空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

社会保険事務所、よくなってきた。

2007年01月31日 09時44分27秒 | 思考試行
 社会保険事務所の対応が素晴らしく良くなってきた。不祥事件が続いて、今や、組織変更、解体がいわれているが、具体的に、来訪者のことを、真剣に考え始めていることが良くわかる。たとえば、窓口が今までであれば、バラバラで、1階だったり、2階だったり、事務所により、場所がちがうから、所用のぶしょが、どこかをいちいち聞く必要があったが、今は、すべての窓口を1階に集めて、分かりやすくしているし、応対も以前とはまるで違う。「やる気を出せば変わる。」の好例である。
 すべての公的部門で、そうあって欲しいし、公的部門にかかわらず、すべてのところで、「改善」を心がけることの重要性を教えてくれている。社会保険庁の組織は、おそらく解体されるであろうが、解体前の今の努力は、個々の職員の財産となるのは、間違いないし、それに、ふれた人々にも、すばらしい影響を与えているにちがいない。反省点を明らかにし、努力する、社会保険事務所。最後の最後まで、がんばってほしいと思う。

あやまる

2007年01月30日 09時19分01秒 | 思考試行
 日々の生活のうちに、徐々にすべてが変わる。突然かわることもある。柳沢大臣は、カシコイ人だと思っていたが、あれほど明確に謝れるということは、本当にカシコイことが分かる。謝ることは、難しい。素直を意味する。といいたいところだが、考え方のことだから、その発言の背景、価値観、弱者に対する考え方など、詳細にきけば、彼のまさに、生い立ちと深く関係があって、とても一言ではすまない話である。ホンネのところでの、話であるから、大騒ぎとなる。騒ぎとなること自体、それは、健全なことである。みんな健全となれば、政党もいらないし、意見の違いは多少あろうともたいした影響はない。ところが、実は、戦争ともなれば、司馬さんが、兵隊時代にきいた話として、狭い道を避難してくる大勢の民衆がいる場合、戦地へ向かう戦車隊は、どう進めばよいか、と上官に尋ねたところ、即座に「ひき殺していく。」と答えたという。似たような考え方は、組織をたばね、何事かをなしたいとする人々に共通する考え方である。どこかで、線引きしなければ、コトは進まない、と思っている。線引きは、やむをえず、やっていることであって、必要悪だ、位のコトであろう。しかし、それは、まだ、原始時代の考え方である。根源的な哲学不在の証拠であろう。ここにも、課題がある。どうするか。ブルーテントが、長年放置されている。自殺者が、年間3万人もいる。悲惨な事件が続発している。贅沢三昧の富裕層、広げようとしない視野、凝り固まってツブレテイク人々、カルト教団の洗脳政策。肝心なところをヌカシタ状態ではないか。なにか忘れている。変だと思うココロ。宇宙船地球号の一員としては、些かコマカイことを言うようだが、乗り組み員のマナーが充分できていない、というしかない。

政治家のみなさんのブログをもっと

2007年01月29日 08時27分44秒 | 思考試行
 ブログをはじめて、55日経った。毎日更新して、きたけれども、このやる気の源泉は明らかにアクセス数であったり、pv数であった。別に義務ではないのだから、いつやめてもいいわけだし、ビジネスにしているわけではない。ただ、普通の市民として、ヘンナ方向であったり、おかしいと思うところの意見発表ができるところに、私は、魅力を感じる。そして、必ずみてくれている人がいるというヨロコビを知ってしまった、ということができる。
 ふしぎに思うのは、政治家の人々があまり、このツールを使っていないことだ。真剣に、政治を考えるのであれば、ブログのツールを使わないというのは、考えられないほど、怠惰である、と思う。それは、私自身が、始めてこのツールの意味を知ったのは、最近のことであるけれども、主張を伝えたり、呼びかけたりするのにこんなに強力なツールを、使わずにいるということは、その姿勢を問われなければならないと思うぐらいになった。やる気を疑うものである。
 本当かどうかは、知る由もないが、ブログには、かなり大胆な、報道等では出てこない情報も多く流れている。これは、まことに健全であると思う。マスコミの取材力、政治的思惑、役割が自ずと浮かび上がる。世間がマスコミの本質を見抜くことが、可能になってきたことを意味する。マスコミも世間を侮っていては、生き残れない。がんばってほしいものだ。

スピード制限ルールは変ではないか

2007年01月28日 08時07分55秒 | 思考試行
 宇宙船地球号の一員としては、些かコマカイことを言うようですが、あの阪神高速のスピード制限はナンダといいたい。全線どこでも、スピード違反で、あげられる状態で走行しなくてはならない。なるべくルールに従って、生きていきたいと思っている身としては、ストレスのかかることである。周りの連中は、ビュンビュンと走って行く。抜かれるのも、気持ちのいいものでもない。流れに沿ってというが、ルール違反をしなければ、流れにはのれないのである。
 安全の観点だけではないスピード制限ルールに、悪意のニオイをかぐことができる。この延長線上に、タテマエを武器に、真には人々のことを考えてはいない、連中の陰謀をみる。人の世界には、この構造が、不可欠なのだろうか。同じ人も、あるときは、良心的といえるのだが、なにかの拍子で、悪意の側にまわる。あたかも正常細胞が、ガン細胞に転化するように。ルールを決めるとき、彼らは、何を考え、検討したのだろうか。そのとき、ガン化していたのではないだろうか。真に、生きとし生けるもののために、考えてルールを作ってもらいたいものである。そして、再検討をしてもらいたいものである。

ゆめみ

2007年01月27日 09時00分02秒 | 思考試行
 高校時代の同級生が、昨日亡くなった、とメールがはいった。ほんの一週間まえには、体調不良で、同窓会には参加できないと、本人のメールがあったばかりである。人の命の定かでないことを、実感する。昨夜は、他にもいろいろあって、よく眠れず、ようやく寝付いた朝方、何度も食べ物の入った皿を取り落とし、床の割れた皿をかたずける夢をみていた最中に、ファックスで起こされた。潜在意識が働くのであろうか。喪失感がそういう夢をみさせたか。
 人生暗い方へ、目をむけると際限なく、暗く考えることが可能かもしれない。そうするのか、あるいは、その中に、光明を見出し、ジタバタすることなく、受け入れるべきは、受け入れ、諦めるところは、あきらめる。平常心で、すごしたいものだが、なんともいえぬ、不安感のようなものがあることは否めない。それも、受け入れつつ、前向きにいこう。戻ることはできないのだから。
 
 

どう生きる(2)

2007年01月25日 16時44分20秒 | 思考試行
 死ぬまで生きるほかなく、それも、大金持ちにならなければならないというわけでもないし、そこそこ、元気で、自己実現を目指して、人の役にも少しでいいから、立とうとする、そのような心持でいけば、そう大きく間違えることはないのではないかと思う。バカにされたり、コケにされたり、いいではないか。自分が自分を冷静に判断できれば、そんなことに一喜一憂しないはずである。
 われがワレガ、というのは、一時期たしかに、有効な動力源となるのであるが、いつまでも続けていると、品がない。
 今朝、ラジオで、小沢昭一さんが、出演していた。実にすばらしい。心のこもった、歌を聴いていると、本当に気持ちがよくなる。いつか、あんな風に、歌が歌えたらいいなあと、感じ入りました。
 CMで登場するコウダクミさんのアンヨもすてがたい魅力があるが、残念ながら若者達のモノだろう。枯れきっていないだけにアワレではあるが、片思い的に、いいなあと思えることは、案外、生理的にはいいのかもしれない。
 とまれ、人生苦しむばかりではつらい。楽しむことにも目をむけよう。
 

平和・・・憲法9条

2007年01月24日 17時02分14秒 | 思考試行
 「手放せないもの」を、チョット拡張解釈して考えると、平和だと思う。いつでも戦争可能にしょうとする人々が、明らかになってきた。油断をすれば、この方向が止められなくなる。政治を志している人は、国益であるとか、国のメンツにこだわる人が多いのではないか。日々生活する人々にとっては、本当に生活が大事である。それと、世界平和は、つながる話である。政治家は、地球全体を考える立場から、政治に携わってほしいと思う。

いつまで続く談合

2007年01月24日 10時42分18秒 | 思考試行
 談合は、公共事業の予算の範囲内で、できる限り多くの金額を業界として、獲得したいということと、「無用」な競争を避けたいとする、いわば、当然過ぎる動機に基づくものだろう。
 どこで、露見するかといえば、そのサークルから外されたものか、正義感の勝った人なのか、あるいは、業界に入り込もうとする、外国資本の動きなのか、いずれにしても、公正な競争にもとずいて、運営が可能であれば、そのほうが良いのは、間違いないだろう。談合がいっさいできない仕組みは、工夫をすれば、可能だろうが、そうしないのは、理由があるのだろうが、いつまで、こんなことを続けるつもりなのか。
 建前のウラにホンネの世界があって、陰謀渦巻く人間世界であるから、さまざまな力学がはたらく。本当に幸せとは、身近にあるもので、人をけとばしたり、なかせて得られるものではない、と思うのだけれど、そうもいかないのであろうか。
 とりわけ、本能むき出しで、たたかわなければ、生きてはいけない場面は、いままで、くりかえしあったわけで、今もあるのであって、こんなことをいっているのは、「平和ボケ」の一種なのかもしれない。でも、ボケでいいではないか、なんとか、食っていければいいではないか。といいつつ、油断しているとそれもアヤウイ。
 

どう生きる

2007年01月23日 08時56分05秒 | 思考試行
 人生が変わる。あるできごとを契機として、平穏だった生活が一変するのだから、いいも悪いも緊張するわけだ。大學進学、就職、交友の始まり、等々契機となりうることが、春に向けて増える。
 若い人を中心に、この動きが展開されるのだが、筆者の場合、ロートルの気分を払拭するためにも、放送大学にふれた事は、正解だったと思う。気持ちにハリがでたし、新しいことを学ぶことは、ほかの生活全般に亘って、影響がある。 創造的な気分も生ずる。人間なにかしら、広い意味で、作るということを、本能的に求めているのかもしれない。人間生きるということは、常になにかを作り続けること、なのかも知れない。それが、意識的であり、いい方向にむかって、やりがい、生きがいに通ずると、「いい仕事」につながるのではないだろうか。
 郵政民営化の、本当の狙いが、徐々に姿を現してきた。コイヅミさんの仕事は、なんだったんだろうか。過去のイイブンとの比較をわすれてはならない。
 軍隊ではない、といって発足した、自衛隊は、いつのまにか軍隊になっている。
 自由な言動を抑える法案も、準備している。国家意識を育てようと、教育基本法も変えた。憲法も変えたい。セクトにこだわるこうした仕事は、多くの人間に影響を与えずにはおかない。よく観ておかなくてならない。

前を向いて

2007年01月22日 08時38分00秒 | 思考試行
 過去をふりかえり、先に生かす、という作業は、人生のどこかのポイントでやるべきなのであろう、と思う。
 小生にとって、同窓会は、その契機となっている。生き様を反省し、注意すべき点を明らかにする機会である。迷惑をかけてきたこと、謝罪をおこなっていないこと、さまざまの、問題点を思いだす。
 先に生かす、しかないので、反省しつつ、前を向いていこう。 

わらう すんだ イナル

2007年01月21日 08時47分06秒 | 思考試行
 独楽がまわっている、その状態をあらわす言葉であると、同窓会のスピーチで教わった。「わらう」というのは、安定しないで、ワラワラになっている状況をしめしている。「すんだ」というのは、すっかり安定して、止まったような状態をさす。イナルは、筆者が子供時代によく聞いた言葉で、すんだに近いと思うが、鉄でできた「バイ」とよばれるこまをとりあう遊びで、「バイ」が、戦闘状態に入り、シートの上を、相手のバイにむかって、低く、安定化した状態になると、「イナッタ、イナッタ」と連呼するのである。バイは、学校で禁じられていたので、イイコの筆者は、やったことがなかったが、みんなの興奮ぶりは、よく覚えている。
 まわし始めはどうしても、ワラワラしがちで、安定化すると長くまわることができる。人生にもつながる言葉のように思える。
 とまれ、同窓の連中の近況をきいていると、健康問題から、気の持ち方、生活のこと、趣味のこと、などなど興味深く、参考になり、まことに楽しいものである。
 そうして、自身のワラワラぶり、に気付く貴重な機会を与えてくれるのである。

カッコヨサ

2007年01月20日 08時05分19秒 | 思考試行
 昔、演劇を鑑賞する団体の合評会にでたことがあった。戦争反対勢力の主人公と、戦争推進派の対決がテーマとなっている。
 題名が「美しい人」だったと記憶している。主人公は、時代の波のなかで翻弄され、さまざまに悩み、苦しむ。その上で、クライマックスの対決の場面へと展開するというあらすじであった。
 その合評会では、演出家も出席していて、作品のねらい、意図などもきくことができ、楽しい会であったのだが、題名の「美しい人」というのは、悩める主人公であるのは、当然の共通認識とおもっていたのだが、ここで、爆弾発言がでた。
 それは、推進派の人のことではないか、というのである。演劇を見た感想として、正直に言っているので、演出家は、そう思われたとしたら、失敗です。と苦笑していた。いわれてみると、なるほど、主人公は、悩み苦しみ、ようやく対決に臨むのに対し、推進派は、悩みなくタンタンと、自らの信念のままに行動し続けており、それこそブレルことなく、行動しているのであるから、ウジウジと、迷い苦しむ主人公は、かっこ悪いというわけだ。
 このかっこよさが、実は、問題で、ブレナイ、悩まない、確信にみちている、というのは、非常に危険で、それを演出意図にしたんだ、とでも言ってくれたらよかったのだが、そういう言い方を演出家はしなかったので、作品の弱点の一つとなってしまった。
 しかし、今にして思えば、作品の意図は、主人公の確信にいたる道程を、描いているので、その深さの度合いであったり、考え方の中身の問題であったのだが、カッコヨサには、さまざまな価値観が交錯するので、思いがけない伏兵に驚いたという感じであった。
 宇宙船地球号の一員としては、見かけのカッコヨサで、惑わされることのないように願うばかりである。

考えること・・・確かめること・・・一歩一歩

2007年01月19日 08時44分10秒 | 思考試行
 誰かの知識、知恵、そうしたものを理解し、自分のものとし、何かを創造しえたとしたら、それは、素晴らしい。単に、理解するだけでも容易ではなく、専門分野に限っても、完全に把握、理解することは困難である。しかし、人間の数は、多くて、どこの隙間にも、入り込んでいく。誘われて、自ら、偶然、原因はさまざまであっても、ひとたび何事かをはじめたとなれば、原因はあまり意味をもたない。
 その人の環境により、また、資質にもよる場合もあるだろう。振り返って、自ら悔いがない、という人生でありたいものである。
 しかし、ただ生きる、それだけで、意味があると思う。迷惑をかけているけれども、必ず何かの役に立っているのである。主体的には、人生すてたものではない。と思えたら合格ではないだろうか。
 時々、高校数学にリベンジしているので、たまに、教科書を開いたりしている。そのせいか、風呂の中で、必要条件、十分条件ということがヒョイとうかんできた。考えていると、意味がわかったつもりとなった。文章を追いかけていたときも、わかったつもり、ではあったが、「そこから、目を離して、自分の頭で考えてみる」作業の重要性に、気付いた。そこで、風呂からあがって、本を開いてみると、なんと、必要条件と十分条件の意味を、逆に考えていたことが判明した。言葉の意味が、じゅうぶんとりきれていないのである。まことに、「日暮れて道遠し」の感ではあるが、一歩一歩進むほかない。

気をつけよう

2007年01月18日 09時00分02秒 | 思考試行
 済んだことには
 用がない
 前を向いて
 行くだけだ

 正月早々に、顧客を訪問しての帰途、道路沿いの事務所扉のガラス窓に張られてあった。おそらくカレンダーの裏を利用したと思われる紙を使っている。自前の字で、年頭所感として、いいなあ、と思いつつ車窓から眺めていた。
 ところで、昨日、年頭の墓参りを妻と車で出かけた際、小雨ふるなか、線香にようやく火をつけ、花をいけ、早々に戻ると、(10分もかかっていないと思う。)車がない。いつもお盆とか、年末には、墓場の横のその道路は、数珠つなぎに車をとめているところで、その道路の前は、小さな児童公園となっており、通行に支障がある場所ではない。我々が、行ったのは、もう、松飾もとれたあとだから、15日くらいに墓参された感じの、墓はアチコチあったけれども、当日は、誰もいなかった。 レッカー車を使うには、格好の場所ではある。
 今、そこのカドを回っていったトコですよ。近所の主婦が、なにやら、ウレシソウニみえる笑顔で、教えてくれる。3万円はイルヨ。ハラタツデショウ。そのあとは、自分の息子もヤラレタと話す。セヤケド、ゴセンゾサマが大きな事故のかわりに、してくれたのかもと、慰めをいってくれた。
 駐車違反の趣旨からいけば、少々取り締まる場所としては、適当でないのは明らかであるが、駐車可とすれば、近所のマイカーが駐車場にするだろうから、駐車禁止の標識をつけるほかなく、墓参のラッシュ時は、特に取り締まりはしないから、ここが、駐車禁止であるとの認識はまったくなかった。盲点をつかれた感じであった。これで、ゴールド免許は、2年後の更新時に消える。警察官の対応は、外見的には、これ以上ないほどの、丁寧さである。後ろめたいとオモッテイルようなフゼイをずっととっている。受付の警察官も、路上にはられた周知ステッカーをもっている小生に満面のエミで、交通指導課の場所を、「オソレイリマスガ、そこの階段を2階へ・・・」と教えてくれる。ヤリスギヤロ!
 免許期間は、更新時これから、なにもなければ、5年となりますから・・・という。保険のことを考えると、短いほうがよいのだけれど・・・このようにして、先のコトが、決まっていく。一瞬のデキゴトで、ある。
 冒頭のヒョウゴでは、あっさりと過去を切り捨てるが、将来をこのようにきめてしまうこともあるので、キッチリここから教訓として、前に活かしていかなくてはならないと思う。
 ルールは一人歩きする。その他の法案の行方など、目をむいて、よーく考えよう。ヘンナ議員を作ってはいけない。息苦しい宇宙船地球号にしてはならない。

ごった煮の「たからもの」

2007年01月17日 08時29分11秒 | 思考試行
 文藝春秋2月号に栗林中将の最後について、掲載されている。映画もみた。どういう力学が働くのだろうか。いろんな説が入り乱れ、証言もクルクルかわったりする。同一人が、そういうことをする。勘違い、自己正当化、本人にもわからないかもしれない。事実は一つしかなくても、これを、めぐる思惑というのは、さまざまにあって、真相は不明となる。しかし、丹念に取材をしてあるから、作者が断定していなくとも、うかびあがってくる「真実」は、こちらへ、せまってくる。
 同誌には、格差社会についても、取り上げられている。問題点を鋭く暴く記事、経団連トップの、見解も同時に掲載されている。
 発刊85周年になるということであるが、こういう雑誌が存在していることは、本当にすばらしいことだと思う。成年の半数の人が、読んでほしい、と思う。投票行動にも、影響するだろうし、なにより、良識を育てる栄養素が満載されている。しかし、なかには、毒素もあり、取捨選択するのは、読者の楽しみであり、たたかいでもある。宇宙船地球号の「たからもの」である。