことを言わずして、何がタレントか。

誰の味方になるのか。今、世界の指導者を見ていても、レベルが低すぎる。国益なんぞに目がくらんでいて、世界を見ていない。プーチン、習近平、中東の指導者連、恐ろしいぐらい低レベルである。

北朝鮮しかり、韓国しかり、国際情勢をみていると、やはりこのままでは、非常に危ないとみる。

この調子で、どうなっていくのだろうか。アメリカの大統領戦の行方もある。共和党の候補は滅茶苦茶だし、民主党は、すんなりクリントンで決まるのだろうか。サンダースになると、いいのだけれど、暗殺されないかと心配になる。

そんな中で、芸能人が無色を決め込むのは、逃げである。うまく自分の主張を入れなければダメだ。戦争に協力するのと同じである。

 


はっきり言おう

2016年01月22日 09時10分02秒 | 思考試行

政治家など、特に自民党はもともとそうだが、やらなければならないものでも、必ず精査して云々という。簡単にはしない。やるべきことはちゃっちゃとやればいいのに、くだらんことに金を使うくせに、本当に弱者のためになることは、けちりまくる。

世の中を良くしていこういう熱意がない。利権べったりの支配機構の保全に躍起となっている。これでは、今度の選挙では凋落かといえば、そう簡単ではない。憲法を無視し、戦争できる状態を作り出し、弱者いじめをしても、10数%の支持率であっても多数の議席を占めてしまえば、なんでもできると考えているし、また、そうするつもりだ。そして、今危ない。

若者たちは結婚もできず、兵隊にいかされて、利権の餌食となる。それでいいのかと、言われても、無関心とくる。これはもう、完全にアウトである。このままでは大変だ。

だけど、あきらかに、しっかりした若者が生まれてきている。国会前に抗議の人々が詰めかけた。これは希望である。バカな指導者たちは、自分から退場はしない。追い出すほかないのである。


不思議だらけのこと

2016年01月21日 08時38分35秒 | 思考試行

人の世が、未来永劫続くのかと考えれば、そうではない。滅亡するのは、目に見えている。だが、それがいつになるかは、わからない。

しかし、いまの状況が続くならば、それは、近いうちにとなってしまう。続くということは、いいことで、今は、貧しいけれどどんどん良くなるという時代は、楽しい。

今も良くはなっている部分がある、否、大部分は良くなっている、と言い直したい。だが、決定的な部分が危うい。そう見える。そこを変えたい。

誰もが、どうやらそう思っている。でもできないと思っている。日に何回も礼拝する宗教がある。これは、他の余計なことを考えられなくする手段ではないだろうか。思考が簡単になる。

やることは、たくさんあって、その他に、こうした行事があれば、それだけで、終わってしまう。これでは、変化できない。しにくい。

悩んだり、考えたりも必要だ。学ぶことも必要だ。日常に疑問をもち、改善にいかなければ、人間社会はほろびざるを得ない。さて、どうなっていくのだろうか。


気楽に生きられない人々

2016年01月20日 09時39分49秒 | 思考試行

街頭演説などしそうになかった人が、やっている。止むにやまれずではない。彼の若い頃を知っているからだ。ただただ、良心的なのである。

真面目であるだけに、他人から言われたことに、そうだと思えば、自分を捨て、「大義」に生きるのである。本当は自然を相手に、悠々と生きるのが、彼にはよく似合う。

底抜けの真面目さ。信頼を裏切らない安定感。彼の演説は、公式通り要点を外さず、静かに説を述べている。高ぶってはいない。悪く言えば熱がない。

相手はともかく、自分をどう律し、コントロールするかに、彼の関心はあるようだ。誰かに訴えているよいうより、自分の任務と定めて、その苦役についている感じがある。

そういう彼が、地域では、もっとも候補者としてふさわしいと選ばれている。地域の人達も真面目ないい人たちなのだろう。選挙カーによりそって、手を振っている人たちの態度、物腰でわかる。

野心満々の人たちと真逆の人々、平和に静かに暮らすことを願っているおとなしい人々。芸能人のような陽気さなんてもてないし、もとうとも思っていない人々。本当に痛ましく、頭が下がる。


まじめな彼に幸せあれ

2016年01月19日 11時30分48秒 | 思考試行

真面目が一番、と思って生きてきた人がいる。多分そうであると言い変えよう。みるからに、真面目であり、不器用であり、いつも安定的にしていて、どこか我慢しているふうがあって、正論しか言わない。

世間の事情にも詳しいとはいえない。だが、世間の事情に詳しく、敏感でなければならない立場なのである。彼は政治家である。実際に政治家になったことがないかもしれない。立候補ばかりである。

そうしているうちに、時代に追い越された感が強い。パソコンもやらないし、スマホとも縁がない。

しかしながら、本質は逃してはいない。政治のことに関しては、関心もあり、指導者の立場にあるのだ。勉強もしている。演説もする。子供にも自分の信念を伝えてあって、子供は後継者として育っている。

どこまでも不器用なのである。若い頃から変わらない。誠実そのもの、裏表なく、いつもニコニコしている。安心できる人柄である。地味である。彼こそ政治家にふさわしい。彼には、本当に幸せになってほしい。


世界のリーダーの役割

2016年01月18日 17時25分14秒 | 思考試行

一人ひとりの人間は、そこそこ真面目であり、そんなに間違ったことはしない。いろんな要素があって、暴走しようと思っても、抑制する装置はあちこちにある。

だが、北朝鮮の場合などは、暴君を止める装置がないようだ。なにしろ、モノを言うような連中は、直ちに粛清されるのだから、幹部連中は、ひたすら服従しなければ殺されると、ひれ伏すほかないようである。

そんなことで、この指導者が暴走を開始したときには、止める手段がない、として、日本の憲法を変えて、戦争できるようにしておかなくてはならない、いな、それを口実に、敗戦前の1人前の国にもどり、戦後レジュームの脱却をするのだと、虎視眈々とその機会をねらう。

そして、憲法を無視して、戦争法案を通し、海外派兵はもとより、集団的自衛権ありとして、事実上、戦争できるという法体制に突っ込んだのである。

アメリカは、世界の警察官ではないと宣言し、日本はその肩代わりをする環境が整いつつある。中国、ロシアの動き、中東の様子、いずれも、指導者の質が問われる低レベルの状況が露呈してきている。この状況下で、安部首相は、憲法を変えて、戦争をはっきりできる国にしようと躍起になっているのである。

東京の雪の弱さが露呈しているが、どこの駅も騒ぐような人はいない。静かに、大人しく、事態が改善されることを待っている。国民はまことに賢く行動している。騒ぐような愚かなことはしない。だが、世界は違う。日本がどういう行動をとるのが正しいのか、すくなくとも、武器を持って、世界に乗り出すなんてバカなことをしていいはずがない。


18歳から選挙権

2016年01月16日 09時19分27秒 | 思考試行

18歳に選挙権が広げられて、選挙権をめぐって、報道がされ始めている。選挙がすべてであるといってもいい、意見表明を、こういう番組をみているといかにも軽く扱っている。

しかし、平和が戦争となり、戦が始まるのも、選挙の果たす役割は大きい。だれが政権を持つかによって、平和が維持されるかどうかもきまる。

若者達は、自ら目を覚まさなければ、自らの未来を切り開くことはできない。利権亡者達の餌食になってしまう。選挙を、軽く考えてはならない。歴史も知らなければならない。如何に弱者が、切り捨てられてきたのか。今富者は、どのように弱者から、その富を奪っているのか。

この仕組を知らなければならない。その上で、政治に参加すべきである。弱者に目を向けている政党はどこか。仕組を考えているのはどこか。将来をどうしたいのか。

憲法を変えて、戦争の出来る国にしていいのか。真剣に考えなければならない。戦場に行かされるのは、若者達なのだ。軽く、「憲法改正」などという奴らを信用してはならない。