空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

夜明け前

2010年10月31日 06時28分03秒 | 思考試行
今の世の中は、環境問題、経済問題の深刻さや、人間社会の崩壊、無縁社会など社会的な病理が問題となっている。

保険金をめぐる事件や、子供の虐待、年金受給者の死亡を隠して、生活の糧にしたり、生活保護制度を悪用する貧困ビジネスなどなど、日本のむかしからの良き伝統や、美風はもはや見る影もない。

小池議員が、小泉首相時代、料亭などでの話しは、シモネタばかり、と言っていたが、サモアリナンと思ったことだった。各界で、こういう現象が起こっているのだろう。程度が低くなっている。

イラク戦争は、大量破壊兵器が口実であったが、そんなものは、なかったことが判明し、多くの人命が、失われたことの責任は、どうなるのか、アメリカが、どうこうする様子はない。世界もこれを非難する様子もない。

力関係のなせるワザである。正義が、きちんと通ってはいない。道理もなく、正義もない。それでも、フセインがしてきたことが、道理のないところに道理らしいものを錯覚させる効果があった。

戦争ビジネスが喜ぶだけの、非人間的現象。オバマがでてきて、アメリカは変わろうとしているが、その成り行きは、苦闘の連続である。世論や、議会の動向は簡単ではない。

民主党も小沢問題を、明確にはしきれないし、執行部に従おうとはしない小沢氏の対応ぶりは政治の世界の現状を如実に示している。

諸問題が、こんがらがっている。解決の糸口は、どこにあるのだろうか。すべては、関連している。このモヤモヤは、何かのきっかけで、サアーっと晴れるような気もするが、どうだろうか。

「法則、定理、証明」が成立して、物事の黒白がつき、事件は、ことごとく解決の道を歩むような気がしてならない。

貧困との戦い

2010年10月30日 21時58分17秒 | 思考試行
小泉、竹中路線が作り出した貧困状態。人びとが、バラバラにされて、ムチャクチャになって、今、ようやく問題意識が明確になってきたような感じがある。

湯浅誠氏のような、人物がいて、これには、ものすごい救いを感じる。民主党は、内閣府参与という役職を頼んで、事業をすすめようとしているが、これは、素晴らしい。

問題が、多様であり、解決策は一朝一夕にはでてこないだろう。だが、問題意識を持つ人がいて、具体的に運動が展開されている姿をみることができて、非常に嬉しい。

冷ややかな、世の中の仕組みに、声をあげて、行こうとするこの流れに、いつかは、合流したいと思っている。

何ができるのか、助けることは、助けられることでもある。お互いが、助け合うことが、悪いはずがない。NHKは、またいい仕事をしている。テレビをみながら、希望が持てるという感想がでてくる。


自由と競争をいれながら

2010年10月29日 08時39分53秒 | 思考試行
人為的に、ある業界を保護し、利益誘導する。それは、結局は、その業界のためにはならないことになる、ということにならないだろうか。自由な競争のなかで、弱者は淘汰される。強者のみ生き残る。さまざまな工夫がされる。保護されると、その条件下で考えるから、どうしても弱い体質となってしまう。

確かに人間は、甘くされると、甘くなり、環境が厳しいとそれを乗り越えようと努力するので、成長するという傾向がある。そのために、あえて、自分を追い込み、逃げられない状況下に置く人もいる。そのため、あまり保護を中心においた考えをしない政策が検討される。

それで、競争にまけた、おちこぼれた人はどうするのか。それは、生活保護の対象となる。そこから、また、這い上がる。そのための援助体制はいるだろうが、極端にいえば、無理に競争に加わることもない。学習、職業訓練、休養でもよい。そして、意思ある者には、なんらかの、仕事につけるようにする。

総じて、相互に助け合い、生きがいが持てるような態勢を、作りあげることができたら、人生は捨てたものではない。働くことと、楽しむこと、それが、過不足なくできれば、人生素晴らしいではないか。そういう世の中を作りたいものである。

宇宙を考えにいれる

2010年10月28日 11時08分42秒 | 思考試行
どうしても、狭いところからだけの発想だと、貧しいものになる。できるだけ、考えの環境を広げてみると、そこから脱け出すことも可能になる。

やれ、民族、国、宗教、イキサツ、・・・名誉、地位、見栄、富・・・どれもこれも、存在に関わる争いに直結したりする。しかし、その本質は、宇宙の視点からみれば、取るに足りない些細なこととも言える。

生物の一員として、本能に関わる部分や、欲求の根源から逃れることは、なかなかできないけれども、それでも、視野を広げる努力をしていると、大抵のことには、立腹することが減るように思う。

恐らく、地球上で、善悪を言っていても、それは、何が善で、なにが悪か、そんなものはないといってもいいのかもしれない。しかし、歴史のなかで、価値観、価値意識は形作られてきたし、それは、それぞれに染み付きながら、環境や、事情で、裏切られ、傷つけられ、悲劇が起こる。

同じような事情であっても、人により、反応は変わる。考え方によって、この上ない不幸せとみえるか、それとも、幸せと思えるのか、考え方だけで、決まるとすれば、それは、重視しなければならない。

いつも、人を踏み台にし、勝利を続けてきた連中からみれば、他者とは、利用すべき存在としてしか見えていないと思われる。こういう連中こそ、宇宙視点からみれば、つまんでポイすべき存在だろう。

それが、悪いこととはとても思えない。それでもそういう連中は、おそらく、モノゴトを進める中心部分にいることが多い。そういう実態である。人類の歴史は、まだ、始まったばかりである。

日常生活のなかで、どちらの陣地に属しているか、常に自主点検をしながら、ポイすべき相手とは、然るべく付き合うしかない。

女優とヌード

2010年10月27日 11時17分03秒 | 思考試行
川上麻衣子さんが、テレビで芸能生活のことについて、話していた。そのなかで、篠山カメラマンのヌード撮影に応じた経緯が面白かった。

いきなりに、きちんとすべてが決まったわけではなく、単に、撮影するだけで始まる。それも雰囲気のなかで、徐々に、大胆に、開放していく。発表するかどうかは、後だという。

家族との相談。猛反対があったけれども、その作品をみて、父親が、発表すべきだといいだし、結局、それで写真集を発表することになり、これをきっかけに、アイドルから脱皮、その芸能生活の幅を広げることになったらしい。

さらに、大人の女性として、大胆な演技が要求される仕事の依頼があって、パチンコで大当たりしたら、その仕事を受けるという決心をした話。大当たりして仕事を受けた経緯が語られた。

人当たりが柔らかく、そういう大胆なことをしそうにない人が、そうすることで、女優としての幅を広げてきたということだろう。

山城新吾との親子のような関係についても、語られた。そのままなのか、それとも恋人だったのか、というところは、はっきりと親子関係の関係として、話されていた。もちろん真実は解らないが、ウソをつく必要はないだろう。

全体として、崩れた感じがしないし、真面目な人なのであろう。女優というのは、スゴイ仕事であるなあと思わされた。

「シャッターアイランド」をみて

2010年10月26日 10時01分30秒 | 思考試行
二度みると、何故、一度目に見たとき、そう思ったのか、と考えてしまう。邦画で、こういう映画が作れるだろうかとも考える。

おそらく、邦画の場合は、有り得ないだろう。観客をここまで、「騙せない」と思う。言外のコミュニケーションが、多いので、すぐにネタばれしてしまうのではないだろうか。

映画の作り方では、洋画のテクニックに感心することが多い。アイデアといい、敵わないという感じがする。

しばらく、ツタヤには行ってなかったので、久しぶりだったが、映画4本を堪能した。たまには、こういうこともいいことだと思う。結構刺激を受けた。




町村さんは何と戦ったのか

2010年10月25日 06時36分10秒 | 思考試行
衆議院議員を辞めて、衆議院議員になる。選挙区選挙で破れ、比例で当選したものだから、それは、屈辱と思っていたらしい。

そして、昨日当選した。「民主党の金と政治を明かにしようとしない姿勢が、批判された」といっている。明かにしてこなかったのは、自民党であり、ザル法を作ってきたチョウホンニンが、言うのだから、これは、これは、というしかない。

公明党が、背景にいて、応援していたのだという。公明党は、民主への牽制と、勝てる方につくという保険をかけたということか。公明党とは、創価学会ということであり、どこかの指示で、一挙にその行動が決まるという恐ろしい集団である。

町村さんの眼の輝きが、ホンモノではない。それは、無理もない。そこには、政治にかける情熱というより、私憤の動機しかないからだ。国民にとって、本当にいい政治をしようという動機ではないからだ。

議員にとっては、当選するのが、至上命題であるが、利権と結びつかない本当にボランティアのような政治家であれば、奉仕の競争みたいなものであって、どういう形であってもいいと思う。比例はいや、という考え方には、そうではないホンネがミエミエである。

町村さんは、絵に描いたようなエリートコースを歩んできた。いままで、どんな選挙をしてきたのか知らないが、おそらくは、そんなに苦労はしなかったであろう。しかし、恐ろしい集団の支持を受けての当選である。この議席には、どんな意味があるのだろう。

往年の勢いを取り戻すことは難しいだろう。利権と結びついての、政治だったからの勢いであり、これからは、そうはいかない。利権と切り離されて、どこへ行くつもりだろうか。

現政権の足をひっぱりまくり、かつての影響力を取り戻したいの、一点であろう。参議院の逆転は、「熟議」の状況を作るだろうか。民主が、いくら良い提案をしようが、自民が、結論ありきの路線を突っ走るのであれば、多数をとらない限りは、だめである。

事実、自民党の議論は、本人自身もいやになるであろうものでしかない。とにかく、もめて、混乱すればいい、としか考えていない。こんなに低レベルであると議会政治は不可能である。それで、この国をどうしようというのか。

表裏どちらが正しいのか

2010年10月24日 17時52分41秒 | 思考試行
何が真実なのか。誰が正しいのか。自分は正しいと確信して行動するのがいい。といいつつ、それが、自分本位であり、他者のことを、少しも考えていないとすれば、それは、盲信、狂信というべきもので、確信すればいいというものではない。

世の中、意見がさまざまに分れる。同じような環境であっても、育ちや、価値観によって、それは、変わる。人をけとばしてでも、富や権力を獲得しようと思えば、それは、正しくなり、そうでなければ、敗北者として、悲惨な暮らし方をするしかないという風に割りきる。

いつも、相談づくで、公平に、とはいかないのも自然の流れではある。恋人の獲得については、競争がつきものであったりする。結論が、果たして勝ったことになるのか、負けるが勝ちかもしれないし、この評価は難しい。

自民が正しいか、民主か、それとも共産党、公明党、みんなの党、社民党、どれだ。どれか一つが正しいのか。幾つか正しいのか。それとも全部間違いなのか。

何が、一番かはわからない。歴史が示すことになるのかもしれない。今を生きている人間は、ともかく、正しいだろうと思う方向を進むしかない。

自分としては、態度の基本を持っておくことが大事である。戦争はしない、させない、平和のために、尽力することである。これさえキチンとしておけば、その方向は、はっきりする。


「ゼロの焦点」をみた

2010年10月24日 14時42分11秒 | 思考試行
リメークの作品である。ビデオを借りて見た。感動した。三人の女優がすばらしい。物語は、若干の変更はあるのだろうが、その精神というか、芯は、しっかりと原作にのっとっているのだと思う。

時代の背景のなかで、人間らしく生きようとする力を感じる。この気持ちを忘れてはいけないと思う。

登場人物に、悪人が出ない。にも関わらず、悲劇は起こる。説得力のある物語である。こういう物語に触れると、自分もこういう作品が書けないものかと思う。

昨夜、ビデオをみたあと、見た夢は、はっきりとは思い出せないが、なんとなく重苦しいものだったようで、目覚めてほっとした。現実の方が、軽いというか、悩みがないのは、本当に幸せなんだなと思う。

苦しむ人びとが多いなかで、申し訳がないような気もする。できることを、何事か、なしていかなければと思う。

アナウンサーが個人的意見としていうことの効果

2010年10月23日 10時06分06秒 | 思考試行
政治に関して、アナウンサーがチョロット一言言う。民主党の悪口である。サンケイ系がとくにヒドイように思う。

意識的な、こういう一言が、あたかも世間の常識であるかのように語る。とんでもない品の悪さ。

中立、不偏不党が公共放送では、必須のはず。ルール違反は、誰が指摘するのか。あまり、こういうことには、誰もが立ち入りたくはない。本来自由でありたいからだ。

言いたいことが言えることは大事である。彼らが言うことは、しかしながら説得力がない。レベルが低すぎる。そのために、彼らの思惑とは違う効果が出ている。

なんにしても、あかんものはアカンのであるが、賢そうな顔をしてられたら、誤解するので、思っていることを正直に言ってくれるのは、かえって、いいことだととも思う。

おおいに、悪口を言ってくれたら、世の中は、だんだん良くなるようにも思える。みんな賢くなればいい話である。

結局は、どうみるかである

2010年10月23日 09時13分17秒 | 思考試行
単純明快ということは、いいことである。日本愛国、中国愛国、アメリカ万歳、・・・しかしそれだけでいいとは思えない時代。悲惨な実態がある。これらにどう対処しているのか。平和を勝ち取ることである。そのために、なにをするのかである。

人類は、広い視野を持てるはずである。仙谷官房長官は、彼の、ホームページで、地球市民という立場の政治理念を公表している。これである。彼の視野が、広いから、議論の筋が良くわかる。そうでない連中は、この真意に気付かなければならない。

愛国主義や、民族主義、こういう狭い視野では、間違えるのである。そういう人がいかに多いことか。さきの大戦の教訓を、なにも思っていないのだろうか。やれ弱腰だ。品が悪い。恫喝だ。悪口を連発しても、それは、言う本人が自分のことを語っているにすぎない。語るに落ちる、という話である。

山本議員も丸山議員も、その意味で、その実態をみせてくれたことは良かったと思う。この程度の人が、自民党を代表して、質問をするのか、と知らせてくれたことに意味がある。

戦争はいけない。この一点で、人類は、成長していかなくてはならない。殺しあってどうするのか。本当に、油断をすれば、すぐ、戦争への道をたどりかねない。

小泉さんが、郵政選挙で大量の議席をかすみとったら、憲法9条を変えたいと言い出した。議席数があるものだから、ホンネを言い出した。戦争への道をひた走り始めた。

イワンコッチャない。筋を捻じ曲げて、なんでもやってくる。平和は簡単ではない。国民がしっかりと、目を開いていないと、また、あんなことになる。若者達の行く末が、兵隊になるしか道がないようにさせられてしまわないように、しっかりと見ていなくてはならない。

中国はやはり、幼いなあ

2010年10月22日 06時51分16秒 | 思考試行
前原外務大臣を、中国の高官が非難していた。幼いなあ。これでは、本当にこの国が一人前になるのは、まだまだ時間がかかるなあ。まことに、嘆かわしい。

それこそ、昨日の仙谷官房長官のホームページの話ではないが、「地球市民」の感覚が、「大中国」にはないということである。日本を、侮蔑するのに、「小日本」というらしいが、あきらかに、小「大中国」である。

国民の世論を封殺し、権力を一本にまとめ、相当な無理をしている。国として、国際的に認められるためには、グローバルな視点が必要である。基本が、利己的な考えから出発していると世界と協調するのは、困難である。

今中国は、その水準にある。どこの国も、国をいう限り「国益」を離れるのは、難しいが、そこにも、余裕がないと、極端には、戦争しないと、解決しない、の話になってしまう。こういう状況を作り出してくる可能性もないとはいえない。

国民が情報操作をされていて、ヘンテコな、教育を受けた若者達が、騒ぐ。チベットや、周辺地域などに、中国の拡大主義的傾向が、その影を落とす。

かつて、欧米列強に、国を苛めつけられた経験が、また、日本を含む外国軍隊に、国土を蹂躙された体験が、そうさせているのだろうが、いつまで、続けていると、地球全体が怪しくなる。

もう駄目なのかもしれない。奄美の大雨被害など、その現れであろう。自然破壊を、続けるのは、地球規模の視野をもたない国の影響が大きい。なんとか、まっとうになってもらいたいものである。

仙谷官房長官はすばらしい

2010年10月21日 11時13分02秒 | 思考試行
ホームページで、仙谷議員の政治理念を知った。すばらしい。まったく同感である。「地球市民」というフレーズがでてくる。彼はすばらしい。

確信を持って、支持できるようになった。彼の国会答弁を聞いていると、はぐらかしではないことが良くわかる。きちんと答弁していて、好ましい。質問が悪意であり、ああいえばこういう式の誠意のないものであって、策略とでも言えば良いのか、下らないものであっても、機微をおさえた隙のないものになっている。

自民党は、手も足をでなくなると、今度は、悪口雑言の類でくる。あげくは、目茶苦茶をやってくるだろう。今は、自民党の本質をよく見るほかない。問題点をきちんと見ておくことである。どんどん本当の姿、醜い姿をみせてくれることだろう。

仙谷さんには、その手腕で、彼らの、本質を暴いて欲しいと思うし、やれる仕事をどんどんさせてあげたいものである。地球市民のために。

数学の世界

2010年10月21日 10時38分31秒 | 思考試行
放送大学の「初歩からの数学」に挑戦中である。一学期の単位認定テストで、見事落第して、二度目の試験にむかって、初めから、やっているのだが、なかなか、道筋がみえてこない、どうにもつかめない状況が続いていた。

おそらくは、今までの、数学の知識では対処できないところが、あちこち抜けているのだろうが、それがどこかも解らないという悲惨な状態である。

最初からつまずいて、進めない状態が続いていたのだが、解らないものは、そのままにして、とにかく、先へと行くことにした。

そこで、三角関数にきた。なんと、ここでは、すべてが解るような気がしてきた。正弦定理や余弦定理、加法定理のいろんな世界。いままで、踏み入ったことのない世界に入れた。解りやすく、流れが理解できる。高校時代の水準から、完全に一歩踏み出した世界である。

こういう経験に遭遇することが、放送大学の醍醐味である。こんどこそは、カラオケと同様に、その流れをモノにしたいと思う。繰り返しの練習をして、解るという境地を体験したい。できれば、人に教えられるほどになりたいと思う。

解るという快感は、そう簡単には得られない。然るべく、努力し、我慢することが必要である。そして、放送大学は、講師の先生が、何といっても、一流である。天下の東大の先生だ。解りやすく説明して下さる。あとは、こちらのやる気一つである。

徐々に、始めのわからない部分との繋がりが出てきた。相互にバラバラと見えていたのが、実は、繋がっていること、数学の世界の不思議さが、垣間見えてきた。モノになるのかどうか、大いに楽しみである。来年のテストのときには、どうなっているか、これに合格すれば放送大学三度目の卒業になる。

ビデオ公開について

2010年10月20日 07時18分50秒 | 思考試行
いたずらに、ビデオ公開をさけぶ自民党、みんなの党は、その馬脚を現している。彼らは、その効果をどう考えるのか。ヒドイ中国船のギョウジョウを公開して、さらに、中国のアワレな学生達の暴動を煽ろうというのか。

甲論あれば、乙論ありで、こういう場合の選択は、必ず分れる。みんなに公開ということは、相手側からすれば、新たな挑発の材料となる。混乱を煽ることは、適切ではない。

こんなの常識である。弱腰といわれようが、相手の事情を知っているならば、迂闊なことはできない。国民がそれを知っているだろう。自民党や、みんなの党の、無責任な対論は、またしても、地金を出したなという感じがする。

彼らは、議席が欲しいだけなんだ。権力が欲しい、一点張りなのである。本当に、国民生活を考え、国際社会に思いをはせてはいない。

そういうことが、こんなことをめぐってでも解る。警戒すべきは、こういう簡単なパフォーマンスに騙されないことである。

「売れさえすればいい。真実はどうでも良い。売れるネタがほしい。」ドラマで、とんでもないジャーナリストが、こういう台詞を言う。この流れである。ウケネライであり、混乱こそが彼らの目指すところなのだろう。

上品、下品入り混じるなかで、上品がいずれは、勝利するようにしないと、下品を救えない。下らない方向への誘いに、乗ってはいけない。