どこまで行けるか80歳

崖から突き落とし。這い上がれるのか

雑音との闘い。補聴器

2019年06月29日 | 聞き耳危機
使いだして驚く。

借りたのは、中の下クラスの機種であった。

私の難聴度があまり高くない事、経済性をかんがえたことなどから、選ばれた。

それも、感度低めにおさえた。

が、雑音はおもっていたより多かった。

国道、マーケット、スポーツジムと生活のシーンで「聞くモード」にするとつらい。

つい、「弱い目」のモードにしてしまう。

が、このモードなら、ほぼ使っていないのとかわらない。

もっと問題なのは、自分が話す声が一番増幅されることであった。

聞きたい音は拾いにくく、雑音は増え、自分の声がうるさいとは。

1日使うと疲れた。

欲しい音だけ高くして要らない音をカットするという機能をもとめていた。

が、それは機械にはむりであろうなあ。

医師から、機械に幻想を持たない事といわれた。これのことかもしれない。

いそいそと補聴器やさんへ

2019年06月24日 | 聞き耳危機
いってきましたよー。補聴器やさんです。

良かったと思うのは、医師の紹介状を持って行ったことです。

約2時間ばかりの時間をかけ、補聴器についてくわしい説明をききました。

だいたいは医師からのアドバイスのとおりでした。

今私は、日常生活に今は特別支障はないが、会話のなかで聞こえないことが増えている。

今からつければいいのか、どうか迷っている。試しに使ってみたい。

このあたりで具合のいい機種に調整して装着。

うーー。雑音がひどい。

段階的に慣らすため、今回は数段弱い矯正音に調節してもらう。

そのレベルで機械を装着した聞き取り検査をする。

が、このままでは補聴器を付けていないのとかわらない補聴力らしい。

もう少し補聴力をあげるというが、雑音で頭がいたくなりそう。

で、使用にあたり2段切り替えにしてもらう。

ここは補聴器がほしいという場面では1モード、不要な場面は2モードとする。

これで2週間貸し出しとしてもらう。さあ、出発。

すばらしいチラシ。田賀屋狂言会

2019年06月19日 | 言わなくてもいいけど
ひろがるみどりの稲穂のなかに立って扇を差し出す狂言師。

満面の笑みが田んぼに広がる。

古代から田植えに先立って行われたお祝い、祈り、楽しみ。

古い日本の芸能の姿を思わせるチラシです。

楽しそう。面白そう。行ってみたい。でも東京では遠いワイ。

10月14日祝日に東京セルリアンタワー能楽堂で開催です。

行ける方行ってみて。すばらしい会になりそう。4000円です。

こんなチラシを作るなんて、さすが岡山のお方です。

ガラケーで撮ったので、写真はちょっとーですが、本物はいいです。


補聴器の試着にあたっての心構えです。

2019年06月15日 | 聞き耳危機
耳鼻科にいってきた。

先生の説明。

あなたの耳はよく聞こえている方です。

このレベルで補聴器を使用するかどうかは当人の意思によります。

また補聴器に大きな期待を抱いてはいけません。

補聴器はあくまでも器械です。自分の耳のようなわけにはいきません。

実際に補聴器をためして、自分が使うシーンでどう聞こえるか。

具合はいいのか。使ってどのくらいいいのか。そこは当人がきめることですよ。

すすめられたからと言って、高価なものですから、気軽には決めない事。

また、今は使わなくても将来つかうということはありません。

その時には新しい機械でないと聞こえないからです。

そういうわけで、買っても使わない人がいます。

だから補聴器を試すには、断る勇気もひつようですよ。

ずいぶん親切で丁寧な先生である。

このメッセージと共に私は補聴器センターへ


補聴器を使うか聞こえているフリでゆくか。

2019年06月09日 | 聞き耳危機
人の話が聞き取りずらい。

大切な話の時はききかえしできる。

が、どうでもいい話の時はそのままにしてしまう。

だが、どうでもいい話に参加していないと、やがて人との距離がとおくなり、孤独になってしまうと思う。

どうでもいいつまらない話でみなと一斉に笑えることは大切ではないのか。

そこで「聞こえる」店をたずねた。

検査結果は約半分に近い音が私の耳、つまり脳からきえているという。

いや聞こえていないため脳が反応しなくて、消えつつあるという。

「今のうちに何とかしないと人によっては半月後にはもっと音をうしなっているおそれがありますよ。

くわしい検査の予約をいれてください」と店員さん。

うーーー。ちょっとまって。そのまえにワタシ耳鼻科にいかせて。

と帰ってきた。

いきなりとはなあ。

聞き耳危機

2019年06月05日 | 聞き耳危機
友人との会話が危ない。

特に電話が通じない。最近は手紙にかえた。

つまり両方が聞こえていないのである。

このまま「年だから」と先に行くもよし。

聞けば今の補聴器は優秀らしい。単なる拡張機ではないそうな。

それだけにたいそうなお値段でもあるとか。

さあ、どうする。もうこのままいくもよし。

いや今一度音が欲しいと思うなら補聴器か。

私はひとよりもましな方と思ってしまえばそれまでである。

が、公の場で若い人からでかい声で何回も説明を受けるには抵抗がある。

かといってここで耳に機械を装着するのも抵抗があるのです。

つまりこのままいくということは、聞こえないのに聞こえているフリを続けるということ。

他の高齢者をみると会話がなりたっていないこともある。

さあどうする。聞こえるふりでのりきるか、補聴器に手をだし、聞こえる生活にするか。

なさけなやいまから秋が待たれるなあ。

2019年06月03日 | 言わなくてもいいけど
立夏にあたり避難具・入院セットの中身を夏用に組み替える。

毎年同じセットであったが、中身を見て考えた。

こんなものをもって、いざという時に動けるか。

まあ身ひとつでも怪しいのに。

必要かどうかより、自分が持てる量であることが肝心である。

そうなると持てるものなどない。手ぶらだなあ。

とりあえず夏は水だろうが、これが重い。

これさえ持てない人が、逃げても意味はないんだが。

冷房のきいた環境にひたりきっている老人にとって、災害は致命的。

もうあれこれ考えずに覚悟だけするべきか。

といいつつ水と傘とうちわの用意をしてみた。

お出かけセットである。

それにつけても、秋が待たれる。