アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

アベ紙芝居のサル芝居

2014年05月25日 00時45分51秒 | 戦争法ではなく平和保障法を
 

 今の憲法の下では、日本は自国を守る為の最小限度の防衛力しか持てない事になっていますが、それを「他国を守る為にも使えるようにしよう」と言うのが「集団的自衛権」の考え方です。5月15日に安倍首相がマスコミの前で、上記2事例のパネルを掲げてその必要性を力説したそうですが(首相官邸HP参照)、全然説明になっていません。

 まず左の「邦人輸送中の米輸送艦の防護」パネルの例えから。「第三国で紛争が起こった際に、日本や米国の民間人を乗せた米国の輸送艦が攻撃を受けても、日本の自衛隊は今のままでは防護(護衛)にも向かえない。防護できるようにする為にも集団的自衛権が必要だ」と言いたいのでしょうが、少し考えるだけでも、この説明にはおかしな点が一杯あります。

 まず第一に、なぜ輸送艦(軍艦)なのか。パネルの図では日本も米国も部外者でしょう。両国とも、紛争の攻撃国でも被攻撃国でもない、ただの第三国にしか過ぎません。その第三国が自国民を救出するのに、なぜ軍艦を差し向けなければならないのか。別に軍艦で乗り込まなくても、民間の船舶か民間機で救出すれば良いでしょう。紛争当事国がそれを故意に攻撃する事はまずないはずです。そんな事しても紛争当事国には何の得にもなりませんから。下手すれば国際法違反の責任を問われ、更なる制裁を招きかねない。
 逆に、そんな紛争地帯に軍艦で乗り込んだら、自分たちも敵として攻撃されかねない。例えば、今、南シナ海の西沙・南沙諸島の領有権を巡って、中国・ベトナム・フィリピンの間で紛争になっていますが、もしその紛争が拡大して在留邦人を救出しなければならなくなった時に、わざわざ自衛隊の軍艦を差し向けますか。在留邦人はベトナムにもフィリピンにも中国にも大勢いるのに、そんな事をしていたずらに紛争をこじらせでもしたら、一体誰が在留邦人の生命・財産確保に責任を持つのでしょうか。
 輸送自体は民間船舶か民間機にまかせて、それでも不安なら自衛隊機を数機護衛につければそれで済む話でしょう。それなら別に何も集団的自衛権なぞ持ち出さなくても、個別的自衛権(専守防衛)だけで対処できる筈です。自国の輸送船・輸送機の護衛に止まるのですから。護衛につけるのは別に自衛隊機ではなく海上保安庁の巡視艇でも構わない。その場合はもはや自衛権ではなく警察権の行使だけで済みます。マスコミの記者も、「立憲主義が」云々と回りくどい質問をするくらいなら、なぜこの端的な矛盾を安倍に突き付けないのでしょうか。

 そして第二に、なぜこんな場合も、いちいち米軍や米国政府ばかり引き合いに出すのか。この図では救出対象は在留邦人と米国人だけになっていますが、実際の現場では米国人ではなく中国人の場合だってあり得る訳です。現に海難救助の現場では日本の海上保安庁の巡視艇が中国人の漂流者を救助したりしているのですから。マレーシアの航空機が離陸後消息を絶った時も、日本の自衛隊を始め、ASEAN・中国・オーストラリア等多くの国々が捜索活動に加わりました。アルジェリアにある日本企業の石油施設がイスラム原理主義のテロリストに襲撃された時も、米国だけでなく、アルジェリア政府を始め、フランス・EU等多くの国が救出に動いてくれました。本来、人命救助に国籍なぞ関係ないはずです。
 それが、相手国が中国やASEAN・EUの場合なら集団的自衛権なんて話には全然ならないのに、なぜ米国の時だけこの話になるのか。

 また第三に、なぜ今、集団的自衛権なのか。安倍首相は、二言目には北朝鮮のミサイルや中国の軍拡を例に挙げて、国際紛争が激化した事を集団的自衛権を行使する口実にしようとしていますが、これも矛盾しています。なぜなら、今より昔の東西冷戦時代の方が、国際緊張ははるかに激しかったのですから。当時はキューバ危機などで、常に核戦争勃発の危険と隣り合わせでした。日本の周辺でも、朝鮮戦争・ベトナム戦争・台湾海峡危機・中ソ対立・中越紛争などが身近に起こっていました。その中で、沖縄の米軍基地からは連日のようにB52爆撃機が飛び立ち、当時の北ベトナムを空爆していました。日本はベトナム戦争では第三国どころか立派な参戦国でした。
 その頃から比べたら、むしろ今の方がよっぽど平和じゃないですか。ベトナム戦争が終結し、東西冷戦も中ソ対立もなくなり、南北朝鮮も国連加盟を果たし、今や中国やベトナムも開放経済政策で、西側諸国との結びつきをますます強めている。日本や台湾の企業が大挙して中国に進出し、日本にも多くのアジア人が観光や働きにやって来るようになりました。その中で、たとえ北朝鮮やアルカイダが時々暴れたとしても、一体どれほどの影響があるのか。今の中国に、本気で日本や米国と戦争をする気があると思っているのか。今、中国が領土紛争で周辺国に強気に出ているのも、日本が尖閣国有化や靖国参拝で余計に紛争をこじらせたせいもあるのではないでしょうか。今の北朝鮮なんて、かつてのポルポト政権やイラクの旧フセイン政権みたいなものでしょう。今のアルカイダやタリバンにしても、せいぜいイタリアのマフィアに毛が生えた程度のものでしかない。そんなものの為に、なぜ集団的自衛権を行使しなければならないのか。

 いずれにしても、人命救助だけが目的なら、何も集団的自衛権なぞ持ち出さなくても、個別的自衛権だけで十分対処できます。それをわざわざ、第三国の紛争に自衛隊や米軍を絡ませるのは、本当は人命救助なぞどうでも良くて、米国が介入する紛争に加担して、米国に忠義立てしたいだけなのでしょう。イラク戦争の時のように。
 邦人救出というのも、戦争に介入する口実にしたいだけなのでしょう。「自国民救出、居留民保護」といえば聞こえが良いですが、実際はそれが植民地支配や侵略戦争を始める口実となってきた事は、古今東西の歴史を見ればもう一目瞭然です。戦前日本の台湾出兵、シベリア出兵、満州事変、日華事変しかり。19世紀から20世紀にかけての、米国による米西戦争やハワイ併合、中南米侵略、ベトナム戦争しかり。ソ連のチェコスロバキア・アフガニスタン侵略しかり。今のロシアによるクリミア半島占領しかりで。

 これは右の「駆け付け警護」パネルの例えでも言える事です。「第三国にPKO要員として参加した日本のNGO関係者が武装集団に襲われても、PKO参加中の自衛隊部隊ですら憲法9条の制約の為に警護に駆け付けられない」、その制約をクリアする為に、今までは「憲法上使えない」と封印してきた集団的自衛権を今後は行使できるようにしたいと。
 
 でも、そもそもPKO(国連平和維持活動)って、紛争が終息した後に、和平を実効あるものにする為に、国連の名前で選挙監視団や停戦監視団として、その国の復興や自立を助ける為に参加するものでしょう。東チモールやモザンビーク、シリアのゴラン高原で今行われているように。そのもっとも成功した例が東チモールです。東チモールで民族独立運動が勝利して、せっかくポルトガルの植民地から独立するも、隣国のインドネシアが介入して自国領に一方的に併合してしまった。その苦難の末に、PKOの力も借りて、ようやく独立して自立の道を歩み始めた。その独立の手助けを日本の自衛隊もPKOとして参加して行っている。別に集団的自衛権があろうが無かろうが、そんな事とは何の関係もなく。他国のPKO部隊に何かあった時も、別に自衛隊がいちいち出しゃばらなくとも、他国や国連に任せば良いだけの話です。

 それで今問題になっているのは、失敗したPKOでしょう。なぜ失敗に終わったかと言うと、紛争終結、和平達成とは名ばかりの、イラク戦争の時みたいに大国が介入して、覇権争い、勢力圏争いの代理戦争みたいな形になって、その隠れ蓑として利用されるだけの「偽物PKO」に終始したからでしょう。
 その最も代表的な例がアフガニスタンです。アフガニスタンの例は、正確にはPKOですらない、単に国連のお墨付きを得た多国籍軍(ISAF:国際治安支援部隊)による支配ですが。その多国籍軍が、タリバン政権を倒してからも誤爆ばっかりやった為に民衆からすっかり信用を失ってしまい、今やタリバンの攻勢の前に風前の灯になりつつある。それは誰の責任か。誤爆ばっかりやらかして、タリバンを生んだ貧困や民族対立の解消には全然手を付けず、軍閥を甘やかしただけに終わった米国やNATO(北大西洋条約機構)加盟諸国の責任でしょうが。
 その責任もきっちり取らさず、ケツ吹きだけをなぜ押し付けられなければならないのか。現にアフガニスタン現地で医療活動に携わっているNGO「ペシャワール会」の中村哲医師も、「自衛隊なぞ来たら自分たちも侵略の加担者として攻撃されるようになる。集団的自衛権の行使なんてとんでもない」と、反対しているにも関わらず。

 それ以前に、「NGOを集団的自衛権行使の口実にする資格がそもそも安倍にあるのか?」と私は思っているのですが。戦争前からイラクの子どもたちを支援してきた高遠菜穂子さんたちに対して、安倍などイラク戦争に賛成した米国追従の政治家が一体どういう態度を取ったか。中村哲さんと同じような理由でイラク戦争に反対したからと言って、思いっきりバッシングしたくせに。その安倍が、PKOや集団的自衛権の行使を正当化する為に、NGOを隠れ蓑に使う資格なぞ一切ない!我々はこんなチンケな紙芝居(パネル)に騙されるほどバカじゃない!
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参考記事 (プレカリアート)
2014-05-25 07:05:45
 このブログ記事でも触れたNGO「ペシャワール会」代表・中村哲さんの発言を紹介しておきます。

集団的自衛権を考える 「ペシャワール会」現地代表・中村哲さん(中日新聞)

◆9条は歴史的遺産

 アフガニスタンでは「憲法九条があってよかったな」と、日々思いながら暮らしています。身の危険を感じずに済むからです。

 アフガンの人たちは米国が嫌いです。過去に侵略された英国も嫌いだし、白人系というだけで誘拐や攻撃の対象になる。ドイツ人が「私は米国人じゃない」と言ってもだめです。

 でも、日本は特別な存在です。敗戦から復興した経緯が似ていると思われているのか、反政府側からも狙われることがありません。二〇〇八年八月にペシャワール会のメンバー一人が強盗に襲われて死亡しましたが、日本人だからという理由で狙われたわけではありません。

 同じアジアでも、中国は唐の時代から争った歴史があり、好感を持つ人は少ない。韓国もベトナム戦争で米国の同盟国として一緒に戦ったことが知られているので、アフガンの人からは嫌われています。

 米中枢同時テロの後、日本が米国の同盟国としてインド洋で給油活動をしたことは、アフガンでも知られています。でも、軍服を着た日本人が直接国内に来たわけではない。イラクでの活動も「人道復興支援」を大きく打ち出しました。そうでなければ、アフガンで活動する日本人がどんな扱いを受けていたことか。

 九条の威力とは、そういうものだと思います。日本は軍事協力に消極的だった結果として、世界に敵をつくってこなかった。アフガンでは敵意ではなく、恩人としての意識だけが残った。それは日本のブランド力、歴史的遺産とも言うべきでしょう。

 だから、集団的自衛権を使えるようにすることは、ひと言で言えば「危険」です。近隣国の敵意が増して緊張状態をつくり出すだけで、防衛になっていない。戦争以外の手段で国を守るのが戦後の理想だったのに、戦争ができた昔に戻す動きに見えてしまいます。

 北朝鮮の核実験や中国の挑発があると国民はヒステリックになる。政治はその隙を突いてきます。軍備を増強しながら「積極的平和主義」などと言っても、他国は信じませんよ。いつけんかになってもいいように道具や仲間を増やしているとしか思われません。

 積極的平和主義というのは、米国がアフガンでやろうとしていたことです。彼らの多くが「平和をもたらそう」とやってきましたが、人が死に、国が崩れ、破壊だけが残った。それがアフガン戦争の実態です。

 米国の介入でアフガンの人々の暮らしは明らかにひどくなりました。活動を長く続けていて、こんなひどい状況は初めて。昔は考えたこともありません。

 近年の戦争はなるべく自国の兵隊の犠牲を出さないように、無人機で攻撃する。手段を選ばない汚い戦争です。あの仲間に加わるのかと思うと、身が汚れるような気がします。

 大事なのは、人間の犠牲を減らすための外交努力です。自分が殺されるのは嫌だから、相手も殺さない。これが普通の感覚じゃないですか。

http://www.chunichi.co.jp/article/feature/our_kenpo/list/CK2014050302000174.html
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