どこまで行けるか80歳

崖から突き落とし。這い上がれるのか

100均ショップがなくなった

2019年02月27日 | 言わなくてもいいけど
家の周りのビルが一斉に改築に入る。

ということは近所から日ごろ使っている店がきえてしまうことになる。

最初は食料や着る物のしんぱいをしていたが、そういうものは別に他でも買える。

いよいよビルが閉まる段になって「100均」も消えることに気がついた。

ここで気軽に手に入れていた簡単だが重宝な日用品がなくなれば困るこではないか。

スポンジたわし。ふきん。ナイロン袋。換気フィルター、軍手にプラ手…。

これらはスーパーにもあるけれど、ちょっと高かったり、量がおおかったり。

100均のほうが買いやすい。すっかり100円になれていたなあ。

それに100均にしかない不思議な商品たちはもう手にはいらなくなる。

100円で手に入る、あってもなくても特にこまらないけど、見つければ思わず買ってしまう不思議な商品。

あれは楽しい。

わざわざ電車に乗っていくほどでもないが、家の近所に一つあれば便利な店であった。

豪華レストランのお値段

2019年02月23日 | 言わなくてもいいけど
ランチが3,4万円の「話題」や「アート作品」「隠れ家」から「一度は行ってみたい」というレストラン。

どんなんかなあ?と、いうわけでおっかなびっくり、行ってみた。

驚いたのは、料理だけではなく、建物や使っている食器、家具、調度品である。

どれもこれも豪華で素朴、異国調に古典調とコリこりである。

お皿1枚・万円と言われ思わず手を引っ込める私。

なにしろ最近は手元があやしいもんで。自賠責にもはいっていない。

サービスも夢のよう。

そうか、こんな豪華なものばかりにかこまれ、こんなに完ぺきに歓待されるには、

それ相当のお支払いがいるのね。

と、納得はしたものの、隣で友人は「この一口がいん千円」といいつつ咀嚼している。

やっぱり無理はいけないなあ。

おいしかったのかって?もう文句は言えまい。自分の責任で食べないと。おいしかった。

年寄りのお買い物

2019年02月17日 | 言わなくてもいいけど
レンタルファッションを利用して1年と半年が過ぎた。

横から見ると無駄と見えるらしい。借りるだけで月4着9千円は高いという。

4着は外出着であり、そうそう着ない。

またいくら支払っても自分の服はのこらない。すべてごもっともである。

それよりも自分で思うに、このところずいぶんいろいろなことに鈍くなった。

ショッピングをしないからだ。買い物による生活の訓練ができていない。

どんどん鈍感になってゆく。

たぶんこれがレンタルにした一番のマイナスであったと思う。

レンタルで限られた品数、自分の好みでないアイテムの中からの選択はつらい。

その結果、長年の自分の持ち味?が変わってしまった。

逆に言えば、頑固でなかなか変化しそうもなかった自分の癖が否応なく変わった。

最近なんか違うと感じながら、変えようがわからず行きずまっていた何かが変わった。

否応はない。なにしろ買い物に行く体力がなにのだ。

それに年寄りにも流行はあるらしい。

流行に見向きもしないでいると、これまたおかしなことになってしまう。

レンタルにはそこそこの流れが組み込まれ、無理のない範囲で乗れるみたいだ。

と、手前味噌だが、この辺りがレンタルにしてよかったと思うところだ。

そこでおもう。

若ければ簡単に手に入ったものが、年を取ればむつかしい。

それを手にいれるためにいくばくかの無駄と思えるお金を支払うのはしかたない。

それが年寄りの買い物。高いか安いかといっても始まらない。

成年後見人さんにたのんだことは。

2019年02月11日 | 言わなくてもいいけど

かなり以前から家計簿をつけています。

わりとすきです。一行日記もつけるんです。

が、2月に入ってお金が意味もわけもなく合わない。しかも数日の間に3回も。

これはおかしいと思い始めました。私に何かが起こり始めている。

狐がついたとか、そういうことではなく、もっと現実的な。

話はちょっと返って、昨年。

掃除を民間サービスでたのんでいたら、「保証人をたててほしい」という。突然である。

今まではそういう証人はないままサービスをうけていたのに。

社の方針で、70歳以上の方にはおねがいすることになりましたという。

書類は3種類あり、中身も公的介護よりも厳しい。

煮詰めると「もし何かが無くなったと言い出したら、説得または責任を持ってくれる保証人」を出せということであった。

あっちは本気であり、なにかトラブルがあって、そうしないと営業上不利なことになるのだろう。

で、成年後見人さんにたのんだ。この人はそういうことも気軽くひきうけてくださるひとでした。

話はここ2、3日の不審なお金の不足にもどります。

自分の財布から2,3千円が3回なくなった。使ったという記憶がない。

こういう場合に、人は他人のせいにするのだろう。

ははーー、そういうことを、あちらさんは考えて、早めに手をうってきたんだなあ。

なかなか敵も油断はしていなかったみたいだ。

そういうことで、書類くらいはすんなりかくべきであったのねえ。

痛みの治療現在

2019年02月07日 | 言わなくてもいいけど
80にもなればみなあちこち痛い。

腰が、膝か、腕だ、首だと痛くないところなどない。

昔は痛めばそっとしておくことになっていた。

痛み止めの薬は体に悪かった。

痛むところは痛み止めをして無理に動かせては余計わるくなるとなっていた。

痛いところ悪いところは安静を第一としていた。

今私は腰の痛み治療をしている。

医師はどんどこ痛み止めを出してくれる。

昔ならそういう医者はよくない医者とされた。

が、去年からの治療を受けた結果、それがいいほうに進んでいると感じている。

注射も定期的にして、運動をすすめられ、楽しみを作るようにすすめられる。

体も、であるが精神の刺激を作れと指導される。まずは心の治療が第一と、いう。

痛みだけを治療していると思っていたが、そうではないことにきがついた。

定期的に痛みをとり、町に出ていく。多くの老人たちがぞろぞろと町に出ている。

いいか悪いかは別。本人たちがそうしたいなら、それでよいと。

当然だが動いては危ない痛みもある。

赤ちゃんのスマホ

2019年02月03日 | 言わなくてもいいけど
電車の前座席に乳幼児を連れた母親がいた。

赤ちゃんは抱かれた状態でスマホが見えるらしい。じっとスマホをみている。

真剣な顔である。そしてときどき手をスマホの画面に伸ばす。

そのつど母が赤ちゃんの手を払う。

見れば赤ちゃんは、まだ言葉もしゃべれない様子である。

おそらく一人では歩けないだろう。

が、この子はもう、スマホの画面がどうすればどうなるかくらいはわかっているのではないだろうか。

こういう赤ちゃんがもう10年以上もまえから、連れんと生まれているのだなあとひしひし感じた。

私たち80代の人間にスマホを渡しても、扱えない。

触ってもどこがどうなのか覚えようとはしない。ただ厄介な物にしかみえない。

人類がほかの動物と違うのは、言葉をはなすことと、2足歩行であること、と習ったが。

もうちがうんだなあ。言葉より、2足ほこうより先んじて、スマホの画面を理解してしまう。

それが、人類ですといわれたら、われわれはもうすでに人類からはずれている。

知らないうちにである。げーーー。悲惨。

もちろん今さら挑戦などしないが。