どこまで行けるか80歳

崖から突き落とし。這い上がれるのか

後のまつり

2020年11月30日 | これからどうするの

生前、妹が会いたがっていた人があった。

電話番号は知らないが、毎朝おなじ時間にモーニングコーヒーをともにする茶飲み友達である。

コロナと同時にこの喫茶店が閉まり、不用不急の外出も禁止のまま、夏がすぎた。

夏の終わりのあるころ、思いつめたように

「あの人のメイルボックスに私の電話番号を書いていれてきてもいいか」と聞いたことがる。

なくなる1か月ほど前であっただろう。

この人の住んでいる家も知っているし、名前もしっていた。

が、私は止めた。

茶飲みだけの友達の家をたずねることを、失礼と思い、また、コロナも油断できないという理由であった。

妹は了解したが、 そのとき「もう、死ぬまで会えない」といった。

それが現実になって、私の心がゆれた。

そしてとうとうこの方の家のメイルボックスに、妹の死を伝える手紙をいれた。

あの時に好きなようにさせてやればよかったという悔いに負けたのである。

ご当人からは丁寧な手紙がうちのポストに入った。さっそく仏前に伺いたいといわれる。

しまった。うちには仏壇も、写真も、何もない。

花と、手放さなかったケータイと、つけっぱなしのテレビだけである。それが私流の妹への鎮魂。


〇二人と一人で違う味

2020年11月29日 | これからどうするの

鍋の季節になった。コロナもあり、外ではなく、家鍋であるが。

まず、一人暮らしになったのだからと、一人鍋を買った。

冷えこんだ夜、鶏の水炊きにした。いつもと同じ作りであるのに、まずい。

おいしくない。前に人がいないと、鍋にならない。

いや、鍋だけではなく、何を作っても、もっと言えば、買った料理も味は同じなのに、まずい。  

唾液がでていないのだろうか。

一人の食事はまずいとは聞いていたが、本当です。本当に、何も変わっていないのに、味だけが変わってしまった。

どうにかならないのだろうか。どうにか。

鬱の薬は味には効かないのか。


〇お悔やみのいちゃもん。

2020年11月24日 | これからどうするの

 妹を亡くして、ほうぼうからお悔やみを言われる。

そんなとき、それを今、私にいうの、とおもうのがある。

「まあ、よかったじゃないの、チューブなんかにつながれて、苦しんでしぬよりも」というお悔やみ。

それは全くその通りで、年寄りの間では定番、流行語でさえある。

話の中には必ず挟まれる定番だ。私だって常には言っている。

が、今は聞きづらい。

想定外にイキなり死なれて、混乱中の人にはまずいだろ。

同じく、「よかったねえ、あんたでなくて。妹さんが後に残っていたらそりゃ大変だったもんねえ」

これもまあその通りなのだが、ストレートすぎはしないか。

妹は障害があり、一人で後に残れば大変なことは誰もが考えている。

当人だって考えていた。が今言われて納得できる言葉とは思えない。

ふつうは、残されたものが、しみじみとそう思えるようになってからのはなぃではないのかと私は思った。

私はわがままな人間だろうか。お悔やみにいちゃもんをつけるなんて。

 


〇かすんでゆく過去

2020年11月22日 | これからどうするの

日常の生活から妹が居なくなって、7週間が過ぎていく。

ふと、妹はどんな顔であったのか、わからなくなることがある。

妹が、本当に居たのか。あれは、長い苦しい夢であったのではないのかと思うことさえある。

かと思うと、楽しかった日々や、優しく嬉しそうに笑う妹の顔が鮮明に現れ、耐えがたいほどに懐かしくなることもある。

 そういう日々を繰り返しつつ、今年が暮れるのであろう。

そうして、新年になれば「去年、妹は」というような形ではなし始める。

こうしてすべて遠ざかっていくのだ。残酷にも、優しくも。

そういう時を私が今、息をひそめて待っている。

そのあとに、どういう自分を描けばいいのかは、まだ、わからない。

今迄が、あまりにも妹で充満していたものだから。ワタシが抜け落ちていたのだ。

そういう心ぼそさは、ある。

大切な人を突然失った多くの人々が、どのようにして、そういう過程を過ごしてこられたのであろう。


父と子の手

2020年11月18日 | これからどうするの

 年老いた父の手を、もう老いの見える息子がしっかり握って信号待ちをしている。

 息子は父の手を、唯一の頼りとにぎりしめ、父もいつくしみを込めて息子の手をにぎっている。ように私には見える。

 最近こういう姿に胸が熱くなる。

私だって、ワタシだって、しっかり妹の手を握っていたはず。

 障害があるからこそ、なお、ほかには感じない、深い思いがあった。

相手が自分をたよりにしていると感じるからこそ、私もまた、たすけになりたいとどりょくをしていた。

そういう,ほかに代えられない互いの思いがあったと思う。

障害があっても、自分なりに相手を心配し、助けようとしていた妹。

自分も老いてゆくのに、私の老いを心配していた。

その妹が、ワタシよりも先に逝くを、人はみな、よかったといってくれる。

 私だって、障害のある妹を残して自分が先に逝くことは辛いことと思っていた。

けれど、ほんとうに妹が先に逝くことは、想像していなかった。

どんなにつらくても、妹は後になるはずであった。

想定をこえて、妹はあっけらかんと、さきへ逝った。

幸せだと、妹は思っているのだろうか。思っているとは思えない。

辛くたって、妹は生きていたかっただろう。

残された私が、心配なはずである。そう思う。

 


〇かお

2020年11月15日 | これからどうするの

 人はいつもまじかにいる人の顔をきちんとみているのだろうか。

 妹が重症化して7、8年。なくなって、写真をさがしたが、最近の写真が1枚もない。

あるのは7、8年前まで。病んだ顔を写す気にはならなかったらしい。

この間に、妹の髪は白くなっていった。残った写真は白髪のないものばかりである。

 そうすると、妹はどんなかおであったのか、わからなくなってしまった。

まいにち目の前にし,食事をし、おしゃべりもしたのに、あの顔がぼやけて、はっきりした像映像をむすばない。

 7年まえの写真をみているうちに、ますます白髪になっている妹の顔がぼやけてゆき、7年前の顔しか定まらない。

そして、顔がきえはじめると、この近年の思い出もあいまいになってゆく。

人は、毎日ほんとうに身近な人の顔をちゃんと見ているものだろうか

 


薬を飲むと

2020年11月11日 | これからどうするの

介護をしていた妹を突然失って私は体も心もバランスを失った。

今迄支えているつもりであった存在が、消えたんだからバランスはとれまい。

支えていたのではなく、自分が支えられていたことも分かった。

わかると、悲しいものだ。もう、私には、役目はないと悟る。

その寂しさ。そいつに耐えられないのである。

1日何もしないのに、家の中をうろうろする。靴を右左はき違えて通院する。

薬をシートごと口に放り込む。全くものの役に立たない。

眠れないし、何もする気にならないし、食べたくもない。

で、鬱の薬を飲む気になった。こんな生活を続けたくはない。しんどい。

薬を飲んで数日。気が付くと食事をしていた。買い物にもでている。そして、夜も寝むれる。

妹のことを思い出すときの、辛さにもちょっとしたベールがかかる。

そんな効目があるのが、鬱のくすりらしい。

しばらくでいい、気力が回復するまで、この薬と仲よくしよう。

 

 

 

 

 


おなじ薬

2020年11月07日 | これからどうするの

妹が突然亡くなって、ひと月過ぎた。

ひと月。私はこの時間をどう過ごしたのだろう。

守ってやらねばならなかった存在が突然失せてしまう。目の前に出来た空白を、うめるすべはなかった。

ひと月過ぎた後、何もないことの苦しさ、むなしさに耐えられないことに気が付く。

妹の友人がやってきた。いった。「一回精神科で相談した方がいいよ」

そうか、私は病んでいるのか。こういうのを人が見れば病んでいるとおもうもか。

頼る当てもない身だから、精神科にいってみた。

病気ではないですよ。誰でもみな同じように苦しいです。

でも、あなたの場合は本当に突然ですから、ショックはおおきいでしょうね。

もう、充分頑張ったのですから、ちょっと楽になったほうがいいと思います。

医師の意見はもっともだと感じた。私にはもう、残りがない。

あとは、とんでもないところに落ち込むかもしれない。

抗うつ剤をもらって帰ってきた。薬を手にして、それだけでも安らぐものなんだ。

妹が長年苦しみながら飲んでいた薬である。不思議な安心感を覚えた。

私も飲むよ。同じだよねえ。