多言語コーディネーションが業務の中心です。
問題解決ガイドのひとりごと。



経営資源(ヒト、モノ、カネ、情報、時間)は有限なので、どこに、どれだけ、いつ、投入するかによって会社の経営が左右される事になります。

経営資源がどのように配分されているかを冷静に分析し、ムダと思われる配分に気が付いたら躊躇する事なく優先すべき先に資源を集中させるべきなのです。

こんな簡単な理屈が些細な事で実行できなければ経営者として失格。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昔むかし、私が勤めていた銀行には従業員労働組合というものが有りました。

銀行には支店がたくさん有りますので、本部はもちろんですが各支店にも労働組合の支部が作られていました。

昭和40~50年代ぐらいまでは、残業カットなどが普通に行われていましたし、今ではパワはらと言われるようなことも日常茶飯事でしたから、いわゆる労働環境という面では問題が多かったと思います。

そういった条件ですから労働組合の活動も活発で、特に活発にやっている行員の中にはいわゆる左翼系の人も多かった事を覚えています。

組合員は基本的には全員参加で、活動をするのは若者が中心になるのですが、普通の若い行員はノンポリ的な思考ですから関心も無く参加もしない。

そうすると組合支部は左翼系の人達が牛耳るという事が起こってしまいます。

それは支店の管理をしている層の人達にとってやりにくいという事で、ノンポリ的な行員の中から左翼系にも太刀打ちできそうな者を選んで積極的に組合活動に参加させるように仕向けていました。

そんな中に若い頃の私が入っていたのです。そういった経緯から組合活動を積極的にやったのですが、方向性が違うという事で超左翼系の連中ともやり合った経験もたくさんあります。

すべての経験が現在の私をつくっているとも言えるのですが、修羅場に強いのはその頃の経験の賜物かも知れません。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




中目黒のソメイヨシノは今ひとつですが、違う桜が満開です。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




時代の移り変わりとともに、それまでは存在しなければならなかった仕事が必要なくなってしまうという事が起こるのは必然だと頭の中では分かっています。

それは江戸から明治の時代にもあったでしょうし、大正、昭和そして戦後の激動の時にも、ものすごい変化の中でそういった事象が起こっていたはずです。

平成の時代を振り返ってみると、その変化の速度が速すぎるので対応する為には敏感な感性と相当な覚悟を持つ必要があると感じています。

企業という形を考えてみれば、起業するものがあれば倒産、閉鎖というものがあり、その中で新陳代謝がダイナミックに行われていくのだろうと思います。

この事を自分たちの会社という視点で考えると、極端に言えば毎日のように改革をしていかなければ生き残れないというぐらい深刻な問題になってきます。

会社は組織ですからいろいろな人が働いています。この一人一人の考え方にあまりにも配慮すれば変える事が不可能になり≒店じまいという結果が見えてきます。

強引にでもその変化を進めるが、変化にあくまでも抵抗する勢力があれば排除するという覚悟が経営者には求められているとつくづく感じます。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




2004年4月にアラヤを創業しましたので、2004年は思い出深い年になるのですが、いろいろな事がありました。

会社の設立手続きやオフィス探しや人材の確保は基礎になるものですから当然ですし、そもそも取引先になって頂ける可能性がある先柄を選定して戦略を詰めると言う作業にも必死でした。

そんな中でオフィスの内装をどうするのかという検討は、ワクワクするような感覚を味わえるのでひと際楽しかった事を覚えています。

それと同時にブランディング化をどうするかを考え、その一環で広報のためのグッズとして一年に一冊程度の絵本を出版したいとも思っていました。

しかし、その構想を実現すべく2か月ぐらい準備をすすめてみたのですが、諸事情があり中断するという決断に至りました。

そのために準備をしてきた絵本の原画は2点購入していたのですが、金庫に入れておいても絵が可哀そうですので作家のもとにお送りして終了させました。

もう13年以上も経ちましたのでそんな事も忘れていたのですが、昨日、その作家の方からお便りが届きましたので久しぶりにお手紙を読ませていただきました。

懐かしさと少し苦い思いがよぎったのですが、もうそんなかかわりは過去のものとしてどこかに置いて来てしまったようです。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




札幌の中島公園にある弥彦神社は毎年新年になると参拝させていただく神社です。

アラヤサッポロ株式会社を設立した直後に、その後の発展をお祈りするという目的で訪れたのですが、その目的をお話したところ本殿での参拝を勧められ、そこでお札を頂いたのが最初でした。

アラヤサッポロのオフィスには神棚をそなえ、そのお札をお納めしていますので、毎回オフィスに入ると最初に手を合わせてるのが習慣になっています。

あれからもうすぐ6年が経つのですが、まるで昨日のように感じます。

札幌で会社を設立するにあたり、どこかの神社でお札を頂きたいと思ったのですが、1971年私が初めて札幌を訪れた時に、宿泊したホテルの近くにある弥彦神社を選びました。

新年にアラヤサッポロのオフィスからタクシーで神社に向かう時、いつもパークホテルの前を通り過ぎるのですが、毎回懐かしい思い出を味わっています。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




1月に日赤広尾で白内障の手術をしていただき、その後のケアは恵比寿にある眼科医に通っています。

お陰様で手術の結果は大変良好という診察結果です。

手術前は近眼、乱視、白内障ということで遠くを見る事が難しかったのですが、手術後は両眼とも1.2という素晴らしい結果になりました。

逆に近いものは見えにくくなりましたので、老眼鏡が必要という事になり、100円ショップで老眼鏡を3つ買い、身近にたくさん置いています。

どうやら目に入ってくる光の量が増えたようですので、昼間、外に出るとまぶしいというという感じが強くなりました。

これからは外出時にはサングラスが必須アイテムになりましたので、サングラスを新しく購入しました。(以前のサングラスは度入りでしたので使用出来ない)

永年メガネをかけていましたので、通常の顔はメガネ付きだったということもあり、対策としてダテメガネをかけるようにしています。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




お取引先にお話をさせていただく際に、自分たちの会社をどれだけ説明したところで、等身大ぐらいまで理解して頂ければ精一杯というのが今までの常識でした。

一生懸命自分たちをアピールしても、第三者にはすべてを伝えることが難しいという事だと思います。

ところが、傾聴力を高めようという価値観をもってお取引先と接触すると、伝えようというより聴こうという姿勢になりますので、伝えたい情報のすべてが相手に伝わらないという事が起こります。

そうすると想像もしていなかったような事が起こりました。お取引先がアラヤはこんな会社なのだろうと勝手に拡大解釈してしまうのです。

その拡大して解釈してくれた部分を何とか実現できるように工夫をするのが面白い。

その努力が新規事業の礎になっていくのだろうと思っています。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




もう6年も前のことですが、会社の方向性に疑問を持った人達5名が集まって相談していたことがあったそうです。

これは不満を持っていたと言うより、会社の行く末を心配して何とか社長の考えを少しでも変えないと、会社が危ないことになるというので相談をしていたらしい。

そんなこととはつゆ知らず、会社経営に邁進していた私。会社が生きるか死ぬかという局面であれば社長として厳しい態度だったでしょうから、社員の立場に居る人にとって意見具申≒退職勧告という認識だったようで、とても意見を言うという雰囲気ではなかったとも聞きました。

私にとってやや心外なところもありますが、そうだったと言われれば「そうだったかも知れない」と反省するしかありません。勇気をもって進言してくれれば良かったのにと思っているからです。

それから年月が過ぎ去り、それらの人達は三々五々卒業していきました。

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




数年前に突然掛ってきた電話に出た私は、思いがけない電話の内容に驚いたことを覚えています。

その方はアラヤが融資をしてもらっているY銀行の元の担当者だったのですが、アラヤがY銀行と取引をさせてもらうキッカケを創ってくれた人でもありました。

その電話の1年以上前に神奈川県の支店に転勤する際に、今後、銀行員としてどのようなビジョンを持てば良いかというようなことを質問されましたので、私が考えうることをお話した記憶があります。

転勤先で元気に活躍されているものと思っていましたら突然の電話です。「もう決めてしまったことですが、来月銀行を辞めて恵比寿支店時代の取引先に採用してもらうことになりました。最初に中嶌社長にその報告をしたくて電話をしました。」

銀行員のままではもったいないと思っていた方ですから、「よかったですね!おめでとうございます。」と心の底からお祝いの言葉を掛けたものでした。

新しい職場に行く前にアラヤを尋ねてくれましたので、私が出来る限りのアドバイスをさせていただいたのですが、私の心配は滑り出しでつまづくことでした。しかし、そんなことは取り越し苦労だったことを後で知ります。

そんなことがあってから数年経ちました。昨日、アラヤへのお仕事を持って来てくれて、またお話をする機会があったのですが、顔を生き生きさせながら活躍の様子を語ってくれました。

若いというのは素晴らしい!いい一日になりました。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昨日は、九段の靖国神社の桜が咲いたということで、開花宣言がされました。

ようやく桜の季節です。ご近所にある中目黒の桜が有名になりましたので、しばらくは昼時のレストランが混雑したり、街の中がザワッとした雰囲気になるのが例年のことです。

桜の季節になると、なんとなくウキウキした気分になるのが不思議なのですが、桜にはそんな魅力があるのかも知れません。

もうすぐ年度末を迎え新年度が始まりますので、新年度こそ躍進のスタートにしたいと切に思っています。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昨日、なにげなくBSのテレビ番組をチェックしていたら「マネーゲーム」という映画に行きあたりました。

この映画は10回以上も観ていますので、すぐにでもチャンネルを変えても良いはずなのに映画に飲み込まれてそのまま終わりまで観ることになりました。

ようするに私にとって何度も観たくなるような映画なのですが、何でこんなに魅力を感じているのかを考えてみました。

メジャーリーグの野球を描いた映画ですが、主人公が考える良い選手とはどんな選手なのかが面白い。

なぜこの映画が好きなのかを突き詰めていくと、どうやらこの映画を自分のビジネスに置き換えて観ている自分に気付きました。

別にヒントがあるわけでもないのですが、何か通じるものがあるように感じているようです。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昔から「暑さ寒さも彼岸まで」と言われているそうですが、もうすぐお彼岸ですから寒さももうそろそろ終わりになりそうな気配です。

沈丁花も咲き、桜のつぼみも膨らんできていますので、春を感じる季節になりました。

アッと言う間に春が来て、夏を意識するようになるのは例年の事ですが、会社経営も同じような気がします。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




今日は30年以上も前のお客様の会社をお訪ねしています。名古屋の伏見区まで来ました。

私が三井銀行名古屋駅前支店に勤務していた時に、新規先として取引していただいた会社です。

もう三井銀行とのご縁はなくなって久しいそうですが、会社のゴルフコンペに誘って頂きました。

今日はこれからバス🚌に乗って三重県まで行き、一泊して明日ゴルフという予定です。せっかくですから楽しみたいと思っています。




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




札幌に入る朝、飛行機から見える景色が雪模様。

札幌から飛び立ってから見える景色が夕陽。




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 前ページ