どこまで行けるか80歳

崖から突き落とし。這い上がれるのか

この人でなくてはと思える後見人

2021年01月29日 | 成年後見人的立場

2年がかりで探した後見人に、妹はなかなかなつかなかった。

後見人は月1かい、定期の日時を決めて通ってきた。

妹が顔を出さなくても、話しかけても反応がなくても、機嫌が悪くどうしようもない時も、

静かに、丁寧に対応し、私の愚痴をきいた。

台風の夜に不安がる妹にてこずって、しかたなく電話を入れたときも、行きましょうかといった。

そういわれただけで、まず私が落ち着いた。私が落ち着くことで妹もおちついた。

障碍者健康保険と介護保険の規定がかわると、それに会った保護の手続きをすすめてくれた。

ケアマネと、市の障害係と、介護保険事業所に後見人と私を加え、5人の輪ができた。

妹の病状が激しく変わると、5人で主治医と面会もした。 

妹の情報を全員が共有するようにはからった。

やがて妹はこれらの人たちになじみ、いなくてはならない人として、頼り切っていた。


〇いいか悪いか、私の成年後見人の選び方。

2021年01月22日 | 成年後見人的立場

成年後見人制度ができて、かなりの時間がたつ。

老いゆくもの、障害ある者にとって、大切な制度であると、初期のころ勉強会にはかかさず出席した。

が、いくら聞いても何か大事なものがみえてこなかった。

問題が法律ではなく、後見人さんその人ではなかとおもったからだ。

そこで突撃、人権擁護窓口で、後見人申し込みをし、後見人になる人に会ってみた。

会って、顔を見て、話をして、わりと感じは良くないとおもった。

目線が上から。こっちの話をあまり聞かない。ちょっと聞いて話をさえぎる。そして結論をだした。

多分、そういう話はみな大した変りもなく、結論もひとつなんだろう。

が私はそういう人に妹を託すのは嫌だった。断って別の人へと、繰り返したと思う。

始めは親切だった窓口も、またかーという感じだったのではないだろうか。

2年ほど頑張ったある日、印象のやさしい視線の暖かい人を紹介された。

私はこんな人をさがしていたんだと、ソク、申し込みをした。

数回の話し合いで、この人は一度も私の話を遮らず、私の現状や希望、過去のことを聞いてくれた。

3回くらい面会をしたのち、私はこの人しかいないと決めていた。

その結果出た結論は、1回目の結論と同じであったが、すんなり聞き入れることができたのである。

私にとって、法律もルールもどうでもよかった。妹が不安にならないような人を探していた。

妹には相談なしだったが。


〇突然、緊急告知ラジオ

2021年01月17日 | いつまでもウダウダと

びっくりした。

部屋の隅にある「緊急告知ラジオ」がイキなりモノを言った。

このラジオが音を出せば、逃げろと妹には言って聞かせてあった。

が、今迄このラジオが音を出すところは聴いたこともなく、壊れているのではと思っていたが。

そう、阪神大震災から26年か。

26年.20歳だった姪が46歳。数日後に生まれた知人の子が26歳の誕生日。元気に逃げ回った私が、80を過ぎている。

またああいうのが来たら、私はもう、逃げ切れないだろう。

それでも妹が居たので、妹を守るために緊急告知ラジオを設備していた。

説明では毎月テスト放送をしているらしいが、一度も聞いたことはなかった。

妹のために避難食をそろえ、ヘルメットや電池も点検をおこたらず、緊張は続けていた。

その一端の緊急告知ラジオである。

このたび、妹をわけもなく突然なくしてみて、非日常がすぐ隣にあることは身にしみていたが。

そうか、大震災はおわりではなかったね。

ときどき緊急告知ラジオにビックルさせられた方がいいかもしれない。

 


〇あれも不慣れ、これも不慣れ

2021年01月12日 | とりあえず無理やり前に

正月に姪一家がきた。夫婦に子供男女各一。すでに子供も成人就職済。

妹がなくなってからこの一家は月一回やってくるようになった。

そして、重いものを動かせたり、要らなくなったものを持ち帰って処分、と手助けをしてくれる。

そういうことは、従来家事代行業におねがいしてきたのだが。

手助けや、心遣いに不慣れなおばちゃんは、気を使いまくって、ぐったりつかれてしまった。

うーーん。人に何かをしてもらうということが、こんなに疲れるとはしらなんだ。

お正月でもあるし、一家におそろいのお年玉も用意。

こういうことも、長らく気を使ったことのない婆おばちゃんである。

あとから、弟の嫁が「おねえさん、なんでそんなに気を使ったの」と不審げに聞いてきた。

やりなれないことをすれば周囲も心配になるらしい。

突然一人になると、年寄りはあちこちから心配されているらしい。

あれも、これもこれも不慣れ。


〇元旦の電話。

2021年01月08日 | いつまでもウダウダと

正月には、年賀状に返事の電話がかかる。日ごろあまり電話をしない人がおおい。

元日に、姉を介護している友人から電話があった。

長い間、互いに介護の愚痴を言い合ってきた仲間である。

妹の訃報を知り、友人は静かに泣いた。何とも形容のしがたい涙であろうと、推察する。

妹を失った私の気持ちへの涙。

姉よりも早くに亡くなった妹への涙。友人は妹と同い年でもある。

そして、今もなお姉の介護に、昼も夜もない自分の現状への涙もあるだろう。

二人とも電話の距離を置いて、沈黙したままであった。

友人はこの先にも、姉の入所問題や、経済的な問題。自分の老いの問題を抱えていく。

つい3か月前まで私が丸抱えで、苦闘していた現実である。

それがなんの前触れもなく消えてしまった私の空疎を、友人は想像しているのだろう。

私はふいに自分からそういう苦しみが離れたと感じた。

介護の苦労はないけれど、わけのない虚しさが身にくいこんでくる。

その空疎を友人は察しているようであった。介護とはそういうことであるらしい。

どんなに頑張っても亡くなられると、悔いが、むなしさが後を引く。その報われなさが哀しい。

苦労から解放されて良かったね、とよく言われるが、そういうことではない。

取り残されたように友人は泣いている。

お姉さんを大切にしてあげてほしいと私は控えめにいった。

そんなきれいごとではないことを、私はよくしっているのに。

今となっては友人がお姉さんを大切にしてあげてほしいと思う。

お姉さんをささえるのは、あなたしかない。

友人の複雑な思いを私は強く感じる。

私に出来ることなどないけれど、知らん顔はできまい。

 

 


〇初春の行事満載よ

2021年01月05日 | とりあえず無理やり前に

2日は狂言の舞い初めの日であった。コロナや体調不良で2年間行ったり行かなかったりのお稽古。

今年はご師家からのユーチューブ生配信の舞い初めである。初めて。

いつものお稽古場が、おお!厳かな雰囲気に。これぞ真の日本の由緒正しいお正月。

親から子へ。手から手に。伝えていく姿を拝見。

パソコンの前で、背中をのばしたのはいいが、悲しいかな、2年もさぼるとうろうろ。

そんで、3日は文楽。雰囲気がここも「日本の由緒正しいお正月」であった。

ただし座席の設定が先年よりゆとりなし。かなり間がきつかった。

やっぱりコロナにかまってられへんのや。稼ガンと。

 


わーい瑞鳥カワセミ

2021年01月02日 | とりあえず無理やり前に

朝の散歩をいつもより遅く。

川に行った。そこでここしばらくお目にかからなかったカワセミをみかける。

おお!ひさしぶり。しかも正月。と、わけもなくいい方向に勝手に喜ぶ。

ガラ系カメラではこれがせい一杯のお姿。私の見ている前で3回もダイブ。

なかなかの姿であった。いいぞ、いいぞ。いけいけ。

私も1月から新しい行動に入る。

 


今年は笑うぞ

2021年01月01日 | とりあえず無理やり前に

話は大晦日であるが、夜はお寿司をかってきた。

いつもと同じお値段で、箱がちょっと小ぶりではないか。

で、巻きずしの直径が1センチばかりへっている。そして押しずしも小ぶり!

いかにコロナ苦とはいえ、有名店がこんなザマでいいのか、こらー。と怒りつついただきました。

おせちもお取り寄せで手抜き。おもち解凍中。

忘れていたのがカズノコの塩抜き。24時間かかるので、元旦には間に合わなかった。

雪がふるふるというので、心待ちにしていたが、なんというくっきりとした冬の晴天!

紅白タイムは妹の方のテレビには紅白を、私はパソコンで今年中に流れたユーチューブの狂言をハシゴ。

清水寺に願掛けをして嫁を貰ったらひどいブスチャンで、というお話を、清水寺のお坊さんをゲストにしてやっている。

このお坊さん、気持ちよさそうによく笑う。しかも普通のイケメンとは違う。

なんか厳しくもしなやか。そして声は狂言師もまっつぁおな美声で。

こんなお坊さんの説教なら、清少納言でなくともかぶりつきにいくだろう。

など楽しみもおおめ。孤独な大みそかが、こんなに明るくなるとは。

狂言様、茂山5人衆様、ゆーチューブ様。様、さま、サマであった。

 今年は笑うぞ。