目前の80

まだかもうか

保護、よりそうい、見守りって難しい。 

2017年11月18日 | 病を斜めから見る
水着、スポーツパンツなど、するだけの用意をしておいて、妹はスポーツクラブにいこうとしない。

感情的には「どついたろか」というところだ。

私がやっきになるほど、妹は抵抗する。

そのくせ何もすることがないと苦しんでいる、らしい。

こちらから差し出したものはいや。が、自分では考え付かないというのも腹が立つ。

なんなんだろう。

それにいちいち腹を立てる私に主治医は「かまいすぎ」という。かまいすぎかあーー。

悪い時は保護で、こういうあいまいな時期にはかまいすぎと保護のさかいめが不明となる。

かまいすぎると今度はもたれかかり、依存となるとか。

だったら、もうほったらかしにしてもいいのだろうか。

保護、よりそうい、依存。どこまでもやっかいである。

と、いうようなことをいってはいけないのだろうか。後見人というのは。

記憶力の低下した妹に出来ることってあるのか

2017年08月11日 | 病を斜めから見る
妹はある時点でよくなり始めた。

きっかけはティッシュケースを作って、周りにくばったことからかもしれない。

お礼をいわれ、ほめられることで、自分を自分でみとめたようだ。

その後、パクパク人形や剣玉つくりで、たくさんのひとたちによろこんでもらえたことがはげみになっている。

その勢いからだろうか、駅前のそうじをしているグループにまぜてもらうといいだした。

まったく知らない人たちである。

ところが翌日からそのグループは来なくなってしまい、妹の勢いは削がれてしまった。

が、じぶんからなにかをしよう、だれかと繋がろうとすることに気がついたのはよかったとおもう。

毎日、何もすることのない時間をいらだち、あせり、苦しんでいる。

が、私から進めることにはのってこない。

記憶力の低下した、生活能力もない妹にできることって、なんだろう。

はじめてのお使いではないけれど

2017年08月03日 | 病を斜めから見る
白内障の手術後は家族が迎えに来るよう指示があった。

迎え役を妹にたのんだら、ひきうけてくれた。

が、緊張のあまり、じっとしていない。自分でひっしにおちつこうとしている。

なんどもなんどもためいきをつき、おなじことをくりかえし、みていられない。

良くなっているとはいえ、こうなんだとつくずく重い。

一人で外に出て、病院の外来でたくさんの人にまじって長時間待つ。

心配で不安でしかたないらしい。妹には数年ぶりの試練となる。

もともとは外売りの仕事をこなしていた人とはおもえない。

どこまで回復するのかしないのか。

帰りは疲れ果て、役目などそっちのけで、ひたすら家にむかってあるくだけ。

今回をチャンスにしっかりしてほしかったが、これじゃ、どうにもならんわい。

効果大だったリハビリ

2017年07月09日 | 病を斜めから見る
妹に介護保健の訪問リハビリを開始して1か月すぎた。

2週間に1回、1時間、家のキッチンで妹は料理をつくる。

結果、妹は明るくなった。物事にも興味をもちだした。

ここに至るまでの4年間、なにをしても反応はなかった。

今やっとリハビリをうけいれ、結果を出せるところにきた。

それまでの長い準備期間がたいせつであったこと。

1年位前から徐々に変化はあったが、あわてなかったこと。

いろいろ大切なことはあるが、これで前方が開け始めたと思う。

テレビをみたり、番組の料理をまねて夕食の一品をつくったり、いままでとはちがう積極性がある。

一生このままかと思ったこともあったが、4年間の努力が無駄になっていないことがうれしい。

 今は外から人に入ってもらうが、いそがないで、本人が外に出て行ける日を待つ。

パクパク人形の力

2017年06月23日 | 病を斜めから見る
妹は手つくりのティッシュケースに見切りをつけた。

やっていて空しくなったのか、あきたのか。

見ているほうも辛くなってきたところだった。

そこで、簡単にできるパクパク人形をつくらせた。

お笑いの教室で腹話術の練習ようにと思ったからだ。

出来上がったパクパククンを教室へ持参。

たまたまホーム訪問日であった。

お笑い福祉士主宰の笑福亭学光師匠が目に止め、高座へ。

そこで、腹話術の要領でぱくぱく人形をあいてに高座を勤められた。

人形は2枚の布と、1キレの端切れで作ったものだったが、師匠の技で、やんちゃな男の子に変身。

ホームのお年寄りのご機嫌をうかがっている。

その様子をケータイの録画機能を使って一部を撮影し、妹にみせた。

これが妹にはかなりきいたらしい。

翌日からパクパク人形に切り替え、様々な人形をつくりはじめる。

顔が、今までとちがう。言うこともしっかりしてきた。

自分の作ったものが、役に立っているという事実がこんなに力を持つとは。


妹の家出

2017年06月06日 | 病を斜めから見る
妹は私との空気が険悪になると最近はお隣に家出する。

しかも時間におかまいなくであるところがふつうとちがう。

以前は川に走った。死んでやるという意思表示であったと思う。

今は死ぬつもりはなくなったのだろう。

おとなりの奥さんは優しい人で、妹の味方である。わたしには厳しい。

そのぶん、有難いし、まあ、妹の立場からすれば逃げる場所が出来たことはいいこととおもう。

が、ドウナンダ。私の逃げる場所はないんダゾ。私の立場には誰も理解しない。

なんでだろうか。病気ではないからということもある。

よそからみて、支配的に見えるのかもしれない。妹が被害者のようにみえるのかも。

どっちにしてもいいような、いまいましいような。

はらいせに、行きたいところがあればどこえでも行ってくれとおもう。

が、妹に行くところがないのをわかって言うのはフェアーではないし。

ここが壁だといつも思う。

コレを最後とは思わないけれど

2017年06月04日 | 病を斜めから見る
妹との行き違いは互いに意思が全く通じ合わないことにあるのだろう。

一日一緒に暮らしながら、私の哀しみや怒りは妹にとどかない。

妹の怒りや悲しみを私は理解しようとするがかみ合わないところで、衝突する。

何回こうした衝突が繰りかえされてきたのか。

そのたびに思う。二人がいっしょに住んでいることに無理がある。

どっちに非がると言うのでもない、ただ、理解の届かない姉妹が一緒に住むのがむりなのだろう。

たとえ片方が病で、片方が老人であっても。

妹は今回の衝突でいままで私がよかれと勝手に思っていたことを全部拒否した。

手作りや、サプリや、いろいろな手続きなど。

妹にとって少しもうれしくもなんともないことであったのかもしれない。

こういうときに誰に相談すればいいのだろう。

またしても引きこもった妹を前にとほうにくれる。

私のほうに本題がある?

考えたくない。ここまでやって、あまりにもむなしいではないか。

では妹に非がある?彼女は病人だ。ここでなぜ行き詰まるのか。

妹がティッシュペーパーケースを作る結果は

2017年05月29日 | 病を斜めから見る
実は…ということがわかった。

脳科学者の話を聞いて、あ、と思った。

ストレスにより、人の脳は萎縮する。ストレスを受け続ければ欝になる。

ストレスから逃れるには、ぼんやりすり、笑う、楽しいことをするなど、聞けばそれほどむつかしいことはない。

が、実際ストレスにとりまかれてしまうと、それができなくなる。

欝になってしまえばさらに難しくなる。

3年ひたすら引きこもって妹、何もせず、何を考えているのかわからなかった妹。

が、せっせと縫い物をするうちに、笑い、しゃべり始めている。

無駄な、役に立たない作業である。でもやめようとしない。

それをうけいれ、褒め、さらに続けることをすすめてみることにした。

家中ティッシュケースだらけだが、治療だと思えばナンテことない。

有難い人たち 。

2017年05月25日 | 病を斜めから見る
妹が必死でつくるティッシュケース。家に山積みになっていく。

それを見るのがだんだん苦痛になる。

妹の能力の限界がこれかという思いなのである。悲しい。

お笑い福祉教室に持って行くと皆さん持ち帰り、それぞれに手分けして配ってくださった。

その上妹へは励ましのおたよりも下さる。

妹の目がかがやいた。うれしかったのだろう。

こんなことしかできない妹に絶望する私。

これができるようになったじゃないですかと、たしなめてくれる人たち。

そうなんですが…、ええ、そうです。ありがとう。

わかってくれる人に出会えることは、介護をする人間をかぎりなく力づけられる。

一体いつになればこれ以外のことに興味をもつようになるのだろう。

過ぎたるをどう見よう

2017年05月20日 | 病を斜めから見る
妹は毎日毎日同じことを目も上げず、必死で繰り返す。

回りには出来上がったティッシュケースがつみあがっている。

材料は自分で買いにゆき、買い物の楽しさも味わってはいるのだろう。

作る楽しみや工夫もしているし、手仕事なので体は動かさなくても手はうごいている。

脳への刺激もあるらしい。

気分もよさそうだし、大きな感情の変化もない。

ただし、いままでやっていたことにはもう目もくれない。

もっとおおらかに、幅広く楽しんでもらいたいのだが、無理か。

こういう集中力は、見ていて哀れに思える。

それだけにすがっている、ほかが見えない。

ちょうどいいというバランスというのがいかに難しいことか。

そういう私にしても、横から見れば心配のしすぎ、やりすぎと思われているようだし。

妹が自分のする事を見つけただけでどうして良しとしないのだろう。わたしは。

こうしてつぎつぎと新しい心配を作るのだろう。