今度また大阪市の市長選挙があるそうです。大阪都構想を実現すると息巻いて、大阪府知事を辞めてせっかく大阪市長になった橋下徹が、それでもまだ自分の思い通りにならず、「俺と反対派のどっちが市民から支持されているか勝負するのだ」と、破れかぶれの出直し市長選に打って出てきました。自分が当選した時だけ「俺は市民から支持されている」とウソぶいておきながら、支持されなくなったら今度は「どちらが本当の民意か問わなくてはならない」とは。橋下はどこまで自分勝手な奴なのか。
何でも、大阪都構想の新たな区割りを審議する為に設置された特別区設置協議会(いわゆる法定協議会、略して法定協)で、出された4つの区割り案について全部審議していたのでは時間がかかって仕方がないから、特定の1つの案に絞って審議しろと言ったら、みんなに反対された。それで逆切れして「選挙で決着を付けてやる」となったそうで。そんな事なら、一層の事、法定協も何も置かずに、試案作りから住民投票の実施まで、何から何まで全部自分一人だけでやれば良い。市役所の仕事も、そんなに職員を無能呼ばわりするなら、全部自分一人でやれば良い。やれるものなら。せいぜい取り巻きの、問題児ばかりの公募区長と一緒になって。北朝鮮の独裁者のように。
これを機に、改めて大阪都構想の区割り案についても調べてみました。大阪都構想の範囲には吹田・東大阪・堺などの周辺自治体も含まれますが、中心はあくまでも大阪市内です。その中心の大阪市を大阪都に、市内の24行政区も5つか7つの特別区に再編しようとしています。その中で出された4つの区割り案の中身が上図です。
なぜ4案なのか。大阪市の人口は約200万人だから、30万人づつ割れば7区も必要だが、45万人づつだと5区で済む。本当はその2通りだけ示して安上がりな5区の方で決めたいのだが、それだけだと税収の多い北区と中央区が一緒になってしまったりして、余りにも不均衡になってしまうので、それぞれについて、北と中央を分ける案も考えたら4案になった。その上で、あいりん地区を抱える西成区や、在日朝鮮・韓国人の多い生野区、低所得者の多い下町の大正区や西淀川区をどこが引き取るかという駆け引きも、水面下ではあったのでしょう。
以上の様に、区割り案の根拠は、どこまでも数合わせの論理でしかない。そうでなければ、西淀川区から住之江区までの臨海部一帯や、住之江区から平野区までの大和川沿い一帯を、1特別区に統合しようという案なぞ出てくる筈がなありません(上図の試案3、試案4参照)。住之江区から平野区まで行くには、電車やバスを何度も乗り継いで片道だけで2時間近くかかってしまいます。橋下は代わりに出張所を置くと言い訳するでしょうが、そんなものを置くのも最初のうちだけで、ほとぼりが冷めたら一気に廃止するに決まってます。今の赤バス廃止の様に。
当然そこには区としてのまとまりなぞある訳がありません。大阪都構想に賛成の御用学者の中には、「特別区になる事で区議会もでき区長も選挙で選べるようになる、これぞ民意の反映だ」と言っている奴もいますが、本当にそう思うなら、何もわざわざ区割りし直さなくても、今の24行政区をそのまま大阪都の特別区にすれば良いだけの話です。大阪市議会の議員定数についても、削減ではなく増員を主張する筈です。本当はまず予算ありきで住民サービスの削減しか考えていないくせに、お為ごかしで誤魔化すのも大概にせえ。
それが大阪都構想の正体です。財政再建といえば聞こえが良いが、要は地方自治の破壊です。財政赤字の解消だけが狙いで、そこに住む市民の暮らしや地域振興などは二の次。その財政赤字も、元はと言えば、ゼネコンを儲けさせる為にやったWTCやら舞洲やらの巨大開発でこしらえた物なのに。巨大開発より遥かに額が小さい公務員給与や、生活保護全体の0.4%にしか過ぎない不正受給ばかり攻撃して。そうして、大阪都の目的が住民福祉の削減にある事を悟らせないようにしてきたのです。
だから、最初は橋下を支持してきた自民党や公明党も、いよいよ大阪都構想が現実味を帯びてきて、それが住民福祉や地方自治の破壊でしかない事が明らかになるに連れて、次第に橋下とは距離を置くようになったのです。こんな奴の言いなりになってたら、最後には自分たちの次の選挙が危なくなりますから。
それが橋下にとっては気に入らないのでしょう。それで四面楚歌の状態から抜け出そうと、破れかぶれの辞任劇となったのです。
今までも橋下は、そうやって次々と自分で勝手に敵(抵抗勢力)をでっち上げて、敵と戦うヒーロー役を演じてきました。かつての大阪W選挙もそうでした。これが橋下お得意の「ショック療法」による「劇場政治」です。でも、同じ手ばかり何度も使っているうちに、相手にすっかり手の内を見透かされてしまいました。この「劇場政治」に対する一番有効な対抗法は、「橋下の作った土俵に乗らない事」です。ヒーローがヒーローでいられるのは土俵(劇場)の中だけなのですから。
そこで、自民党も民主党も公明党も、出直し市長選挙には敢えて候補を擁立せず、橋下を「一人相撲」に追い込む作戦に出てきました。これはなかなか有効な作戦です。別に無投票で橋下が市長に再選されても、同じ人間が元のさやに納まるだけなので、市長の任期は変わらず。市議会の構成もそのまま。別に何も変わらないのです。逆に「税金の無駄遣い」を追及される破目になるだけ、橋下が恥をかくだけです。
ここで二転三転しているのが共産党です。最初は他党と歩調を合わせて選挙をボイコットするような事を言いながら、突然、候補擁立を検討し始めたものの(2/4日付産経)、市議団から「橋下の人気取りに利用されるだけだ」と異論が出て、候補擁立表明の記者会見も中止に(2/5日付毎日)。今後どうするか、引き続き党内で議論する事になりました。
そこで慌てたのが維新。せめて共産党ぐらい出てもらわない事には、完全に「一人相撲」になってしまう(同日付朝日)。候補者も当選者も橋下一人の「自作自演」選挙に幾ら受かった所で、到底、市民の審判を受けた事にはなりません。下手したら、今まで形だけの選挙で政権を維持してきたアフリカや中南米あたりの独裁者とも同列とみなされかねない。これでは人気挽回どころか、完全に世間の物笑いです。
共産党が何故そこまで選挙にこだわるか。これは同党の歴史を見れば分かります。戦前から戦後50年代前半にかけて、共産党は権力から徹底的に弾圧されます。その弾圧に対する反発から、党内の一部には暴力革命や武装闘争に走る人たちも現れます。そうした党内混乱の中で、やっぱり武装闘争なんかではなく、党員や「赤旗」読者を増やし、選挙で支持を得る中で日本を変えていこうとする人たちが、共産党をここまで大きくしてきたのです。実際、1970年代の共産党が一番強かった時代には、定数1の参院補欠選挙で、共産党の沓脱タケ子が自民党の森下泰に競り勝ったりもしました。その中で「選挙ボイコット」なぞ主張するのは、「昔の武装闘争の時代に帰れ」と言うに等しい。だから、他党みたいに簡単にボイコットには踏み切れないのでしょう。
しかし、70年代当時と今とでは、同じ戦後でも時代は全く違います。70年代当時は、高度経済成長による歪(ひずみ)が、公害問題や物価高となって庶民に襲い掛かっていました。それに抗う住民運動や労働組合の力も、今よりも格段に強かった。当時は社会党も健在で、東京も大阪も革新系の知事だった。そういう時代だからこそ共産党も伸び続ける事が出来たのです。
しかし今は違います。昔の高度経済成長なぞ見る影もない大不況で、住民運動や労働運動も低迷。社会党ももはや無く、知事は全部保守系に変わってしまいました。選挙制度も中選挙区制から小選挙区制中心の今の制度に変わり、革新系はそう簡単に議席を取れなくなってしまいました。世論も昔よりははるかに右傾化してしまいました。
では何故、世論が右傾化したか。「ベルリンの壁」崩壊や北朝鮮拉致問題の影響は確実にあるでしょうが、私はそれ以上に、労働組合の右傾化による影響が大きいと思います。不況が続く中で、労働組合も御用化が進んだ。総評が解体し連合になってしまった。この連合が、東京都知事選挙では自民党推薦の舛添を応援するようになってしまった。労働組合が自民党推薦候補を応援するなぞ、70年代には考えられなかった事です。それもこれも、長期不況の中で、労働組合が企業の言いなりになってしまったからです。そして、その外側には、正社員をクビになり、会社からも組合からも見捨てられた非正規雇用の労働者が大勢いる。それらの貧しい人たちの中には、もはや共産党も組合も当てにはならないと、自暴自棄になって秋葉原の無差別殺傷事件やアクリフーズの農薬混入事件を起こしたり、ネット右翼に走る人たちも出てきました。
そんな人たちにとっては、選挙なんて何の意味もありません。所詮、当選できるのは、金持ちか、マスコミを味方につける事の出来る有名人のみ。それでも、共産党や社民党は今も議席を保持していますが、昔とは格段に力は弱くなった。貧乏人は、大政党に有利な小選挙区制や、高額の供託金に行く手を阻まれ、政治家になる事なぞ到底できなくなった。そんな時代が80年代から数十年も続く中で、世論も次第に「寄らば大樹の陰」「長い物には巻かれろ」的な考え方に染まる様になった。これが右傾化・保守化と呼ばれる物の正体です。
選挙一つとっても、そこまで様変わりしてしまっているのに、70年代と同じ様な選挙至上主義、議席や「赤旗」拡大一本槍の見方だけでは、橋下のやり方には対抗できないのではないでしょうか。
大体、独裁国家においては、選挙は単なるセレモニーでしかない。そんな選挙には民衆も見向きもしない。これは、共産圏や開発途上国の独裁国家だけに限った事ではないと思います。表向きは民主的と言われている日本や米国にしても、政治を牛耳っているのは、旧財閥の御曹司か、議員二世か、新興成金の長者か、マスコミを味方につけた電波芸者のみ。安倍晋三、麻生太郎、鳩山由紀夫、小泉純一郎、橋下徹、石原慎太郎、ホリエモン、渡辺喜美、東国原英夫、渡辺美樹(ブラック企業・和民の経営者から自民党議員になった)・・・皆そうじゃないか!
共産党に限らず、日本人には生真面目(きまじめ)な人が多いので、「不戦敗=無条件で悪」と捉える向きが強い。当の自分達の棄権を棚に上げて。でも、さすがに、かつての共産党のような暴力革命路線なぞは肯定できませんが、今回の出直し市長選挙のような大義のない選挙については、時と場合によっては敢えて無視するのも私はアリだと思います。
橋下も、そんなに対抗馬を立てて欲しい、選挙で人気を挽回したいのなら、幸福実現党あたりに頭を下げて、対立候補を擁立してもらったら良いでしょう。どうせ、維新も幸福も似たり寄ったりなんだから。実際、両党の主張は驚くほど似通っている。どちらも、憲法改正や軍備増強には大賛成、TPPや大型開発にも大賛成。弱肉強食の経済・競争至上主義で、原発も推進。橋下も脱原発なんてとっくに放棄した。違いと言えば、幸福が消費税には反対している事ぐらいです。そこで、似た者同士で「目くそ鼻くそ」の劇場対決をあおればよろしい。野次馬がわんさか来るから。但し、ヒーローではなく怖い物見たさにw。
>その中で「選挙ボイコット」なぞ主張するのは、「昔の武装闘争の時代に帰れ」と言うに等しい。だから、他党みたいに簡単にボイコットには踏み切れないのでしょう。
しかし、1970年代当時と今とでは、同じ戦後でも時代は全く違います。
70年代後半からの第二反動期で党勢が停滞し始めた頃から党内に登場してきた異論(=党勢拡大と選挙偏重ではダメだ。大衆運動をもっと活性化させる方針に転換せよ、という、8回党大会以来の議会闘争偏重方針への批判=袴田里見なども盛んに主張していた)は、20世紀末からの資本のグローバル化の進展の下で小選挙区制が導入された現在の日本の政治情勢下では説得力が一段と増していますよね。
もともと、不破ご自慢の「人民的議会主義」は、事実上の議会偏重主義(=ブルジョア議会主義)でしたから、議会主義的偏向が必然的に一国改良主義傾向を強めざるを得ない(=今の「議会」は一国制度)中では、大衆運動への取り組みがいっそう脆弱化してしまい、ついには党建設のための畑や田んぼさえ痩せ衰えさせることになってしまいました。赤旗読者拡大も、80年代後半からは元読者への再購読依頼がほとんど(7~8割)で、新読者や党員候補を生み出す畑が干上がってしまったのです。
その結果が、今日では、反原発運動でも反貧困運動でも、党は自前の大衆運動をほとんど組織出来ず、党外市民ががつくった反原連のような既存の運動に便乗・後乗りさせてもらうしかないようなテイタラクです。
グローバル化で国際連帯型の左翼的大衆運動が求められているにもかかわらず、共産党がやっていることは選挙・議会内闘争と外国政権党との幹部交流だけ、といっても過言ではありません。議会内での改良政策実現偏向の一国主義活動で議会外闘争が本当にやせ細ってしまった。
その結果が今日の時代錯誤=時代への乗り遅れです。
もっとも、こういう傾向は、国内外を問わず、20世紀型左翼に共通しているようですがね。
>何故、世論が右傾化したか。「ベルリンの壁」崩壊や北朝鮮拉致問題の影響は確実にあるでしょうが、私はそれ以上に、労働組合の右傾化による影響が大きいと思います。
この点は、経済学的・イデオロギー論的な分析をもっと深めなければ対策は産まれませんよ!
労働運動の右傾化は、レーニンの「帝国主義論」にある、独占利潤のおこぼれバラマキによる労働貴族の育成というような分析でも今日では不十分・時代遅れでしょうからね。
こういう問題を究明するためにも、オレが拘っている「現代の根」の把握が不可欠・急務なのです。
そう、イデオロギー的保守化・右傾化の温床になる、現代的な賃労働の実態や経済(=産業)構造の問題です。その変革に向けた政策・実践方針の鮮明化です。
ま、いろいろと課題ばかりで大変な現代ですね。
嗚呼、100人のマルクスが欲しいw