cheeze_art's blog

The life as the diehard

宗教観(独我論)

2009-06-27 10:16:32 | 虎落り言(Mogari-talk)
先日、知り合いがある宗教組織から、話を受けたと聞き及びました...。

私も学生時分は宗教に興味を抱き、と言っても新興宗教ではありませんが、
いろいろ書物を読み耽ったり、実際の講話を聞きに行ったりしましたが、
結局は矛盾に思うことがあったりして、どの宗教観念にも馴染めませんでした。

そうした中で、私が唯一深みに填って、傾倒した観念に儒教があります。
儒教は孔子を始祖とした思考・信仰体系で、論語にそれを知ることが出来ます。
その教えは戦前戦後を通じてあった日本の道徳教育に共通するものも多く、
良きに付け悪しきに付け、現在の私の精神構造の根幹基盤となっています。

結局のところ、宗教と付き合えるか否かは、その人の生き方や環境にもより、
最終的にそれを信じられ受け入れられる心が、自分自身の中に見いだせるか、
また心の感性が合うか、従える気持になれるかどうかだと思います。

どの宗教の教えにも心の拠り所とすること、信じる心根から生まれる優しさ、
信じる事で救われるもの、人の持つ心の中の見えない部分を補完し得ること、
そしてどの宗教も愛を基幹として、それぞれの観点から愛を説いていることです。

人生にあって、晴れの日もあれば、曇りの時、雨やもっと酷い嵐の日もあります。
その時々に際して、人は喜んだり、怒ったり、哀しんだり、そして楽しんだりします。

節目節目に起こったことに、どう対処して、どう処理するか、また引きずるのか、
個人それぞれの持って生まれたもので、それは少しずつ違ってくると思います。

私は幸か不幸か、若年の頃に思想と宗教観を知る機会に巡り会えました。
その上で選択肢と決定は自己に在り、自分の心のあり方を問うことも出来ました。

その人の人生が長くとも短くとも、日々平凡であっても波瀾万丈であっても、
良いと思える人生を送っているか、または結果として送ったと思えるのか、
それぞれの心の物差しと心のあり方で、自己評価するものだと思います。

      

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