人は情報の檻に囲まれている。
その情報の外側に出ることはできない。
外には、正しい情報が当たり前に流れているが、
情報の檻の中に安住している人間が、その外側の正しい情報に触れることはできない。
青空のもと、牧場で牛や馬が草を食む光景は平和そのものだが、彼らに自由がある訳ではない。
彼らが外の世界を知っている訳ではない。
彼らは、草を食んでいるうちは安全だが、それがいつまでも続く訳ではない。
そしてそのことを知らない。
彼らを生かすも殺すも、情報の柵で囲んでいる牧場主の気分次第だ。
彼らは一頭、また一頭と仲間がいなくなっても気にかけない。
自分とは無関係なことだと思っている。
変だと思っても、すぐに忘れてしまう。
自分にその番が回ってくるとは思ってもいない。
しかし、それは必ず自分に回ってくる。
それを知らないことが彼らにとっての幸せなのか。
今年に入って、情報の柵はどんどん高くなり、外の景色はますます見えにくくなっている。
多くの人がもがき苦しみはじめているが、その声もかき消されている。
そして同じ情報が何回も繰り返される。
このことはすでに50年も前から指摘されていた。
最後の仕上げ、ことは大詰めにさしかかっている。
仲間同士で情報を交換し合うしかない。
正しい情報が道のまん中を流れることはない。
自分の命を縮めても、そのほうが社会的に安全?
そういう社会は、いずれもっと酷いことをする。
これは医学の問題ではなく、人としての自由と権利の問題だ。
それが失われた社会は、人を人として生かしておかない。
ワクチンはその踏み台か?
ウソつきは泥〇の始まり
コロナを蔓延させる目的が、ワクチンを接種させることにあるとしたら、
ワクチン接種が済めば、これ以上コロナを蔓延させる必要がなくなる。
政治目的から言えば、「ワクチン接種完了 → コロナ終息」となる。
これを医学的に見れば、「ワクチン接種の効果で → コロナが終息」したように見える。
でも治験が済んでいないこのワクチンが何なのか、素人には分からない。
mRNAのこと? それ以外の混入物のこと?
分からないことだらけだ。
子供ができない? 免疫低下? 人口削減?
そんなバカな、と笑う人間が、笑わない人間を非難できる理屈は、少なくともない。
自分が打っても打たなくても、多くの人がワクチンを接種すればコロナは終息する、というセオリーか?
だから打たない人は叩かれる。
これは地獄のセオリーだな。
危険なものには近づかないこと、そして危険なものを危険だという権利、それは否定されない。
治験が済んでいないものを安全だと言い切る、それはウソではないか。
理屈の導かないところへは、行かないほうがよい。
コロナワクチン接種中止の嘆願書 医師ら450人が記者会見 参議院議員会館 06.24 死亡率が低く感染者80%が軽症 加藤官房長官談 長期の有効性データは十分でない 特例承認 報道に問題あり!?
いま本当に、人と人とがホンネで話していない。
そういう場が失われている。
それをいいことに政府はやりたい放題。支離滅裂。矛盾だらけ。
政府は本当にコロナを撲滅したいのか。
なぜオリンピックをやる?
しかも観客まで入れようとしていた。
本当の感染者数は報道されない。
PCR陽性者数は検査のやり方しだいで、どうにでもなる。
これも政治。ワクチンを打たせるための。
政府は人が集まるのを極端に嫌がる。
クラスターの発生のためか。
いや、人々がホンネを語り合うのを防ぐためだ。
クラスターは本当にあるか。
ではなぜ、最も人が集まる学校でなぜクラスターが発生しない?
リモート会議は一種の検閲になる。
マスコミの意見が徐々に浸透して、多数派を作るのではない。
最初からマスコミの少数意見を多数派として報道するから、多数派になる。
そして多くの人は、たとえウソでも多くの人がやっていることに同調する。
日本的な耳コミが効かなくなる。
「巣ごもり」はそのための手段。
多くの人を孤立させ、マスコミ報道だけに頼らせる。
なぜ会食禁止なのか。
酒類禁止なのか。
ホンネが広まるのを封じるためだ。
我々は後世の笑いものになる。
でもそういう健全な後世が来るか。
出世をエサにすれば、
たいがいの人間は毒饅頭を食らうものだ。
それどころか、ウソを見抜けなければ喜んで食らう。
医療が政治になっている。