昨日の1本目のブログ記事、
『狂った血の女』という邦題をつけられたイタリア映画 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
を書いていた時に調べたWikipediaに、ナタリア・ギンズブルグが出てきました。
彼女は、無実のまま殺された女優ルイザ・フェリダが「パルチザンの女性(1945年にヴィットリオ・フォアの妻になるLisetta Guia。)の尋問を行ったのはルイザ」と本に書いているらしいです。
ルイザとオズワルドの処刑を急かしたのは、アレッサンドロ・ペルティー二と言われていますが、そのペルティー二とナタリアが仲良く歓談している写真が、wikipediaにあります。(1980年代)
Sandro Pertini e Natalia Ginzburg - Natalia Ginzburg - Wikipedia
Sandro Pertini e Natalia Ginzburg - ナタリア・ギンズブルグ - Wikipedia
もちろん、ルイザが実際はファシストにかかわっていたのかはわかりませんが、何か腑に落ちません。
ついでに言えば、プリーモ・レーヴィの友人でもあったはずのナタリアは、プリーモ・レーヴィの『これが人間か』(1947年)のエイナウディからの出版を反対しましたが、なぜだったのでしょうか。(エイナウディは1958年に復刊)
参考:
リリアーナ・セグレ(番外編)-リリアーナ・セグレとプリーモ・レーヴィの違い - Various Topics 2 (goo.ne.jp)