目前の80

まだかもうか

本を捨てる

2018年11月16日 | 楽しい後期高齢生活のために
最後の整理にあたりまず、本をすてることにした。

鉄腕アトム、火の鳥、リボンの騎士、あんみつ姫……。

よくも今まで頑張ってきた。

坂田靖子、玖保キリコ、長谷川町子!いや、サザエさんだけはなんとかしたい。

今しばらく、しばらく。

パワーオブ10、ルネ・マグリット、キャパ、中原純一、……きりがない。

棺桶にでも入れてほしかったが、あきらめよう。

って、これらをそれほど頻繁に見ていたかというと、見てない。

が、押し入れの奥にそれらがこっちを向いているというだけでよかった。

安心していた。では、それらが押し入れにもうないとわかれば私はやっていけないのだろうか。

親や友はどんなに惜しんでも逝ってしまった。どうすることもできなかったではないか。

それらを失っても私はやってきたんだもの、行けるハズである。

本である。たかが本で。しかもみなどおちゅうこともない、本なんだよね。

エイっ!

困っても助けは来ません。

2018年11月12日 | 成年後見人的立場
自分も老い、障碍者のある家族も老いる中で、自分の身を守ろうとしたら。

どこにも出口はなかったという話。

一緒にいれば共にたおれる。ここで分離するのがいいというアドバイスで話を進めてみたら。

まず、もう遅かったというどうしようもない条件でアウトだった。

若いならそういう自立制度はある。けれど、すでに老いているものは障碍者枠には入れられない。

障碍者も老いると介護保険枠にはいるのである。

どっちでもいいけれど、移ってみたら世界がちがっている。

どっちがいいというわけでもないだろうが、老人枠はどんどん締め付けられている。

介護に疲れて云々という事件はおおい。

そういうニュースの時に、流れる近所のコメント。

「誰かに相談すればよかったのに」

その人たちはあちこちに相談したと思う。

そして。周りもいろいろやっただろうが。

助けるシステムはもう、無くなっていたというのが実態のようだ。

助けは来ないと知って、遭難者はあきらめる。

自然災害だけが遭難ではない時代になってきたじゃん。


買い物疲労の原因

2018年11月05日 | 楽しい後期高齢生活のために
冷蔵庫、パソコン、エアコン、洗濯機、ベット、カーペット、布団など今年は家具など買い替えの年になってしまった。

ベットを買うときに耐用年5年という文字をみて、考えた。さーどうする。5年でいいのか。

女は100までとは言われても、しょせんは昭和生まれである。

100歳までと言われているのは昭和も後の生まれの人のことで、戦前生まれが対象ではなかろう。

で、5年から10年という微妙な持ちぐあいの商品に決める。人間も似たようなものだ。

100歳だとかいわれつつ、そこまで行く人はそうあるまいが。

それにしても買い物は疲れる。どこに行ってもポイントというのがついてくる。

入会しても大したお得でもないくせに煩わしい。

かといって、今回のように一挙に買い物をすると、ポイントで結構な買い物ができてしまう。

やだなあ、どうしてまっとうな値段で買い物ができないんだろう。

駆け引きは元気なら楽しいが、元気も時間もないものにはうっとうしい。

商品もピンからキリまであるのが疲れる。選択肢が多すぎるんだ。

この先筋だけでは不足よ。

2018年11月01日 | 楽しい後期高齢生活のために
貯金より貯筋などとしゃれていたつもりだが、そうはいかなくなってきた。

税金関係がどんどこ値上げになるそうな、物価も上がる。

巷の噂だが、単なるうわさでもあるまい。現にお金がどんどこへっていくもん。

筋肉のほうも減っていく。やむを得ず筋トレをはじめて1か月。

目標が自分の体重を自分で支えられる筋肉の量をつくる。ななかなか的を射た目標だ。

具体的にはバーベルを背負って腰膝の曲げ伸ばす、スクワットである。

加重ゼロキロで初めて現在10キロであるが、ここからが難物だろう。

最近では女は100まで生きなければならいそうだ。伸びるなあ。

それにくわえて物価も税金も伸びれば、支出のほうを縮めるしかない。

保険金も自己負担も増えまくるそうだから、介護自己負担金などに費やす金はない。

頼りは自前の筋肉。とりあえずがんばらにゃー。

今度こそ本気の整理

2018年10月23日 | 楽しい後期高齢生活のために
年が明ければ80歳へ突入となる。

余命などという言葉を突き付けられてはもうのんきなこともいえない。

もう一度身の回りを整理しようと思い立った。

今までの整理は甘かったと思う。

思い出の品というのが捨てきれていない。

お気に入りがどうしても残る。

要するに置いといても残しても誰も喜ばない。

そういうものを捨てなければ。

ということになると、要るものなんて、そうはない。

まだ先があるときの「捨てる」は、更なる新な出発をいみしていた。

過去を捨て、新しいものに挑むときの行為でもあった。

けれど、余命などということになれば、捨てるとは、何と向き合うことになるか。

死であろう。

ちょっとビビる。怖がっているなあ。

余命、ねえ 

2018年10月15日 | 始めての出来事
友人から電話である。

60年前から40年かけていた終身年金がここにきて会社の都合で停止になるという。

金額のもんだいよりも、終身という安心感が壊れたことに動揺しているのだ。

そりゃそうだ。なによりもたよりしていたんだから。

話は、ここで切り捨てということではなさそうだ。

余命分の金額が一時に支払われるとか。

80歳の人では厚生省が言うには、10年余命があるらしい。

その余命分相当の金額でを一時に支給するという。

どうだろう、今まで余命など考えていなかったことに気が付いた。

いや、考えている、常に口にしているとはいえ、こういう形で余命を突き付けられるとは思わなかった。

かなり本気である。

仮に明日死ねば、年金はそこでストップである。まあ、それでいいのだろうが。死人にお金はいるまい。

で、100まで生きたら、いや、冗談ではなく最近はかなり怖い。

まあ、年金会社と加入者の賭けなんだけど、女にとってはまけっぽい賭けである。

つくずくと、余命というものを考え中。


民間家事サービス10か月

2018年10月10日 | 楽しい後期高齢生活のために
民間家事サービスを利用して10か月。

介護保険のサービスとくらべてみた。

臨時サービスの場合はほぼ契約規定なしで、希望字に来てもらえた。

定期となると正式契約となる。

規定もかわり、公的サービスなみの契約がある。

まず、保証人をたてろという。保証人の自書、印鑑を求める。契約期間がさだめられる。

契約違反には既定の罰則がある。その割には費用のちがいはないなあ。

既定の内容は、ぼけた人を相手にする場合の対応であろう。

サービス中に紛失が出たばあい。救急車を勝手に呼ばないといけないような場合。

契約者当人が契約を中断した場合の契約続行の要否など。

高齢の契約者を相手に、話にならぬ場面を想定して、しかるべき相談者をきめるわあけである。

70歳以上が対象である。

費用は当然公的なサービスよりも高額だが、サービス範囲は広範囲ある。

が、来る人によっての差は民間のほうががおおきい。

民間では気の付き方、時間の使い方に個人差がでる。

当然公的なほうには厳しい規定があって、差が出にくいのだろう。

公的サービスを受けられれば、こっちにこしたことはないが、

やむを得ず民間を使う場合、うまく臨時サービスと定期サービスを使い分けたほうがいい。

定期でいいのは、決まった日時に決まった人にきてもらえる。

臨時は必要に応じて使えるし、堅苦しい契約はいらない。

金額は同じだし、気の合う人が見つかれば指定もできる。

問題はお気に入りの人をみつけることである。



それは恐ろしいことではないかと思う私

2018年10月06日 | 楽しい後期高齢生活のために
自分も老い、家族も老い、しかも頭の狂いがどんどん進行するにつれ、困難が増してゆく。

頼りにする人はいるし、困ればみな手を差し伸べてはくれる。

が、それぞれの制度は固定している。

介護や、障害や、保険や、医療や、みな限界をもっている。

その枠では解決しない問題はいっぱいある。

例えば日曜や休日にはどれもみな、アウトである。

問題はそういうアウトの時に狙ってやってくる。

そういうとき、私は見る人が見れば、救いを求めてさまよっている人に見えるらしい。

そしてまさにそういうとき、やさしく声をかけてくる見知らぬひとがいる。

何か困ったことがあるのではありませんか。

お力になれますよ。

私の携帯番号をどうぞ。

優しい人である。声も、まなざしもやさしい。

思わず膝をついておがみたくなるほどである。

それほど私は救いがほしいという顔でうろうろしているのだろうか。

家までついてくることもある。

が、それは考えると恐ろしいことではないだろうか。

世の中に、そこまで人の不幸に手を出せるひとはいまい。

と、私は思う。

申し訳ないがあなた、あまり優しすぎるのは危険なのです。

今の世の中では。


牧師さんによる死に方の講座、最終回

2018年10月02日 | 楽しい後期高齢生活のために
講座は台風の前の日で、外は不気味な雰囲気。集まった人はやや少なめ。

タイトルは「死を忘れるな」。悪魔の捨て台詞かとも思うようなお言葉ですね。

われわれは死につつあるのではなく、死と共に生きているのであるよ。

だから常に準備しときなさい、そういうことらしい。

ここだけの話ですよと、この方(牧師さん)3回の講座で3回おっしゃった。

こういう所で言うのはおかしいだろうが、面白い方である。

死後のせかいについて、初期の聖書にはなにも書かれてません。

天国、地獄という言葉が入ったのは、宗教改革後、宗教界が二つに分かれた時代からです。

商売上(私の言い方)競争がはげしくなり、負けそうになった側が、作りだした考えであるそうな。

仏教でも、お釈迦さまは地獄、極楽という言葉はつかってない。別の提案をしている。

はっきりあの世があると書物に書いているのはイスラム教だけ。

言うなあ、この人。私は好きなタイプです。

もうひとつ、死生学者でアメリカの人。エリザベス・キュープラー・ロスさんのこと。

死んでゆく人のために、5段階の過程を唱え、最後には穏やかに受容できるという方向で

多くの支持者をえていたそうです。

この方が死に臨み、ブチ切れたという話。

つまり、ご本人はお説に反して見苦しく暴れたと。で、見ていた人たちがイタク失望したげな。

まあ、そういうものなんでしょうね。人間そんなにうまいこといきませんて。

と先生はにっこり。こういう人と友達になりたいなあ。

貯金より、貯筋。

2018年09月26日 | 楽しい後期高齢生活のために
私の体幹筋肉量。80歳の平均を100として、18パーセントだそうな。

あきれるしかない。

これでもそうじ、せんたく、かいものなどできてます。

今はいいけど、寝込むとこの数値では2,3日でアウトになるだろう。

でもでも、町を歩いて目に入る若い人で私より筋肉すくないんじゃないのかなと思えるようなひといるよ。

若い間はいろいろほかから補給して、たすけがくるから使える。

けど、病気とか、年齢がすすむと真っ先にアウトだろうと思われるひといっぱいおるねえ。

わかいころって、ぜんぜん考えなかったが、貯金は金ではなく筋肉です。

お金がなくても筋肉があればなんとかやれるが、金もない筋肉もないでは今の世の中やっていけない。

やむをえない事情でやせているひとはともかく、ファッションダイエットで勘違いの人はご用心。

特に70代の人、今しかないですよ。筋トレ始めるチャンスは。

80でも遅くはないとは言ってくれますが、これは緊急避難です。