cheeze_art's blog

The life as the diehard

安息日

2010-01-31 11:18:01 | 戯言記(miscellaneous thoughts)
雨の日曜日、一度起きて朝食を摂った後、再び休んでいます。

ある人に聞けば、最近頓に鼻風邪が流行っているとのこと、
年度末のこともあり、昨日も遅くまで仕事に追われ、
帰宅後、長風呂に浸かったことから、どうやら罹ったようです。

その症状は顔全面が火照ったようにあり、身体の芯から気怠く、
加えて、少し腰痛気味だったこともあり、ただ休んでいます。

雨の日曜日、今日はすべての行動を控えて部屋に籠もり、
体力回復のための安息日と心得て、ただただ寝ることとします。


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ドン・キホーテ的思考(Don Quixote)

2010-01-30 19:59:08 | 虎落り言(Mogari-talk)
マスコミやインターネット上で、見聞きして醜いと感じることに、
集団でもって個人攻撃したり、発言力ある者が理論武装して、
とことん追い詰め、潰しに掛かるような現象に行き当たります。

喩えは悪いですが、鶏小屋に新入り一羽投入した時のような、
お祭り騒ぎ、集団ヒステリック、弱き心が傲慢になる妄想形態、
やられる側より攻撃側に回り、居場所を求めようとする安堵感。

そうした場合、どうして一歩踏み込んだ考え方が出来ないのか、
クリエイティブな発想やプラス思考の提案がなされないのか、
また当事者と同目線で対峙してみたり、気遣いが出来ないのか、

気色張らない落ち着いた大人の姿勢で臨んでみても良いのでは、
そういう社会風潮や思想、モラルや道徳心が確立されたとき、
世の中がもう少しマイルドに、そして良い方向に向かうのでは...




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峠道をはむ

2010-01-29 22:17:20 | ふらり(Goes out)
ずっと山間の道を走り込んでいくと、ある地点で峠に差し掛かります。

以前ならそれは、ダラダラ曲がりくねった坂道を極めし所にあったのが、
近頃は至る所トンネルになり、峠を気付かない内、過ぎてしまってます。

ですから私はわざわざ旧道のしかも何とか通れるだろう道に分け入り、
見えない対向車と剥き出な山肌上部よりの落石に注意を払いながら、
草をはむ牛のごとく、そろりそろりと車を走らせるのです。

車のアクセルは踏めば踏み込むほど、当然スピードが増してゆきます。
そのスリルと爽快感は、人間の持つ能力を超えた何かに魅了されます。

スピードを維持する為に車の性能を高め、道を拡げ直線化してきました。
道幅は広く平坦となり、車は大きく重くなり、環境負荷を増大させました。

だから私は軽四より小さく感じる古い車で、わざわざ旧道に分け入ったり、
スピードを出さないで済む裏道を選んで走ったり、珠には立ち止まったり、
ある意味、人間の持つ能力の限界を追わない走り方を愉しんでいます。

...因みに当地には、ゆっくり動くことを「はむ」という方言があります。


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不自然な自然

2010-01-28 18:43:56 | あるがまま(Nature)
夜半、結構な量の雨が降り、それが午前に残った為、憂鬱な一日となりました。

冬の一日にしては、上着がいらない気温でしたが、
ちょっと梅雨時期のムシムシ感に似た、おかしな天候でした。

植物はある一定期間寒に充てないと、発芽や糖分蓄溜が促されなく、
だらだらとメリハリなき花を咲かせたり、活力のない生態となる様です。

2月に入り、ぐっと寒さが募る、そんな自然のあり方を望みたいものです。


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楤木(Aralia elata)

2010-01-27 17:05:22 | 百姓ごと(Agriculture)
裏庭に棘のない楤木を植えてから、もう早5~6年になる。

杏と柿の間から、枇杷の向こう、柾の中から、ニョキニョキ生えてます。
高いものは4メートルにもなり、はてどう採取したものかと悩んでいます。

毎年桜咲く頃、タラの先端に芽が出て、一番と二番芽を摘み取り、
天ぷらや白和えにしたりして、食することが春の楽しみとなっています。

今年もしっかりその芽が付いていたので、春を心待ちにしています。


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天空の回廊

2010-01-26 19:58:33 | ふらり(Goes out)
仕事の関係で、片道1時間ほどの工場へ行って来ました。

それはその工場検査システムに依存する実施項目なので、
山間部にあるその工場まで、愛車を駆って出掛けるのです。

市街地を抜け、川沿いの緩やかな山道を走り始めると、
天空の澄んだ青さ、山間の造形美、川の清らかな流れなど、
次々と変化に富んだ景色と、山の凛とした空気が流れ込み、
ストレスや煩雑な思考回路が解かれ、心穏やかになります。



愛車ワーゲンは、ポロポロと軽やかなエンジン音を響かせ、
トンネルを5つほど抜け、サードでもきつい坂を幾つも登り、
ブラインドカーブを慎重に回り込み、陰影をまだらに横切り、
いくつもの工事現場に出くわし、市街地へと降りてきました。


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ひやき一日

2010-01-25 17:35:44 | 戯言記(miscellaneous thoughts)
冬陽が射して暖かいと思いきや、さにあらず冷たい北風に晒された一日でした。

午前、会社関係者の御祖父の野辺送りの席に参列いたしました。
河川の傍にある祭場内から出て、底冷えのする川風の吹き抜ける中、
お見送りをした30分程だったでしょうか、身体は芯から冷え切っていました。

午後、職場の工程進捗を確認するため、暫く野外にありて見守り、
ここでもドライな冬の冷たさを、この身をもって体現することとなりました。

冬のカラリとした空の下、その冷たさは喩えようもなく、ひやいと感じました。



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海の県道まで

2010-01-24 17:32:07 | ふらり(Goes out)
昨日に引き続き、旧式スクーターの整備を午前一杯行い、
午後から少し着込み、30㎞ほど海沿いの道を走ってきました。

自宅から一度峠を経て南下後、太平洋沿いの海道に出ました。

途中新港の見える旧堤防で一休憩、次にコンクリート大橋を渡り、
次に県営渡船が繋ぐ海の県道で写真を撮り、友人宅に赴きました。



その後は友人と共に、桟橋辺りにある喫茶店まで出掛け、
暫し談義を愉しみ、やがて体が温まったところで帰路に就きました。





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スクーターの整備点検日

2010-01-23 16:25:23 |  Käfer&Bonneville&Vespa&S660&Monkey


比較的穏やかで、そしてのんびりした土曜日でした。

庭の日溜まりで、旧式スクーターの整備をしました。

ワイヤーケーブルなど各動作箇所へのグリスアップ。
ウィンカー、ヘッドランプ、ホーン、ブレーキランプなど
電気スイッチ箇所へ接点復活剤注入。

ギアオイルの交換。ボディ当たり傷へのタッチアップ、
アルミ部材のコンパウンド磨き、シートへの保護材塗布。

朝10時から夕方4時過ぎまで、メンテナンス三昧でした。

明日はこのスクーターで、一寸向こうまでお出かけです。

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推敲に時間を費やす国

2010-01-22 12:32:16 | 虎落り言(Mogari-talk)
近年の日本という国は、頭でっかちで虚弱体質に傾きつつあります。

一つの物作りをするにしても、まず寄って集って議論に議論を重ね、
次に調整役が乗り出し、それが纏まると、やっと計画に取り掛かる。

計画も一定の土台が出来ると、次は学者や有識者が議論を重ね、
過去の事例、理論的根拠、各々のメンツが合致するまで立ち止まる。

そして決まった計画に対し、予算を決まると、承認が得られるまで、
多くの検討書承認書を回し、朱印で各々の責任所在を明確にします。

紆余曲折した議案計画が発注され、やっと製造施工部門へ移ります。

然しそこに至って実際従事する者は、機械化されたこともあり少人数、
経営側、管理職、安全担当、下請介在業者など、取り巻き多数です。

では実際、物作りに必要な最小人数は、何人あればよいのでしょうか。
その品質にも依りますが、私は5~10%で十分達成できると考えます。

けんけんがくがくと、机上の理論若しくは空論をする先生や有識者達は、
まず身体で覚え知り、経験を積み、理屈が判った上で計画すべきです。

頭でっかちな国になってしまっては、まず国体の活性化が図れません。
そしてバイタリティなき国には、よい人材、よい環境が育まれません。

頭だけで物作りをする国には、新発想や健全な精神が次第に乏しくなり、
なにより心のない魂のない、上っ面だけの書式だけの物作りとなります。

重箱の隅をつつきあって、揚げ足をとったり、物申すばかりの体質では、
まず篤き魂は育ち難くなり、ちまちまとした烏合者達が集う国になります。



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