空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

評価の多様性と集中

2019年05月18日 17時19分05秒 | 思考試行

 喜んで帰ってきた家内は、少なからず自信をつけたようだ。句会メンバーに言葉をかけられ、いつもはとってはもらえない手練のメンバーの点ももらえたというので、興奮を隠せない。さらには、教室を主宰する先生からも特選をもらい、本当に喜んでいる。

 後期高齢者になって、まもないけれども、まるで青年時代のような喜びの機会を得られることは、有難いことである。今後の精進を本人も決意しているようである。

 俳句の効用を目の当たりにして、当方も刺激をうける。一応、投句は続けているけれども、身近に句をああでもない、こうでもない、と直接俳句仲間から指摘されたり、プロの先生の指導をうけているということは、力量の進歩には有利なのは確かで、そういう機会のない小生とは、昨今ははっきりと作句能力に差がついてきた。

 いずれにしても、俳句と関わりながら、真剣に人生に立ち向かうという姿勢がでてくるわけで、趣味といいながら、楽しみながら、成長していけるという、すばらしいツールである。

 同じ風景を見ていても、すこしも心を動かされることもないというのではなく、感動するときはもちろん静謐な心持ちであっても、それを表現できる手段をもち、工夫する習慣をもつことの意味は大きい。

 たんに嬉しいとか、楽しいとかいうのではなく、それをモノに託したり、いろいろ工夫次第でひろがりのある感動を呼び起こしたりできたときは、達成感がえられる。反対に、なかなかうまくいかないときもある。そのほうが多いかもしれないが、そのこと自体が、知識を増やすチャンスとなり、人間としての能力を高める努力をしている可能性がある。オーバーに言えば、人生をかえる道具である。

 他者の作品を味わい、その鑑賞をするなかで、知らなかった観点、感動を知る機会ともなる。短いということが、本質的な価値観にふれてくるところがある。隠し仰せない人間の本質がでてくるときもあるようだ。

 幅広く、上品に収まってはいないから、雅やかなムードとか雰囲気を出すことは、俳句では難しい感じがあるが、それとて不可能ではないはずである。好みのままに、どのようにでも作句できる可能性がある。

 ということで、明日に投句〆切日がせまっている。推敲を重ねて、なんとか圭句をものにしたいものである。


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