米国はオーストラリアに米軍海兵隊を配備する予定。
オーストラリアはインドにウランを売るのを止めていたけど、インドとの絆を深めようと、その規制を撤廃しようとしている。
ロシアはバングラディッシュに初の原発を売ろうとしている。
日本は原発の問題もTPPの問題も国民の意見には耳を貸さず、相変わらず米国に振り回される「マゾ的外交」をしている。
もう、日本国内のみならず、海外のニュース記事を読むたびに、ストレスが溜まる一方です。
海外(外国語)ニュースといえば、先日、友人Hとこんな会話をしていました。
私 「海外からの情報も、日本のメディアは日本政府にとって都合の良いことしか取り上げなかったりして、日本に入ってくる情報は限られているのが問題。」
H「そんなに君が心配しなくても、皆、海外からの情報は仕入れているから大丈夫。」
私「そりゃ、あなたがいる世界ではそうかもしれない。でも一部のエリートはそうでも、一般の人にはそうした情報が入らない。
311の原発事故のあと、今までそれを危惧していた外国語が読める人たちが、それぞれブログなどで発信しだしているけど、まあこれらは検閲されたり、削除されたりしているものもあったり。
実際、これからの日本の若者は、直接読めるような努力をしてほしいものだわ。
ま、そうとはいっても、仮に日本人の英語力がついたとしても、同じように興味がなければ、そうした記事を読むこともないのだけどね。」
そう、何も海外からのニュースでもなんでもそうですが、ネットの世界は特に、自分の好みのものしか見ない、読まない、ということが多く、たとえば私のサイトを読んでくれているような人たちは、結局は私と同じ問題意識がある人だけでしょう。
ふとそう考えると、「マスメディアもソーシャルメディアも人を動かす力はそんなになくて、人がメディアを動かしているのか」と思えたりもします。
さて、メディアを動かすのが『人』だとしたら、その『人たち』を変えるのはやはり教育。
『井の中の蛙』も『大海』を知りたいと思わなければ、自分が『井の中の蛙』であることは一生気が付かないです。もしかしたら、自分が『井の中の蛙』でいることをあえて選んでいる『蛙』もいることでしょう。
この『問題のある蛙』は、どういう教育で変えていくことができるのか、と根本問題を考えるこのごろです。