アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

万物は<本質さえもが>流転する?!

2009年09月21日 22時33分32秒 | 未完の政権交代
 当初の記事作成予定を変更して、次に紹介する議論を改めて記事として取り上げる事にします。まずは、9月11日付エントリー記事「戦後64年目にしてようやく憲法に沿った政治が始まる」のコメント欄から、当該議論の部分を引用します。

(引用開始)
●鳩山民主党の二面性 (プレカリアート、2009-09-13 22:57:32)  
(前略)
 つまり、鳩山政権というのは、一事が万事この調子なのです。今までの小泉・安倍政治の様な露骨な改憲・新自由主義路線には、流石に彼らもついて行けず、それらとは一応は一線を画すものの、改憲・新自由主義そのものを根底から批判し乗り越える立場には立てていないので、少しオブラートに包まれると、もう簡単にそちらの方に靡いてしまうのです。
 これは経済政策においても然り。小泉改革を批判し郵政民営化や後期高齢者医療制度の廃止・凍結を掲げつつも、それらの背景にあるグローバル資本主義そのものへの批判がないから、WTO・日米FTA推進などの矛盾した公約も、平気で口に出来るのです。
(中略)
 鳩山政権には、その様な二面性がある事は確かです。その二面性が、ただ純粋に「階級的視点の欠如」や「無知」から来るものなのか、それとも「第二自民の本性を今は隠しているだけ」なのかは、今はまだ何とも言えませんが。
 いずれにしても、そういう、どっちに転ぶか分からない脆さを抱えた政権である事だけは確かです。
 だから対処が難しいのです。徒に追い詰めて改革の芽を摘んでしまっては元も子もないし、かと言って、過度に期待した挙句に裏切られたのでは、何の為の政権交代だったのか、という事にしかならないし。
 いずれにしても、そういう政権だという事だけは、心しておかなくてはならないでしょう。

●口先だけだった麻生・舛添とは大違い (プレカリアート、2009-09-20 00:36:08)
(前略)
・<東国原知事>「僕の座右の銘は『友愛』」 新政権誕生に大きく国が変わると期待(毎日新聞)
※ついこの間まで「俺を自民党総裁にさせろ」とか言っていた男がよく言うよな。橋下と言いコイツと言い、ただひたすら自己の栄達の為に、権力に媚びる事しか頭にない。
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090917-00000004-maiall-pol

●可能性と蓋然性 (バッジ@楽観論警戒主義者、2009-09-20 16:52:03) 
>ついこの間まで「俺を自民党総裁にさせろ」とか言っていた男がよく言うよな。
この点ではついこの間まで「自民も民主も同じ穴のムジナ」的な批判を繰り返していた共産党をはじめとする左派の多くも「同じ穴のムジナ」ですwww
イタリア共産党などのいくつかの左翼政党が今日では既に完全に変質してしまっているという事実もあるように、物事は現象面だけで無く「本質」さえもが良くも悪くも変化するとみるのが弁証法的なものの見方です。
有権者・国民の突き上げさえ存在し続ければ、民主党は更に「左」に変わる可能性だってあります!(もちろん「右」に先祖帰りしてしまう可能性も)

●「過渡的な性格をもった新政権」 (バッジ@ネオ・トロツキスト、2009-09-21 12:36:18)
共産党の政治情勢観や誕生した鳩山新政権についての見方が支離滅裂であることについては、既に「さざなみ通信」で原仙作氏なども書いている(↓)けれど、原氏が問題にする共産党中央の「過渡的な性格をもった新政権」という規定やプレさんの言う「鳩山民主党の二面性」についてはもっと良く考えてみるべきことが多いように思うよね。
http://www.geocities.jp/sazanami_tsushin/dc01/situation2/s09092.html

というのも、「二面性」であれ「過渡的な性格」であれ、民主党新政権の「変化」や「発展(または後退)」の可能性、蓋然性についての考察が曖昧だからですよ。
民主党新政権が「二面」的な性格をもつ存在であるならば、その「二面性」はいわゆる「不変の本質」的な永続的・宿命的な二面性なのか否かという点がまず問題になります。
また、もし民主党政権の「二面性」や「過渡的な性格」が、変化・発展の中で解消されて行くような性格のものであるならば、共産党が言う「過渡的な性格」は、必ずしも他の政権によって取って代わられる必要さえないものになるんじゃないでしょうか?
少なくとも、共産党の目標とする「資本主義の枠内での改革」戦略から見て、民主党政権では「絶対に不可能」な政策領域が存在するということをその根拠ともども鮮明に暴露しなければ、この「過渡的」の正確な意味内容は示されませんよ。
(後略)
(引用終了)

 以上がこれまでの当該議論の流れです。該当コメント欄には全文がアップされていますので、そちらも併せてお読み下さい。私がここで俄然興味を引かれたのが、記事のタイトルとしても掲げた、バッジさんからの以下の問題提起です。

―鳩山新政権の持つ「過渡的性格」は、決して「二面性」「同じ穴のムジナ」論に解消出来るものではない。それは、今後の国民の闘いや運動の前進如何によっては、もっとより国民本位(革新的・左派的)なものに進化する可能性を帯びたものである。それは裏返せば、今までの自民党政治に逆戻りする可能性も同時に帯びている、という事でもある。鳩山新政権がそのどちらに転ぶかは、偏に国民の対応如何によっている。

―つまり、変わる可能性があるのは、何も現象面(郵政民営化見直し・八ッ場ダム建設凍結などの個別政策)だけとは限らない。状況次第では、それまでの本質(日米軍事同盟絶対視・FTA推進などの、民主党の持つ「第二自民党」的性格)をも変え得る可能性すら存在する。それを徒に「自民も民主も同じ穴のムジナ」と切って捨てているだけでは、何事も固定的・静止的に捉える「形而上学」的哲学の立場とも何ら変わらない。少なくとも、どんな物事でも変化・発展すると捉える「弁証法」的哲学の立場ではない。

 バッジさんの問題提起を、私は斯様に捉えました。勿論、それは時と場合と相手によります。幾ら「万物は流転する」といっても、まさか右派の安倍や麻生がチェ・ゲバラやチャべスに豹変する可能性はまず無いのであってw。胡錦濤や金正日のやり方をこっそり見習う事はあってもね(特に石原慎太郎あたりは)。その見極めが出来ずに、小沢新進党憎しだけで自民党とくっついた挙句に、ミイラ取りがミイラになってしまったのが、かつての村山社会党です。また、50年代に「ニワトリからアヒルへ」の進化を遂げらながら、80年代に入って再び労使協調路線に舞い戻った挙句に、解体に至った総評も、その悪しき実例です。

 斯様に、あくまでも時と場合と相手によりますが、今の鳩山政権が、米国オバマや韓国ノムヒョン・比アキノ、ホンジュラスのセラヤ大統領の立場ぐらいには変化する可能性も、決して無きにしも非ずではないかと。勿論、それは自然に為るものではなく、全ては今後の国民の闘いや運動の広がり如何にかかっている(その時に小沢はどう出るか?)。私はそう捉えましたが、他の方はどうでしょうか。

 そう考えると、何かわくわくして来ます。「民主党や自民党のお偉方ではなく、我々国民が政治を動かしているのだ」「さあ、明日も元気に出勤しよう」という気になって来る。少なくとも、「もうこんな新自由主義・弱肉強食の政治は真っ平だ」という国民の苦難に未だ向き合わず、この期に及んでもまだ「国旗の前を素通りするな」とか「もっと規制緩和・大企業減税を」とか「与党新人議員の誰それは元派遣社員だ風俗嬢だ」(差別意識丸出しw)とか、相も変らぬ民主・社民両党叩きや、果ては「落選・失業してしまった何か仕事くれ」(最賃生活やネカフェ難民生活を実体験視察する丁度良い機会じゃないかw)とかいう「お気楽ウヨクお花畑」な議論に耽るばかりの自民党や、そんな自民党をヨイショするしか能の無い産経新聞や「WiLL」の相手をしているよりか(実はこれが当初予定の記事の題材でした)、よっぽど健康的・生産的な議論になると思います。
 私、これを機に、もう十何年かぶりに、若かりし頃に受講した労働学校のテキストを本棚から引っ張り出してきて、「形而上学」「弁証法」の項目を読み直しましたw。「さざ波通信」の記事を読んだのも、もう何年ぶりかも。
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