今年は日本でオーロラが見えるとか、肉眼で彗星がみえるというニュースが流れた。
そのたびに近くの川土手に行き、空をながめる。
会えなくなっている昔仲間に「見えた?」「雲が出てきた」などとラインで連絡を取り合ったり。
たったそれだけだけど楽しかった。若返った気がする。などと云いあう。
実際にはオーロラも彗星も見えなかったけど。
今夜はスーパームーンとか。どりゃそれも見に行ってみるかい。
何でもいいから楽しくやれそうなことには首を突っ込もう。
ともすれば暗いほうに向くお年頃は大変。
今年は日本でオーロラが見えるとか、肉眼で彗星がみえるというニュースが流れた。
そのたびに近くの川土手に行き、空をながめる。
会えなくなっている昔仲間に「見えた?」「雲が出てきた」などとラインで連絡を取り合ったり。
たったそれだけだけど楽しかった。若返った気がする。などと云いあう。
実際にはオーロラも彗星も見えなかったけど。
今夜はスーパームーンとか。どりゃそれも見に行ってみるかい。
何でもいいから楽しくやれそうなことには首を突っ込もう。
ともすれば暗いほうに向くお年頃は大変。
大雨の降った日に思い出したことがある。
雨の日の洗濯である。
生まれたのは海辺の村で、井戸水には何%かの潮水がまじっていた。
洗濯をしても、石鹸の泡は泡立づ、泡の立つ洗濯ができるのは、雨の日だけだった。
1番望ましいのは大雨の日である。
樋からダー、ダーと水が溢れ出る日は、たまりにたまった。洗濯物を洗うのが女の子の役目だった。
そんな雨の日は、学校休んででも洗濯をした
洗濯機が登場した時、1番嬉しかったのは私だったかもしれない
機械に洗濯物を放り込んで水、洗剤を入れ、スイッチ押すと、洗濯機の中に泡が立ち、嬉しかった
その後、家電が次々と現れたけれど、洗濯機ほど私を感動させた。家電はない。
今の洗濯機は洗うだけではなく、乾かしてもくれる
物干し竿にシーツを広げる力がなくなった今、やはり洗濯機の進化は、どの家電よりも私にとってありがたい
年老いて、食器洗浄機をキッチンに備えている
食事の後、食器を洗うのが辛くなり、これもありがたいと思う。
とつぜんですが、遠い昔のお話でした。
友人が孫や娘から、忘れものをしたり、失敗をするたびにボケたボケたといわれ、嘆く。
また別の友人は、娘一家のお手伝い同然、とおちこむ。
年寄りのすることが気に入らないと厳しく文句を言われたり、ほったらかしになっているので、不要なのかと捨てた所、けんかになったりもするらしい。
その都度落ち込み、いらだち、何をしても自信がなくなり、おびえているとも訴える。
肉親の気安さで、私も親に向かって言いたいことをいっていた。
親が傷ついているなんて、考えていなかった。
その点、不安ではあるけれど、今の一人暮らしは気楽だ。
何を忘れようが、フライパンをこがそうが、だれもなにもいわない。
自分で悔しがっているだけですむ。
夜出かけるにしろ、雨の中を出歩いても、すべて自分の意思しだい。
不安や寂しさと割引して、自分でどっちかを選べるのではないだろうか。
家族がいるのに、マンションに引っ越してきている人が近所にいる。
どういう事情にしろ、多分自分で選んでのことなのだろう。
古い友が逝ってしまったあとに、新しい友が芽生えていることに気がつく。
70代後半から始めた趣味や集まりの中で、友というほどでもなく、かといってただの行き過ぎる人でもない繋がりができていく。
いつのまにか声をかけあい、いつの間にか笑いあうことが増えてゆくといった人である。
古い友のように言い放題をいったり、愚痴がおおくなってきたりということはない。
できるだけ気を遣い、相手に不愉快をさせないために努力する人たちである。
知り合って間もないからこそ、互いが気をつかいあい、出来ればいい関係をつくろうとする間柄のほうが、話していても緊張感があることにきがついた、
世間の話や、季節の話、相手のいいところのみつけあいなど、古い友に忘れていた努力である。
年をとっても新しいことはなんでもいいことなのであった。
去っていくものを悲しみつつ、新しく来るものに心を弾ませる。
そして少し古くなり始めている人に対しいては、もいうっかい初めから気持ちをかえて付き合いをしたほうがいいのかも。
障害のある子供に成年後見人と契約をしたが、思っていたようなことではなかったと、後悔をしている人の、また聞き相談を受ける。
何故私がそんな相談を受けるのかというと、私はかつて10歳年の離れた妹の後見人をし、その時の補助後見人に、今も自分の後見人をおねがいしている。
いわば、被後見人のベテランである。
か、どうかはともかく話を聞けば本当に残念である。
後見人だけに頼りすぎてはいけない。
契約をする前に自分でしっかりと、後見制度とは、という勉強をすること。
いろいろなケースを聞き、自分がどういうケースであるかを確認する。
そうして市役所などの人権擁護係にそうだんし、後見人を紹介してもらう。
後見人は弁護士だけではない社会福祉士など、資格をもつ人はいろいろある。
一番大事なことは、わが子を、どのような人物にたくすかを、きっちりときめておく。
後見人資格を持っている人ならだれでもいいわけではない。
例えば私は、私の話を半分しか聞かないで結論を出す人は、拒否した。
また私から後見人に話しやすい人を選んだ。
私を引き受けてくれた人は3か月私とはなしあい、双方の納得をえて契約をした。
あとで後悔する人のはなしでは、紹介された人に無条件で即座に頼んでいるケースもあるが、無謀である。
それから、障害のある子供の財産、例えば年金と、親の財産は別であるという認識をきちんと持たないと、後で困ることになる。
後に残される障害のある我が子と、後見人者が、なじむかを見届けてあげることが何よりではないかと私は思う。
本のタイトルはこうではないが、中身はそういう趣旨の本であった。書かれたのは今から20年ほどまえである。
若者よ君の周りの大人をよく見よ。
彼らは幸せそうにみえるか。
それともああはなりたくない、と思うか。
もしそんな先輩のいる会社にいるなら、早くそのレールから降りよ。
従来のレールに未来はない。レールしがみつくな。
時代の流れを自分の目でみよ、という趣旨であった。
その後、社会はまさかと思うような会社が消えていき、眼まぐるしく変わったが、国の中枢は旧来のレールにしがみついている。
この本は20年前の若者のにむけて書いたものであった。
若者たちにたくましく生き残れと叫んでいる書である。
では、そのころの年寄りはどうなったのだろうか。
昭和に生まれ、敗戦をこえ忠実に子育てをした年寄りは、先のことはお上に任せておけば、悪いようにはならぬと思っていなかったか。
私の周りには、老いて配偶者も、友もいなくなっているのにどうしていいのかわからない老人が意外と多い。
途方に暮れながら、誰かが助けてくれると思っている友もいる。
子供さえ育てておけば老後は安心という思想で生きてきた。
だが、昭和老人の思い込みは平成で壊れ、すでに姥捨て山は満員らしい。
令和の今、若者たちは今の老人をどんな目で見ているのだろうか。
ああはなりたくないと、早々に自分の数十年後を考えて行動しているのだろうか。
そんなゆとりなどないワイ、とおもっているのだろうか。
でも、この本が20年前に書かれているのなら、日本にはそろそろ明日はなさそうなのだが。
最近の選挙を見るともはや未来を何とかしようと思っているような候補者が立ちあがっているだろうか。
日本を見捨てた若者が外国にさり、そのあとにたくましく生き残る外国の人たちが上陸しているなら。
日本はある意味、生まれ変わろうとしているのか。
生存する一番古い友人はすでに私がわからない。
今は施設で新しい生活に入ってもう数年になる。
この夏に2番目に古い友人が住み慣れた家を離れ施設に移った。
かすかに私を認めているらしい。
それでも友人は家を離れる決心を自分できめたという。
まもなく私の順番が来るとおもうと、この長い思い出を持つ住処を離れる決心が私にはできるだろうか。
周りをてこずらせ、迷惑をかけまくるのではないかという気がする。
友人はどんな思いで住処を離れる決心をしたのだろう。
それまでの長い予備期間をどのようにすごしたのだろうか。
今の私のように何とかして今の生活を続けようとしたはずである。
あたらしい施設に移る友人の脳にはもう、過去はあまり残っていないのか。
どうか新しい生活が友人のお気に召すよう。
過去を思い出さない生活が、それほど辛いことではないことをねがっている。
今となっては過去はそんなに楽しくないもんだ。
近年もう秋はなくなってしまったと思っていた。
が、4時起きが身について秋の気配に気が付いた。
ある日の朝、ほんの少し空気の感じが変わった日があった。
調べてみたらその日は立秋となっていた。
そしてさらに、夏至から数えて立秋には、30分日の出が遅くなっている。
当たり前だが。
夕方は日の入りがはやくなっている。
こうして地球はきちんと従来どうりにまわっている。
が、実際には昼間の酷暑、アラート続き。
そのうえ秋を連れてくるはずの台風は、ものすごい湿気をおいていった。
もう昔の秋は帰ってこないのだろう。
いや、このままでいくと秋だけではなく、冬もなくなる日は案外ちかいかも。
どうする人類。
え、地球には一年中暑い地域もあるよね、って。
あ、そうね。
夏の初めから朝4時に目が覚めるようになってしまった。
これは想定外であった。
老人は早起きとは聞いていたが、年をとっても私に早起きのけはいはなかったので、タカをくくっていた。
が、どうも4時起きは固定しそうだ。
元から4時起きの友人はたくさんいたが、いったい何のためにそんなに早く起きるのかふしぎであった。
が、早起きになってみて、何もすることがないのでこまってしまう。
しかたなく日が昇る少し前に散歩に出る。
これは新鮮でなかなかよいものであった。
普段みなれた町が、早朝では顔がちがう。
商店街では清掃する業者がもう仕事をしている。
そうか、こういう所は専門家がそうじをするのかと納得。
また6時朝食もまあまあ新鮮だが、そのあとが大変。
スーパーが開くのは10時。それまで完全に何をしていいのかわからない。
本を読めと言われてもダメ。掃除洗濯だって毎日はない。
テレビを見る癖はなくて、音楽を聴くのもそれだけでは手持無沙汰。
従来早起きの人は何をしているのだろう。
この辺りの時間の使い方の工夫、これからの課題か。
なによりも昼までが長すぎる。一日が無駄にながい。
こういう生活があったとは知らなかった。
まだ今年の夏が威張っているのに、来年の夏のことを言うのもナンだが。
だが、この夏の暑さを経験して危機感を持った。遅いか。
同じ35度であっても今年の35度は堪え方がちがう。
私が弱ったことが一番だが、世界の暑さニュースは、人類の生息地には向かなくなってきている。
若いころに読んでいたSFの世界が、私の生存中にやってくるとは。
それだけ人類は、地球は、変化がはやくなり、想像をこえたということか。
もしまだ来年の夏に生き残っていたら、外出時には生命維持装置付きのジャケット着用となるのではないか。
そこまではともかく、とりあえずは扇風機付きジャケットか。
私の身の回りではすでに今年に入って、着用する人が増え、男性も日傘をさしている。