生前、妹が会いたがっていた人があった。
電話番号は知らないが、毎朝おなじ時間にモーニングコーヒーをともにする茶飲み友達である。
コロナと同時にこの喫茶店が閉まり、不用不急の外出も禁止のまま、夏がすぎた。
夏の終わりのあるころ、思いつめたように
「あの人のメイルボックスに私の電話番号を書いていれてきてもいいか」と聞いたことがる。
なくなる1か月ほど前であっただろう。
この人の住んでいる家も知っているし、名前もしっていた。
が、私は止めた。
茶飲みだけの友達の家をたずねることを、失礼と思い、また、コロナも油断できないという理由であった。
妹は了解したが、 そのとき「もう、死ぬまで会えない」といった。
それが現実になって、私の心がゆれた。
そしてとうとうこの方の家のメイルボックスに、妹の死を伝える手紙をいれた。
あの時に好きなようにさせてやればよかったという悔いに負けたのである。
ご当人からは丁寧な手紙がうちのポストに入った。さっそく仏前に伺いたいといわれる。
しまった。うちには仏壇も、写真も、何もない。
花と、手放さなかったケータイと、つけっぱなしのテレビだけである。それが私流の妹への鎮魂。