ロック
イギリス人ロックは1683年にオランダに亡命し、1688年にイギリスで名誉革命が起こると、翌年1689年に帰国した。帰国翌年の1690年、58才でロックは『市民政府二論』を発表した。これは2年前の名誉革命を正当化するために書かれたものである。
ちなみに、ロックが生まれた1600年代のはじめにはオランダのアムステルダムが世界の金融市場の中心として繁栄を極めていた時代で、そこには多くのユダヤ人が金融業者として活動していた。
ロックはオランダに亡命したことから「市民政府二論」を書いたのである。
ロックはピューリタン革命によるチャールズ1世の処刑(1649)や、名誉革命によるジェームズ2世の国外逃亡(1688)を目の当たりにしてきた。
またチャールズ1世処刑の前年の1648年にはドイツ三十年戦争の終わりを告げるウェストファリア条約で神聖ローマ帝国が解体している。
つまりロックの生きた時代は神聖ローマ帝国の皇帝権が否定され、イギリスの王権が否定された時代である。
このようにしてイギリスでは他国に先駆けていち早く王権神授説が否定された。
このような時代を生きてきたロックにとって、皇帝権がローマ教会から祝福されているという考え方や、イギリス王権がイギリス国教会から祝福されているという考え方は時代にそぐわないものに見えた。
そこには前世紀の宗教改革者であるルターやカルヴァンの影響がある。彼らはローマ教会の権威を否定し、一人一人の信仰のみを問題にしようとした。
ロックはこれを国民主権の考え方に応用した。
「神はキリスト教信者すべてを祝福している」と考えるならば、主権は皇帝権にもなく、王権にもない。主権は一人一人の個人に与えられているという考え方が出てくる。これが国民主権の考え方である。
主権を持った一人一人の人間がどうやって国をつくることができるか。
そのために考え出されたのが社会契約説である。
ロックの自然状態は、「人間は自然状態でも平和に暮らしている」とされた。
日本人にとってこれは分かりにくいところで、もし人間が国の統制を受けず思う気ままに生活すれば、同時代のイギリス人思想家ホッブズがいったように「万人の万人に対する闘争」状態になるはずだが、ロックはそれを否定した。
ロックの場合、国家は必ずしも必要ではない。国家を否定しても人間は理性的であり、平和に暮らしているとする。
彼が想定する社会は、全員がキリスト教徒であることが前提になっているが、そのことは表に出さない。キリスト教には一切触れず、キリスト教の理念が実現することが前提になっている。そうやって彼の言説はキリスト教徒に心地よさを与えたのである。
しかし、その後につづく彼の結論を見るとそれは単なる方便に過ぎなかったようである。
彼はなぜこのようなことをいいだしたのか。
そこに1つの問題が出てくる。
カルヴァンは、神の救いの証拠として、世俗内職業による富の存在を正当化した。
しかしこの時点では、「神から与えられた職業によってえた富は、当然神に捧げるものである」という前提がまだ生きていた。神に捧げるとは、社会に分配することでもあった。
ところがロックはここで「私的所有権の絶対性」を言い出す。「富はその労働を投下した者の所有に完全に属する」と。そこには「神からもらった自分の職業の恩恵を、神に返す」という肝心なことは消えてしまっている。
これによって経済活動から、神の存在は完全に消されてしまった。
ルターやカルヴァンが目指した宗教改革は、ロックによって完全にゆがめられたのである。
一方では「神の恩寵により主権を与えられた自分」があり、他方では「神の恩寵である労働によってえた富は完全に自分のものである」とする。そこに神と人間のギブ・アンド・テイクの互酬性は見当たらない。ただ私的所有に対する個人の権利が突出しているだけである。
しかしこれはルター、カルヴァンの宗教改革が目指したものではない。
ロックは、ルター、カルヴァンの宗教改革を受け継ぐように見せながら、全く正反対のものを導き出すことに成功した。
一つは国民主権を原理とする「民主主主義」であり、もう一つは私的所有権の絶対性を原理とする「資本主義」である。
これが俗にヨーロッパの個人主義といわれるものであるが、もともとそれは神があってのことであった。
しかし神は跡形もなくかき消されている。それは単なる拝金主義に行き着く。
名誉革命後、新しい王としてオランダからウィリアム3世が渡英して即位したが、その際には多くのユダヤ人も一緒にオランダからイギリスに渡ってきて、ロンドンの金融界で力を持つようになる。
そして1694年にはイングランド銀行が新設され、ポンドという銀行券を自由に発行できるようになるのである。この銀行を支えたのはオランダから渡ってきたユダヤ人金融業者である。
この後イギリスは7つの海を股に掛け次々と戦争を行っていくが、その際の戦争資金の出所としてイングランド銀行の通貨発行権に頼らざるをえなくなる。
湯水の如く銀行券を印刷してそれを戦争資金にするのである。
イギリスが世界中の戦争で連戦連勝できた原因はそこにある。
つづく。
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