目前の80

まだかもうか

もし、ヘンだと思ったら言ってね

2017年06月30日 | 楽しい後期高齢生活のために
ひとり暮らしの女どうしがよくいい会う言葉だ。

ちょっと前までは冗談半分本気半分でそういうことをいいあっていた。

が、そろそろ80台を近くにした近頃になって、ピタリとこの話は消えた。

なんでやろ、いよいよやないのと思っていたが、わかったことがある。

まず、ほんとに友達がヘンと思っても、それは言ってはいけないことである。

なにもないときにきらくに言い合う言葉であって、相手にヤバイ感がでると、言えない。

いや、やむなくそれとなくいってみたら、イケナカッタ。

言っても本人は絶対おかしいとはおもわない。強い拒否をうけた。

ショックだった。が、それが本当の姿なのだ。

両親の時でも、母は言えばわりと素直に「そうか」と言っていたが、父は口をヘにして、がんば

っていた。

まして長い付き合いであれ、友人であれ、無理なんです。

で、私としては、だれからも注意がないものとして、できれば素直に周りの反応をみて、私って

ヤバイ?と感じたら専門家に相談するしか手遅れを防ぐ手はないが、甘いカ。

乳母車からワん!

2017年06月28日 | ほう、へーな話
JRに乳母車が乗ってきた。

かわいい、センスのいい乳母車である。

けっこう混んでいて、みな身をよせあって、乳母車を守るように立ち位置をきめかねている。

が、ふしぎなことに赤ちゃんの顔がみえない。ぴたりとドーム?をとじている。

そういう乳母車を見かけたことがないので、まわりもやや??という顔だった。

列車が揺れた瞬間、ドームの内側で「わん!」

え!というように周囲が顔をみあわせた。ふたたび「わんわん」

まさかとは思うが、乳母車に犬を入れて、混雑した車両に?

降りるまで赤ちゃんのけはいはしなかった。

かなり若めの女の人で、あかちゃんがいてもおかしくないが、どうなんだこれは?

犬は犬バスケにではないの?

にしてりっぱな乳母車であった。


サプリは役に立たないというけれど

2017年06月26日 | 楽しい後期高齢生活のために
ちょっと前まで、サプリには見向きもしなかった。

さる人がサプリは何の役にもたっていないと説いたからである。

根拠として、栄養とは食べ物が口からはいって、胃、腸、肝臓などを経過しつつ、消化分解され、

複雑な過程を得て身につくような仕掛けになっている。

いきなり純粋な栄養素や物質が体にはいっても、そういうものをソク受け付けて役に立てる

システムにはなっていないという。

なんだかすごく納得できたからであった。

が、最近のわたし、ほぼサプリフリークとなってしまっている。

なぜか。それはあまりにも周囲がサプリズケであり、サプリを飲まないとおいてけぼりに

なっているきがすること。

そして、同じ理屈をいうなら、医薬品はどうなんだと思うこと。

同じ純粋物質をいきなり体にいれるという理屈では、サプリ以上ではないか。

なにしろ血管へ入れるのだから。

医薬品は効果を実感できる。つまり純粋物質を体に入れて、充分役に立っている。

では、ひょっとしてサプリも緩やかではあるが効き目があるのではと思い始めた。

なぜなら、最近あちこちに痛みや不具合がふえ、医薬品では追いつかないというか、

補佐、お助け、何でもいいから自分をごまかしたいという身も蓋もない要求に負けたと思う。

そして気がつくと何種類ものサプリを愛用中なのだ。

ナサケナイとおもう。ちょっと前、高価なサプリを飲んでいる友人をバカにしていたわたしは

どこへ行った。

で、サプリをやめるのかいといえば、やめない。

中毒だろうか、てばなせない。効かないといわれようが、やめるのは不安。

なんで効き目も定かでないモノを、やめるのが不安なのか自分でもよくわからん。

漢方の医師は、サプリにも人によっては効く体質、効かぬたいしつ、どっちでもないひと、

かえって害になるばあいもあると。

えーいわからん。

パクパク人形の力

2017年06月23日 | 病を斜めから見る
妹は手つくりのティッシュケースに見切りをつけた。

やっていて空しくなったのか、あきたのか。

見ているほうも辛くなってきたところだった。

そこで、簡単にできるパクパク人形をつくらせた。

お笑いの教室で腹話術の練習ようにと思ったからだ。

出来上がったパクパククンを教室へ持参。

たまたまホーム訪問日であった。

お笑い福祉士主宰の笑福亭学光師匠が目に止め、高座へ。

そこで、腹話術の要領でぱくぱく人形をあいてに高座を勤められた。

人形は2枚の布と、1キレの端切れで作ったものだったが、師匠の技で、やんちゃな男の子に変身。

ホームのお年寄りのご機嫌をうかがっている。

その様子をケータイの録画機能を使って一部を撮影し、妹にみせた。

これが妹にはかなりきいたらしい。

翌日からパクパク人形に切り替え、様々な人形をつくりはじめる。

顔が、今までとちがう。言うこともしっかりしてきた。

自分の作ったものが、役に立っているという事実がこんなに力を持つとは。


人の世話にはならんとはそんなにいいことか

2017年06月21日 | 楽しい後期高齢生活のために
友人が腰の骨を折り、ひとり暮らしの自宅療養中である。

介護保健への申請を進めても生返事で前に進めていない模様。

よく聞くと「人の世話にはなりたくない」という。

えええ!とのけぞった。うそでしょう。

病状はわからないが、毎日の生活に当然無理がかかっているだろうに。

かえって治癒がながびかないのか。

だいいち、頑張ればよくなるというものではあるまい。

なぜそんなに人の世話になるのをいやがる?傷つくのかな。

家に他人をいれたくないという人も居る。

だが、動けない、ひとり、という状態はいつか来る。

うちは妹の件もふくめ、いつどうなっても気軽に専門家に家に入ってもらえる準備をしよう。

そういえば、父がよく言っていた。

「だれの世話にもならん」あのときの父は九十歳だった。

まわりの迷惑など見向きもせず、勝手なことをして、迷惑かけっぱなしであったなあ。

年をとって、しかるべき状態と判断したら、人の世話になって、

迷惑をかけないという覚悟こそ老人の自覚ではないだろうか。

成年後見人はひとりより、二人が便利。

2017年06月19日 | 楽しい後期高齢生活のために
妹の成年後見2年が経過した。

今年も家庭裁判所に妹の生活、主に経済状態について報告する。

うちは私以外に専門の後見人がもうひとりいる。

私に事故があったばあいに、即座に交代できる。

また、妹が私にしなければならないことで、無理なことも代わってやってもらえる。

他にも日常で私が後見人として、出来ないことやわからないことをサポートしてくれる。

裁判所への報告もややこしい場合はチェックしてくれる。

このため、やり直しなどがないように書類もそろう。

この人への報酬も発生するが、ご当人からの請求がなければ支払わなくてもいいらしい。

去年は妹に報酬をもとめてみたが、だいたいようすがわかったため、今年は無給とする。

どっちにしろ、同じところから出ているお金だ。

一人で成年後見人をやるのはたいへんだとわかった。

80過ぎたらというライン

2017年06月17日 | 楽しい後期高齢生活のために
遺言を書くとき、成年後見人に聞かれた。

死ぬ時のラインを決めてください。

そういう言い方ではないが、まあそういうことをきちんと決めないと困ることが多いらしい。

意識がなくなり、医者から呼吸器や胃ろう、など命をつなぐ手立てを打診されたとき、

親族の意見がばらばらになると後見人はこまるという。

私は後見人に任せていても一筆ないとなにもきめられない。

そこで、一筆かくことになった。

この時点で私はいさぎよいことを書いた。

回復の見込みがないなら、なにも手当てはいらぬ。

そして80歳を越えれば、健康診断も不要とおもっていた。

癌の診断にもなにもしないでいようときめている。

が、どうだろう。

人からみて、私は完全に老人であり、生産活動はできない。

が、自分で考えていた以上に80歳は元気で、意識は若い気で居る。

この状態で癌ときいて、ほっとくんだろうかと考える。

人間の意識は肉体よりもかなり遅れていて、認識が鈍い。

いざとなればじたばたするに違いない。

介護保険の認定はとりあえず受けておくがいい

2017年06月15日 | 楽しい後期高齢生活のために
妹に介護保険認定で面会にきた係りが、頼んでも居ない私にも認定検査を受けさせた。

ふつうたのんでいなければ、元気そうなら、ほっとくのと違う?

が、まあ、年から言えばとりあえず一度チェックしたほうがいいという判断だったのであろう。

それは介護予防でいうかぎり正しいと思う。

友人が骨折入院となった今、ひとり暮らしでは、ソク介護保健となる。

今手続きちゅうらしい。

困っている人をほっときすまいが、正式認定までは時間がかかる。

前もってチックがすんでいれば、こういう事態にはいいそうだ。

80歳まで元気でという合言葉が直前にあえなくついえた。

友人はこれからかなりきびしい生活にはいるのだろう。

子供のところに行くにしろ、行かないにしろ、今までとはちがう生活がはじまるわけだ。

最近の友人間情報はドラマチックだ。

癌がみつかった。写真展はちゅうし。

娘が急死して孫が残ったが、自分も夫の介護。

夫が…。妻が…。なにもない人は居ない。

しかもみな老境で過酷な環境にちょくめんしている。

少々の覚悟では間に合わないかも。


日ごろの元気なんて

2017年06月12日 | 楽しい後期高齢生活のために
一足さきに80歳を迎える予定の友人が、背骨骨折で入院した。

この人は私より元気で、骨密度も断然若かった。

筋肉もきっちりのこり、みるからにはつらつとしていた。

が、いったん寝込むとデンワの声は死にかけ同然に弱弱い。

いたみと、不安のせいだろう。

こうなると80歳の元気など、アテにならぬのかい。

ちょっと体をねじった瞬間のできごとであったという。

おっちょこちょいの私ならともかく、いつもおちついているひとでもこうなんだ。

気をつけるもなにも、これは運であろう。

うーーん。80歳とは伊達に言わせてもらえない年であることがヅイーんと身にしみた。

背骨とは決定的にこの先の生活の質を左右するポイントであるから。

妹に介護保健士さんがやってきた。

2017年06月10日 | 成年後見人的立場
障害者介護か、老人介護かと紆余曲折をへて、妹に訪問リハビリ介護士さんがやってきた。

隔週1回、月二回来てもらえりことになった。

1回目、元気で優しい人がやってきた。

妹はいやにあいそよくむかえ、まるで自分が教える立場ででもあるかのようにたちまわっている。

私はすばやく場をはずした。

かえってみると、台所はピッカピカ。

介護士さんに、台所の片付けを指導してもらったらしい。

私が言えばソク決裂になるようなことを、介護士さんだと、るんるんときいたもようである。

しかも次回を楽しみにしている。

よかった。私以外の人に出会えることが大切であったのはたしかだ。