私が17日の書いた『シャルリ・エブド事件とライシテ』
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/d2a6634c148d8f90d4c260077c94a586
に、友人Tがライシテについて言及したことを書きました。
彼にそれを読んでもらったところ、
「・・・特に日本では内容の良し悪しに関心が移りがちで、他人の宗教をいたずらに冒瀆するのも良くない、という話になるけど(もちろん、それ自体はその通りだと思う)、当の発行者や、一部の擁護者にしてみれば、これはまさに「ムキになる方がおかしい」、だってそうならないことで今のフランスの自由があるのだから、と真面目に考えているのではないかとすら感じるんだ。(繰り返しになるけど、だからといって、ああいうものを描いて広めるのが良いこととは思わない。)」
とのことでした。
ちょうど今日のハフィントンポストに、シャルリ・エブドの新編集長のインタビュー記事がありましたが、
ハフィントン・ポスト(2015年1月19日)
「シャルリー・エブド」新編集長、「風刺画を掲載しないメディアは民主主義をうやむやにしている」
http://www.huffingtonpost.jp/2015/01/18/charlie-hebdo-cartoons_n_6498252.html?utm_hp_ref=japan
1月19日、フランスの風刺新聞「シャルリー・エブド」編集長のジェラール・ビヤール氏は、7日の襲撃事件以降、物議を醸している同紙の風刺画の掲載を拒んだ欧米各紙を糾弾した。
「この漫画は単なる挿絵ではありません。象徴です。言論の自由、宗教の自由、そして民主主義と世俗主義の自由の象徴なのです」。ビヤール氏は19日、アメリカNBCの討論番組「ミート・ザ・プレス」で述べた。「彼らがこの漫画の掲載を拒むということは、この漫画の意味を曖昧にしているということになります。掲載を拒むということはつまり、民主主義をうやむやにしているということになるのです」。
(中略)
ビヤール氏は19日、「ムハンマドの漫画を描くたび、預言者の漫画を描くたび、神の漫画を描くたびに、私たちは宗教の自由を擁護しているのです」と述べた。「それは言論の自由でもあります。宗教は政治的な争点となるべきではありません」。
ビヤール氏のコメントは、教皇フランシスコが挑発的な漫画を公表した「シャルリー・エブド」の判断を批判したことを受けてのものだ。教皇の批判には、預言者を描写することで同紙がやり過ぎたというニュアンスが含まれていた。
教皇フランシスコは15日、「挑発することはできません。他者の信じるものを侮辱することはできません。そして信仰を茶化すことはできません」と述べた。
しかし、ビヤール氏は、教皇の勧告に従うことは危険な先例となりかねないと述べた。
「私たちは誰も殺しません。殺人者と犠牲者を一緒にしてはなりません。書く人、あるいは描く人が挑発者で、火にガスを投げ込んでいると断じるのは止めるべきです。考える者とアーティストを殺人者と同じカテゴリに分類すべきではないのです」。
(後略)
Tのお見立てどおりなのか、教皇の言葉への反論のためか、シャルリ・エブドの新編集長は「ライシテ」を盾に使いだしました。(次週、教皇を冒涜する風刺画を描いたら本心かも。でも、2008年にサルコジの息子のユダヤ系のお嫁さんをからかう風刺画を描いた漫画家を「反ユダヤ主義」と言って解雇した同社ですから、強い相手は敵に回さないでしょうね。)
そうであっても、これが本音だろうと建て前だろうと、シャルリ・エブドが、大金を手にしたのは確かです。現在までの最新号の発行部部は700万部。仮に一部を2ユーロくらいで売っていたとしても、売上金は14億ユーロ。この金額から見るとはした金ですが、フランス政府がシャルリ・エブドに100万ユーロを与えたという話も聞きました。
今後も、シャルリ・エブドを買い続ける人達もいるでしょうから、彼らの売上高は、休刊していた頃があったのが嘘のような金額をはじき出すでしょう。
こうした収益の多くを、彼らが貧しい移民(イスラム教徒多数)のために寄付するなどしたらば、ほんの少しは彼らの「自由への救世主的言動」も信じることができるかもしれませんが、彼らは「お金はお金」と言いそうです。
なお、新編集長は「私たちは誰も殺しません」と言っていますが、彼らの風刺画が物理的、直接的には人を殺さなかったとしても、17人の被害者+、担当警察署長、そして、アフリカや中近東の抗議デモ、暴動で、亡くなっている人達は、「シャルリ・エブド」に間接的に殺されたのだと、私は思います。