アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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よしりん脱ネトウヨ論の効能と限界

2012年08月16日 00時54分37秒 | ヘイトもパワハラもない世の中を
SAPIO (サピオ) 2012年 8/29号 [雑誌]
クリエーター情報なし
小学館


 毎年8月15日の終戦記念日になると、靖国神社に右翼が参集して、拉致問題や尖閣・竹島問題などで中国・韓国・北朝鮮を激しく非難し、憲法改正や核武装を主張する。その中には街宣車に戦闘服といった出立の職業右翼だけでなく、一般市民やネットユーザーを中心としたネット右翼(ネトウヨ)も目立つ。李明博・韓国大統領の竹島訪問や天皇訪韓時の謝罪要求発言などの動きが、更にネトウヨ人気に拍車をかける。
 しかし、さしものネトウヨ人気も、最近は次第に陰りが出てきたようだ。悪い事は何でもかんでも中国や韓国のせいにし、韓流ドラマやキムチ鍋の料理番組にまで難癖を付けてくるネトウヨを忌避する風潮が、今や左翼や一般市民だけでなく右翼の中にも広まってきたからだ。
 その代表例が漫画家の小林よりのり(通称よしりん)や右翼団体「一水会」顧問の鈴木邦男などだ。特に小林なぞは、かつては「東大一直線」などのお笑い漫画を描く傍ら、「戦争論」や「ゴーマニズム宣言」などで「日本は侵略なぞしていない」と主張し、「ネトウヨ生みの親」とも呼ばれる存在だった。それが道義なきイラク戦争参戦や小泉構造改革による格差拡大などを機に、次第に親米保守派や体制内右派とは一線を画すようになり、やがて安倍晋三・石原慎太郎・橋下徹などの保守派政治家やネトウヨにも激しい批判を加えるようになった。

 
 たとえば「SAPIO」7月18日号に掲載された上記の小林「ゴーマニズム宣言(ゴー宣)」漫画では、褒め殺しの手法で、橋下大阪市長の唯我独尊ぶりを徹底的に揶揄している。
 ここでは橋下主導の「大阪都」「道州制」構想を、単に米国の連邦制を真似て日本国内に「俺様王国」を作りたいだけだとこきおろし、学校教育での「日の丸・君が代」強制も、己の権勢を誇示する為に、肝心の愛国心の中身を問わずに、ただ単に命令と強制で従わせようとしているだけだと、一刀両断に切り捨てている。
 その中で起こった橋下とMBS記者とのバトルについても、本来なら思想信条の自由にかかわる重大問題なのに、それを公務員の服務規律や教育委員会制度の問題にすりかえ矮小化している橋下の方にこそ非があると、かつての敵たるMBSの「サヨク記者」の方に寧ろ肩入れしている。
 そして、カジノ・リニア誘致などの湾岸開発やTPP・道州制推進、文教施設の統廃合や民営化によって、教育や行政を企業の金儲けの道具に変え、地方や弱者の犠牲の上に都会の勝ち組だけが潤う政治を行おうとしているのに、それを「維新」「改革」イメージで誤魔化す事で、ミーハーな「ネトウヨ・バカウヨのB層」中心に大衆の支持を掠め取っていると、橋下政治の新自由主義(弱肉強食)やポピュリズム(大衆迎合・衆愚政治)としての本質を分かりやすく説明している。橋下信者には是非読ませたい漫画だ。

 
 しかし、その事で小林が完全にネトウヨだけでなく右翼とも袂を分かち、究極の「弱肉強食」たる戦争やファシズム、帝国主義をも批判するようになったかと問われれば、それは甚だ疑問だと言わざるを得ない。それは同じく「SAPIO」の最新号「ネトウヨ亡国論」特集に掲載の、上記の「ゴー宣」漫画を読めばよく分かる。
 小林はそこでも、在特会(在日特権を許さない市民の会)などのネトウヨ市民デモを徹底的に批判してはいる。曰く「本当に英霊に感謝する気持ちがあるなら、どうして朝鮮人はゴキブリだのブタだのと怒鳴り上げ、ゴミを靖国神社の境内に投げ散らかしたまま帰るのか」「靖国の英霊には朝鮮人の将兵もいる事が分からないのか」「彼らは英霊をダシにして日頃の鬱憤をぶちまけているだけではないか」「これでは竹島は我が領土だと主張する韓国のネトウヨと五十歩百歩じゃないか」と。
 確かに「日頃の鬱憤をぶちまけているだけ」「韓国のネトウヨと五十歩百歩」という指摘についてはその通りだ。しかし靖国神社に祭られている「英霊」は、本当に「英霊」として死んでいったのか。そうじゃないだろう。
 第二次大戦直前には、既に朝鮮・台湾・中国でも東南アジア・インドでも革命や独立運動が本格化していた。孫文や毛沢東、ガンジーやスカルノ、ホーチミンといった人たちが、真の独立を目指して西欧や日本に闘いを挑んでいった。一方、植民地を支配する宗主国の方でも、たとえば米国などはフィリピン独立の方向で準備を進めていた。武力で植民地を支配するよりも形式的に独立させて間接的に支配した方が安上がりで済むからだ。
 またこの時代は、植民地や従属国で独立運動が広がると共に、宗主国内部でも労働運動や大衆運動が発展し、国民が普通選挙権や婦人参政権、8時間労働制など今に繋がる権利を次々に勝ち取っていった時代でもあった。
 時代がそのように徐々に民族独立・人権拡充に向かう中で、宗主国の中で日本一国だけが、19世紀の日清・日露戦争の頃と同じように植民地を武力で抑えつけ、自国民の人権も治安維持法などで抑圧し続ける中で、不況の捌け口を更なる戦争に求めたのだ。自分たちの人権すらまともに保障されない国の国民に、他国民の人権への配慮なぞ出来る訳がない。だから南京やバターン半島など各地で住民の大量虐殺や捕虜虐待を引き起こした挙句に、ガダルカナルやインパール、東京大空襲や原爆投下の悲劇が繰り返されたのだ。日本軍兵士の死因の6割は戦死ではなく餓死だった。朝鮮や台湾の「英霊」も、故国遺族からの遺骨返還要求には耳を貸さず、靖国神社のメンツの為に無理やり仕立て上げ得られたものだ。実際には「英霊」どころか消耗品扱いだったのだ。

 戦争・ファシズムや帝国主義・植民地支配という、究極の「弱肉強食」を肯定したまま、幾らネトウヨや安倍・橋下・石原政治の「弱肉強食・競争至上主義・利益至上主義」を批判しても、部分的な「効能」に止まらざるを得ない。それを乗り越える為には、過去の一番最悪な部分にもメスが入れられ決別が為されなければならない。それがない限り所詮は「目くそ鼻くそを笑う」にしかならない。これが小林よしのり「脱ネトウヨ」論の限界である。 
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