目前の80

まだかもうか

わたし対話の不自由な人です

2018年04月25日 | 楽しい後期高齢生活のために
同い年、同年代との会話が最近不自由な自分に気づく。

まず、夫、息子、孫がいない。スマホ、テレビと無関係である。そして週刊誌にも無関心。

同年代ならそれでもまあ、あっちが痛い、こっちが不便ということで、はなしはあう。

が、それ以外の関係の人とは、はほぼ会話が続かない。

愛想という言葉もあるだろうに、ソッチモ不便なひとである。

今時こんな人がいていいのかいと思われてもしかたがない。

足腰がうごきにくくなり、外にであるかないくせにテレビをみないというのも我ながらなあ。

テレビくらいみれば良いではないかと言われても、そういう癖が付いていなくて、本人は困っていない。

  突然だが、NHKの使用料金、この場合高すぎ。

私との対話で一番困っているのは美容院の美容師さんではないだろうか

他の場所では無視してもらってもいいのだが、対面サービスでは、なにか話しかけないと時間がもつまい。

私も困るがあっちも困っている模様。

月二回、カットの時間を20分とみてもかなり長くかんじてしまう。

トウトツにだが「成年後見人保険」ってどうだ

2018年04月21日 | 成年後見人的立場

成年後見人とは?という疑問を持っている人に、よくあう。

私も自分が妹の後見人をやりながら、いまいち良くわからない部分がる。

 わかっていたけど手続きをしてしまい、2年もたつと???ということが増えた。

が、ウチの場合、念のためわたしのほかにプロの後見人ももうひとりついている。

 わからないことがあればそっちに丸投げというところで、あまり不安はない。

だが、私にも物忘れが増え、体調もかんばしくなくなった。

 いよいよ介護保健のお世話にもなることになって、思う。

 今までの2年はあまりサブ後見人のデル幕はなかった。

 が、このさきサブの後見人に私も病院や、市役所、銀行への世話をお願いすることだろう。

 その段階になると、料金はどうなるのだろうということであった。

 すべて後見人が出来るとはおもえない。どこまでならたのめるのか不安である。

 仮にやってもえたとして、料金はかかってくるだろう。

 この場合、支払えるひとはいいとして、支払いできない人の場合はどうだ。

 後見人にはサイテイ金額が保障されるのだと学んで居る。

 ということは、後見人はあまりいい仕事、魅力的な仕事とはいえなくなるだろう。

 引き受けた人の経済状態によっては収入がすくなからだ。

 そうなれば、良い人材が気持ちよく希望する職場ではなくなる。

 私の後見人さんはいい人である。

 この人なら経済的に恵まれないまま、支払えない人をサポートするかもしれないが、気の毒だ。

 また、そういうことになれば、ヤルキもなくなりよくない行動に出る場合もあろう。

 後見人による悪事である。これではおちおち後見人にもなれなければ、頼みもできまい。

 将来「成年後見人保険」などでき、頼むほうも頼まれるほうも安心なシステムってほしい。

 子供のいない人。子供がいても頼れないひと。どんどん需要はふえる。

 私も2年前、後見人を申し込んだ時には、2年後にこんなにダメになるとはおわなかった。

 いい人でよかったと思えるのも、前もって契約していたからだろう。

 いきなり知らないひとに頼む不安はさけられたと思う。

 ひとは成年後見人について、グレーは感覚をもっていそうだ。

 「成年後見人による恐ろしい、ナントカかんとか」という本まで出ている。

 知らない者から見れば不安のもとであろう。

 この制度が出来た時ほど、こしらえた側が力を入れていないなあと感じる。


ある晴れた日に

2018年04月15日 | 楽しい後期高齢生活のために
蝶々夫人ではない。老化のことである。

ある日トウトツに、耳鳴りを感知する。食べ物にむせる。

足がまえにすすまない、コインが指の間からすべり出て落とす。

言えばきりがない。すべて老化現象である。

市の公民館講座では老化予防、健康寿命のばしなどの講座がふえた。

集まるのは80代?と思われる人々である。私もだが。

こういう年代にはたして、老化予防など有効だろうか。

すでに老いている。

これは60代あたりの人に呼びかけているのだろう。

が、60代の人はこういうところには来ない。

山だ、観劇だ、ショッピング、食べ歩きと元気である。

私もそうだった。老化防止講座があったのかどうかも知らない。

でも、あの時から老化は着々と進行し、個人の差別にある晴れた日に、突然訪れる老化。

60代にはじめる予防を、現れて始めるのは辛い。

痛い。しんどい。ききめがない。

それでもみな、熱心にきいている。私もだけど。

ついに脳誤作動?

2018年04月10日 | 始めての出来事
腰痛を押さえるために痛み止めを飲む。

痛みは和らぐがなんだか脳がうごきにくいなあと感じる。

人にいうと、あたりまえじゃないかといわれた。

そのせいにしていいのかどうか、脳が誤作動を始めたらしい。

覚えのないことが増えた。どうしても記憶にない。

マイナンバーの行方。

図書館の予約

国民健康保険証の行方、買ったはずのチケットの行方。

ここ数ヶ月のできごとである。

ひ、ひどい。よりによって重要証ばかり。

そしてなによりも怖いことに、これは私が悪いのではない、と自分に言い聞かせる私がいる。

それって、財布を盗まれた!状態ではないのか。

結果は、あとから出てきて納得したり、覚えがなかったはずのものを中途ハンパに思い出したり。

なぐさめに、思い出すうちはいいんだとは、泣ける。


念のため物忘れを医師にいうと、睡眠薬や痛み止めのせいで物忘れが増えるのではないとのこと。

むしろ、不眠がいけない。眠れないのならとっとと睡眠薬を服用しなさいとのことであった。

80歳の貯金

2018年04月06日 | 楽しい後期高齢生活のために
80歳になった友人が「貯金を始める」という。

長生きをしそうでこわいというのが理由である。

なんだかなあと絶句。でも友人の不安はただしい。

私だって生きているあいだにお金が足りなくなるだろう。

それは不安だ。お金がないのは首がないのと同じどころではない。

そういうことを友人はふまえて生活を切り詰めるという。

が、貯金してそれが不用になるということもおおいにある。

うーーん。長生きは問題がおおすぎはしないか。

そういえば親が、常にお金の出入りに気を遣いながら死んだあ.

そして死んだあとに、それなりの現金がのこっていた。

そのときは、何で生きている間にこれを使わなかったのだ、とおもった。

が、自分がこの年になってみると、一銭もなしでは不安である。

かといっていまさら貯金はナア。

でもでも、80で貯金してそういう金が死後に残るのは恥ずかしくないか。

この「残るのは恥ずかしい」というあたりが微妙である。

幾らならまあよくて、幾らぐらいなら恥ずかしいのか。

いいぐあいにお金の切れ目が命の切めであるワザはないものか。



桜散る

2018年04月02日 | 楽しい後期高齢生活のために
さえない色で終わりそうだった近所のさくら。

ちり際にまばゆいばかりに美しくかがやく。

えーっ。桜がいちばん美しいのはさきかけだとおもっていたのに。

散り始めたさくらの美しいこと。

いままでそれに気が付かなかっただけだろうか。

それとも私の見る眼、感じ方がかわったのか。

そういえば最近、今までは感じなかったようにものを見るようになった。

たとえば、からだが思うように動かない自分を、いままでなら何とかしようと頑張ったものである。

が、ここ二、三ヶ月の間にこれはもう、しかたがない。

動かないものをむりに動かせないで、なあなあで行くか。と言う風に風向きを変え始めている。

いいのだか悪いのだかわからないが、そういうものだと思うことにしている。

桜のちり始なんて、見向きもしなかったが、どうだろう。うつくしいではないか。

そうやって人は年齢の変化に折り合いをつけ、幸せを調達してやっていくものらしい。

そういうことでいいのではないだろうか。


助けをもとめる声を聞いて

2018年03月29日 | 楽しい後期高齢生活のために
近所に桜並木がある。

美しいと評判がたち、年々人が増え、祭も開かれる。

回りもコンクリートで整備し、歩きやすくなった。

今年も日、いちにちと花びらが開き満開となる。

が、なんかさみしいというか、白々しいと思うのはおかしいだろうか。

見るほどに、最近ここの桜には初々しさがなくなっていく。

真っ白のよそよそしい花びらで、ハイ咲きましたよというようにそっけなく咲く。

以前のようなえもいえないほのかな桜色が消えてしまった。

何故?一説ではマワリをコンクリートで囲ったからよという声もある。

しらじらしい花盛りというのもつまらぬものだ。

ひょっとして桜は病んで居まいか。

助けを求めて居はしまいか。

求める助けに気が付いてもらえないで、輝きを失っているのではないかなあ。

人もまた助けを求めても気づかれることなく、老いて行くひとがいるのだが。

口中の地雷と延命処置

2018年03月25日 | 楽しい後期高齢生活のために
口の中に地雷が3箇所。

このうち一箇所でもアウトになればいよいよ取り外し自由の入れ歯だと宣告をうけている。

友人の多くはかなり以前、若い頃に取り外し入れ歯体験を通過し、今はゆうゆう自適生活である。

うらやましい。若くしての体験って、耐える力をもっていた。

が、こんなに弱っちゃって、大改革に遭遇するのは、体力ぶそくで、不安。

今はひたすら口の中の延命処置にすがっていく。

歯が先か、寿命がさきかという事にならないのが歯の延命処置と普通の延命のちがいだが。

程もなく本番延命処置ともご対面なのだし、何事も挑戦あるのみだよな。

それにつけても年をとるのは大変デス。

気合だ、キアイダっていうけど。

2018年03月21日 | 楽しい後期高齢生活のために
私、それなりに「元気な人」とまわりから言われ、自分でも元気である、と思っていた。

が、歩けないという事態に会い、急速に自信を失い、急速に老い込んだ。

ここしばらくの自分の考えることといったら、ろくなことはない。

言うこともする事もどうしようもなく、ババ臭い。思わぬ現象である。

すくなくとも80越え、いやいや、90だって夢ではないと軽く、タカをくくっていた。

が、意外にも私には根性というものがかけていることに気が付いた。

同年輩の友人はそのてん気合が入っている。

背骨を折ろうが、膝を被地人工関節にしようが一向にひるまない。

おとなしく、物静かであったこの人のどこにこんな根性がひそんでいたのか。

人生は最後まで勝負はわからん。

私、もうすでに気合で負けている。

挽回のチャンスはないだろうか。いや、気合かなあ。


自分が信用できなくなる瞬間の怖さ

2018年03月16日 | 始めての出来事
先日おかしな偶然がかさなった。イコカ、JRのパスカードである。

出かける前に残2千円あるカードに3千円追加した。

一万円札を機械にいれ、7千円おつりが来た。合計5千円がはいっていることになる。

その日のカード使用金額は約2千円を使用したつもりであった。

使用途中で不思議なことにきがついた。

パスカードで改札をぬける折に、残高をチラ見し、??と思う。

残高5・・円。おかしい。が、みまちがえであろうと通過。

帰り、カードで改札を通過。残高チラみで、あれ?5・・円!

行きも帰りも残高が5・・円というのはおかしい。

少なくとも5千円少々のカードから行きの交通費1千円を引けば残りは4千円台のはず。

ここでだんだん落ちつかなくなってきた。なぜ、残高が5・・円なのか。

朝私が入れた3千円はどうなった。

JRの券売機が誤作動をするだろうか。

もし誤作動ならおつりは出ないはずだ。

私は3千円の入金をしたと思っているが、実は入金しなかったのか。

それにしても財布のなかに、覚えのない5千円札があるのはおかしい。

一万円札は銀行からしか入らない。

銀行の機械が一万円と間違えて、5千円札をだすだろうか。

JRの改札機械が、料金をまちがえて余分にとるだろうか。

すべて否であろう。とすると真実はひとつ。

私が悪いのだ。ガーーーン。私はぼけたのか。

いや、呆けたといっても、この5千円札だけはまぎれもなくおつりのお札である。

おつりがあるかぎり私は入金しているはず。しかし残金は確かに5・・円。

アア、と呆然自失する。

もうだめだ、私はついにおかしくなってしまった。

人ごみの中で私は孤立無援。怖かった。

が、ここまで考えている自分はそれほどでもないはず。


そうだ有人改。と、改札にかけつける。

カードの使用履歴を見てもらった。

今朝入金をしているか。使用は幾らで残金は幾らになっているか。必死であった。

答えは入金も、使用金額も残金も正解であった。

では何故、カード残金が5・・円であったのか。それも3度も同じとは。

駅員さんの推察は、私の直ぐあとに改札を通過した人のカードの残金が

たまたま偶然5・・円であり、私が見たのはそっちであったのではないか、だった。

そういう偶然ってあるの。

それにしても、私もとうとうここまで自分をしんじられなくなってしまったのか。

そっちがより、ショック。