トルコでロシア大使が殺害され、ドイツでも、クリスマスマーケットにトラックが突っ込む事件がおきました。
ドイツの事件のトラックの運転手はポーランドに住むイスラム移民のようで、一部では事件後すぐ「テロ」と報じています。
(幸いフランスと違って、ドイツ政府は、テロを疑っても、こうした早急な報道を歓迎していません。)
欧州では、これまでもイスラム系移民が、銃を乱射したり、電車で斧を振り回したりしますが、これらも「テロ」と報じられるようになっているように思います。
一方、日本の秋葉原事件はどうだったのでしょう?
米国の(非イスラム系による)銃乱射事件は?
もともと「テロ」は「暴力で訴える(政治的)主張」だったと思いますが、最近は「テロ」=「イスラム教徒による無差別殺人」になっていないでしょうか。
2015年11月に、
過激派イスラムテロは宗教テロか?-日独赤軍派との共通点
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/d819671185670094357d04bbd53b28b6
を書きましたが、イスラムでも組織的な過激派による犯行はテロそのものでしょうが、同じイスラム教徒が起こしたものでも、「絶望(疎外感、希望が持てない、逆恨み)」によって起こされとものは、それらと違う-もちろん、政治的意図があろうとなかろうと、犠牲者やご家族に対する罪は同じだとは思います。
しかし、『組織的な政治的意図による無差別殺人』ではない事件を『テロ』と片づけてしまうだけでは、『移民(難民)の、絶望による無差別殺人』は減ることがないのではないでしょうか。
(12月21日追記:ISが反抗声明を出したそうです。(犯行声明がどうして遅いのか?)
オマケ:
2012年のブログ記事、
差別
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/e26900b781c08d94d76f71fafebf874f
に、
「かくいう私も、ドイツの飛行場でタクシーに乗るとき、ターバンを巻いたシーク教徒の運転手さんが客待ちをしているのを見つけたときは、その車が行き過ぎるまで待ってしまったり、地下鉄で迷っていたのを親切に乗り換え駅まで案内してくれたトルコ系男性を「こんなに親切なのは、物取りでは?」と疑ってしまったり(実はこの男性は、日本人が自分を頼ってくれて、話ができたのがうれしかったとのことでした。大変な無礼を・・・)、まだまだ偏見があります。
先のM氏の場合は、肌の色というより、アフリカ系の店員さんにあって、悪い経験が多くて避けるようになった、ということでしょうから、厳密な意味で言えば、「人種差別」とはちょっと違うでしょう。
(私も、いろいろ海外の人とメールを交わしましたが、アメリカ人、英語圏の国のアフリカ系の人からは不愉快な思いをさせられたことが多かったので、彼らを避ける傾向があります。)
私がしたようなシーク教徒のタクシードライバーや、トルコ系の男性に抱いた気持ち-これはおそらく、インド国内でシーク教徒、トルコ国内でトルコ人を見かけても避けることはないだろうから、これも厳密には「人種、民族差別」というより「移民差別」といえるかもしれません。」
と書きました。
正直にいえば、私には「移民は怖い」という固定観念があり、それはテロがあるなしに関わらず、だと思います。
しかし、それでなくても不利な彼ら-何も悪くない人達までが「テロリスト」のレッテル貼りをされてしまうようなことは、許されないと思います。