補聴器を使用しはじめて1年すぎた。
感想であるが、価格に関係なく、雑音はあるということ。
雑音には慣れるしか手がないこと。
聴こえないからといってやたらボリュウムをあげると、体によくなさそうに思う事。
聴こえないことは、機械に頼らず、普通の努力をするほうがいいということである。
普通の努力とは、聞こえないことを相手に判ってもらう。
聴こうと努力する。
聴いたことが間違っていないか確認する。など普通のことである。
そのうえで、ちょっとだけ雑音を我慢できる範囲で器械を操作すること。
そういう意味では高価な機械も、そうでない機械も基本は同じと思う。
どんなに高価な機械も、使用期限は来る。
ただ、高価なほうは、使い勝手や機能がバージョンアップした場合、自動的にアップされるあたりだろうか。
それは要らない、と思えば適当な価格でも十分ではないかと思った。
私はバージョンアップや、スマホから操作できる機能がおもしろいと思うのでやや高めのほうを持っている。
補聴器はレンタル期間をすぎて、いよいよ自分の物になったとたん、装着がめんどくさくなったり、煩わしくなるようだ。
そこで挫折し、高価な器具をそのままほったかすケースがおおいらし。
うまく使って、人の会話のなかにはいり、楽しい日常をめざしたほうがとくである。