空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

生きる人同士おたがい尊重しよう

2020年03月31日 17時58分28秒 | 思考試行

 人の間に階級をもたらしたり、差をつけたがる傾向は、そう簡単にはなくならないだろうが、今回のコロナ騒ぎで、いろんなことが見えてきている。そんな姿勢では、この状況を打開できないのではないかと思わせる。人間が人間を尊重するという姿勢が、本質的になければ、この問題に対処できないのではないだろうか。価値観がどうなのかが試されている。

 それぞれの人が、どんな思いでこの状況をみているか。急速な感染の進行で、政治、経済、人の熱意、真剣さ、医療のこと、なりわいのこと、困難な状況が続く中で、どのような作戦でいくのか。安倍政権は、今注目を浴びている。真剣に取り組めているのだろうか。

 作戦なのか、検査を絞り、感染者数が上がらないようにするつもりなのか、世界からも不思議がられる動きをずっと続けている。その説明をしない。疑問が渦巻いていても、無視を続ける。答えない。誰がこの状況を打開していくリーダーなのか、姿がみえない。政権の熱がみえない。 

 原発事故のときの民主党政権は必死であった。連日記者会見を開き、実情を知らせ、困難ななかで、いろんなトライをした。そして熱があった。それをことごとくイチャモンをつけていたのが、自民党であった。

 いい加減な安全神話のもと、原発が絶対安全だとして、自分たちが進めてきたエネルギー政策の失敗を棚にあげての恥知らずな行動であった。

 今の事態の中で、「桜を見る会」のこと、財務省の再調査のことなど、野党が質問することに対して、いまどき、などと冷笑してみせるなど、質的な衰えを平然と出して恥じる様子はない。

 はたして、医療がたいへんだと言っているのに、適切な段取りを打ち出すことができていない。医療崩壊に陥るかもしれないというのに、動きが鈍い。ひどいものだ。安倍首相はじめ、原稿を読むだけで、生きたことばがない。彼らには、初めから、人間尊重などの思いはないかのようだ。どういう思いで政治家になったのか。単に権力を振るいたかっただけなのか。官僚の人事権を奪い、これを武器に、彼らを、絶対服従させる態勢を作りたいだけだったのか。問題に対処する熱がない。

 これからどうするつもりなのか。本当の「賢者」に教えを乞い、段取りをちゃっちゃと決めて、安倍首相の言う通り「先手先手」で行動すべきだ。

 

 


調査される立場の者が「調査しない」という・・・許していいのかい?

2020年03月23日 12時42分18秒 | 思考試行

 遺族が自殺した公務員の手記を公表した。大きな反響があった。当然である。真面目に規則通りに仕事をしてきた公務員が、国会答弁に合わせて公的文書を改竄しろと言われ、抵抗したものの、本省からの強い指示で、直接の上司からも、当初は拒絶が当然と言っていたのが、やむを得ないとかわり、さらに、人事異動で、自分だけが取り残され、周囲は事情を知らない者ばかりとなり、さらには、検察からの電話による筋書きが見える電話があった。もはやトカゲのしっぽ切りが自明のこととなり、絶望して自殺した経緯がわかるものである。

 事件は、佐川本省理財局長の国会答弁に合わせて、地方局の公務員が「改竄」したという筋書きになる。とんでもない筋書きである。

 佐川局長が何故そんな答弁をしたのか。政権与党が権力を握り、公務員の人事権を実質的に握り、生殺与奪の力を現実のものにして以来、高級公務員は、権力に阿り、忖度し、安倍氏の意思を尊重し、動きまわるようになった。証拠を隠滅し、ウソをつき、徹底的に安倍氏を守る。はたして、ウソをつきとおした佐川氏は国税庁長官に栄転した。

 彼はだが、公務員の自殺の報があってのち、辞任している。良心が少しはあったということか。

 しかし、財務省の調査によって、事態は明らかとなった、自分には非がないと平然と答弁する安倍氏には自己の行動が起こした事態であるとは、思っていないという姿勢に終始している。

 平然として、恥じる風は一切みせず、なぜこんな事件がおこったのか、論理的な弁解の答弁はしない。財務省の調査があって問題なかったのだと、同じ答弁をくりかえす。なかったことを証明するのはむずかしい、などという。証拠を残さず、忖度させる形での指示があって、そういうのだから、これは確信犯の恥知らずである。

 独裁政権は、文句を言わせないし、問題の所在さえ隠ぺいする。現代にあっても、現実に人の世とは思えない実態がある。だが、自由主義を標榜する国であるが、日本の場合は敗戦後始めてもたらされた民主主義であり、国民主権であって、国民の側から実現したものではなく、少なからず、全体主義、権力盲従主義の傾向が否めない。ボスが一言いえば、それで決まりという風潮が強い。

 真に国民一人ひとりが尊重されているとは言い難い。こうした、国情というか国民性からくる後進性が否めないなかで、行儀がいいなどと言われるが、自分の頭で考え行動する個人の力がまだまだ弱い証左である。

 調査しなければならない対象が、調査できる権限をもっているところが不健全であり、そんなところへ権力の集中していることが不幸である。そのため、権力分立の機構すら生かされていない、

 このような、一極集中の事態を放置した国民にも責任がある。 結局は、だまされた有権者の国民が悪いということになる。選挙権を軽くみてはならない。


近畿財務局公務員の自殺を考える

2020年03月19日 23時25分55秒 | 思考試行

 自殺した公務員の方の手記の公表は衝撃だった。はっきりと、自殺にいたる心境の表明がなされた。これを受けての国会での安倍首相、麻生大臣の答弁ぶりには驚かされる。

 安部さんも麻生さんも滅茶苦茶だ。「恥を知れ」という言葉もあるが、官僚、政治家は、まさに開き直って、まったく平気な顔をしている。「胸が痛む」って、いったいどう痛むのだろうか。

 森友問題で、下級官僚が財務省の文書の改竄を指示され、抵抗したものの、これに従わざるを得なくなって、あげくの果てには自殺までしたという事件である。

 改竄する意思がどこからスタートしたのか、安倍首相に忖度した財務省本省にあったことは明らかである。指示した佐川氏は、国会で平気でウソをついた。彼は、その後国税庁長官になった。

 指示したものは、その改竄の指示をしたことは絶対に認めない。知らぬ存ぜぬで通すのみである。

 上の言う通りにしていれば、いいではないかというが、問題が明らかになったときは、実際に、改竄をやらされたものが、犯人となる。

 指示がなかったことになると、その下級公務員が、勝手にしたのだ、そういう構造になってくる。検察官の電話による取り調べがあって、検察の筋書きがそうなっていることを知り、下級公務員は絶望したのである。

 森友問題には、国家思想の背景がある。教育勅語を幼稚園児に暗唱させるという稀有な教育者に安倍首相夫人はイタク感動した。その彼が作る小学校である。種々な便宜がはかられた。

 この思想に共鳴する人々が動いた。すべてはうまくいきそうに見えた。だが、あまりに無茶がすぎた。

 ほころびの中で、仲間同士の裏切りも絡み、その後の進展は、彼らの思想のレベルもみせてくれた。恥知らずの鉄面皮である。

 その流れの中の自殺である。憤懣やるかたない、自殺である。改竄に抵抗しながら、結局犯人にされてしまうのだから、逃げ道がない。

 なにが正義か考えてみてほしい。


基礎となる収入の給付など方策について

2020年03月12日 15時35分38秒 | 思考試行

 たくさんのお金は必要ない。普通に食べていける収入さえあれば、ほとんどの人びとの悩みは無くなると考える。

 コロナ騒ぎで、休業に伴う助成金などが取りざたされているが、そもそも、日常的に、基礎となる収入が、確保されていれば、あくせくしなくとも、犯罪を起こさなくとも、食ってはいけるとなれば、世の中のあり方は相当変化するのではないか。

 それにかかる経費は、富裕層からの税金をあてる。すなわち、所得再配分である。

 基礎的な収入があれば、人は一切働くことをしないだろうか。食えなくても、働かないという人はいるし、いくらお金をもっていても、生きがいを持てない人もいる。

 すべての人が、いきいきと生きがいをもって、寿命を全うできることが、この世に生を享けた生きとし生けるものの願いであって、人間の場合は、頭を使えば、かなり心地のいい生存世界が構築できるのでないかと思う。

 人より、相対的に優れていないと気が済まないとか、財力、権力によって、人を支配する喜びを持つような価値観から離れられない人が、いなくなるような価値観、共生意識が可能とならないだろうか。

 努力して、技術を磨き、学力をつけ、科学技術分野、人文学の分野でも人類に有益な功績のある人にたいして、人々は惜しみない尊敬と感謝の賛辞をおくるべきである。 

 という具合にいけばいいのであるが、人は、それほど単純ではない。いけないということに魅力を感じ、ダメといわれればトライしたくなる。他者のものを盗み、横恋慕もする。

 愛する家族さえ裏切る行為もありうる。当人がのぞまなくとも、誘惑ということもある。

 意地悪をしたり、いじめたり、欲にかられて、道を外れることもしばしばである。はたして、こんな人間どもを、きれいごとで制御できるものだろうか。 

 コロナ騒ぎは、指導者の能力、組織の態勢、チーム力、人々の反応、それらがどっと裸のかたちででてきた。

 誠心誠意、事に当たっているのかどうか、マスコミは、取材力だけではなく、そこからの提案力もためされた。それは事情を調べる中で、さまざまな知見に触れ、アイデアがうまれ、それを世論に訴える力をもっている分野の力である。

 権力とべったり結びつくと、直ちに悲劇が生まれるが、相互に役割を認識して真に協力できるならば、多くの成果が期待できる。

 今、いろんな可能性を秘めながら、この困難な事象のなかで、人々が動いている。どのように決着していくか、注視していきたい。


なにが大事で大切なのか

2020年03月07日 13時05分39秒 | 思考試行

 コロナ騒ぎでさまざまなことがはっきりしてきた。各国の国情が否応なくあぶりだされ、為政者の能力、態勢、価値観が露わとなってきた。

 発端は中国であったが、権力の存在が強力で、感染の抑止には、国民にノーとは言わせない態勢であるが故の有利性がみえたような一面がでてきた。

 だが、当初の医師が変な肺炎があると告知したことを、犯罪者扱いをするなど、愚かな対応のために、武漢の大悲劇が起こったことを忘れてはならない。独裁政権のもろさである。隠そうと思えば隠せると思ったのだろうか。

 ものごとの進歩発展は、同時並行的に進まない面もあるようで、科学技術と政治分野はいまだ、不協和音を起こしている。

 地球温暖化や、今回のような感染症の問題、経済活動は地球規模で考えなければならない時代となっている。

 現状は、この事態のなかで、人類がきちんと対応できていない。覇権主義的な国家、独裁を目指す為政者。この状況下では根本的な解決は無理である。

 人類は、これらの事態に対応できる「哲学」を構築しなければならなくなっている。全地球規模で、共用できる考え方、ものの見方を獲得しなければ、スムースな生存が確保できなくなっている。

 多様な文化、価値観があって、これらを何か単一のものするということではなく、相互にその文化の特質を理解し、認めながらも、何が有用であるか、不都合があるか、理性的に判断できることである。

 宗教を認めないといいつつ、宗教者の思いを理解し、閾値を越えなければこれを認めるという基本のもと、とんでもない迷信はするどく克服していく努力をしなければならない。

 政治の問題は、秩序維持であり国家間の調整問題でもある。そこに世界に共通する考え方が構築できるのかどうかである。が、そんな問題をたてても、今の時代環境では不可能である。

 おそらくは、科学技術がさらなる進展を遂げて、エネルギー問題、自然科学上の諸問題について、大幅な前進があって、対立が無用となり、一人ひとりの意思、相互の関係、および全体の構造が心地よくすごせるようになる価値意識が芽生えるようになったとき、それらの課題の解決がみえてくると思う。

 大きな前進は、この前提条件の進捗に頼るほかないが、だが、そのプロセスにおいて、展望をもっていることは重要であり、必要である。

 個々人としては、世の中のさまざまな動きを注意深く観察しながら、自らは、なにがあろうと、展望を持ちつつ、やれることを、やるべきことを淡々と日々実行していくことではないか。一老人はそう思っている。

 


根本的な政治・国のあり方が問われる事態に

2020年03月05日 20時51分35秒 | 思考試行

 今度の新型コロナウイルスで、世界がいろんな表情を見せてきている。台湾の早くからの対処具合、マスクの手配や感染対策のスマートさ、韓国の検査の迅速性、日本の後手後手の対策具合。

 アメリカの非情さ、イギリスの無責任さ。

 マスクの転売、高値でネットに売り出す恥知らずの人びと。

 責任回避、保身、事なかれ、国民の生活無視、誰のための政治かを忘れたようなゴタゴタの動き、何を大事と考えているのかが不明な動き、真のリーダーシップの不在。

 桜を見る会のゴタゴタをおこす政権の本質がそのまま出てきた感もある。権力の意向に沿うことを高級公務員は競いあい、それが、そのまま、この自然災害・現象に対処しきれない事態を生んでいるようだ。

 人間社会がさまざまな矛盾を抱えながらも、なんとか社会構造を維持し、できるだけ気持ちよく過ごしていくために、どんな工夫をしていくべきか、各国がどのように助け合っていくべきか、ウイルスは問う。

 彼らは、うまれるべくしてうまれ、人類に挑戦してきた。これに対処するためには、人類は、国を越え、全人類の立場に立つほかない。

 各国の理系の人びとは、いちはやくウイルスの正体にせまり、ワクチンなどの対策にのりだし、ウイルスに関しての情報交換をしている。論文を公開している。

 他方文系の人びとは、経済的な政治的な思惑があって、国益がはいってくるから、世界的な視野で事に処するという風に、まっすぐにいかない面もあるように見られる。都合の悪いところは隠したりしかねない。

 先の話になるが、人類の存続を考えるならば、国とか地域とかのエゴだけでは問題の解決はできない。広い視野と哲学が必要である。今、世界には、世界をまとめるような哲学は存在しない。 

 しかし、今回のような騒ぎとなれば、それを考察しないでは済ませないような事件の可能性と対処の必要性を感じざるをえない。

 政治はどうあるべきか、政治家はどうあるべきか、今回の事件は国民のための政治が真剣に考えられ、新しい考え方・世論が芽生えることを期待したい。

 


安部首相の記者会見があってやっと始まるようだ

2020年03月01日 22時13分59秒 | 思考試行

 検査をやるべしという声がミチミチていて、いったいこの国はどうなっていくのだろうか、と心配させられたが、場当たりといおうと、記者会見で、漸く政府が動くのだな、というところを見せてくれたのは、よかったというべきか。

 だが、いったい、感染の状況がどうなっているか、調べることをせずに、決断したといわれても、検査を抑制しまくってきたこととの整合性は、とても取れているとは言えない。

 実態がわからないのに、全国一斉の休校というのは、現場はてんやわんやになるのは当然のことである。用意周到に事を運ぶべきところが、なにやら首相独断などと言われるようでは、先が思いやられる。

 データーもなく、準備もいることだろうし、はたして検査が順調にされていくようになるのかどうか注目したい。

 政権の実態だが、手練れのアイデアマンがいないのだろうか。ちゃっちゃとやるべきことを粛々と企画立案し、手際よく難局に向かうという場面がない。先手先手と口ばかり言っても、実際は後手後手で、素人でもわかるもたつきぶりである。

 いまだに、検査をどんどんやると、重症の人の検査ができなくなる、などととぼけた学者がいる。軽い人がいつまでも軽いならいいが、重症化する場合もあるし、軽症だって、人にうつすというのだから、調べないわけにはいかない。しかも、調べる能力がないかのように、喧伝していたが、民間の方がいい機械があり、技術もあるといい、保険適用となれば、どっと検査数が増えるという方が事実ではないだろうか。

 日本の感染者数がどうなっていくか。ようやく実態がわかるようになるということだ。それにしても、政権のお粗末ぶりがよくわかって、これは、国民のために、本当に良かったと思う。これでも、自民党、公明党が政権を握り続けるとするならば、日本はもたないということになるのかもしれない。

 どんどん政権交代するようでなければならない。現政権は、検察官の人事までさわろうというのだから、良識を疑う。権力を集中して、スカタンばかりする実態をみせてくれているのだから、国民は、こういう政治には、キチンと反応しなければならない。