アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

いささか手前味噌の宣伝ですが

2010年10月14日 20時58分44秒 | 職場人権レポートVol.1
 
 職場新聞の発行はやはり無駄ではなかったようです。徐々にではありますが、職場の雰囲気が確実に変わってきました。
 たとえば個人日報の件。前回記事で「日報つけろと言われても、そもそも書く暇もないじゃないか」という事を書きました。日報記入自体はしごく簡単な事です。既に主な作業名が用紙右半分にコード番号付で印刷されているので、そこから自分が今日一日やった作業を順番に抜き出して、それぞれに開始・終了時間を記入すれば良いだけです。それに補足する事があれば備考欄に書き足す。後になって思い出すのが面倒ならば、作業の節目ごとに終了時間をメモっておいて、最後に用紙に記入すれば良い。ものの10~15分もあれば書けます。しかし、一日の中で、そのたった10分、15分すら確保出来ないのが現状なのです。

 私の勤務シフトで言えば、一日基本7時から16時までの拘束9時間、実働8時間勤務の中で、休憩は前半30分、後半30分の1時間のみで、後は小休止もなく、ひたすら動き尽くめ、運び尽くめの毎日です。ギリギリの人数で仕事を回しているので、そうしないと配送便の出発時間に出荷が間に合わないのです。お陰で、ただでさえ少ない休憩時間が、日報記入で更に少なくなる。前半の休憩なぞ、早めの昼食と日報記入だけで終わってしまう。
 だから私なぞは、無理すれば当日退勤時に日報出して帰れるのに、「書く暇がない」と言って、わざと自宅に持ち帰って、翌日出勤時に出すようにしています。たかが紙切れ1枚書くのにも、そんな「無理」をしなければならない事自体が、そもそもオカシイのだと言う事を、上にも分からせる為に。

 それは、私だけでなく、他のほぼ全員が思っている事です。現に私以外にも、「そんなに日報書けと言うなら、時間ギリギリまで働かせるような真似なぞせずに、早めに上がらせてくれ」と、所長に直談判に及んだ人がいました。それに対して所長の言った台詞が、何と「帰りのバスの時間を後にずらせば良いんだろ」ですよ。翌日その人が憤慨して私に言ってきました。どこまでも時間一杯こき使いたいようです。そんなに「時間内に」書かせるのが嫌なら、そんな意味のない日報なぞ止めちまえば良いのに。
 そもそも、作業の遅延やミスも、全て大資本の新自由主義的「人減らし」経営と、それに何も言えない下請け社員の奴隷根性に起因する事なのに、それを労働者の「作業効率」や「モチベーション」の問題に摩り替えて、個人に責任を擦り付けようとする、上の魂胆が嫌みったらしい。

 昨日13日も帰りのバスの中は、その話題で持ちきりでした。しかも、言う内容が以前とは徐々に変化しています。以前なら「大変だ、かなわんな」「どうしよう?」という愚痴だけで終わっていたのに、今はもう「みんな大人し過ぎるんや、もっと言いたい事は言ったら良いのに」という声が、私以外の複数の人間からも上がるようになってきました。但し、それが労組結成などの具体的行動にまで踏み出せないのが、今の限界ですが。しかし、以前の「かなわんな」や「どうしよう?」だけの状態から、今の「オカシイんちゃうん」とはっきり言い始めた状態に、一歩前進しているのは確かです。ささやかながら、私の職場新聞も、その一助には確実になったのは間違いないでしょう。

 今日14日のシフト休みに、地域労組の事務所に出掛けて今後の進め方について少し相談した時も、この「個人日報」と「静音備品」の件で話が盛り上がりました。はっきり言って、労組の人も呆れ返っていました。
 「そんな意味のない日報書かせるよりも、人や時間の使い方にムダやムラが出ないように、現場で適切な指示が出せるように社員教育するほうが、よっぽど先決じゃないか」とね。
 「指定店舗には静音備品で出荷しろ」との指示に対しても、「そんな面倒な事を無理強いするくらいなら、一層の事、全て静音備品で統一すれば良いのに」。実際そうですよね。わざわざ仕様変更なぞしなくても、順次ドーリの車輪を音の出ないタイヤ製に切り替えて、カートに緩衝材を施していけば、それで済む問題じゃないですか。今も続々と新店をオープンさせている大スーパーに、「それぐらいの金もない」とは言わせません。
 そのくせ、配下のバイトに「静音備品を使用させろ」と言うばかりで、入荷受付窓口で注意書きを渡させるなどの具体的措置は一切取ろうとしない下請け社員の姿勢についても、「そもそも、バイトが少しでも作業しやすいように業務改善を図るのが、社員本来の仕事じゃないか」「その肝心な仕事をせずして、バイトと一緒になって仕事に埋没しているようでは、何の為の社員か分からない」とね。どれもこれも至極当然の意見です。

 最後に、今回の職場新聞の紙面差し替えについて。当初は北朝鮮での後継者内定のニュースを受けて、そのネタで行こうと思っていましたが、その後に牛乳仕分けや個人日報の話が出てきて、職場新聞もそちらの話題に対応しているうちに、当初のニュースがすっかり霞んでしまいました。全文はブログの方で見ていただくとして、こちらでは下記にその要点を引用するだけに留めておきます。

 
(引用開始)
職場の労働強化の問題も、最終的にはスーパーの新自由主義(金儲け至上主義)的な経営方針や一次下請けによるピンハネを是正しない事には、何ら解決しない。でもそれだけが問題ではない。その元請の新自由主義やピンハネを唯々諾々と受け入れている二次下請けの「社畜・奴隷根性」の問題もあるのではないか。それら「搾取する側」と「される側」の双方の問題が一掃(それが適わないならせめて軽減)されない限り、我々はこの生き地獄から抜け出せない。
(中略)
北朝鮮では次の指導者に金正日(キム・ジョンイル)三男の金正恩(キム・ジョンウン)が指名された。国の指導者を選挙ではなく世襲で決めるというのが、この独裁国家のやり方だ。しかし、それを「自由がない」とか「非民主的だ」と言って嘲笑する日本社会も、では自分たちはどうなのか。現に私の勤務先の会社も、北朝鮮と似たような有様ではないか
(中略)
一日12時間も13時間も働かされているのに、上司や会社には何も言えずに、「公務員は定時で帰れて贅沢だ」とお門違いの八つ当たりに出たり、「弱肉強食が世の習い、日本は資本主義なんだから仕方無い、それに文句を言う奴は怠け者だ」なぞと言って、そうやって自らの不甲斐なさを誤魔化しているだけじゃないか。
(中略)
今の日本社会の右傾化・保守化現象も、案外これが本当の姿ではないでしょうか。それは決して、今までの自民党政治が支持された訳でも、安倍や田母神が支持された訳でもない。「もうこれ以上良くならない」「ひたすら今よりも、他のもっと悲惨な誰それよりも悪くならないことを祈るのみ」と現状にしがみついているだけではないか。そんな諦めと奴隷根性が、「大勢順応」とか「勝ち馬に乗る」という形に靡くのが、パッと見には、恰も社会が右傾化・保守化しているように映っているだけではないか。
(引用終了)

 実際、労組の人も心配していました。「発注元のスーパーが利益追求・コストダウンに走り、下請けも上の顔色を伺う事ばかりで暴走を諌めようとしない、上記の”ロジ・ジョンイル”のような状況では、若し何か事故やトラブルが起こっても、誰も責任を取らないのではないか」と。それに対して、若し下請け社員が「上に逆らって、従業員の生活がどうなっても良いのか?」と脅かしてきたら、言い返してやれば良い。「従業員の生活が」ではなく「己の生活が」だろう、「己の生活」さえ守る事が出来れば「後はどうなっても良いのか?」と。
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1 コメント

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ロジ・ジョンイルの次はロジストロイカw (プレカリアート)
2010-10-16 00:23:54
 前半の休憩が終わって野菜ドーリ仕分けの続きをやろうと作業場に入ったら、また以前の「商品先撒き、後でハンディ・スキャン」の愚行をやっていました。どうやら、私の休憩中にまた社員がやって来て、「このやり方でやれ」と指示したようです。早速止めさせましたが。
 前回の記事や職場新聞でも書きましたが、毎日2千ケース近くも入荷する野菜ケースをさばくのに、「後でハンディ・スキャン」なんて事をやっていたら、どこまでスキャンしたか分からなくなる事ぐらい、分かりそうなものを。

 本人は「業務改善」のつもりでやっているのでしょうが、これでは「改悪」にしかならない。ゴルバチョフ時代のソ連も、さながら、こんな感じでペレストロイカが空回りしていって、旧ソ連の崩壊に繋がっていったのでしょう。

 このたとえ話を「団塊オヤジ」にしたら苦笑していた。ウチの職場で上記のオチが理解できるのは、多分「団塊オヤジ」ぐらいでしょう。その他のメンバーとなるともう、「ペレストロイカ」の意味から説明しなければならないので、ウチの職場新聞では取り上げられないw。
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