目前の80

まだかもうか

老人性欝って、こう?

2016年08月31日 | 楽しい後期高齢生活のために

妹は少々具合がよいといっても、将来はどうなのかはっきりしない。

おかげで私は2年間、どこにも出かけない。せいぜい観劇くらいで、半日が精一杯。

私の好奇心は風前の灯しである。もうほとんどない。

すると人はどうなるのだろう。

最近しきりに昔のことを考える。未来がなければ思うは過去。

過去を思うとき、やっぱり懐かしく、思いはどんどん消極的となる。

寂しい、かなしい、ブルーな気分に引き込まれていく。

過去が懐かしいなんて。悲しく思うなんて。

そして、何をしても過去とつなげている私。

これはなんだろう。突然今の生活がものすごくつまらなくなる。意味がないと感じる。

生きていても仕方ないと、ふと思う。妹を支えようという意気込みが、無意味になっている。

突然の気分変化である。いいのだろうか。このたよりない思い。

そう思ってまわりをみると、みな、けなげに生きている。

が、おそらく、夕暮れや雨の日など、過去を思い出し、毎日繰り返される生活に「どうでもいい」とか「もうこれでいい」とおもうときがあるのではないだろうか。

私は人より早いのだろうか。

奇妙な体験だ。が、ばかにならない。これからは、こういう気分がわき、引き込まれていくことがあるのだろう。

老人性欝!

「人はいくつになっても美しい」

2016年08月29日 | 楽しい後期高齢生活のために
88歳の現役モデルによる著書のタイトルである。版元は幻冬舎。

「人生を祝福する「老い」のレッスン」 これはインド人の司祭による著である。

 若者ターゲットから、働く女性をへて、主婦をねらい、いまや80歳がねらわれる時代なのか。

、昔なら墓の中または、はやくお迎えにきてほしい状態、ではないだろうか。そこに照準をあててきた。

ということは、80代が増えた。80歳が前向きに生きることをめざしているということなのか。

それとも目指せと喝をいれてきたのだろうか。

かたや、行政はいかにして死んでもらうかに頭をなやまし、一方では元気な80代を金儲けのターゲットにしている。(いい意味です)

どっちが正解だろう。それも紙おむつとか、呆け防止ではなく、「美しくなるために」という。

 生きているかぎり、やはり、そうありたいという現代の女を、つかんでいるではないか。偉い。

ちなみに著者の横顔は美しいです。

介護保険の未来って何だろ

2016年08月26日 | ほう、へーな話

妹にメンタルサポートの家庭訪問をしてもらえるようになる。

今妹は外からの訪問をいやがらなくなっているので、ちょうど良いか。

月1回だが変化もわかるし、私以外のひとと話をするのもいい。

医師、訪問看護士、成年後見、メンタルサポート、こうした人たちにささえてもらえるのはありがたい。

逆に、老人介護保険は、本当の危機がきているらしい。

まじかに、重症以外は切り捨て。そうだろうな、増える一方の老人をひとりでは支えられない。

子は親を見離さないと自分が沈没。間違って親に手を出すとほんとに子もともに沈没なのだから。

毎朝、林真理子作、連載新聞小説を読む。

わが身のことを書いている!としか思えないリアリティー。

ウチはすでに親は終わった。今度はわが身がウケミで問題に直面することになるが。

どう予防、対処するのか、未だに解決策はない。

みんなそうだよな。そうしながら、日々、流れにのるようにそちらへ移動して行くのがよくわかる。

大金を持ち、じゃぶじゃぶと介護にお金を出せる人だけがパラダイスな老後を期待できるという国になってしまった。

お金はなくともとりあえず、まあまあの老後を送っていたのは祖父の時代であった。

 遠い昔のようだが、私が成人する頃のはなし。あ、遠いか。



老用の座右

2016年08月23日 | 楽しい後期高齢生活のために

今年、夏負けをして、がくんと来た。もうアカンと思った。以外だった。

私は100歳まで元気で今と変わらないとおもっていた。

甘かった。私が人よりアカンかったとは。

最近は、レジでなかなかお金を出せない人の気持ちがわかる。

手が思うようにうごかないからである。

 今年の初めに決めた座右というのがある。

 1)身の回りに汚いものは置かない。すてよ。
 2)汚い服を身につけない。
 3)体をきれいに。
 4)おいしい物を食べる
 5)楽しいことをする 
 6)季節を楽しむ 
 7)大切と思うものは、守る
 8)楽しみを用意しておく。
 9)無理に人と仲良くしない。
 10)自分で出来ないことはプロにたのむ
   
1)は出来ている。どんどん捨てて、あとで後悔している。

2)これが守れない。けちなのと、イヤにリフォーム精神がはたらくからだろう。
3)最近風呂に入るのが、めんどくさい。しんどい。信じられないが、事実。

4)美味しいものってなんだろうと考えている。ご飯にジャコあれば幸せになっている自分。これでいいのだろうか。

9)気がつけば自然に友達が減って行く。なくなるひと、自然に離れて幸人。これが意外となんともない。楽で、さばさばする。

10)どんどん行こうと考えている。結構世の中にはそういうシステムがそろっている。

先ず、掃除系を省こうと思う。てことはやはり体力と気力がなくなっている。

人に掃除をしてもらおうなんて考えもしなかったわたしであるから。
今年の夏がターニングポイントだった。

今までは考えなかったが、年の初めにこういう事になるという予感があったらしい。

うなぎの前で迷うわたし

2016年08月21日 | 楽しい後期高齢生活のために
今夜、何を食べていいのかわからない。

いっそアイスキャンディーだけで寝てしまおうかと思う。

それでもいいわけだ。

けれど、体力ないし、やはりきちんとしたものを食べないとまずかろう。

が、野菜もたかい。魚も高い。エンゲル係数は最高記録だろうが、それでもあまりいいものを食べては居ない。

実際はそれでも充分なのだが…。

土曜なので店先にうなぎがならんだ。なぜか、うなぎを年に一度は食べないとと思う。

値段は…一匹がほぼ3000円である。ためつすがめつうなぎの前をゆききする。

私だけではない、数人の老人が熟慮している。さまざまな思いが行き来している模様。

さもあろう。高いもんなあ。

財布の中身を考えても、充分時間をかけて考えるべきだ。

ひとりが買った。そうするとつられてもうひとりが買う。私も決心してかごにいれた。

 あーー、買い物ってつかれるわい。今夜はうなぎを堪能できるだろうか。

夏休み子供文楽

2016年08月18日 | ほう、へーな話
国立文楽劇場は、夏休みに童話や子供が良く知っているストーリーを、文楽化して毎年上演する。

結構たのしい。贅沢である。

第一級の文楽さん方が勢ぞろいで、子供のためとは思えないくらい力をいれて、いや子供のためだから

かもしれないが、本気で語り、弾き、あやつるのがいい。

背景も本気の演出なので子供気分で毎年楽しんでいる。

子供たちには解説イヤフオンが無料で貸し出され、座席も子供用のクッション付き。

が、浄瑠璃のことばはいっさい子供むきにしない。いつもの難解でイミを理解するためにひっしで聞き取る手間がかかる。

現代風に手ごころはくわえてない。

ゲーム機でアニメになれている子供がこいうい舞台をどう思っているのか興味はある。

が、今はなんともおもわなくてもいいから、おばあちゃんにつれてもらって、お弁とたべて、帰りにお

もちゃ買ってもらって、そっちが目的でもいいから、本物を見に来る子供にふえてもらいたい。

アニメですべてを了解する生活ばかりでもいいから、夏休みにだけ、おじいちゃんの懐をねらえる間に

一度みておけばいい。

古典芸能に触れることができるチャンスは小学生の間くらいかもしれないから。


介護者は助けを求めたほうがいい。

2016年08月16日 | 病を斜めから見る
2年前、突然重い欝に陥っていた妹。

人前に出ず、何もせず、ひたすら寝て、耳に床ずれができた。

三年目を向かえ変化がみられず、もうどうでもいいやとなげだしてしまったところで、解けるようによくなりはじめている。ウソだろうか。

妹は明るい声をあげて笑うようになった。

何がきっかけだろう。規則正しい日常。医院からの薬のきちんとした服用。辛抱つよくそばにいて見守ったこと。

 どれも大切な要素だったと思うが、どうやら一番のきっかけは、私の病気だったかもしれない。

それまでは細かく妹にかかりきり、あれこれと心をくだき、良かれ良かれと励んでいたが、自分の身が持たなくなり、妹はこの程度で出直そうと決めたところで、妹は変わり始めた。

家族の心配や期待が重圧だったのだろうか。

今回私は身辺のあらゆる人に助けを求めた。

近所のひと、近くの交番、福祉施設、社会福祉士、友人。

特に介護経験を持つ人や、今介護のさいちゅうのひとなど。

 共通していたのは外から、横からいくら声を掛け、手を貸そうとしても、患者がすべての援助をこばむこと。

 まわりも唯一患者が許す介護者にたよる。

介護者は疲れ、絶望し、それでも自分を頼る患者を見捨てられない。
 
 妹はこれからどうなるのかわからない。欝は治りにくいというし、老化による悪化もかさなる。

 たしかに妹を支えるのは私しか居ないが、これからも出来るだけ多くの人や専門家に声を掛け、

たすけてもらうつもりでいる。




夏の老人

2016年08月14日 | 楽しい後期高齢生活のために
納涼狂言へ暑いのに行ってしまった。ほぼ熱中症状態である。

悪いことに淀川の花火がかさなっていた。

曲目は「死神」。はなしは落語のネタを狂言にしているが、どこが違うかって

病人の枕もとに座り込んだ死神をたらす手段に、千五郎家では阪神タイガースの応援歌を歌う。

しゃあしゃあととぼけるところがなんともいえない。

お人よしで欲張りで、ようするに10把一からげの人間の代表みたいな男を、

千五郎は楽しそうに演じている。ひょっとして、これはこの人のはまり役か。

つぎは京都だが、さすがにもう、やれん。暑い。特に夏の京都は鬼門。

私も弱くなってしまった。

今更おもうには、親たちが年老いてどこにも行かないのを勝手に気の毒に思い、

あちこと連れ出していたが、あれは拷問だったと思う。

本人はいいことをしている気になっていたが、両親はイヤともいえす、

死ぬ気でついてきたのではないだろうか。

老いなければ老いのことはわからぬものだ。

今では、この暑さに、山、川、旅へでて行く人の気が知れん。

極楽はエアコンの前にありか。


墓はどこへいく

2016年08月11日 | ほう、へーな話
古代の埋葬あとから花粉が検出されている。学者はこれを「人が人らしく」なりはじめた証とみる。

今、墓はかわりつつある、らしい。

我が家はあととりが先祖の墓を守るという形であるが、私は一度も親の埋葬された墓に参っていない。

そこに親たちの魂があると思っていない。

本家では甥に嫁がない。ということは、うちの家の墓は終焉をむかえていることになる。

田舎ではそういう家が増えている。何よりも小学校がないのだから。

親たちが守ってきた墓もやがて、朽ちて、在り処もしれなくなるだろう。

では、人類は古代の人々に比べて人として退化しているのだろうか。

難しい。そうかもしれないし、退化ではなく変化しているだけなのかもしれないし。
 
古代には魂とか神への畏敬があっただろう。

今は脳科学や自然科学の説が影響して、魂とか神や死後についての考えが、単純になっている。

私の墓は希望していない。遺体は焼却後、すててほしいと遺言している。

死後の世界や、宗教による来世は、埋葬をはじめ、花を供え始めた流れ出人が作り上げた考えだろう。

墓が朽ちていく現代では、来世もやがて消えてしまうことになるとおもう。

天皇から国民への訴えを聞いて

2016年08月09日 | ほう、へーな話
退位したほうがいい、という切なる訴えと聞こえた。

ほっといたら、この先もずっと、昔のままで行きそうな気配に、ついに声を上げたともとれる。

時代は変わっているのに、私のところだけほっといていいのかと。

いろいろ考えていたのだろう。頭のよい、誠実な人だと感じた。

きれいごとを言わず、自分の事、家族のこと、国民のことや、世界がこれから向かえる時代のことも踏

まえ、そのまま言われたことが説得力になっている。

 終戦時、昭和帝の終戦宣言を聞いた身である。あれから日本は激変した。

その中で慎重に変えること、残すことを選択し、ある意味の日本をささえてきたのが皇室かもしれない。

皇室の過去現在未来を一番わかっているのが、今の陛下であろう。

そのご本人からの、異例の訴えまっすぐに受止めてはどうか。

国会議員でさえ、退職金がでるのだ、長い重い激務に耐えたご夫婦に退職金を出さないというほど日本

人は心が小さいのだろうか。

 誰もが手をださない、出しても得にならない話だから、聞かぬふりをするのだろうか。

話しは今突然降って沸いたわけではないのだから