coconut moon

ぐうたら母のぼやき日記

沈黙は金

2006-07-17 21:23:16 | 雑感
       
やっぱ、梅雨明けしていなかったね~
月曜日は、都心のオフィス街に行く日なんだけど、さすがオフィス街、日曜祭日はあいていない
仕方ないので、今日は、愛車の流星号で、近所の店舗へ!
結構、スゴイ降りだったので、帰ってきたときには、悲惨な有様でした。
今日は、一日、子供たちにパソを占拠されていたし、天気も悪いし、なんか、調子が出なかった
夏休みになったら、こんな感じで、毎日過ごすんだろうなあ・・

畠山容疑者「娘、橋から落とした」 殺人容疑で再逮捕へ (朝日新聞) - goo ニュース

これを聞いても、誰も驚かないとは思う。
やっと認めたか・・くらいの感じだろうね。
でも、橋から落としたにしては、頭蓋骨の骨折が死後のものだったり、疑問点はまだまだあるという。
最初は、
「石を拾って集めていた。」
とか、自分から話していたのが、一転、
「河原に落ちてるような石は集めていない。」
とか、
「水が怖いから、自分から河原には近づかない。」
とか、ころっと供述が変わったじゃない。
まあ、自分が殺したのは、自分が一番知ってるから、最初は疑われないように事故に思われるように、河原の石を拾って誤って落ちたように思わせたかったのが、警察が事故と断定してしまったあとに、犯罪被害者給付金の話を聞いて、一転、殺されたように(事件のように)したかったんじゃないの?って、私は思うんだけどね。
そのときには、自分が疑われるっていうことは、考えつかなかったのか、そのへんは非常に疑問だけどね。
投げ落としたとされてる橋での目撃情報は、以前からあったようだから、そのときに警察がちゃんと動いていれば、その後の殺人は起きなかったのかもしれないと思うと、やりきれない気持ちになる。

この、「自分が殺した」という報道を受けて、ここのところ、また、このニュースがワイドショーとかのトップを飾るようになってきたけど、見ていて、ものすごく疑問というか、腑に落ちない部分がある。
近所の人という方々が、口を揃えて、鈴香容疑者の虐待ぶりを語っている。
「ものすごく寒い日に、鈴香容疑者のところに男が来ると、家の外に出されていた。」
「夜中でも、外に出されていたときがあった。」
「ご飯を食べさせてもらっていないようだった。」
「気が狂ったように怒られているのを聞いた。」
もう、次から次から、湧いてくるようにいろいろ話している。
酷い母親である。
言うのは簡単であるし、事実、その通りだと思う。
でもね、それをじっと聞いてる、見てる、近所の人たちは、彩香ちゃんを家に入れてあげたり、ご飯を食べさせてあげたりしていたのだろうか?
児童相談所に通告したり、それこそ、警察に相談するような人がいれば、もう少し違った展開になったんじゃないのかな・・・
そんなことをすれば、鈴香容疑者から、嫌がらせをされたりしたかもしれない。
テレビで見てても、あの、マスコミに対する対応なんかを見ていると、あの調子で、家にねじこまれたらたまんない!というのはわからなくはない。
でもさあ、昔、よくいたような「お節介な近所のおじさん、おばさん」がいたならば、もしかしたら、こんな悲惨なことは起きなかったんじゃないのかなって気もしなくはないんだよね。

確かに、あの鈴香容疑者って人間は、トンデモナイし、今まで、有形無形に被害を受けていたかもしれない近所の人は、ここぞとばかりに言いたいのかもしれない。
でもさあ、実際問題、ああやって、知らぬ顔を決め込んでいたんだから、彩香ちゃんの死に対して全く無関係とは言えないんじゃないかなあ・・・
だから、その人たちが、一斉に鈴香容疑者を非難してるのを聞くのは、なんか違和感があるんだよね。
「自分が、もう少し、彩香ちゃんが虐待されているのを見て見ぬふりをしなければ・・・」
なんてことを言ってる人は、一人もいないんだよね。
誰が何を言っても、あの、畠山鈴香という女は、許されざる人間だと思うけど、その子供が酷い虐待をされているのを見て見ぬふりをしていた人間も、ちょっとは責任を感じて欲しいと思うのは私だけだろうか・・・
ここぞとばかり話すのではなく、口を閉ざして反省するという気持ちはないのだろうか。
もちろん、話す人がいることで、警察の捜査も進展するのだろうけど、あのワイドショーの取材で話している人たちは、そういった「責任のある証言」とも思えないんだよね。
「近所の人の話」を聞いていると、無性にイライラするcoconutなのであった。

それにしても、現実と空想の区別がつかない病気の一種なのかもしれないけど、早くちゃんと真実を語って欲しいと思っているcoconutである。