妹がなくなった日、妹はソーイングに行く予定だった。
妹は毎月一回のおけいこをたのしみにしていた。
モノをつくるのが好きであったし、先生がやさしく指導してくれるからだ。
自分を馬鹿にする人を、障害のあるものは素早く見抜く。そして警戒し近寄るまいとする。
反対にどんなにぶっきらぼうでも自分を理解していると感じると、後からついていき、離れない。
その敏感さは動物的であった。
ソーイングの先生は、妹の良いところを大切にしてくださっていたのだとおもう。
あの日、妹は冬のパンツを縫う予定で、早々と材料をそろえていた。
妹に起こった異変はその1時間まえであった。
救急病院から私は妹の死を知らせた。13時2分。ちょうど妹が先生宅のチャイムを押す時間であった。
その日の夕方、ソーイングの先生は、いつも妹が使うミシンの前にすわったという。
するとそのミシンが動き出したと伝えてきた。
そんなことを私は本気にはしない。ミシンが動くにはそれだけの手順がある。
なにもしないのに動けば、それは怪談奇談である。
が、その話を伝える先生からのメールを、私のケータイが受信しなかった。
買い替えたばかりのケータイがその時に故障したらしい。
妹がなくなった数日、私の周りではこうしたよくわからないことがおこっていた。
その話を人にすると、「そうなんよ、そういうことが人が亡くなったあと、よくおこるの」という。
なんでや。どうして「そんなあほな」と笑わないのだろう。
真剣にうけとめないでほしい。機械たちが一斉にストライキをおこしただけなんだ。
みんな混乱していたのだと。