先日、NHKにスティングが出演していましたが、政治や人権に関する歌を作っている彼に対し、インタビュアーが、
「あなたはロックで世界を変えられると思うか?」
というような質問をしていました。
それに対しスティングは、
「1人では変えることはできない。でも、もし僕がこうした歌(政治、人権問題提議)を歌って、それを聴いた誰かが政治家や国際機関で働くようになった人が現れて・・・というようなことになったら、「ロックが(少しでも)世界を変えた」と言えるのではないかと思う。」
と答えました。
うん、やはり彼はカッコいい! ―才能あるロックスターとしてだけでなく。
”We'll be watching you (”Every Breath You Take”の替え歌より)
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/2873f99b080476bcf47d4a92c853de02
スティングと『Russians』
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/ce87d2f3d5e61daa858912510531d6f8
私は彼のいうことは、言い換えれば、
「どんなに自分を好いてくれている人達であっても、その歌を聞いて共鳴してくれる人は一部分、そしてそれを考える人はまたそのうちの一部分、そして、それをなんとかしてくれようとしている人達はもしかしたらいないかもしれない。でも、それでもする意義がある。」
なのだと思います。
さて、スティングの話と脈絡もなくですが、私が最近よく思い出す本について書いたブログ記事も貼り付けられてもらいます。
『そこに僕らは居合わせた』 by グードルン・パウゼヴァング
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/667e3626e156183daea7f4b0e71c09ad
(前略)
この本には、ナチス政権下のドイツで、ごく普通のドイツ人たちがしてきたこと、それをなかったことのようにしてきた人たちのことを、(ほとんどが子どもの目を通して)書かれています。
(中略)
さて、このなかの一編に『潔白証明書』という話があります。
『潔白証明書』とは、言ってしまえば、ナチスに協力した人たちが、「実は自分たちがナチスに協力したのは不本意だった。ユダヤ人はじめ、彼らに同情的だった。」という証明書のようなものでしょうか。
これがないと、仕事に復帰することもままなりませんでした。
このお話に出てくるのは、家族ぐるみで仲良くしていた、娘が親友同士のドイツ人一家とユダヤ人一家。
ヒトラーに心酔したドイツ人の両親は親ナチスで、母親は国家社会主義女性同盟の地区団長となり、この友人であるユダヤ人一家を密告する等こそしなかったものの、この一家に対して差別的態度を取るようになります。
しかし、娘は相変わらずユダヤ人の女の子と親友同士。
そして、ついにこのユダヤ人一家がアメリカに亡命をすることになりますが、これを聞きつけた母親はほっとした顔をします。
そして「今後何が起こるかわからないから」と言いながら、ユダヤ人家族の引越しのお手伝いにいきます。
手伝いに来たドイツ人の母親に戸惑うユダヤ人一家とドイツ人の娘。
そして戦後-ドイツ人一家の父親も、アメリカに渡ったユダヤ人一家の父親も、戦死をします。
元ナチス協力者として職につけないドイツ人の母親は、アメリカから娘に届いたユダヤ人の女の子の手紙の住所を盗み見て、ユダヤ人の母親に手紙を送り、「私はあなた方に親切だったわよね」と、『潔白証明書』の協力を頼みます。
家に帰って、自分の母親がユダヤ人の母親に宛てた手紙の控えを見つけた娘は、母親の元を去ります。
ドイツ人の母親は、アメリカのユダヤ人の母親から『潔白証明』をしてもらうことができましたが、出て行った娘を追いかけることもしませんでした。
(後略)
みすず書房
そこに僕らは居合わせた (訳:高田ゆみ子)
http://www.msz.co.jp/book/detail/07700.html)
このドイツ人の作家、グードルン・パウゼヴァングは、元ナチス信望していた少女でした。
その彼女がこうした本を書いたことは、彼女自身にとって辛く、そして身近なものでは快く思わなかった人もいたのではないかと思います。それでも書いた、書かずにいられなかったのは、彼女が「人間の弱さ(狡さ)を描くことで、それを読んだ若者が、「ずるい大人にならないようにするだろう。本当わずかな人であっても。」と期待したからだと思うのです。
スティングとグードルン・パウゼンヴァング-「大スターと一人戦前生まれの作家」、「ロックと青少年向けの本」と、全く共通点がないのですが、二人共、次の世代にロックや歌という形をとりながら、別のプレゼントを送り続けてくれているようです。
(ま、スティングの一部の歌もグードルン・パウゼンヴァングの本も、すでに短編の中の「ドイツ人の母親」になってしまっている人達が聴いたり読んだりしても、それが彼らに響くことはないでしょう。)