目前の80

まだかもうか

有料老人ホームって高いでしょ

2016年09月29日 | 楽しい後期高齢生活のために

老人ホームの選び方という講演にいく。

福祉施設、つまり低料金老人ホームはもう高根の花らしい。望んでもむり。そうなのか。

で普通の庶民は自宅で死ぬ。少なくとも祖父母たちはたたみの上で死んでいたが。

いま、日本人は死に場所を我が家以外の場所に求めている。

ひとりで自宅で死んでいるのを発見されたら、末代の恥なのか。

新聞社はすてておかないからな。「またしても孤独死」なんでほっとかないのかしらんが。

まあ、自分の体を自分でめんどう見切れなくなると、だれかにめんどうをみてもらわないといけない。

そこで死に場所をもとめ、老人ホーム選びなんていう講座がひらかれる。

福祉施設が高根なら、自分の経済事情ぎりぎりの有料のホームははたしてあるのか。

ないないと思っていたら、そうでもないらしい。

有料老人ホームは今じゃピンからキリまであるそうな。

高級住宅地のホームだと高いが、山間部などはまあまあ。

お世話する人がされる人に対して、多いか少ないかでも値段はかわる。

お金があれば問題はなさそうだが、ないもの用のそれなりホームというのもどんどこ出現しているらしい。

需要が低料金有料老人ホームを出現させたのだ。よかったじゃん、て?

なんだか突然無口になって講演会場を出るわたし。


白いレエスのロングドレスのおじいさん

2016年09月27日 | 楽しい後期高齢生活のために
年を取ると、子供がそうであるように、見た目の性別があいまいになる。

最近見かけた女性は、雰囲気がおじいさんぽい。

かなり頑張っておしゃれをしているのに、雰囲気がおじいさんなおばあさんだ。

なぜ?どこがと、遠めに観察する。なんでかといえば、私も女っぽくない。

できたら今サラではあっても、女っぽくみられたいと思う。

もうひとり近所に白いレエスのワンピースを好むおじいさんが居て、この人が妙にかわいい。

おじいさんぽいおばあさんよりも、おばあさんぽいおじいさんのほうがかわいいのです。

ならば、やっぱり女は年を取ってもおばあさんぽさを演出したほうがたのしいじゃないですか。

ジーンズに革ベルト、縦じまのワイシャツよりも白いレエスのロングドレスのほうが心がはずむ。

若い頃にやりたくてもデきなかったトンデモなファッションを今、スーパーのお買い物に実行しても、OKです。

年のせいか時代のせいか。どっちにしろ最後のやりたい放題のときを、私たち老人は迎えていると思いますが。



2030年の世界に私はいるのか

2016年09月25日 | 楽しい後期高齢生活のために
2030年には、すべての生産は人工知能によってなされ、人間の労働力は10パーセントしか必要と

されない。あとの90パーセントの人間は不要となる。
 
「経済の未来」という本を読むと、こうなっている。

げげげ、未来ってもっと先、私が死んだあとのこととおもっていた。

それだのにあと15年。91歳か。

両親は93歳で没している。両親の兄弟姉妹もほぼ90台をオーバーして生きている。

つまり、遺伝子的には私90以上をクリアする素養がある。

あと15年で世の中がそこまでいくのかいと疑いつつ、読み終わって考えた。

そのとき私はまだ、いる可能性がある。

経済だけでなく、自然界はもっと速い速度で人類の生存をおびやかすと、かなり前から叫ばれている。

人々が世界のあちこちで争うのも、直近の未来への生き残りをいしきしているのだ。無意識に。

ぐえーーー。かといってワタクシ、どうすることもできないですが、

たとえ、海が窓の下まで迫ってきても、朝起きて、まどをあけ、身の回りをととのえ、近所のひとに迷

惑かけないように、静かに歩いてマーケットへ買い物にゆく。

あ、なんかいつもと違って回りが見え始めたじゃないですか。


テーマは さあ、やりすぎようだって

2016年09月23日 | ほう、へーな話
まもなく祭の季節だ。

故郷の祭は、もうなくなっているだろう。なにせ、子供がいないのだから。さみしいな。

いろいろな思いでが詰まっている故郷。そこにもうだれもいなくなってしまっている。

今、祭に変わるものを、テーマパークとしたら、ちがうようにも思うが、親子で楽しむというところは似ているか。

最近はテーマパークがバカ売れらしい。そのコンセプトは「さあ、やりすぎよう」だって。言うなあ。

が、昔の祭りも相当のものだったぞ。

なにしろ年に一度というかぎられた時間に、町一体で何もかもぶちこみ、やりすぎを楽しんでいた。

若者は祭を経験するごとに大人になっていく。

テーマパークにはそういうことはないように思うが。そこがちがうか。

過激な祭があって、若者が目いっぱいハメはずしたあとで、すこし背が伸びている自分に気がつく

というシステムは、悪くなかったと思う。


成年後見人の報酬

2016年09月21日 | 成年後見人的立場
去年から妹の成年後見人となった。

私が不能になった場合を考え、私ともうひとり専門家にツインで後見人をお願いしている。

これだと突発時にもブランクなくスムーズに役割を移行できる。

また妹が見知らぬひとにイキナリ出会わなくてもいい。妹の病は人に慣れない、ひとをこわがる。

わたしからサブの後見人に現状報告をし、訪問のたびに妹もサブの人になれていくだろう。

一年、妹の日常生活のサポート、年金の受け取り、その使用状態の記録。

健康状態の観察、サポートを私が、法律書類など専門家がやってきた。

これに報酬を要求できると法律ではうたっている。

そこで、いかほど出るものか試しに請求してみた。一年で11万円であった。

なるほどと思う。高いような、安いような。もらえるとは思っていない当方からすれば、上等じゃない

かといえるほどほどの所をうまく言ってきた。

お金は妹名義の口座から引き出していいそうな。11万円引き出し、通帳のメモ欄へ「後見人報酬」

とかいておくと来年の監査時にチェックされる。そういうことのようです。

またサブの後見者は、後見人手続き料金と1年間の後見料ともに11万円となっていたが、手続き料金

の値段で後見料金は入っていないと思う。

つまり、1年間の訪問などはボランティアである。私としては正当な報酬を受け取ってほしい。

ともあれ、こうして1年間をやってみて思う。

いろいろな不安をかかえつつ老いてゆく人。成年後見制度をすすめたい。

難しい専門書類はどめんどくさい上にばかばかしいほど時間がかかる。エネルギーもはんぱじゃない。

ここは専門家に任せたほうがいい。

不正なことをする人もいるが、そのためにも、早い段階で個人的に理解を得、相手をみきわめつつ、其

の過程であやしいと感じればキャンセルもできる。

一番いけないのは土壇場であわてて契約を結ぶことだと思う。

いつ世話になるかわからないのに、無駄なお金は使いたくないと思うのは良くわかる。

だが今あるお金を、何に使うかというポイントで決めることだ。

もったいないというだけで、せっかくのお金をあそばせるなら、こういう使い方もあるということか。

金額はケースや財産によってまちまちと書いてあった。


襲名披露公演というので行ってみた

2016年09月19日 | ほう、へーな話

京都大蔵流茂山家の代替わり公演がはじまった。

大雨洪水雷というはでなお天気の中、平気でやっている。

役者が同じ衣装でずらりと舞台にそろい「オンネガイアゲ…」とやるのかなと思っていたらちがった。

舞台袖、橋掛かりから少年がひとり、正装をして面箱をささげ現れる。

これが始まり。無言である。いつもよりお目出たい曲がならぶだけ。

それでも気がつくと出演者すべての舞扇がおそろいだった。

感動したのは、親から子、子から孫へ、目にみえる形でその家に伝わるものを舞台の上で見せたこと。

幼い孫たちが必死で祖父や父のあとをついていく。コレがなければ祖先の足跡は伝わるまい。

能、囃子、他流狂言すべてを集めて公演がはじまった。

その始まりがあの大雨。おかげで客は、頭から水をぶっかけられたようになって帰った。

自己変革に乗り出したわたし。

2016年09月16日 | 病を斜めから見る

ひたすら寝ていた妹は、最近起き上がり、うろうろするようになった。

掃除、洗濯、料理。買い物。

やり方がわからないまま決行するため、気が気ではない。

物をこわす、物が行方不明になる。出来上がりや洗い上がりが不完全。

医師はそのまま、そのままという。やり直してはいけない。

悪くても褒めよという。本人のやる気を無くさないようにと。

わかるが、そのために、介護者が性格を変えないといけない。

出来はしない。できないまま、耐えるとあちこち痛くなる。

胃、肩、腰、頭ほかにも多分いっぱいあるのはそのせいだろう。

それでなくても年なんだからぼろぼろである。

ここ1ヶ月、私は耐えることをやめ、性格の改革に乗り出した。

見てみぬ人。気がついても手出しはしない人。食べられなくても食べるフリをすることにした。

結果、おお!すこぶる妹はいい調子である。

これを私は喜んでいいのか、よくわからない。


デイサービス訪門de?

2016年09月14日 | ほう、へーな話


とあるデイサービスセンターをお笑いボランティアで訪問した。

師匠が前座を勤めてくださるというめずらしい団体だ。

前座でお客?に笑う下準備をしていただいた後、われわれ以下4人が

つたない芸を披露するわけである。

プロの笑い下地があるのっで、楽だ。みなさん気軽に笑ってくださった。

通所者は二十人ほど。かなりの高齢者ばかりで、みなしんどそう。

(通所してきてくださる)という気配が、センターに満ちている。

言葉のはしばしに「お客様」への気遣いがにじんでいる。

職員も思っていたより多いし、丁重なあつかいである。

今週は敬老週間で、毎日なんらかのイベントを用意していて、私たちもその一端だった。

 高座がおわると、通所者の感謝状贈呈があって、思わず「え、我々に下さる?」と一瞬誤解。

そうではなくて、今週の通所者のうち、いちばん多く通所いただいた方へセンター長の感謝状をと言うことだった。

微妙な感じがする。

そうなんだ、なぜだか通所者の取り合いと言うか、獲得のために精一

杯のサービスをしているという気配が読み取れる。

何でだろう。老人が多いのではないのか。老人があふれていて、受け

入れがたりないのではないのか。

どこでどう捻れができているのだろう。

私にはイマイチわからない。

そうして、受け入れ側は、経営に苦心していて、「ボランティア募集」をしていた。

一銭のムダもゆるさない気迫もあったなあ。そこはわかるが。

電気製品購入のストレス

2016年09月09日 | ほう、へーな話

最近では、電気製品をあたらしく購入するには、よほどのストレスを覚悟しないといけない。

お値段。買う場所によって同じものが、かなり値段が違う。

製品。同じ種類でAクラスからC・D・E・まできりがない。

この中からほどほどのものを選ぶのも疲れる。

今回は、つい安い、いい加減なものを選んでしまったらしい。

電源に接続しようとしたら、本体にあるべき差込に対する受け口がこわれていた。

これって、普通の人にはストレス。

「あなたの取り扱いが悪い」といわれてしまえば、証拠がない。

箱から出てくるものは、こわれていない。一年はこわれないと保障されているからだ。

なのに、これはいかなこと。こわれているじゃん。

最近はこうしたお粗末な商品があふれているのか。運がわるすぎるのか。

電話をすると、とりあえず、店まで商品を持参せよという。

暑い中、担いで帰った努力はムダで、もう一度包装し直して担いで行かないといけない。

これもストレス。なさけない。もう、あそこでは買いたくないと思うが、今の日本には、あの手の家電販売所しかない。

 昔は各メーカーの販売店があり、それぞれの販売店で選べたし、故障をしてもそこで直せた。

昭和の電気製品はたくましかった。

今でも働いているストーブ、扇風機、湿潤機、電子レンジ。

みな小汚いが良く働いている。昭和のいい男って感じがします。


欝の別面

2016年09月07日 | 病を斜めから見る
 
妹が荒れいる。友人とのやり取りで、傷ついたらしい。

あちらに意図はない。妹のことを一番心にかけてくれている人である。

が、わずかな空気の動きでゆれるビンの軟毛なみに反応する妹の心は、制御不能におちいっている。

 「ああ、かわいそうに、つらいだろうな」

と思える程度に私も進化した。

今までは巻き込まれ、ふたりでパニックになっていたものだ。

妹の気持ちに距離をおくと、ちょっとはマシになれた。

欝というのは、世間が極端にせまくなる状態なのだ。

自分を制御できない苦しさも手伝って、落ち込んだり、暴力的に行動したりしてしまう。

こうなったら手出し無用。いきをひそめ、つかずはなれず傍にいるだけである。

嵐がおさまれば、食事でも用意してやればいい、というところに私はやっと到達できたらしい。

いや、これしか打つ手はないだけなのだが。