どこまで行けるか80歳

崖から突き落とし。這い上がれるのか

〇うわ、薬の山!

2021年12月31日 | ボケ確率アップの立場です

突然声が出なくなった。

昨年は喉からの出血でややパニックったが、今回の声がでない、は落ち着いていた。

声が出ないだけのオソロシイ病気などないと勝手に判定していたからである。

しかし間もなく全国開業医が扉を閉ざす。

ここは老人の弱目、念のため医者に駆け込む。

結果、てんこ盛りのお薬を担いでもどることとなった。年越しの分であるためだが。

 私にはそれ以前に内科の薬、精神科の薬、整形外科の薬という、先住薬がある。

今回の耳鼻咽喉科の薬に上陸されて、とまどっている。

多いのである。

友人は、適当に省いておかないと、薬の副作用で病気になるとおどした。

老人医学では70歳を超えたら薬は5種までと警告しているが。

老人科の説には見向きもしない他科。

薬局も医科から分離してもこれを監視するわけでもない。

ここは自己判断にまかされるのだなあ。

 友は、薬など飲まないでしばらくはしゃべるのをやめよ。

なるほど、それは言える。役に立つ助言だ。

年も迫り、世間はざわつくが、年寄りは暇だし、当分はしゃべりたくても相手もないし、良いか。

 


〇戸惑いだらけのひとりホテル

2021年12月24日 | ボケ確率アップの立場です

脳の老化ストップ作戦の中から、[京都一泊]を実行に移すところまでこぎつけた。偉い。

この日は大阪で悲惨な事件があり、心は少しも弾まなかったが。

その上に京都は初雪とくる。寒い。小雪の中、押し車を押しつつホテルを探してうろうろ。

私が選んだのは小さな安いホテルだった。

昔はこういうホテルが専門であったから、勝手はわかりやすいと思っていたのだが。

そうはいかなかった。フロントがロボット?と思った無表情無反応な♂が一体。

え、ここはどこ?言葉も通じない宇宙のはてなのかしらん。

しかし最近はそういうものなのかもしれないとあきらめる。

ドアの開け方、灯の位置、テレビの付け方、風呂の湯のはり方と部屋中がわからんわからん。

アメニティーとやらはどこに?飲み物もないの。え!え!え!ばかりであった。

しばらくそこらあたりをいじり倒して、使い勝手を確かめると、狭いが居心地は良いほうであると判定。

夕方出かけるためにフロントに降りると数名の制服職員がいる。

にこやかに、用があれば聞きますよと話しかけてきた。

おお、人間!よかった、ここは京都であった。

 


〇たのもしき同輩みっけた

2021年12月19日 | ボケ確率アップの立場です

押し車を使いだしてから、始めてバスにのる。

押し車の同年配女性も同時に乗った。

この人の荷物が半端ではない。でかい。

バスは混んでいて、押し車は明らかにめーわくである。

大荷物女性はその混乱の中で立ったままスマホをだす。

うわ、何この人、アブナイ。と思ったのは私だけではなかった模様。

すぐ横のかなり高齢の男性があわて大荷物を片手でささえるが、彼女は意に介していない。

バスが揺れ、カーブにかかり、急停車するたびに高齢男性は、はらはらと大荷物をサポートする。なかなかの紳士である。

大荷物スマホ女性は私にもたれかかりバランスをとろうとしている。

こっちだってねえ、立つだけで目いっぱいなんだけど、みてほしいなあ。

と、思うがどんどんバスは進む。周りの人は自分のスマホに熱中で助けは望めない。

大阪でならおばちゃんは毅然と若者に席を立てというらしいが、私にはそういう勇気も気骨もない。

降りる段になると、大荷物スマホ女性が邪魔で私は前にすすめない。

声をかけると彼女はすばやくいったんバスからおりた。うわ、行動的。

この人には誰の助けも期待していない。周りには気を遣わない。

が、云えば素早い行動はするという合理的な人生観ができているらしい。

いいなあ、これぞ老いの見本。見習わなくては。

尊敬のまなざしで礼をいうと、再び大荷物をバスにのせて去っていった。

こういう同輩を見かけるには、やはりバスも捨てがたいなあ。

頑張らなくちゃ。


〇おお、目の前に人がいるお家ごはん。

2021年12月12日 | ボケ確率アップの立場です

妹が亡くなって1年.。我が食卓に人がすわった。ランチである。

冷凍ピザをやき、買ってきてサラダであったが、向かい合って、オシャベリをしつつたべる。

これは、1ねんぶりではないか。

居るのが当たり前の妹にふいに去られ、なすすべもなく1年すぎた。

一人で食卓にすわり、食べた食事の味はかなしかった。

食卓の向こうの人が輝くように見える。こんな体験は初めてである。

物を食べる時、黙っていたことは、いままでなかったものなあ。

それをしかたがないとはいえ、1年も耐えていたので。輝いてあたりまえかも。

日々の会話を失った人が、意外と早く認知症状が出るという話は聞く。

これはいかん。よく今迄もったもんだ。誰でもいいから時には自分の食卓に人を招かなくてはならむ。

ころなが留守の間に素早くやらねば。


〇蘇る生活雑音

2021年12月07日 | 聞き耳危機

家に一人でいる時にも補聴器をはずさないように指導された。

一人でいるのに要らないと思うが頑張った。

すると静かな部屋の中にもいろいろな音がする。

空調の音。家電の電子音。風呂場の蛇口から漏れる水滴音。

そういえばこれらの音はいつの間にか私にはないものになっていたっけ。

こういう音はあってもなくても平気だったが、一人暮らしになった今は、やはりあったほうがいい。

音楽は良い音になった。が、横並びの会話は前より聞きやすいが、マイチ意味ははっきりしない。

問題点はここだったのである。という所で1週間すぎた。

最初の面会では、聞こえぐあいよりも器具の装着を安定させることだった。

不安定な装着に固定しやすい部品を追加。やや緩かったホールドがしっかりと耳になじむ。

今日は聴こえについてはアップさせないらしい。

聴こえないまま怠けていた脳をゆっくりと刺激するのが目的だとか。

聴こえすぎでは脳がパニックになるのか。

独り暮らしでは、聞こえなくてもやっていけるが、脳はがどんどん怠けていくだろう。

それはヤバい。やっぱり必需なのではないかと思い、値段を聞いたら40万円という。

うっ!


〇補聴器の問題点

2021年12月02日 | 聞き耳危機

新しい補聴器をみて、2年間の隔たりに驚いた。

まず、大きさが10パーセントばかり小さくなっていた。

装着法は変わらないし、耳とのなじみもあまり変わらないが、雑音がしなくなっている。

それとも私の耳がかなり悪くなっているのか。

今回の問題点は機械ではないところにある。

補聴器、マスク、めがね。この3者が耳たぶという小さな領域でせめぎあうことになったのである。

どれもみなあとに引けない。何をはずすにしても細心の注意がもとめられる。

しかもここに意識が集中して、疲れる。

前の時にはマスクも眼鏡もなかった。

とりあえずは掛けることに慣れてくださいといわれた。なるほど。

補聴機能はあまり変えないで器械の装着に慣れないと前にはすすまないらしい。

納得はできる。ゆっくりと3か月の試着きかんである。

ボチボチいこう。