どこまで行けるか80歳

崖から突き落とし。這い上がれるのか

超過敏現象、どうするどうする

2018年01月31日 | 始めての出来事

味覚異常つづく。

塩味だけではない甘み、辛味、酸味、みな激味に感じる。

もっというと嗅覚も過敏気味である。

今までの好物もこの過激な反応ではとうてい食べる気にならない。

が、毎日食べることはやめていない。当然だが。

料理にほぼ味はつけない。だから食べものの素の味がわかることになり、いいのやら悪いのやら。

が、喜んではいられぬ。舌の感覚が過敏で歯や歯茎、口の中の壁と折り合いが持てない。

触れると痛く感じる。舌は置き所もなく、うろうろしている。

もちろん、見た目は問題なし。

これはいつ、どういう風によくなってくれるのやら。

誰にいえばいいのやら。


雪やこんこん、って

2018年01月27日 | 楽しい後期高齢生活のために
一茶の句に 又雪かい、くそいまいましい雪め、といったイミの作品がいくつかのこっているらしい。

雪国の人にとって、雪は厄介でいまいましい、災難の大本でしかなかったのはよくわかる。

今だっておなじだろう。

が、これが南の地方になるとぜんぜんちがう。

憧れや夢まで交えて、雪がふったらいいのにとか、雪降らないかなあとなる。

子供だけではない、大人も同じ。

ここ2、3日このあたりにも雪がちらつき、期待感がたかまる。

スーパーで買物をしていると、知らない人が眼をかがやかせながら

「外、ゆきですっ」と話しかけてきた。

子供のような目の輝きだ。

わたし、えーーっと負けない反応をしたところ、マワリからも声。わいわいと盛り上がった。

日ごろ無表情に行き交っている大人たちまでこうだ。

この地方では雪はおくりものなんである。

年に一度のイベントである、寒いけど近くの川原へ雪を見に出かけた。

悪夢のスパイラル

2018年01月26日 | 楽しい後期高齢生活のために
よく寝むれない。

寝ても夢を見る。しんどい夢だ。

私は妹を背負っている。が、もう一方に同じ妹が勝手にどこかに行ってしまっている。

なにをしでかすかわからないので私はそっちの妹をさがしている。

どこにいるのか当てもなく、昔行った事のあるホテルをめざす。

が、たどりつくと、そこは壊されて工事中であった。

背負っている妹はどんどん重くなり、帰りは坂道になっている。

帰り着くがもう一人の妹はいない。

又探しに出る。行く先は同じ。

こんなストーリーを何度も繰り返して見ている。

夢なんだから起きればいいんだが眼が覚めない。

嫌なゆめだ。疲れる。

現状とかさなり重苦しく、どうしようもない夢だ。

ストレスをかかえた人たちはみな、眠りの中でもこんな風に苦しんでいるのだろう。

抜け出すには自分の考えを修正するしかないと説得された。

自分の考えなあー。

変えても変えても後からあとから同じ場にかえってくる。

夢も現実もあまり変らないのがストレスのげんいんなんだろう。

今や、そういう人、けっこういるのではない?

コレは何?味覚異常初体験

2018年01月23日 | 始めての出来事
突然味覚異常となる。

口の中に荒塩を含んだような感覚が年をこした。

たべる物、唾液まで塩のあじがする。

食べ物を見るのもゆううつ。外食はできない。

水以外の口に入れるものが塩味なのである。

まいった。

といって食べないではマズイ。

今によくなると期待し、イキを潜めてまつが一向に改良なし。

で、やむなく医者へ。

味覚異常はなおりにくいと先ず言われる。

とりあえずは、試しにプレドニンをと三日間貰って帰る。

祈るような思いで薬を飲むのははじめてである。

効くのか、効かないのか。

効かなければどうなる。




正義の味方さん、いい人を壊さないで

2018年01月20日 | 楽しい後期高齢生活のために
 ある人物を敬服している。

 まじめで誠実でいいひとである。

 そのひとが突然ある運動へ署名をしてほしいと求めた。

 見れば正義満載の運動である。まっすぐ問題提起していて、頭が下がる。

もちろんサインをした。が、どうもおちつかない。

何か気になる。なんなんだろうと考え気がついた。

ご当人を見れば眼が真剣、正眼のかまえ。

その人が持っていたあたたかでユーモラスな部分がなくなっている。

まわりの空気に関係なく、正義の話をもちだし、他の話にはのってこない。

 重たい。取り扱い注意的な存在となってゆく。

 気の毒だがこういうややこしい世の中では、常時正義は疲れる。

 このいい人はやがて友をうしなうのではないだろうか。

 この人になにがあったのだろう。私はそっちが気になる。

 まじめなひとを、壊さないでほしい。困ったなあ。

あの時未来を考えられなくて呆然とした私たち

2018年01月17日 | 楽しい後期高齢生活のために
ガーン騒ぎでいろいろな勉強をした。

ガンの友人たちが「いつ死ぬかわからんから」という言葉を頻繁に使う気持ちがわかったこと。

そして私自身がいくら「いつ死ぬかわからん」といってもそれが口先であることもわかった。

が、事実はガンであれ、なかれ、もう老人の先はしれている。

今回がシロであれ、クロであれ、結果は同じではないか。

昨年は次々に人の死の知らせもはいった。

年賀状の数はどんどん減っていき余ってしまった。

今まではたりなくて買い足しに行ったもんだが。

次回、突然電話がかかってきてもうろたえることのないよう、準備にかかることだ。

今更ではあるが、どんどん捨てる。いらないものは持たない。今日することは明日にのばすな。

と、いってみて、待てよ、それってものすごくつまらないんではないのかい。

いらないものを全くもっていないなんて、つまらんじゃないか。

今日することを明日に伸ばさなかったことは私にはあまりない。

できもしないことをいまさらやるのもしんどい。

ガーンさわぎも、こうして日時がすぎれば元にもどる。

人間、死なないとわからん生き物なんだ。

とはいうが、今日は17日。

あの大震災はさすが身にしみている。はや23年。

あの時、未来を考えることができなかった私たち。

でも、23年がすぎていくではないか。


ガーン!は突然やってくる

2018年01月14日 | 楽しい後期高齢生活のために
夕方デンワがなった。かかりつけの医院からだ。

ヘンだな、あそこがうちにデンワとは。今までそんなことはなかった。

用件は「がん検診の結果が届きました。できるだけ早く聞きに来てください」というものだった。

あのう、わたしの結果でしょうか。と疑った。

市民検診は受けているがガン検診はうけていない。

そして、私がガンになるわけがないという根拠なき自信がある。

が、相手は正確に私のフルネームをいい、「今から来られますか」という。

夜の診察終了までにはすこしある。診療時間内に来いという意味である。が気がすすまない。

明日にしますと切った。

妹がマワリをうろうろする。そして明日診察にいくのかとネンをおす。

こいつは私のガン?という事態をどううけとめているのかと思った。

まあ、結論を言えば精密な検査で、シロだったのだが。

この年になれば周りはガン経験者がうろうろしている。

ガンでなければガン相当の病を抱えた人でいっぱいである。

彼ら、彼女らを日ごろ見ているためか、ピンとこない。

というかマチガイだろうという自信である。変な奴とは思ったが。

それよりもその間に妹に対する目線が少し変った。

(そういえば私にはまだガンという未経験ゾーンがあったっけ)

という目線である。これこそが本命。こうなれば妹などに振り回されているわけにはいかないんだ。

妹よりも大きな問題が私にはある。

ガン疑惑は大変参考になる出来事であった。

わかった、今年はこれでいく。

老人よ、筋肉を守れ!

2018年01月09日 | 楽しい後期高齢生活のために
体重が2キロ減った。

いままでならどうってことはなかったが、このたびはまいった。

頑張っても増えない。そして脂肪ではなく筋肉が落ちた。

すると全身に力がはいらない。重いものももてないし、歩行もたよりない。

なによりもヤルキがでない。

若い頃にダイエットだなどということをしたもんだが、年をとると筋肉は宝物といえる。

一度なくしたものは返らないことがわかった。

なさけないがついにスーパーの買物で重いものを届けてもらうことになる。

まだ80には二年あるというのに。計算外である。いや、ピンとこない。

こうして想定外に年老いてゆくものだったらしい。

人が見れば一目瞭然の事実が本人には見えないものだ。

が、2キロやせるといやでも鏡に映ります。

老人よ、筋肉を守れ!です。

落ちてるスマホを拾ってはいけない

2018年01月06日 | 楽しい後期高齢生活のために
知り合いがスマホを拾ったそうだ。

又聞きなのでちょっと怪しいところもあるが。

警察に届けたら、別の所轄に届けよといわれ、場所を教えてくれたらしい。

拾った場所は知人の出かけさきであり、土地カンがない。

迷い迷って散々な眼にあったそうだ。

届け先では、拾い人の身分を書類にセヨよといわれる。

見慣れない書類をまちがえつつ消耗し、やっと開放されたが自分の居場所がわからない。

もうヤケクソよ、タクシーで帰ったんだけど、災難だった、という話であった。

 その話をきいて、1週間もたたないうちに、友人と歩いていて、落ちているスマホを見つけた。

スマホってそんなにあちこちに落ちているものなのか。

私はとっさに先日聴いた災難話がひらめいた。

「あんた、それを捨てなさい。エライ災難のもとやで」

友人は私の剣幕に反応して、ぱっとスマホを元の場所におく。

私も友人もスマホは使っていない人である。

そそくさとその場をはなれたのだが、そこから数十メートル先に交番があった。

二人で顔を見合わせる。

どうする?拾ってくる?さっきのスマホ。

ほっときなさい。

おまわりさんに、そこにスマホが落ちてましたよ、っていう?

そんなのおかしいじゃない。やめときなさいよ。

眼顔で言っているうちに交番の前を通り過ぎた。

双方悪いことをしたガキのような気分であった。

年よりは年末年始が危ない。

2018年01月02日 | 楽しい後期高齢生活のために
年々年賀状の数はへる。

理由は60代なら親の死亡、70台になると兄弟の死亡、そして80代に近づくと本人となる。

死亡でなくても年賀状を書く気力や力を失い、中止するケースが増える。

そういう自分も65歳で、現役者の年賀をことわっている。

暮れのややこしい時に、先輩への形式あいさつなどせんでええよとおもったのだが。

先輩だけは頑張っていたが、ついにあちらから、失礼するといってきた。

こうしてお正月の朝はさみしくなっていく。

代わってメールや電話はふえた。それもろくだもない電話のことがある。

昨日もこの世の別れかと思うような年賀状があり、あわててデンワをする。が出ない。

ひとり暮らしである。これは!っと躍起になってデンワをいれ、メールもいれる。

息子への問い合わせもしたほうがいいか、それとも、と勝手に私はだんだん本気になる。

部屋で倒れている姿などおもいうかべる。

夕方になって本人がまぬけな声で出た頃にはもう、怒っていた。

一体ナにやっていたの、と怒鳴る。

と、いやー寝てたんで。って、もう人騒がせな奴。

年末年始は老人にとって魔の時間帯なのです。