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ジョージの母国ガーナの紹介

2016年12月14日 09時18分34秒 | 職場人権レポートVol.3

 私の職場にはベトナム人だけでなくガーナ人のバイトもいます。そのガーナ人バイトのジョージ(仮名)については、ブログでもほとんど取り上げる事はありませんでした。しかし、先日の「事件」をきっかけに、彼とも挨拶(あいさつ)を交わすようになりました。そこで、今回は、ジョージの出身国ガーナについても、ブログで少し紹介しておこうと思います。

 ガーナは西アフリカにある国です。アフリカ大陸を北から南に、サハラ砂漠を縦断してやって来た先の、ギニア湾沿いにあります。
 面積は約23万平方キロと、日本の本州とほぼ同じくらいの広さで、四角形のような形をしています。そこに約2500万人の国民が暮らしています。
 南側の海岸部は熱帯雨林で、その外側にはサバンナが広がり、北のサハラ砂漠の方に近づくに従って気候は乾燥していきます。
 国土は平坦で、一番高い山でも標高800メートルぐらいしかありません。西アフリカの他の国もそうですが、大きな山がほとんどなく、地盤が安定しているので、地震もない代わりに火山や温泉もありません。ひょっとしたら、ジョージも温泉に入った事がないかも知れません。もっと仲良しになったら、一度いっしょに温泉に行ってみても良いかも知れません。同じアフリカ大陸でも、山あり谷ありでサファリパークなどの観光地も一杯ある東アフリカ諸国とは違い、ガイドブックもほとんどないので、紹介記事を書くのも苦労しました。

 ここで少し注目!
 本州ほどの広さがありながら、人口は最近急増しているとは言え、それでもまだ2500万人と、日本の約5分の1しかいない点について。
 これは日本だけでなく、アジアの他の同じ程度の面積の国と比べても少ないのです。例えば、韓国と北朝鮮を合わせた朝鮮半島全体では、面積約30万平方キロに約7500万人が住み、日本から九州を除いたぐらいの広さのベトナムに至っては、一昔前の日本と同じ人口1億人に迫ろうとしているのに比べても、はるかに少ない人口しか住んでいません。そうなった理由については、また後で述べます。



 ガーナと言えば、大抵の人はロッテの「ガーナ・チョコレート」が、頭の中に思い浮かぶのではないでしょうか。事実、ガーナは、チョコレートの原料になるカカオ豆(左上写真)の生産が世界第3位の国です(1位は隣国のコートジボアール、2位はインドネシア)。カカオ豆の実を砕いて、そこに砂糖やミルクを加えれば、チョコレートやココアになります。
 というか、もう、それぐらいしか思い浮かびません。学校の社会科の教科書の中で、ガーナについて書いてある事と言えば、もう、それしかないし、私もそれしか学んで来なかったから。
 その他に知っている事と言えば、昔、日本の野口英世が、黄熱病の研究の為にガーナを訪れ、自分自身も黄熱病にかかってガーナで亡くなったと、子どもの時に読んだ偉人伝に書いてあった事ぐらいでしょうか。

 しかし、カカオ豆をいくら作っても、米や麦とは違い、自分たちの食料にはなりません。まさか、チョコレートばかり食べる訳にはいかないでしょう。では、ガーナの人たちは、一体何を作って食べているのか。それがフフやケンケと言った食べ物です。いずれも、キャッサバやタロイモ、プランテン(料理用バナナ)などの雑穀を臼(うす)で挽いて、お餅や団子みたいにして、シチューみたいな汁の中に入れて食べます。これが最もポピュラーな料理みたいです。(右上写真)
 私は食べた事がありませんが、食べた人が書いたブログなどを読むと、フフは唐辛子味やカレー味のシチューの中にあるお餅みたいな感じで、日本人でもお雑煮感覚で割と美味しく食べる事が出来るそうですが、ケンケなどは独特の酸味があり、下の参考資料のブログにも正直「つらい」と書かれています。日本人にはむしろ、アフリカ版「焼き飯」のジョロフ・ライスがお勧めかも。こちらは、私も食べた事があるメキシコ料理のジャンバラヤみたいな感じか。

 ここで再び注目!
 ガーナの主要作物は、あくまでもカカオ豆のような換金作物であって、実際に自分たちが食べる物ではない点に。
 ガーナのような国では、輸出で外貨を稼ごうとするなら、自分たちが実際に作る作物の作付けを減らしてでも、換金作物を作るしかないのです。雑穀ではお金を稼ぐ事は出来ませんし、他に輸出できる物もないから。キューバの砂糖きびや、スリランカの紅茶(セイロン・ティー)、エチオピアのコーヒー豆なども、全てそんな換金作物です。
 実際には飢饉(ききん)で自分たちの食べる物もないのに、お金を稼ぐためには換金作物を「飢餓輸出」するしかない。たとえ大規模な環境破壊を引き起こしても。たとえ、取引先の国や企業から、いくらでも安く買い叩かれても。これこそが、アフリカを始めとした開発途上国に広がっている飢餓や砂漠化の、一番根っこにある問題なのです。

 ここで記事の上に貼り付けたガーナ全体の地図をよく見て下さい。ガーナにも鉄道はありますが、いずれも首都のアクラ(Accra)とその周辺地域にしか敷設されていない事が分かるでしょう。(++++が鉄道のマークです)
 この地図ではアクラの少し左上に当たる場所に、クマシ(Kumasi)という都市があります。昔のアシャンティ王国の都だった所で、今もアシャンティ州の州都になっています。日本で言えば、さしずめ京都に当たる町でしょうか。
 そこから2本の鉄道が、ギニア湾岸の港町に向かって伸びています。1本は西側のセコンディ・タコラディ(Secondi-Takoradi)に、もう1本は首都のアクラに。セコンディの港が手狭になったので、隣のタコラディにより大きい港を掘って、後にセコンディとタコラディという2つの港町が合併して出来たのが、今のセコンディ・タコラディ市です。日本で言えば「大阪・神戸市」みたいな感じか。後はセコンディ・タコラディとアクラを結ぶ路線だけ。
 その三角形の鉄道で囲まれた「おにぎり」みたいな地域が、カカオ豆や金の産出地域で、いわばガーナ経済の心臓部です。首都のアクラも、元はカカオ豆の輸出港から発展した町でした。鉄道も、カカオ豆の輸出の為に引かれた貨物中心のものだったので、今では寂れて誰も乗る人がいなくなりました。

 ここで金が出て来ました。この地図には載っていませんが、クマシとセコンディ・タコラディの中間にオブアシ(Obuasi)という都市があり、そこに大きな金鉱があります。ガーナはカカオ豆以外にも、アルミニウムの原料になるボーキサイトや金の産出国としても、割と有名な国なのです。
 昔は、ガーナは英国の植民地で、国名もゴールドコースト(黄金海岸)という名前でした。それが、独立を機に、イギリスの植民地主義者が付けたゴールドコーストという名前から、古代ガーナ帝国の名前にちなんだガーナという名前に変わったのです。
 ちなみに、ガーナの西隣のコートジボアール(Cote d'Ivoire)も、国名の由来はフランス語で「象牙海岸」という意味です。古い地図ではそのまま「象牙海岸共和国」として記載されています。その近くには「穀物海岸」や「奴隷海岸」もあります。いずれも、今のシエラレオネやリベリアからベニンあたりまでのギニア湾岸の地域名です。


ギニア湾岸の地図。左(西)から順に、穀物海岸(Grain Coast)、象牙海岸(Ivory Coast、仏語ではCote d'Ivoire)、黄金海岸(Gold Coast)、奴隷海岸(Slave Coast)。

 セコンディ・タコラディとアクラの中間ぐらいの場所に、ケープ・コースト(Cape Coast)などの都市があり、ヨーロッパ人が築いたお城が並んでいます。前述の地図にも海岸沿いにお城のマークがあるでしょう。左下の写真はケープ・コーストのお城の跡です。ここにアフリカ各地から狩り集められた大勢の黒人奴隷が閉じ込められ、やがて船で中南米や北米大陸、インド洋の島々に売り飛ばされて行きました。米国のオバマ大統領も、ミシェル夫人と一緒に、このお城を見学にやって来ました。これらの城跡が現在、世界遺産に登録されています。
 ここで最初に「国土面積の割に人口が少ない点に注目」と書いた意味が、ようやく分かったと思います。ブラック・アフリカ諸国の人口が相対的に少ないのは、全部ヨーロッパ人に奴隷に取られ、世界各地に売り飛ばされたからだったのです。

 
 

 右上の写真がガーナの国旗です。赤・黄・緑の三色旗の中央に黒い星が光り輝いています。赤は独立で流された血を、黄色は豊かな鉱産資源を、緑は森林・草原や農地を表すそうです。そして、自由と独立を勝ち取る中で、黒人としての誇りを取り戻す事を、中央の黒い星で表現したのです。
 ガーナは、サハラ砂漠以南のブラック・アフリカ諸国の中では、最も早い1957年に独立した国ですが、それでもアジア諸国の独立よりも約10年遅れを取っています。
 また、ガーナは、中国・韓国・ベトナムなどの国々とは違い、「ガーナ語」という物はありません。あるのは、各部族ごとにバラバラな部族語と、植民地時代に英国が広めた英語だけです。だから、ガーナの放送局では、英語の他に、主な部族語でも放送を流します。
 国語に相当するものがなく、あるのは公用語の英語だけ。英語の読み書きできる人は、国民の中でも限られています。今、職場で働いているベトナム人の中でも、日本語が喋れるのは一部だけですが、いわばガーナは、国全体が今もそういう状態にあるのです。

 植民地統治の下で、換金作物の栽培を強制され、輸出できるのは換金作物と鉱産資源だけ。国語もないので、独立後も「主人の言葉」を公用語として使うしかない。言葉も部族もバラバラで、文字が読めるのは国民の一部だけ。
 ガーナの初代大統領クワメ・エンクルマは、そんな状態から抜け出そうと、国内を流れるボルタ川に巨大な発電用のダムを作りました。地図の中央に広がる世界一広い人造湖のボルタ湖(Volta Lake)も、この時に出来たものです。国内に産出するボーキサイトをアルミニウムに精錬する工場を下流のテマ(Tema)に作り、そのダムの電力で工場を動かし、加工品としても輸出できるようにする事で、貧困から何とか脱出しようとしたのです。
 今もガーナでは、周辺国と比べればインフラは充実しています。幹線道路は舗装され、病院も全国各地にあります。これらは全て、エンクルマ大統領の功績です。その一方で、国内では独裁政治を敷き、野党の存在も一切認めませんでした。アフリカ統一の理想を説き、デモやストで独立を達成しながら、いざ政権を取ると、一転してデモやストを全て弾圧したのです。とうとう、無理な乱開発のツケがたまり、エンクルマは軍部のクーデターで国外に追放されてしまいます。

 その後、何度か軍事政権が続いた後、今は議会政治が復活し、野党の存在も認められるようになりました。やがて、ギニア湾沖に巨大油田も見つかり、今やガーナも立派な産油国の一つです。日本企業や中国企業もガーナに多数進出しています。
 その一方で、今まで紹介した色んな問題が、今も解決されずに残されています。海岸部の豊かな「おにぎり」三角地帯と北部過疎地域との格差や、都市と農村の格差も広がる一方です。外国資本や一握りの政権支配層が、石油やカカオ豆の利権で肥え太る一方で、多くの国民はスラムで貧しい暮らしを強いられ、文字も読めない人も大勢いる。それがガーナの現状です。国民の中には、独裁政治ではあったが格差是正に尽力したエンクルマ初代大統領を慕う人々も少なくなく、彼の記念碑も町中にあります。
 かつて、日本のアホな自民党議員が、オバマ大統領の事を「黒人奴隷の子孫だ」と言ってバカにして国際問題になりました。それがいかに、物事の上辺だけしか見ない浅はかな発言なのかという事も、これでよく分かりました。

(参考資料)
ブログの中の画像も全てWikipediaなどから拝借しました。

ガーナ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%8A
クワメ・エンクルマ- Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AF%E3%83%A1%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%9E
人と物で溢れるアクラ観光 (ガーナ旅行記)
http://kitagawa.ws/ghana-accra/
奴隷海岸の負の世界遺産 ケープコースト城 (ガーナ共和国)
http://kitagawa.ws/capecoastcastle/
食生活つらいです!楽しいけどつらいです!〜ガーナの伝統的な家庭料理をご紹介〜
http://afri-quest.com/archives/1152
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