どこまで行けるか80歳

崖から突き落とし。這い上がれるのか

要支援1のわたし

2018年04月29日 | 始めての出来事
昨年くれからどどどっと体調悪化の生活であった。

そのうえ妹の具合も悪く、日常生活に不自由となっていた。

周囲の勧めもあり、介護申請をしていた。

が、今の介護事情から、支援はむりであろうとおもっていたけど、要支援1がでた。

うちは介護者が年上、被介護者が障害ありの老老介護なので、関係悪化のよぼうなどもあったことだろう。

とりあえず要支援1でどこまでやれるかやってみよう。

今老人のチマタでは、介護保健は一口に「やくにたたないもの」と言い切られているようだ。

そうだろうか。自立をささえるため、という方向はいいことだと思った。

契約書の「出来ないこと」という項目を読むと、ヌヌ?と思える不審な部分は多い。

いろいろな要求に答えつつ、規則もありとむつかしいのだそうだ。

とりあえず、支援ってどんなもの?というところからやってみようと思う。

わたし対話の不自由な人です

2018年04月25日 | 楽しい後期高齢生活のために
同い年、同年代との会話が最近不自由な自分に気づく。

まず、夫、息子、孫がいない。スマホ、テレビと無関係である。そして週刊誌にも無関心。

同年代ならそれでもまあ、あっちが痛い、こっちが不便ということで、はなしはあう。

が、それ以外の関係の人とは、はほぼ会話が続かない。

愛想という言葉もあるだろうに、ソッチモ不便なひとである。

今時こんな人がいていいのかいと思われてもしかたがない。

足腰がうごきにくくなり、外にであるかないくせにテレビをみないというのも我ながらなあ。

テレビくらいみれば良いではないかと言われても、そういう癖が付いていなくて、本人は困っていない。

  突然だが、NHKの使用料金、この場合高すぎ。

私との対話で一番困っているのは美容院の美容師さんではないだろうか

他の場所では無視してもらってもいいのだが、対面サービスでは、なにか話しかけないと時間がもつまい。

私も困るがあっちも困っている模様。

月二回、カットの時間を20分とみてもかなり長くかんじてしまう。

トウトツにだが「成年後見人保険」ってどうだ

2018年04月21日 | 成年後見人的立場

成年後見人とは?という疑問を持っている人に、よくあう。

私も自分が妹の後見人をやりながら、いまいち良くわからない部分がる。

 わかっていたけど手続きをしてしまい、2年もたつと???ということが増えた。

が、ウチの場合、念のためわたしのほかにプロの後見人ももうひとりついている。

 わからないことがあればそっちに丸投げというところで、あまり不安はない。

だが、私にも物忘れが増え、体調もかんばしくなくなった。

 いよいよ介護保健のお世話にもなることになって、思う。

 今までの2年はあまりサブ後見人のデル幕はなかった。

 が、このさきサブの後見人に私も病院や、市役所、銀行への世話をお願いすることだろう。

 その段階になると、料金はどうなるのだろうということであった。

 すべて後見人が出来るとはおもえない。どこまでならたのめるのか不安である。

 仮にやってもえたとして、料金はかかってくるだろう。

 この場合、支払えるひとはいいとして、支払いできない人の場合はどうだ。

 後見人にはサイテイ金額が保障されるのだと学んで居る。

 ということは、後見人はあまりいい仕事、魅力的な仕事とはいえなくなるだろう。

 引き受けた人の経済状態によっては収入がすくなからだ。

 そうなれば、良い人材が気持ちよく希望する職場ではなくなる。

 私の後見人さんはいい人である。

 この人なら経済的に恵まれないまま、支払えない人をサポートするかもしれないが、気の毒だ。

 また、そういうことになれば、ヤルキもなくなりよくない行動に出る場合もあろう。

 後見人による悪事である。これではおちおち後見人にもなれなければ、頼みもできまい。

 将来「成年後見人保険」などでき、頼むほうも頼まれるほうも安心なシステムってほしい。

 子供のいない人。子供がいても頼れないひと。どんどん需要はふえる。

 私も2年前、後見人を申し込んだ時には、2年後にこんなにダメになるとはおわなかった。

 いい人でよかったと思えるのも、前もって契約していたからだろう。

 いきなり知らないひとに頼む不安はさけられたと思う。

 ひとは成年後見人について、グレーは感覚をもっていそうだ。

 「成年後見人による恐ろしい、ナントカかんとか」という本まで出ている。

 知らない者から見れば不安のもとであろう。

 この制度が出来た時ほど、こしらえた側が力を入れていないなあと感じる。


ある晴れた日に

2018年04月15日 | 楽しい後期高齢生活のために
蝶々夫人ではない。老化のことである。

ある日トウトツに、耳鳴りを感知する。食べ物にむせる。

足がまえにすすまない、コインが指の間からすべり出て落とす。

言えばきりがない。すべて老化現象である。

市の公民館講座では老化予防、健康寿命のばしなどの講座がふえた。

集まるのは80代?と思われる人々である。私もだが。

こういう年代にはたして、老化予防など有効だろうか。

すでに老いている。

これは60代あたりの人に呼びかけているのだろう。

が、60代の人はこういうところには来ない。

山だ、観劇だ、ショッピング、食べ歩きと元気である。

私もそうだった。老化防止講座があったのかどうかも知らない。

でも、あの時から老化は着々と進行し、個人の差別にある晴れた日に、突然訪れる老化。

60代にはじめる予防を、現れて始めるのは辛い。

痛い。しんどい。ききめがない。

それでもみな、熱心にきいている。私もだけど。

ついに脳誤作動?

2018年04月10日 | 始めての出来事
腰痛を押さえるために痛み止めを飲む。

痛みは和らぐがなんだか脳がうごきにくいなあと感じる。

人にいうと、あたりまえじゃないかといわれた。

そのせいにしていいのかどうか、脳が誤作動を始めたらしい。

覚えのないことが増えた。どうしても記憶にない。

マイナンバーの行方。

図書館の予約

国民健康保険証の行方、買ったはずのチケットの行方。

ここ数ヶ月のできごとである。

ひ、ひどい。よりによって重要証ばかり。

そしてなによりも怖いことに、これは私が悪いのではない、と自分に言い聞かせる私がいる。

それって、財布を盗まれた!状態ではないのか。

結果は、あとから出てきて納得したり、覚えがなかったはずのものを中途ハンパに思い出したり。

なぐさめに、思い出すうちはいいんだとは、泣ける。


念のため物忘れを医師にいうと、睡眠薬や痛み止めのせいで物忘れが増えるのではないとのこと。

むしろ、不眠がいけない。眠れないのならとっとと睡眠薬を服用しなさいとのことであった。

80歳の貯金

2018年04月06日 | 楽しい後期高齢生活のために
80歳になった友人が「貯金を始める」という。

長生きをしそうでこわいというのが理由である。

なんだかなあと絶句。でも友人の不安はただしい。

私だって生きているあいだにお金が足りなくなるだろう。

それは不安だ。お金がないのは首がないのと同じどころではない。

そういうことを友人はふまえて生活を切り詰めるという。

が、貯金してそれが不用になるということもおおいにある。

うーーん。長生きは問題がおおすぎはしないか。

そういえば親が、常にお金の出入りに気を遣いながら死んだあ.

そして死んだあとに、それなりの現金がのこっていた。

そのときは、何で生きている間にこれを使わなかったのだ、とおもった。

が、自分がこの年になってみると、一銭もなしでは不安である。

かといっていまさら貯金はナア。

でもでも、80で貯金してそういう金が死後に残るのは恥ずかしくないか。

この「残るのは恥ずかしい」というあたりが微妙である。

幾らならまあよくて、幾らぐらいなら恥ずかしいのか。

いいぐあいにお金の切れ目が命の切めであるワザはないものか。



桜散る

2018年04月02日 | 楽しい後期高齢生活のために
さえない色で終わりそうだった近所のさくら。

ちり際にまばゆいばかりに美しくかがやく。

えーっ。桜がいちばん美しいのはさきかけだとおもっていたのに。

散り始めたさくらの美しいこと。

いままでそれに気が付かなかっただけだろうか。

それとも私の見る眼、感じ方がかわったのか。

そういえば最近、今までは感じなかったようにものを見るようになった。

たとえば、からだが思うように動かない自分を、いままでなら何とかしようと頑張ったものである。

が、ここ二、三ヶ月の間にこれはもう、しかたがない。

動かないものをむりに動かせないで、なあなあで行くか。と言う風に風向きを変え始めている。

いいのだか悪いのだかわからないが、そういうものだと思うことにしている。

桜のちり始なんて、見向きもしなかったが、どうだろう。うつくしいではないか。

そうやって人は年齢の変化に折り合いをつけ、幸せを調達してやっていくものらしい。

そういうことでいいのではないだろうか。