どこまで行けるか80歳

崖から突き落とし。這い上がれるのか

大阪がわからん

2018年06月26日 | 楽しい後期高齢生活のために
ウン十年ぶりになるんだろうか、とにかく久しぶりに阪急三番外に出る。

どこを歩いているのやらさっぱりわからない。

かつては毎日うろうろし、隅々まで熟知していた場所が。

友人とうろうろ、おろおろ。やっと当時あった店を発見。位置がかくにんできた。

そのくらい変っていたということだ。

大阪でこれだから、もう海外などかんがえられない。

ああ、とふたりでためいきをつく。

いつの間にそういう人になってしまったやら。

友人は孫が双子で生まれて以来。わたしは妹が病気になっていらい。

外出どころではなくなり、まして旅行はあきらめていた。

こうして人はいつかみな、何らかのきっかけで行動範囲がかわるものだ。

順番に老い、生活範囲を狭くしてゆくのだなあ。

大阪が外国なみにわからないなんて。

いや、足が悪かろうが、しんどかろうが、外にでるべきなんだろう。

でもでもヨタヨタ、ぐずぐずと人波をうるつく老人。

メーワクで、危険だし…。


最近の地震のこわいところ

2018年06月20日 | 楽しい後期高齢生活のために
震度は4だっそうだが、22年前のより怖かったというひともいる。

22年前はわかくて、勢いがアリ、今回は老いからの不安がおおきかったからだろう。

地震の大きさもちがうし、時代も変わっている。

地震に対する世間の知識や考えも変わったと思う。

いい、悪い、両方で。

びっくりしたのは、すばやく建物が閉鎖されたことだ。

駅前ではビルはすべて閉まり、立ち入りできない。

交通機関に締め出された人があふれ、みなそれぞれ携帯電話にしがみつき、

タクシー乗り場やコンビ、自動販売機に列。

 スーパーも店舗もしまって、とっさの水も手にはいらない。

先の先を読んでか、大きなビルほど、そそくさと門戸をとざし、拒否状態である。こわい。

 日ごろ気がるに出入りしている建物はすべて使用できないとなれば、考えを改めないと。

 イザというとき、大きな建物を頼りにしていた。

が、それは甘いのであった。

 これからはイザという時は、なにもない野原に放り出された、いやもっとわるいかも。

 行き場を失った人でどこもかしこもいっぱい。

座る場所も、倒れるところもないありさまではなかろうか。

 なんとせちがらいなあ。

保育所のお散歩

2018年06月15日 | 楽しい後期高齢生活のために
保育園の保育児が集団で散歩?している。

乳母車のバス編というか、園児の顔が見えるくらいの深さの押し車に、一挙に8、9人乗せ移動。

園児はおとなしく顔だけのぞかせている。見た目、動物園っぽい。

先生はふたり。街中を8、9人も連れあるくのは大変だろう。

こうすれば安全なのはわかるが、何か違和感ありです。

団体用乳母車はモロ、荷車である。宅急便などがつかう深い荷物運びよう。

クマサンの絵がついているわけでもなく、普通の乳母車のような素材で作っているわけでもない。

まんまの荷台に柵つき押し荷車。いくら安全でもなあ…。

近頃じゃ犬だって豪華な犬用乳母車にのっているんだし。

園児はあれで楽しいのかもしれないんだが。


終活。笑勝。とんかつ。でした。

2018年06月11日 | 成年後見人的立場
毎年もりあがっていて、今年は会場満員でした。

きてくれた人たち、どうもありがとうでした。

お笑い福祉士の肝いり。良く笑えました。

時事ネタ満載の学光師匠の新作落語。

ベテランお笑い福祉士たちの登場で、むつかしい栄養学がお笑いに。

しかも、トンカツはえらい、なぜなら、みんな100歳、100歳とインプットされたしねえ。

社会福祉士よりの成年後見制度のおはなし。

後見人制度は決して財産の管理がすべてではないよ。

それはね、たとえば呆けていても、アナタが望むあなたの幸せを、後見人は応援する。

それがもともとのキモですよ。というメッセージ。

時間が短かったけど、伝わりましたよね。

後見人にまかせ切りにせず、周囲や家族も参加して、当事者のいちばん幸せな生き方を、さぐってもらえるということです。

まて、妹の後見人であるわたし。

はたして妹の望む妹の幸せを、きちんとわかってやっていたっけ。

もし強引に妹の幸せを私の勝手な理解で、一方的にきめているならば、

それはよくない後見人であるということになります。

ややこしい、わかりにくいという声もあがってましたが、

そうじゃない、当たり前のことだと思います。

おお、離れ業メイク

2018年06月06日 | ほう、へーな話
久しぶりに通勤電車に乗った。

逆方向の電車だったので、それほどの混雑ではなかったが車内メイクに遭遇。

立ったまま、脇にバッグをはさみ、膝に書類らしきものを挟んでの離れワザ。

真剣。当たり前か。

よほどのことなんだろうなあ、立ってメイクなんて。

ちょっと気の毒でもあるし、往生際ワルーとも思う。

やらんほうがよっぽどいいとオモウケド。

それにしても女はなあ、ソンだよな。ここまで顔に気つかうなんて。

いや、あきらめさえすればこういう離れ業もしなくていいんだけど。

それに気が付くのは80も近くなってからなのかも。

頑張りなさいよ現役サン。

老人によるニュータウン

2018年06月01日 | 楽しい後期高齢生活のために
 友人はかつてのニュータウンの住人だった。

バブル時代、同じ世代が結婚と同時にタウン入居。

出産、子育てを経てもとの夫婦だけの生活にもる。

そしてパートナーが逝き、健在でも互いに病みはじめる。

友人は妻をなくし、ひとりでのの車椅子生活。

ごきげん伺いデンワをすると、やたらに明るい。

その理由が、こけて立てないと、ケータイでSOSを発しん。

するとただちに2、3人かけつけてくれる。

買物、病院、庭のていれ、飼い犬のさんぽ。

生活に特に不足はなない。無償のたすけあいだそうな。

夜中も夜明けも遠慮は要らない。互いに声をかけ、孤立を防止。

いつ自分が誰に世話になるかわからない。

できるときに人の世話をする、という流れが自然にできているという。

お互い家の事情はわかっている。気心もOK。

供に生きてきた同世代の同じ町内さんであればこそ。

ふるい因縁のつながる重たい田舎の関係とはちがう。自分たち一代の町である。

軽やかに互いをいたわり、たすけあえるという。

それって老人の老人による老人のためのニュータウンの誕生かも。

人は困ればなんとかするもんなんだ。

さてウチの町はどうなんだろうか。