目前の80

まだかもうか

最初に動脈硬化を指摘したのは眼科医だった

2017年01月31日 | 楽しい後期高齢生活のために
目に全治1か月の負傷を受けたとき、眼底を見た眼科医から動脈硬化をしてきされた。六〇代の終わりころだった。

当時、かかりつけ医からも市の検診でも動脈硬化はないといわれていた。

糖尿もなく、肥満でもなく タバコものまない、ほかの検査もすべて正常だった私は眼科医の指摘がふしぎだった。

なんで眼科でそういうことをいうのだろう、と。内科医に報告したが、とくに問題にはしなかった。

が、あれは正しかったといえる。

手術いがいで、生きている動脈を肉眼で直視できるのは眼底しかなかったという。

そういうことなら、なぜ眼科医の意見を重視しないのだろう。

相当悪くなってからでないとわからないような検査に判断をまかせるのはなんでやろ。

肉眼直視診断のできる眼科医が治療するか、内科医へ治療指摘を指示するべきではなかったか。

そうすればあの全治1ヶ月の重傷の怪我も、悪いことだけではなかったことになっていただろうが。

あれから10年がすぎ、手の施しようはない。

もちろん老化は治療の対象ではないが生活指導や予防の対策にはなっていたと思う。

なにしろ私の検査結果は用紙の外側に向かって矢印がついているのだから。

こういう極端なけっかというのもまた、ちょっとしんじられない。

いや、身からでた錆にはちがいないが。、

血管年齢90歳以上って、そんな…

2017年01月30日 | 楽しい後期高齢生活のために
足先の痺れと足裏に厚紙をはりつけたような感じが数年続いていた。

冬に入りひざ下から痺れが始まり、暖めると痛みも伴うようになり、血管年齢測定検査をした結果である。

うっそーというフレーズ、あまり使わないのだが、とっさに心で叫んだ。

そういえば今から30年まえにも骨密度が90歳以上といわれた。

以来骨ソショウ症の治療を続けた結果、今は年相応というところまで挽回している。30年かかっての結果だ。

しかし、今ここで90歳以上といわれても、後がないじゃない。どこで挽回をはかれというのだろう。

思い返せば足に痺れが出たとき、同じ検査をしたが、異常なしという結果で治療はしなかった。

検査の結果が出れば遅いということだ。自覚症状のほうが確実で早い。

少なくとも慢性に進行する症状は、そういうことのようだ。

日常生活へのアドバイスをもらったが、そういうことはとっくに、ちゃんと守っての結果である。

ただ、思い当たるのは若い頃の生活はかなりむちゃくちゃだったなあ。

あの結果がこうしてわらわらとあらわれているのなら、覚悟をするしかない。

これでは血管に関する限り、いつ死んでも文句は言えないのだろう。

気分は今日の天気。雨のちに曇りで、午後には薄日さす。

しょうがないというしかない。


出来立てほやほや文楽師さん

2017年01月29日 | 楽しい後期高齢生活のために
27期文楽研修終了発表会であった。

新年に上演された演目が今回にも入っているので、人間国宝とできたてほやほやの見比べをしてみる事にした。

文楽劇場は700席だそうだが、ほぼ8割ほどの入りであった。

これはすごいことではないだろうか。

相撲は朝の間の客席はがラーンとしていて、開発途上への関心はグイとひくい。

年に何回ある発表会か知らないが、今回修了者は浄瑠璃1名人形遣い2名。おのの2舞台を勤めていた。

浄瑠璃さんは一人で挑戦、何年間の修行かしらないが、ちゃーんと浄瑠璃だった。と、私がえらそうにいうような立場ではない。

人形さんは足であった。はじめは足からとか。中腰で移動範囲もおおく疲れそう。

以前、淡路島の中学校文楽クラブの演技を見た。

丸坊主のわんぱくそうな子が、もう笑ってしまうほどの熱演だった。

あの子はその後何をしているのだろう。家業を継いだのか、文楽になったのか。

人間国宝と研修生とどうちがうかなんて、そんな不遜なことを考えてみている人はいないのだろう。

みな、研修生が出るたびに拍手。あたたかいいい雰囲気だ。

緊張もなく会場はゆるゆるとしていた。私の隣の女性は始から終わりまで、寝ていて、いびをかき、私にもたれかかってきたが、気にしないことにした。

 そういう空気だったのかも。

追記  入場無料です

ニガテ朝起き記

2017年01月28日 | 楽しい後期高齢生活のために
生涯を通じて朝寝坊である私。

布団を引っぺがされても起きなかった10代。

仕事に間に合うために出勤10分前に起きるのは死ぬほどつらかった。

朝の辛さに耐えかねて定年までまてず早期退した私。

その後は極楽状態を満喫ちゅうである。

同年の話ではみな5時起きなそうだが、聞くだけでもイヤ。

用もないのに何で早起きなどするのだろう。はや起き人間を私は好きになれない。

にもかかわらず、回りを見るとみな早起き人間になっている。

やだなあ。とはいえ、昼まで寝ると、人生が短くなるような気がする。

残り少ない人生だ、少しでも有効に使をうと、早起きの工夫を実施している。

まず、寝る前に目覚ましをかける。その1時間前に暖房がオンになるようにセット。着る服を手の長さの範囲にひきつけておく。

こうまでしてあるが、目覚ましから1時間は起きないわたし

後はあと。今はいま。天気のいい日だけでも。

2017年01月26日 | 病を斜めから見る
最近妹は気持ち的には何か行動を起したがっていると思う。

毛糸をわたすと毛糸でタワシを編んだりあやとりにも挑戦する。あるだけの生地で縫い物もする。

が、すぐに放り出す。そんなもので家の中はガラクタの山だ。

それを注意するとどう傷つくのか、何もかも捨ててしまう。

そういうわがままを許しておくことが治療だったり介護の一旦なんだろうか。

ほんの数刻で自分の不機嫌や怒りを忘れてしまうのも、こっちにすれば腹がたつが、無視するしかない。

そういうことが毎日続くのは疲れるし、しんどい。

が、この程度で愚痴るのは、もっと重症の家族からみれば、何を甘ったれて、と言われるだろう。

今の不安は現状がいいほうに向かっている過程なのか、またどーんと悪いほうに落ちるのか定かでないことだ。

日々年をとっていくながで、はたして快方にむかうということがあるのだろうか。

やがてどうにも手に負えない日がくるのではと、不安はつきない。

そういう不安に医学はなにも答えてはくれていない。どこからも答えはかえらない。

つまるところ、やっぱり良くはならないということなのだろう。

言わないという易しさも、当事者にはいらだちのもとだし、はっきり言われても嬉くもないし。

そういう自分だってあやしい。老いが病に覆いかぶさってゆくような気がする。

こうなると老老介護では速いもん勝ちのような、そうでないような。

天気のいい日にはそういうことも忘れて「ああ、あったかいなあ、幸せ」とつぶやいてみる。

後はあと。今は今。今日はいい天気だった。



文楽・隣の席のおじいさん

2017年01月22日 | 楽しい後期高齢生活のために
新春の文楽を鑑賞に出かけた。当日券でもひとりだと、結構いい席が空いている。

 今年も中央の通路前にひとつ空きがあり、そこを指定。

後ろの通路から持ち物を席において、手ぶらで席まですすんだ。

横の席は私よりもちょっと年上とみられる男性である。

ほう、そうやって席に着いたら、楽ですなあ。

気軽にこえをかけてくれた。

11時から午後3時半までの長時間、この方は耳には解説イヤホン、手もとには解説書。ペンを放さず、しきりに書き込みもする。

 っすごい勉強家ですね。

 いやあ、こうやらないと頭に残らないんです。年でなあ。だって。

 わたしなんか、もう後も少ないこの年で何かを蓄積したり、残しても死んだらただのゴミじゃ、とばかりに、すべて見てるだけという状態である。

 まだまだ蓄積を心がける脳の若さに驚く。そのうえ東京の公演にもいくとのこと。

 最後に満員の場内をみわたして、晴れやかにつぶやく。

 こんなにたくさんの人に来てもらって、演じるほうもうれしいでしょうな。

 なるほど、見るだけでなく、演じるほうの気持ちにまで踏み込んで見ているのでしたか。

 文楽さん、すばらしいファンがいますよ。良かったですね。


いくつになっても微妙な年齢問題

2017年01月18日 | 楽しい後期高齢生活のために
 70歳を過ぎた時、もう年齢がどうのこうのという会話はなかろうと思った。

 少々の年の差よりも個人の健康度のほうが余生においては問題となるだろうし。

 新年になり久しぶりに友人と会い会話。

 あんた今年で8やなあ。私は5やけど。
 え、なにそれ
 ぼけたんかいな。年やないの。自分の年がわからんようになったらぼけやでえ。

 私はこの友人を好きである。孫だの夫だののじまんやグチはいわない。

 時事問題や、生活につながる情報をいれてくれる。

 ちょっとしたことでも、大声でわらう明るい人。

 自分だけで一方的に喋りまくらないで、適当にこっちにも話題をり、ほど良い会話のキャッチボールを楽しむことの出来る数少ない人である。

 今までならこういう会話でもほんまやな、あははですんだ。

 言うことは事実でる。私は今年の誕生日には78となり、友人は75になる。年齢を直ぐに思い出さないのはボケテストで1ポイントとられる。

 が、私はこの真実をのべる会話をスルーできなかった。

 あのねえ、数える年より、自分が歩いている後姿のほうが健康年齢を現してるよ。あんた最近ワタシとおんなじような歩き方やで。
 
 これまた真実である。が、別に本人にいう必要はまったくいない。

 言ってから思った。やっぱりなあ。人間いくつになっても同じなんだわい。寒。


あなたのためを思って言う一言とは

2017年01月17日 | 楽しい後期高齢生活のために
 人生相談の欄から。
 親しいヒトの悪いところを、そのまま素直に本人に言ってしまうため、人間関係がうまく行かないという悩みである。

 すごい人も居るもんだなあ。お年もすでに60歳である。

このままでコレまで生きてきて、この年になって悩んでいるという。ガラスのような人ではないか。

 それはまあいいが、ひょっとして私はどうだったのだ。

 適当に相手のいいところをさがしてまあまあに付き合ってきた割には友人は少ないなあ。

 悩みに対するお答えである。自分の意見ではなく、自分よりも人格的にも、世間的にも上の人の言葉を転用している。

 なかなかいい手だ。

 どんなに素直な意見であっても、相手が聞いて快く受止めないような意見は、ほぼ上から目線になっている。

 自分の方があんたよりも上等だから言ってあげるという気配は完全に相手に伝わるものである。

 いかに親切に、心をこめて相手のためを考えても、本人の気持ちを無視してしまえば説得力はありません。

 そうですよね。わかっていても、ふと忘れて言わなくてもいい一言をいうとき、自分はソウではないと思うから平気でいえているわけでした。

 思い当たりますねえ。とくに相手を心ではちょっと見下しているような時が一番あぶない。

自分でつくる姥捨て山。

2017年01月16日 | 楽しい後期高齢生活のために
 お笑い福祉士というのがあります。国家資格でもなんでもなく、落語家笑福亭学光師匠による認定のもの。

そこはお笑いですから「なろうかな」と言うだけでも7級です。

1段、2段となればお笑い界へのデビューもできそうな人もいます。

 福祉士は障害者施設や老人ホームなどへ笑いを届けに回る、いわばお笑いサンタ。そのお笑い福祉士に声がかかる場所に変化が。

 介護保険始まって10年、将来の見通しは真っ暗。

 こんななかで、後期高齢者たちはいかにして、国や介護保険ひたよらず、明るい老後をむかえられるかという題名にいどんでいるようです。

私たちお笑い福祉士にお声がかかるのは、行政とは関係のない、有志の集まりがふえてきています。

近所の空き家に集まり、お茶をのみおしゃべりをし、1日を楽しく過ごそうとしている仲間です。

 世話役が80歳、アルツハイマー初期だったり、耳が遠くて話がすすまなかったり。

そういう人たちがお金を出し合うのでしょうか、家賃や光熱費を支払ってもいこいの家にあつまってくるようです。

少々体や記憶に問題があっても、人の世話をし、人と交流をする。ここではしてもらうということはないわけです。

だれかの役に立とうという目線であつまっています。

 昔ならば姥捨て山というところですが、雰囲気は明るいです。

なにせ自分で立ち上げた姥捨て山ですから、かってに居心地よくしているのでしょう。

うーん、年よりはどんどん変っていく。えらい。

私たちお笑い福祉士も笑いを届けるというより、呼んでいただき、一緒に笑って、情報を頂いて、勉強させてもらってます。

がんばれ、笑う姥捨て山。

しつこい頭痛は健康寿命の敵

2017年01月14日 | 楽しい後期高齢生活のために
 頭痛専門の外来があるらしい。そこの医師が頭痛についての講演をするという。

 テーマは悪くもならず、よくもならず、長くしつこい頭痛について。私にぴったりであり。

 講演費用が高いが、行ったのには、それなりにつらかったし、対策にこまっていたからである。

 かかりつけの医師にうったえても、痛み止めを慢性的にだして運動しなさいというくらいのことであったからだ。

 で、どうなんだというと、話は特にかわらなかった。

 ただ、言うことは具体的でわかりやすかった。

 痛ければ痛み止めであるが、飲みすぎると頭痛の原因になるという。なるほど。

 薬は1ヶ月の間に10日まで。それ以上は飲みすぎ。

この場合は専門の医者に相談し、正しい治療をうけよ。ま、そうだろうな。

 正しい診断と治療とは、検査と予防と対症療法と、生活の改善となる。

 運動は、肩、首の周りの筋肉を中心に2分間。

 作業は1時間ごとに中止して、運動、これで頭痛を予防。

 カフェインをとるのもいいが、取りすぎも頭痛の元。

 首や肩を暖めて血管を広げ頭の血流をよくする。

 慢性頭痛は命には別状がないが、毎日の生活には大きなストレスになり、健康寿命は普通の人に比べると、2ないし3歳みじかくなるという。

 高い受講料をはらって聞いてきたはなしなんだから、実行にうつし、なんとか痛みを減らし、薬をへらし、健康寿命をのばしたいものである。