空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

「バベル」のメモは、いい問題。

2007年04月30日 09時01分17秒 | 思考試行
 「バベル」の「メモ」には、なにが書いてあったか。これは、非常にいい問題である。これぐらいのことは、ちょっとした推理で、結論にいたるはずである。

 昨日、ブログをみていたら、「わからない」と正直に書いてくれてる人がいた。そして、映画を否定的に、評価されてるようだった。それは、そうだろう。それが、はっきりしなければ、映画がなにをいっているのか、わからなくなるのも不思議ではない。

 しかし、わからないから、否定的というのは、「チョット、チョット、チョット」である。自分のせい?と考え直してみてほしいし、周囲の人とも話し合って欲しいと思う。

 意思を通じ合えない、人間たちの悲劇は、この映画のテーマでもあるし、あるいは、あのメモの中味を、明らかに示さないのは、状況だけで、説明可能と考えたからにちがいないだろうが、「わからない」といってくれたブログ氏は、有難い存在である。

 あなたのために、あの映画はあるし、あなたのために、あのメモのシーンは意味がでてきたのである。よかったですね。

 通常というか、わからないところはすっ飛ばして、平然としている人は多いのだが、それは、それでいい場合もあると思う。だけど、それでは、少し寂しい。

 小生の場合は、そういう人に「発見」の喜びを是非体験してもらいたいと思う。「目からウロコ」状態を、この方は、確実に体験できる人なのだから、ある意味でバベルは、この方の人生を変えてしまうかもしれないのである。

 だいたい、映画作りをしたり、芸術的な仕事に携わる人々というのは、人が感動したり、発見したり、人生が変わったなどといわれると、恐らく泣いて喜ぶと思う。彼らには、それが最高の報酬なのだと思う。

 だから、「わからない」人こそ、かれらの最高のお客様になりうる人だと思う。

 小生の、メモに関する考えは、昨日書いてしまった。補充することは、いろいろあるけれども、注意深く映画を振り返って考えれば、必ず正解にいたると思う。小生が、正しいかどうかは、わからないけれども、妻に問いかけると、少し考えて小生と同じ見方であった。共感できたのである。しかし、わからないといってくれたほうが、もっと、話が深まったに違いないと思う。

 ブログ氏が、発見の喜びを、体験してみてくださることを期待している。

バベルをみた。・・・ミエルようになったな。

2007年04月29日 09時11分26秒 | 思考試行
 作者の意図は、映画をみただけで、全部くみとるというのは、恐らく不可能に近いことだと思う。しかしながら、推理をはたらかせるならば、作り手がキチントしていれば、わかるもんだ、という気がした。

 小生は、若くはない。チエコのメモに何がかいてあったかは、映画を見終わり一晩たって、考えてみて、自分がウソを付いていたことを、書いていると確信したのだが、真宮刑事が、酒場でそれを読むシーンでは、何だろうなとは思っても、みているそのときは、キチント推理はできなかった。推理はできても、アタマの回転は速くないのだ。

 テーマは、はっきりしており、現代の人間状況のなかで、大事にすべきこと、改善すべきことが、浮かび上がってくる。はたして、解決可能なのか、それは、不明であるけれども、課題は明らかになっている。

 映画は、具体的に映像、音楽、言葉、風景を映し出す。細部にわたるまで、つくり手は、意を尽くすために、過酷な努力を強いられる。本当にタイヘンな仕事であるなあと思う。

 映画のかえり、本屋に立ち寄った。偶然「バベル」のオフィシャルブックが、目にとまった。さっそく購入、帰りの電車のなかで、ほぼ目を通した状態であったが、帰宅してから、精読する。

 撮影をめぐる話や、キャストの選定のこと、監督、俳優のコメントがのっていて、それぞれ、興味深かったのではあるが、こちらが、疑問におもうことすべてにこたえてくれているわけではないから、疑問や筋立ては、こちらで考えるほかないし、そこが、映画の醍醐味ともいえる。

 その意味では、あそこのシーンは、どう解釈するのか、など、カップルでみにいけば、話題はつきないだろう。いい映画であった、と思う。

 話題の菊池凛子さんの演技は、実年齢との違いをよくぞ克服したものだと思う。モロッコの俳優は、現地採用の人が多かったようであるが、まったく、自然ですばらしく、その逆の演技力という意味でのスゴサを感じさせられた。

 それにしても、アメリカの文化の、ひとりよがりというか、観光客と被害夫婦の掛け合いなどに、作者の痛烈な批判をみる。

 宇宙船地球号の一員としては、必見の映画であるといっておきたい。

 

やったー。リバウンド0.2kg・・・なに総務省が。

2007年04月28日 08時55分33秒 | 思考試行
 今朝の計量 80.0kg 昨日夕食に、なんとトンテキが出た。久しぶりの分厚い一枚モノであった。妻はだいたいにして、コノテのものは好まず、おかずは、しぜんと、あっさり系なものが主流となる。

 昨日の79.8kgに、タマニハねと、菩提心を起こしたようで、自分の分は、買ってこなかった。

 どうも、そのせいである。久しぶりの満足感との引き換えによる、ミニ増加である。運動もしたのに、もとの大台にもどった。

 今日から、連休である。気をひきしめて、リバウンドを起こさないように努力していくつもりである。

 連休といえば、去年は、壁紙をはったり、リフォームを敢行した。今年も、やり残しているところを補充したり、書類整理をさらに、すすめるとか、少しまとまった、イベントを実行したいと思っている。生活改善を心がける。

 改善かどうかは、解らないが、総務省が、放送内容に発言するようになった。名誉毀損がドウノコウノということだが、これをはじめると、マスコミは萎縮をはじめる。注意しなければならない現象である。

 土台役所というところは裏金を作ったり、カラ超勤をしたり、うら事情をかかえているものだが、そういうことは、ないのだな、といいたい。かつてはあったと、反省するのか、自白するのかしないのか。だいたい、組織内部に弱点を抱えているときは、外向きにエエカッコはできないし、なにヌカシトンネンということになる。

 きゅうに、名誉毀損が・・・などという限りは、なにかが、はじまっている。最初は、だれもが、反対できないようなことから、言論統制を始める。そのためには役所内部の締め付け、規律をきちんとしておかなくてはならないだろう。それが、できた、ということかもしれない。

 役人の弱点はなにか。真に、世界のこと、国民のことを考えていないということであろう。自分たちのことを中心に考えている、そこに、弱点があることに気付いていない。基本的に自分たちが、もっとも可愛いのである。それでは、必ず弱点が生ずる。そこを、監視するしかない。かれらの動向を注視しなければならない。

ダイエット・・・ついに79.8kgに突入・・・情報の力

2007年04月27日 12時35分47秒 | 思考試行
 今朝ついに、待望の70kg台に突入した。この2日間、80ジャストが続いただけに時間の問題であるとは、感じていたけれども、実際にそうなると、達成感がわいてくる。

 この成果は、実は多くの方の知恵や、情報の力によるところが大きい。なにごとも、例外なくそうなのだが、何かを目的とし、目指して行動するとき、ちょっとした成果が出たとき、そのように思えるようになってきた。これも年の功か。

 情報といえば、インターネットの力は、半端ではない。昨日、特定社会保険労務士の証票が送付されてきて、いよいよ、個別労働紛争のあっせん代理業務等にも携われるようになったのだが、労働関係の判例事情を検索してみた。最高裁のホームページには、判例集があるのはしっていたが、商売ガラミでみるとなると、こちらの姿勢も若干違う。いながらにして、判決内容が簡単にみることができる。目からウロコ状態で、時間の経つのも忘れて、読みふけってしまった。

 インターネットには、人間世界の営みの、深部の世界が展開されている。これは、すばらしい道具である。すでに、損保ビジネスでも、欠かせないものとなっているが、そればかりではなく、あらゆる分野のことが、いながらにして、知ることができる。もっとも取捨選択することが、重要で、何もかも鵜呑みにするわけにはいかないけれども、選択眼を身に着けるためにも、意味がある。

 報道姿勢にしても、マスコミがとりあげられない問題も数多く登場する。裏面の世界も、顔を出す。カルト集団の動向や、政治家の行動、経営者の行動、理念や哲学の観点から、厳しい指摘や、批判がとびだす。

 すばらしい。この道具を、どこまで生かし、自分の価値観をみがき、実際生活にいかしていくかである。インターネットの世界だけにとどまっているだけでは、いけないのであって、何らかの行動をともなわないと、充分生かせないと思う。

体重ヨコバイ・・・オイツメル・・・憲法は。

2007年04月26日 08時11分57秒 | 思考試行
 あさの計量 80.0kg まだ、大なし状態。昨日とまったく同じ数値である。

 体調は、良い。昨日夕食は、妻と買い物に行って見つけた安いトロかつおの刺身と、筍の煮物、筍ご飯のため、「オユルシ」をいただき、実に久しぶりに、焼酎のお湯割りを、少し、味あわせてもらった。うまかった。にもかかわらず、体重に変化なし、ということは、昨日ノマなければ、大台をきっていたかもしれない。まあ、しかし、あわてることはない。体は逃げはしない。着実にオイツメテやるからな、といったところである。

 オイツメルといえば、郵政でカスメトッタ議席を背景に、憲法をかえたい勢力がチャクチャク蠢きだした。憲法危うしである。マスコミがかわれば、みんな、騙されてしまう。

 さて、アベさんの、訪米にむけて、いよいよ本音の声がでてきた。従来の政府見解を、乗り越え、どうあっても、アメリカ現政権のご機嫌を取り結ぶのに、懸命である。

 憲法9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権     の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決     する手段としては、永久にこれ放棄する。

    2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しな     い。国の交戦権は、これを認めない。

 これで、どうやって、戦争をしようというのか。この条文を素直に読む限り、戦争をすることは、不可能である。押し付けられたものであっても、いまや、たからものである。

 これを、あなどって、エラソウニしてくる品の悪い国があろうとも、怒って戦争するわけにはいかない、のである。戦争以外のほかの手段で、対抗するしかない。しかし、それでいいではないか。人をアヤメタリすることは、絶対ないのであるから。悪いやつらと、対抗するのに、武力でというのは、拙劣である。

 集団的自衛権なる言葉を持ち出して、「研究する」という。これで、様子をみている。アドバルーンである。国民がどう反応するかを、みている。しかし、やる気はマンマンである。どうしても、他国と同じ、普通の国になりたい、あなどられのは、耐え難いのである。本当の世界平和を目指すというのではない。いま、日本は世界の平和のリーダーになりうるにもかかわらず、その意思がない。屈辱と思っているフシもある。

 宇宙船地球号の一員として、言うならば、この憲法、共生のためには、当たり前の話、常識ではないですか。

やることやってダイエット順調。

2007年04月25日 08時14分56秒 | 思考試行
 今朝、計量すると、80.0kg あと5kg の減量目標にむけて、順調である。ここのところなかった数値である。禁酒、間食なし、足ふみ100回、森光子さん式スクワット100回、テレビでやっていた、ベロ出し運動、ゴキゴキ首回し体操(ただ首を回すだけだが、必ずゴキゴキいうので、こう言う。)を朝晩、思いついたとき、にやる。

 やはり、やればそれなりに効果はあるもので、その意味で、計量は欠かせない。
自分とのタタカイではあるが、自分の体のためであるので、この自分のラクをしようとする意思というのは、いったい、ナニモノという感じがある。

 意思といえば、健康ばかりではなく、政治の世界も同様で、やる気があれば、やれるはずだが、ヘンナ力学がはたらいている。アメリカの社会は、目茶苦茶な格差があって、銃規制がなくて、よその国へ行って、大混乱を引き起こして、いったいどこへ行くのだろう。自由?そうしなけば得られないわけではない。ほかのヤリカタもあるだろう。

 戦争をしない、というのが、本当の気持ちならば、そうしないと宣言して、実行する、日本の憲法はそれをきちんといっている。戦争はできない、としている。したがる連中は、それを、外したくてしょうがない、アメリカの圧力もかかっているのだろう。ニコニコ中国の気持ち悪さ、みんな結構品が悪い。憲法9条をもっている日本は、ヒトサマの品の悪さを、指摘できる位置にある。宇宙船地球号の一員として、説教できる国ではないか。国益ばかり、言っていると、なさけない、だけでなく、人類の破滅だって、起こりかねない。多様性をみとめあい、共生していくために、真剣に対処しなければならない。

 拉致問題は、本当に試金石となっている。人権、本当に考えているのか、その姿勢が問われている。すぐによそ事になる。いつまで、放置しておくのか、品が悪い話である。これも、意思の話である。やる気をだして、努力しようではないか。

 わずか、1.4kgのダイエット実現で、やる気の必要性を強調できる、のは、実績のなせるワザということで、自信に満ち溢れてくる。ナセバナルである。

メランさよなら。

2007年04月24日 12時28分11秒 | 思考試行
 昨日、永年庭に住みついていた猫が生涯を終えた。表情がメランコリックなネコだったので、メランという名前をつけた。子供をたくさん生み、自分の子供以外も育てている。食欲旺盛な、元気なネコであった。

 環境局に電話する。「半ノラなんですが・・・」というと、「エサをあげておられましたか。」「ええそうしていました。」「それなら、飼い猫ということでいいですか。」・・・「それで、結構です。」といった途端に、ググットこみあげてきた。声がふるえてしまう。係りの人の、問いに、不意をツカレタ感じと、半ノラといったことの、反省みたいな気持ちと、イッペンにきたような、気がする。

 今日、ひきとられていった。さっきは、妻が箱ごと、庭にむかって、「オワカレヤデ・・・」とやっていた。

 
 

増えたけれども、またやるぞ。

2007年04月23日 11時24分15秒 | 思考試行
 昨日の、難波パークス探検の「成果」は、直ちに体重増加という結果と相成った。今朝の計量、81.4kg 体脂肪27 である。ハーゲンダッツの、890円なりだったか、豪華なアイスクリームを食し、昼食は豚トロのなんとか定食で、その効果は、バツグンであった。今日から、こころを入れ替えて、努力を続けたい。

 しかし、「SHIROH」を見られたことは、しばらく、効果があると思う。エネルギーをもらったこともあるが、人生観の深いところにタッチされたような気になれたことが、小生にとって、得がたい経験であった。負けてはいられない、の気持ちやいつの間にか、ステレオタイプ的な見方になっていたかもしれない、とか、多くの刺激をもらった。

 休みの日は、何にもしないで、というのではなく、なんらかの行動を起こすことが、大事かもしれない。前向きに、生きていく。その中に新しい発見、生きがいが見出せる機会となるかもしれない。人間は、動物である。動かないといけない。

難波パークス探検・・・「SHIROH」にまいった。

2007年04月22日 14時59分21秒 | 思考試行
 日曜日とあって、パークスの賑わいは相当なものである。シネコンもあり、「SHIROH]をみる。ゲキシネといわれる分野の映画で、舞台と映像をくみあわせたもの。

 前半は、マンガちっくな感じもあり、軽く、みていたのであるが、後半に入ったあたりから、出演者の熱に、すっかり、はまり込み、止めどなく涙が溢れてくる。横の妻の様子をみる余裕もなく、案外平気ではないだろうか、などと、チラット思ったけれども、本当に困るぐらいの感動を与えられた。

 以前にも書いたが、探偵ナイトスクープで、西田敏行氏の涙モロサが、よく登場するが、小生も負けず劣らず、涙もろくなっているのか、西田氏が泣く際は、必ずこちらも、キテイルといった具合ではあったが、「SHIROH]の場合は、半端ではなく、ラストに余裕がなければ、どうしょうと思ったぐらいである。

 最後の、挨拶など、ながれていたので、救われた。涙の、乾くヒマは、与えてもらいたいものである。

 それにしても、映画館の設備のよくなっていること、同時に、映画の中味も、素晴らしく進歩している。やはり、人間というのは、進歩しているのだ、ということを実感させてくれた。本当に有難う。

 芸術分野、俳優の方が、しごとに取り組む原点をみせてもらった気がする。かれらはこの瞬間のために、生きている。そこに、生きがいがある。それを、堪能させてもらった。

 みんな、すばらしかったが、とりわけ、秋山菜津子さんの、最後の涙ひとすじ、には、本当にまいった。ボロボロのキッカケになったような気がする。小生は、始めて拝見した女優さんであるが、いろんな、他の作品もみたいものだと思った。すっかりファンになってしまった。首筋に、なにか貼りグスリらしきものをみた。ご苦労されている、と瞬時に思った。

目標75kgにむけて。・・・1

2007年04月22日 07時44分58秒 | 思考試行
 あれだけ、意識的に動き、食べることも注意してきたにも関わらず、夜の計測では、なんと、81.8kg、体脂肪23、であった。0.2kg増加である。

 思えば、終日在宅していて、大した運動量はないのだろう。入浴前に計ったので、入浴後も念のため計ってみると、81.6kg,体脂肪22となった。スタートよりも体脂肪マイナス1となり、成果がでた!ことになる。

 入浴の発汗だけで、0.2kg変化し、体脂肪も減る。やればできる、かすかな、手ごたえ。

 起床後、さっき実は、風呂場で計ってきた。80.6kg、体脂肪28 である。「大」はまだだし、減る余地は残してある。

 わずか一晩で、80kgをきる可能性が生まれてきたことを、成果として、今後のエネルギーとする。

この計るという行為が、ダイエットには必須であるといえる。「実際を知る」ということが、単に知っているだけに終わらない要素がある。

 目標に向けての、大きなエネルギー源と成るのである。

    *  *  *

 ついで、書類整理にかかっている。収納のコンサルで、家を新築した主婦がテレビに登場しているが、空間の価値は、解る。昨日一日、片付けをしていたようなもので、埋もれていたものがでてきたり、選択の基準が、明確になってくるなどの感覚が、経験できた。時系列での、価値観構成の過程が見えてくる。

 


今晩の計測はいかに。

2007年04月21日 11時52分39秒 | 思考試行
 早速、昨日から、ダイエットを開始することになり、体を動かすこと、とりあえず家事に挑戦することにした。

 洗濯機の使い方を教わり、といっても、全自動だから、スイッチをいれるだけではあるが、操作方法を学ぶということで、早速開始した。

 洗濯物を集め、洗濯機にいれ、洗剤をいれ、スイッチをいれて、すでに、洗い終わっていたものを干しにかかる。ガチャガチャになっている、洗濯物を解きほぐし、整理して、針金ハンガーにかけて、当家、「屋内物干し場」にかけていく。

 これだけでも、結構な運動量である。

 夕食は、野菜中心となり、油控えめというか、使わなかったらしい。今日から、なんと禁酒である。さらに、10時ごろの、いつものお茶の時間もなし。今晩の計測が楽しみである。

 今日土曜日は、朝から、長年の仕事のカスというか、不要な書類を、整理にかかる。よくぞためてきたものである。いっぷくの今、このブログを書いている。


 管氏と安部総理の、国会でのヤリトリをきいていたが、二人とも憲法を変えるつもりなのか、と思えば、茶番にみえる。平和について、鈍感すぎる。

75kgを目指して。

2007年04月20日 22時51分08秒 | 思考試行
 父の退院後、初の定期健診、車で出かけるが、道中お客のところに立ち寄り仕事をすませる。急ぎ足で歩いたものだから、ちょっとした、ダメージを感じた。

 妻にはなすと、想像以上の反応。強烈なるグジグジ攻撃にさらされることとなった。結局、禁酒態勢をひき、体重減少を目指して、スタートすることとなった。

 意識的に、動くようにする。風呂からあがって計ると、81.6kg,体脂肪23、であった。目標は75kgである。

 これから、仕事、やること、についても、かなり意識的でありたいと思っている。

 それにしても、言葉というのは、人生を変える。

頼りにされて頼りにしている。

2007年04月19日 08時15分39秒 | 思考試行
 新緑が素晴らしい。昨日は、急に鼻炎勃発し、結局終日在宅して、今後の事務処理に思いをめぐらし、夕方になってようやく、ビジネスレターを一本書き上げただけであった。妻は友人と会うため、外出。

 長崎県知事が撃たれ、利権を求めるヤクザの卑劣さが、また、明らかとなった。終日、この報道がなされていた。生駒市では、前市長時代のことで、不動産売買をめぐって、不当に高い価格で、市側が購入していることが解り問題となっている。

 権力、利権に近い人々の、道徳観は、大きな影響を与える。伊藤知事の平和への祈念の強さ、立派な知事でおられたのだな、ということを知った。共産党の候補が立候補していることも知った。行政のすべてに亘って同意見でなくても、大筋の大事なところで、一致してやれるのであれば、対立候補を立てる必要があるのだろうかと思った。詳細は知らないので、あたっていることかどうかは解らないが、単なる疑問として、言ってみたい。

 権力、利権に程遠く、比較的には、平和で安穏に暮らせているといえる小生の立場からは、あまり、外の激しい世界に関わりたくないという心理が、根深くあって、いわゆる小市民的感覚にドップリつかっている、ことを思い知らされる。外との交流は、仕事を通じて辛うじて、皆さんの援助を受けて、社会生活をおくれている。いわば、寄生虫的である。都市部に住む、おおかたの人は、第一次生産に関わることが少ないから、本質的にそういう感じになりがちで、そういう意味では、常に不健全な気分でいるのかもしれない。

 庭のわずかな緑から、自然の息吹をかんじているのだが、里山の小さな畑で、少しの作物を作って暮らせたら、素晴らしいかもしれない。

 そのためには、平和でなければならない。戦争などマッピラゴメンである。しかし、座していたのでは、平和はかちとれない、といいつつ、結局は、すわりこんでいる。しかし、これが自分の一番性にあっているということかもしれない。ツマラン人間ということか。しかし、何人かの家族は、明らかに頼りにしてくれている。これは、本当に有難いことである。こちらが、実は頼りにしているのである。

行動・・・浮気考

2007年04月18日 07時54分14秒 | 思考試行
 あらゆる可能性を考慮して、行動の実行を決める、ということになれば、それは、結局行動の時期を逸し、何も考えなかったのと同じことである。考えただけでは、ダメということになる。行動力があるとは、必ずある思いがあって、その思いの持つ力に支えられて、実行ということになるのだろう。

 仕事であるとか、その他、真面目なことに関してだけではなく、道徳的に問題とされる行動であっても、それはいえる。頭でいくら不道徳なことを考えていたとしても、実行に移さなければ、もめることはない。なにを考えているかも含めて、「審査」の対象とするならば、息が詰まる、ということになる。

 ラジオで、噺家が、自分は浮気もしてきたが、妻が一番という話をしていた。浮気相手の空気と、妻の空気では、妻の空気が自分にあっている、のだという話である。

 しかし、いつも一緒がいいというのではなく、たまに、仕事、用事で別行動になる、それも、いいというのである。彼は、正直に話しているのだろう。若干の計算もあるかもしれない。

 単なるネタとして、差しさわりのない、自分の家庭のことを話しているだけかもしれない。夫人の側からみれば、気持ちのいい話ではないだろう。夫が、浮気話を公共の電波媒体でながしているのだから、普通ならば、離婚理由になるだろう。

 芸能人だから、特別なのか、芸能人はみんなそうなのか、といえば、勿論そんなことはない。浮気はしない、という人もいるだろう。一般人であっても、両方いるのは、当然だろう。しかし、アケスケに、そんな話ができるのは、芸能人であっても少ないように思う。浮気は、あるいは、本質的に、常識的なことかもしれない。

 人間として、生理的にみると、特に、男性の場合、恐らく、そういうチャンスがあれば、余程の価値意識がない限り、結婚していても、浮気はしてしまうものではないだろうか。仕組まれて、あるいは偶然であっても、状況が整えられ、秘密が保てる、ということになれば、実行に移されることは、ほぼ確実ではないかと思われる。

 禁欲的であることは、どこか自然ではない、感じがする。自然に任せていいということになると、今の常識というのは、ほとんど覆されることになるだろう。

 人により、その衝動の濃淡、強さは違いがあろうが、青春時代のその強さには、当惑した、という思いのある人は多いのではないだろうか。それは、まさに人類の種の保存という意味からも、必然的なものであって、そうでなければ、絶滅ということになってしまう。

 種の保存が、メインになるのならば、もっと自由な性道徳の考え方が、常識であれば、いいように思うけれども、すめば都で、あまり、自由であれば、ただでさえ住みにくい世の中、もっと難しくなるような気もする。もっとも、これは、我々周辺の狭い範囲でのみ、通用している常識であって、地球上では、もっとユニークな制度もあるので、秩序というのも多様性があるということである。

闘いか平和か。

2007年04月17日 06時38分58秒 | 思考試行
 仕組みとして、人が人を利用し、その成果を不公平な形で分配するとなると、頭で考えてイイワケはない。

 ただ乗りの人は、いないと思っていたが、そんなことはなく、人の好意を利用という形で受け取り、平気の平左という人もいることは事実であって、個別の自由意志だけでは、うまくいきそうにもない。そういう連中と付き合うとなれば、結構タイヘンで、疲れる。ある程度覚悟はしていたものの、まったく違う価値観に遭遇すると、やりきれない、空しさに襲われる。

 そうした時、努力した人が、正当に評価をされ、報酬も受けるということは、あながち悪いこととは思えない。人がそのもてる能力を発揮し、見えざる手でもって、報酬を受ける仕組みは、何らかの調整を加えることによって、うまく機能しているようにみえる。

 人為的にやるとなると、失敗する。しからば、共産党は、政権をとりうるのか。人類の成り立ちとして、そんな高尚な域に達することは可能なのか。北朝鮮は、まったく失望させてくれる。明らかに、管理され、統制されることの、まずさが、全面にでてきている。しかし、筆者も、相当昔には、あのマスゲームに魅力を感じたこともあった。いまは、生理的に受け付けない。マスゲームをしない、もっと高度のシステムでなければならない。

 資本主義の、不具合さは、圧倒的な偏りを生ずることである。調整して、分配をうまくやるならば、現況の人間にとっては、それが、一番あっているのかもしれない。しかし、高次の人間観を標榜するならば、それでいいのか、ということになるのも、自然の流れである。

 最低限、日々の日常生活がおくれて、なんらかの生きがいをもてる、というのは、相対的な順位であるとか、生活水準の優劣を競うことにだけ、生きがいがあるのではないことを立証している。もっと、平和で、おたがいが、助け合って、と考えても、不思議ではない。競争し闘いあわなければ、生きがいをかんじられない、という、動物的な心の奥底にある、うごめきを無視するのか、それとも、その存在を認めて、仕組みが構成されているのか、ということである。

 結局は、両者の価値観の混在を、きちんと認めて、両者がそれぞれ、生き延びることができるようにすることが、当面とりうる選択ということになるのではないか。どちらかにかたよるのではなく、時に応じ、バランスをもって、相反する価値観が、拮抗するなかで、世の中の進歩がなしとげられる、といった風景を描いてみている。