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地獄への道は善意で敷きつめられている

2012年01月25日 22時19分29秒 | 都構想・IRカジノ反対!
 大阪ダブル選挙の結果について、前からずっと気になっていた事がある。ダブル選挙の結果は残念ながら橋下・松井コンビの圧勝となった訳だが、その内実を見ると、民主・自民両党支持層のみならず、共産・社民両党支持層からも、少なくない部分が橋下に流れてしまった事になっている。実際の出口調査でも民主・自民票の4~5割、共産票でも2割弱が橋下に流れ、社民票も選挙直前の世論調査では半数以上が橋下支持に傾いていた。その為に、反橋下陣営がせっかく無党派層の半数近くの支持を獲得しながら、推薦・支持した筈の肝心の政党票をまとめきれず、橋下陣営の圧勝を許してしまったのだ。
 http://www.senkyojapan.net/special/2011_osaka/kenshou/
 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111119/lcl11111920120000-n1.htm

 民主・自民両党の「裏切り」については、今更驚く事もない。元々、橋下自身が一期目は自公から担がれたのだし、所詮は民主・自民も橋下も、憲法改正・日米安保に賛成で大企業優遇・競争至上主義(格差拡大容認)という点では「似た者同士」なのだから。それが、今回は橋下の余りの横暴ぶりに嫌気が差して対立候補擁立に回ったものの、党本部の方では橋下人気にすっかり怖気づいて、橋下と反橋下の両陣営に二股をかけていた。最初から本気で戦う気なぞなかったのだ。
 問題は、「反橋下」である筈の共産・社民支持者からも、かなり橋下に投票した人が出た事だ。ただ、これらの人々は、民主・自民支持者とは違い、「憲法改正・日米安保に賛成で大企業優遇」だから橋下に投票した訳ではない。寧ろ逆に、橋下の「反二大政党」姿勢や「脱原発」などの「革新ポーズ」に惑わされて、橋下に投票してしまったのだろう。下記「超左翼おじさんの挑戦」というブログの「橋下批判への違和感」という記事に、その辺の感覚を理解する手掛かりが潜んでいるように思える(但し、このブログ主さん自身が橋下に投票したという意味ではないので、その辺は誤解しないで頂きたいが)。

(引用開始)
 橋下徹さんへの批判が盛んである。私だって批判するし、そのための本も準備しているから、批判が高まること自体に、違和感があるわけじゃあない。
 問題は、批判の手法だ。というか、批判にとどまっていることというかなあ。
 一言で言うと、不満のはけ口を求める国民に対して、分かりやすい不満の対象(公務員とか教師とか)を示し、あおり立てるやり方だという、そういう批判のやり方って、果たしていいのか。小泉さんとかヒトラーとかと同じで、まさにファシズムの手法だというやり方だ。
 別に、それ自体、おかしいと思わない。いえ、それどころか、まっとうな批判だと思う。だけど、いくつか、理解できないことがある。
 一つは、橋下さんの積極面をどうとらえるか、その見方が不明である。たとえば脱原発とか、高校教育の無償化とかは、橋下評価のなかでどういう位置を占めるのか。
 橋下さんの全体はファシズムで、脱原発などは付随的な問題なのだろうか。そうではないだろう。だって、脱原発って、現在の日本政治の中心問題で、国民の関心の最大問題だ。
 そういう問題で頑張っている橋下さんに対して、それなりの敬意が必要なのではないか。脱原発以外の小さな(相対的にだよ。人によっては脱原発より大事な問題はあるだろうけど)問題にこだわって、脱原発の課題を後景に退けていいのだろうか。いま大事なのは、脱原発でがんばる橋下さんを応援する市民運動だ、ということにはならないのか。
(中略)
 さらに問題なのは、その橋下さんの手法に国民がだまされているという、その考え方だ。国民というのは、その程度の理解力しかないという考え方。
 いや、そうなのかもしれないよ。でも、その程度の国民だというのだったら、なぜわれわれは、その程度の国民を惹き付ける言葉を発せられないのか。われわれの言葉が国民に響かないのは、いったい何故なのか。
 だって、橋下さんが国民の不満をあおり立てるというけど、国民の不満を受けとめ、解決の方向を指し示すのが、市民運動とか左翼の役割でしょ。橋下さんのやり方が成功して、われわれのやり方が成功していないということは、どこかが抜本的に間違っているということではないのだろうか。
 そういう見方に立って、自分のことを考え直すことも大事だと思う。
(引用終了)
 http://chousayoku.blog100.fc2.com/blog-entry-1051.html

―確かに橋下は危なっかしい。誰かを敵に仕立て上げて叩く事で、国民の不満をそっちに逸らそうとしている。これは、かつてユダヤ人を弾圧したヒトラーと同じ、ファシストの手法だ。でも、脱原発とか「好い事」も言っているじゃないか。演説も巧みで国民の心を惹きつけてもいる。そこを何故もっと評価しないのか。何故我々もそれを見習おうとしないのか―これが、上記記事の言わんとする事だろう。

 なるほど、筋論だけで見れば、そういう「善意の解釈」も成り立つかも知れない。でも、おかしくないか。そもそも何故「脱原発」なのか。原発が、放射能をまき散らし、環境と人々の暮らしを破壊し、原発労働者を被曝の危険に晒すからだろう。その「脱原発」を、元々「核武装」論者だった橋下が、何故急に唱え出したのか。
 橋下が核武装論者なのは有名な話だ。「たかじんのそこまで言って委員会」という、右翼タカ派コメンテーターに主導権を握らせた関西ローカルのバラエティ番組での、橋下の核武装肯定発言で、一期目の知事選挙では公明党が推薦に二の足を踏んでいた位だ。今も橋下のその考えは変わらない筈だ。公人と私人の使い分けはしても、思想自体を変えたとは一切言っていないのだから。環境・暮らし破壊の最たるものである「核実験」「軍拡競争」や「核武装」に賛成しながら、何故「脱原発」を唱える事が出来るのか。

 それは、「核武装」も「脱原発」も、橋下にとっては只の「大衆迎合、人気取り」にしか過ぎないからだ。北朝鮮核武装への反発が強まったのを機に「日本も核武装せよ」と煽る。その一方で、今度は福島原発の事故で世論が脱原発に傾いたのを見て、それまでは一言も言わなかった脱原発を急に口にしだす。何のことはない。その時々の世論の風向きを見て、時流に便乗しているだけだ。
 「2万%出馬しない」と言って知事選に出馬し、自公推薦で当選しながら政権交代後は民主党にすり寄る。その延長で、今回たまたま福島原発の事故が起こったから、今だけ「脱原発」を標榜しているだけだ。
 若し、脱原発が彼の本意であるなら、関電株主代表権行使なぞという、「多数決に阻まれ何も出来なかった」と後で何とでも言い訳出来るような微温的な公約だけを一枚看板のように掲げて、それで事足れりとするような態度は取らない。「脱原発」公約をまるで自分の個人的手柄のように見做し、反原発の市民運動に冷水を浴びせかけるような真似はしない。況してや、脱原発とは根本的に相いれない核武装推進の立場なぞ、絶対に立てない筈だ。

 ついでに言えば、橋下が強行する教育現場での「日の丸・君が代」強制も、当人は決して「日の丸・君が代」を素晴らしいなんて思っていない。強権支配をゴリ押しする為の地ならしとして利用しているだけだ。若し本心から素晴らしいと思っているなら(私はあんな非民主的で時代錯誤の君が代の歌詞なぞ素晴らしいとは全然思わないが)、少なくとも、その素晴らしさを相手にも分かるように説得する筈だ。その歴史や背景もすっ飛ばして、ひたすら「ルールだから守れ」なぞという強制の仕方はしない。そんな理屈で行けば、ブラック企業の不当労働行為や不正隠しすら「社内ルール」として免罪されてしまう。それを、世論の風潮がそうだからと言って、その是非も問わずに無条件に従わせようとする。これも只の「大衆迎合、人気取り」にしか過ぎない。

 「脱原発」も「日の丸・君が代」強制も只の「大衆迎合、人気取り」にしか過ぎないとすると、では橋下のバックボーン・本質は一体何か。それが、政治的には「新自由主義」と呼ばれる「弱肉強食、競争至上主義」の価値観である。
 橋下は、決して裕福な家庭には生まれなかったが、その逆境をバネに、進学校に進み一流大学を出てタレント弁護士になった。但し、その努力も所詮は「自分さえ良ければ好い、その為には幾ら他人を貶めても構わない」というエゴイスティックなものだったが。
 そうして、サラ金の顧問弁護士として強きを助け弱きをくじき、「強いヤツや金持ちが一番偉いんだ、弱いヤツや貧乏人には人権なんて無いんだ」と、「ジャイアンに阿るスネ夫」みたいな生き方を理想とし、「嘘がつけたり人を騙す位でないと強い奴にはなれない」と嘯き、「2万%出ない」と嘘をついて選挙に出馬。

 最初の選挙では「笑顔で笑う大阪」や「子育て支援」の偽公約を掲げ、大阪府知事に当選した途端に児童文学館の廃止や私学助成削減、パート公務員の首切りを強行。その挙句に、府財政の赤字を逆に増やし、震度3にも耐えられない不良債権のWTCビルまで抱え込みながら、その失政の責任も取らずに「大阪都構想」と公務員叩きで矛先逸らし。そうして茶番のダブル選挙を強行した挙句に、民意とか民主主義を「選挙に勝てば(たとえそれがゲリマンダーで得た勝利でも)何でもアリ」とまで捻じ曲げ・・・。
 「大阪都構想」も公務員叩きも、公務員のリストラが目的だ。今まで自治体がやっていた地下鉄や水道や保育所などの仕事は、悉く民間企業の安上がりな派遣労働に置き換えられる。民営化で濡れ手に粟の大企業だけが肥え太り、労働者には低賃金過重労働、地域住民には「福祉の沙汰も金次第」の現実だけが押し付けられる。何の事はない。これまでの官僚支配(役人天国)が今度は財界支配(資本家天国)に取って代わるだけだ。だから財界がこぞって橋下を応援するのだ。

 そんな事を目論んでいる人物の言う「脱原発」なぞ、とても額面通りには受け取れないだろう。彼は「脱原発で頑張って」なぞいない。嘘やハッタリをかましているだけだ。彼の手法から学ぶとすれば、ファシストに「敬意」を表するのではなく、寧ろ反面教師として、彼以上に有権者を惹きつける術を身に着けなければならないという事以外にはあり得ない。そうでなければ、逆に市民運動がファシズムと同じレベルに堕してしまう。
 「地獄への道は善意で敷きつめられている」という格言がある。「善意の行動が却って悲惨な結果を招く事がある」という意味で使われる。橋下に「反二大政党」や「脱原発」の虚像を見て一票を投じてしまった人には、特に肝に銘じてほしい言葉だと思う。
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記事の文章を若干手直しします。 (プレカリアート)
2012-01-25 08:17:55
昨夜一気に書き上げ、既にトラバも送ってしまったこの記事ですが、深夜に書いたからか、今朝文章を見直したら、細かい点で色々不備が目立ちます。記事の主調は変えませんが、細部の表現については、今夜帰宅してからまだ若干手直しします。とりあえず目についた範囲では、下記部分を編集し直します。

●ダブル選挙の結果は残念通り→残念ながら
●共産・社民両党支持者からも、かなりの部分が橋下に流れてしまった事だ。→少なくない部分が~流れた事になっている。
●実際の出口調査でも~橋下支持に傾いていた事になっている。→傾いていた。
●所詮は民主・民主も橋下も→民主・自民も橋下も
●「善意の行動が却って悲惨な結果となって跳ね返ってくる事がある」→「~悲惨な結果を招く事がある」
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120%この部分は賛成 (三浦小太郎)
2012-01-28 08:27:09
一番大事なのはここだと思うんですよ。

「さらに問題なのは、その橋下さんの手法に国民がだまされているという、その考え方だ。国民というのは、その程度の理解力しかないという考え方。
 いや、そうなのかもしれないよ。でも、その程度の国民だというのだったら、なぜわれわれは、その程度の国民を惹き付ける言葉を発せられないのか。われわれの言葉が国民に響かないのは、いったい何故なのか。
 だって、橋下さんが国民の不満をあおり立てるというけど、国民の不満を受けとめ、解決の方向を指し示すのが、市民運動とか左翼の役割でしょ。橋下さんのやり方が成功して、われわれのやり方が成功していないということは、どこかが抜本的に間違っているということではないのだろうか。
 そういう見方に立って、自分のことを考え直すことも大事だと思う。」

ここは、右翼の私としても120%賛成。なぜ、私の意見は世に受け入れられず、橋下氏は少なくとも現在のところ大きな支持を得ているのか。それはやはり私の方に根本的に間違っている、少なくとも伝え方においては間違っている点があるのではないか、そういうことを考えないといけないのだと思う。

やっぱり、いい意味でも悪い意味でも大衆の本音に通じる何かを橋下氏は持ってるんですよ。それは悪しき本音かもしれない。でも、本音ではあるんですよね。もし橋下氏に勝とうと思ったら、大衆の「よき本音」を引き出すことが絶対必要なんだと思う。
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橋下ねぇw (バッジ@ネオ・トロツキスト)
2012-01-28 18:01:51
ヤツのバヤイも「大衆の本音に通じる何かを持ってる」というより、古くは今太閤角栄、殿様細川、近年では構革小泉、みんなの渡辺といった連中のケース同様に利権と体制の維持、自己保身に汲々とするとド腐れマスコミの幻想バラ撒き、ヨイショ連発が押し上げてるんじゃないの?
ま、消費税の問題でもTPPでも、大企業スポンサーベッタリのテレビ・新聞だから、橋下はブルジョアマスコミ連中の期待の星なんだろうし。

橋下も前例同様どうせ1、2年で賞味期限切れですよw
返信する
「よき本音」の可能性と限界 (プレカリアート)
2012-01-29 12:06:36
>やっぱり、いい意味でも悪い意味でも大衆の本音に通じる何かを橋下氏は持ってるんですよ。それは悪しき本音かもしれない。でも、本音ではあるんですよね。もし橋下氏に勝とうと思ったら、大衆の「よき本音」を引き出すことが絶対必要なんだと思う(三浦さん)

 橋下の公務員叩きや弱者叩き(生活保護受給者バッシングなど)への支持が、大衆の「悪しき本音」の現れだとすると、震災被災地支援活動や「伊達直人」現象などへの共感・支持が、大衆の「よき本音」という事になるのかも知れませんね。
 ただ、私はその「よき本音」も、無条件に肯定する気にはなれません。それは、「よき本音」も簡単に「悪しき本音」に変えられてしまうからです。
 実際に、それらの美談が「頑張ろう日本」キャンペーンに絡み取られて、「今は非常時なんだから政府のやる事に協力しなければならない」「デモや集会も自粛しなければならない」という形で、権力にとって都合の良いように利用されてしまっています。

 でも本当は、幾ら頑張ろうにも頑張れない、それどころか、頑張ろうと言っている政府自身が大衆の頑張りにブレーキをかけているのが現実です。
 政府による口先だけの震災復興とは裏腹に、生活再建の目途が立たずに自殺した酪農家や、地域の共同体が崩壊して孤立した末に「お墓に帰りたい」と言い残して亡くなったお年寄り、全然事故が収束していないのに冷温停止だの収束だの言って原発延命を図る政財界人によって、チェルノブイリ並みの被曝に晒され続けている福島県民や原発労働者にとっては、「よき本音」から発せられた「頑張ろう日本」キャンペーンも、所詮は安っぽい同情や「目くらまし」でしかない。そういう意味では、橋下の公務員叩き・弱者叩きと同じ「悪しき本音」とも何ら変わらない。
 そして、単なる安っぽい同情や「目くらまし」として利用される事を拒否し、本当の支援や生活再建を求める脱原発や反TPP、反失業などの運動に対しては、過激派・反日極左などの罵倒が「悪しき本音」側から発せられる。

 そういう事で、私は大衆の「よき本音」に対しても、最近は余り賞賛する気にはなれないのですが、その中で唯一希望を持てるとすれば、次のような例でしょうか。
 それはもう数年前の事。当時は、ようやく小泉改革の影の部分にも光が当てられだした頃で、「派遣切り」の話題がよくニュースで取り上げられていました。丁度その頃に、大阪の長居公園か靱公園か忘れましたが、機動隊が放水で野宿者テントを強制排除しようとしていた場面をテレビ・ニュースでやっていて、それを休憩時間に見ていた当時のバイト先の同僚が、野宿者にいたく同情していたのが、非常に印象に残っています。
 その人は、普段は職場の他の同僚と一緒になって「朝鮮人をやっつけろ」とか「反日左翼は」云々と言っていたのに(安倍内閣の頃で今以上にそういう雰囲気が強かった)、このニュースでは「この寒空に野宿者を放り出すなんて、余りにもやる事がえげつなさ過ぎる」と憤っていました。

 その人にとっては、ひょっとしたら野宿者は意外と身近な存在だったのかも知れません。近所に寄せ場があり、以前の職場にも元野宿者がいたのかも知れません。だから、他の朝鮮人バッシングに興ずる人なら決して口にしないような、野宿者への共感が口に出たのかも知れません。
 でも、たとえそういう人でも、他の場所では朝鮮人を貶めたり、最低時給を千円に引き上げを求めようとする運動を「贅沢」と罵ったりしていたのですから、やはり限界はあると思います。

 その野宿者への共感が、時給引き上げへの共感に結びついた時こそ、橋下みたいな偽「救世主」や、時の権力に好いように利用される官製「よい本音」の限界を乗り越えられるのではないでしょうか。その為にも、時給引き上げを求める側も、橋下の悪宣伝に感情的に反発するだけでなく、「野宿者への共感が時給引き上げに結びつかないのは何故なのか」を、考えなければならないと思います。
 但し、これは何も橋下に謙ったり、況してや「敬意を表したり」なぞする性質のものではないと思います。橋下の言っている事なんて、矛盾だらけの揚げ足取りでしかなく、凡そまともに取り上げる価値もないものです。でも、現実はそんな詐欺まがいの輩にみんな靡いてしまっています。それを打ち破るには、運動側の弱さも大衆の弱さも冷静に分析した上で、橋下の弱点を突いていかなければならないと思います。
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Unknown (三浦小太郎)
2012-01-29 18:43:36
まあ私の言い方が悪クてうまく伝わらないようですので、もう一度だけ申して終わりますが、私はかって、まあ今もそうかもしれませんけど、自分は正しくてほとんどの大衆はおろかで醜い、だからこの世には理想が実現せんのだという、まことに傲慢極まりない考えを持っていたのですよ。(ここまではっきり書かないと私の言いたいことは伝わらないと思うので恥を忍んで書きます)

しかし、それは完全に間違いですよね。もしも大衆が愚かで醜いのなら、それが人間というものであり、私自身もその一人です。ですけれども、実際の一人一人の人間というのはそういうものじゃないですよね。愚かでもあるけど、変な思想にかぶれた私よりずっと本質的なところでかしこかったり、助け合っていたり、時にはエゴイステイックだけど、時にはものすごく無私の行動を取ったりする。金持ちが悪で労働者が正義でもないし、その逆でもない。自分の財産で人助けを本当に頭が下がるくらいしている人もいる。貧しいからこそ精神がゆがんだ人もいれば、本当に苦労しているのに他者を思いやる人もいる。当たり前のことなんですけど、大衆ってそういうもんですよね。

その大衆が、自分の思想や政治方針を拒否し、受け入れない時、それは大衆の無知と同様、自分たちの伝え方に問題があるんじゃないか、という意識は、私は持ち続けないとまずいとおもっているんです。こういう発想が昔は私に全くなかったのでね、「国民の不満を受けとめ、解決の方向を指し示すのが、市民運動とか左翼の役割でしょ。橋下さんのやり方が成功して、われわれのやり方が成功していないということは、どこかが抜本的に間違っているということではないのだろうか。」という言葉に、ああ、これは以前の私への大変的確な批判であし、今も私はこういうところがあるなあ、と思ってしまったわけです。

橋下氏はしょせん2,3年なのかも。しかし、我が右派は一度もこれだけの支持を得ていないのですから、少なくとも私や私に近い立場の人は、橋下氏を侮れないと思います。
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大阪にも討論バーが誕生したが・・・ (プレカリアート)
2012-01-30 00:51:52
 話は前後しますが、簡単に報告だけ。もう数週間前になりますが、東京のロフトプラスワン(だったっけ?)のような討論バーが大阪にも誕生したと聞きつけて、日本橋にあるその手の店に行ってきました。イベントのない夜に行ったので、客も殆どいなくてコーヒー飲んで帰ってきただけで、脱原発のチラシなどをいただいて帰りましたが、そこの店主が小沢一郎をやたら持ち上げていたが気になった。
 小沢一郎は脱原発で反格差だと店のチラシにありましたが、では、何故その「反格差」の小沢が、新自由主義者の橋下徹や河村たかしと昵懇なのか。橋下と一緒になって右翼で原発容認の石原や平沼と新党を作ろうとしているのか。
 橋下・小沢・石原が一緒になった新党なんて、まるでゲテモノだ。民主・自民をもっと酷くしたような党になる。そんな党・勢力が「脱原発・反格差」な訳ないじゃないか。
 大阪にも討論バーが出来た事は素晴らしいと思うし、増山麗菜さんや木下黄太さんを呼んでのイベントには私も参加したかった。それで、当初はその討論バーの事をブログ記事に取り上げようと思っていたけれど、小沢の件で完全に興ざめ。
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Unknown (三浦小太郎)
2012-01-30 08:33:36
大きな声では言えませんが(笑)ロフトをプロデユースし軌道に乗せた初代店長も、まあちょっとなんというかね、政治・思想的にはいろいろある人でしたよ。ただね、まあそこは我慢して面白い人が出ているときはいくことですよ、その店長、たぶん日刊ゲンダイ最高みたいなタイプだと思うね。でも、多少偏っていたりまあ思い込みが激しい人じゃないとそういう店をやろうとは思わないしね。
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主観主義いろいろ、自虐もいろいろw (バッジ@ネオ・トロツキスト)
2012-01-30 09:23:16
労働する諸個人(注.「闘争する階級」でも「英雄的私的個人」でもないので念のため!)こそが歴史推進の唯一の主体だと考えるまともな左翼ならば、大衆蔑視や愚民論といったファシズムさえ導きかねないペシミズムとは無縁なので「大衆はおろかで醜い」と考えるような一種の選民思想も断固として拒否するけれど、ただ、明治以降の日本人は、歴史の総括が弱いという海外からの指摘は謙虚に耳を傾けざるを得ないでしょうね。
この、歴史総括の「欠落」や「未完」は、今放映されている『坂の上の雲』の評価のような芸術・文化問題にまで波及していますが、問題は、近代史だけにとどまらない社会の諸領域で日本民族全体を覆っているように思います。左翼でさえ朝鮮半島問題や核(核兵器も原発も含む)問題、社会変革戦略などのような大問題で総括の「欠落」や「未完」を露呈していますからね。「自民対非自民」や「構造改革」「政権交代」などのニセの土俵で踊らせられてきた多くの日本人にその弱点があることは否定出来ないでしょう。日本人は、もう、「民主党に裏切られた」「東電に裏切られた」などといった類いの責任転嫁で自らの社会的責任を回避することはできない地点にまで来てしまっているのです。

ところで、「自虐」が嫌いなはずの右派論客三浦さんも、丸山史観同様の自虐性を共有しているようですねw
戦前戦中左翼の無力・無能を批判する丸山は、歴史的条件の有無という具体的分析さえ抜きに願望だけの後知恵を過去に押しつけていますが、こういう「逆ユレ」もまた階級闘争史観と裏返しの主観主義の一形態でしかないと思いますよ。「真理」や「善」の類は、それを指摘・提唱されただけで実現するほど観念的なものではないハズです。
残念ながら、人類史はインスタントラーメンのようにもいきませんねw
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そうそう (バッジ@ネオ・トロツキスト)
2012-01-30 09:37:33
>その大衆が、自分の思想や政治方針を拒否し、受け入れない時、それは大衆の無知と同様、自分たちの伝え方に問題があるんじゃないか、という意識は、私は持ち続けないとまずいとおもっているんです。

こういう表現・伝達形式に属するような未熟・拙劣への反省というのも一般的には必要でしょうけど、問題はむしろ、「形式」より「内容」、「中身」の方の真偽や善悪なんだと思いますけどね。
政治も、芸術のように表現・伝達の形式の巧拙は問われますが、問われる主たる点はやはり科学同様に中身だと思いますよ。中身が悪い政治や芸術は、たとえ巧く表現・伝達したとしても「巧言令色少なし仁」です。
だから、「中身」の方こそ、絶えず不断に検討し直さなければならないでしょう。特に、「変革の立場」を自認する左翼の側は、なおさらにねw
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Unknown (三浦小太郎)
2012-02-03 08:04:24
バッジさんへ

やはり私の書き方が悪いのかうまくつたわらないよぅですので、一応一点だけ。私は右ではありますし、自虐史観に断固反対だと思われるのでしょうけど、もっといやなのは「負けてえばる」姿勢なんですよ。私の周囲にそういう人多かったものでね。運動は結果を出せなかったのに、意義があったとか、成果はすぐには表れないが確実に前進しているとか、そういう言い方をするより、まず結果が出なかったときは素直に指導者は謝罪すべきだと思うんです。真理は確かにすぐには実現しないんでしょうけど、でも実現を目指して人に運動への参加を呼び掛けたとき、その指導者はやはり運動の敗北の時には責任が生じると思うので。

ま、これは私もそうです。未だに拉致被害者を救出できず、北朝鮮の独裁政権が存続しているのは、運動の側に大きな責任があります。
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