目前の80

まだかもうか

介護と憎悪

2017年11月27日 | 病を斜めから見る
妹が私への憎悪を丸出しにする。

妹のためにと進めたあらゆるものを切り裂き、咲きかけのサザンカや、他のものも無残なすがたにしてしまう。

それでもまだ気が済まず、買ったばかりのセーターもずたずた。

ベランダに黒い袋が山積、不気味な景観となる。死骸を見るようなすがたであった。

この、私への憎悪はどこからきたのだろう。

日ごろ一緒に暮らす中で徐々にふくらんだものなのか。

妹のためにと思って計画し、そろえたものが、憎悪の対象となって切り裂かれてゆく。

介護されるということは、辛いことなんだろう。

なさけなく、屈辱を絶えなければ日々すごせないのだろう。

同時に介護するほうも、日々よかれと思うことがかみ合わず、いらだち、耐えるあいだに、いつか憎悪となって妹にむかっているのだ。

これまでは妹とのたたかいであり、憎悪とのたたかいでもあった。

かといって妹を100パーセント憎んでいるのではない。

妹へのいとおしさ、病気と闘うものへのいたわりもたしかにある。

それがなければ今までつづきはしなかっただろう。

でも、この先どうなるのだろう。

私はこんなはげしい憎悪をうけながら、妹を今までのようにうけとめていけるのだろうか。


ガキンチョめと睨まれて

2017年11月24日 | 病を斜めから見る
妹はしばらく平穏な日があった。

おだやかで、きげんよく、なにかと自分をセーブして周りに歩調をあわせる努力をしていた。

で、私は安心したのだろう。さらなる努力、改良をのぞんだ。

そういうことが妹の病状にいいわけがない。と、医師はいう。

多くを望まず、相手を全面的にみとめ、不足をいうなという。

が、毎日一緒にくらす人間には無理。ちょっとでもよくなってほしいのである。

で、私は尻をたたいてしまった。妹の努力を更にうながした。

これが虎の尻尾だった。いままでの苦労はすべてパア。

あらゆる積み重ねをガラガラポンとなげすてられてしまった。

この際の反省として、私がすすめることに反対できず、妹もむりをしていたんだ。

そういう生活に限界がきていたのだろう。

が、私も妹のする事をみとめ、ほめ、陰に回って補習し、自分をおさえながらの生活だった。

それが間違っていたとなれば介護もクソもない。勝手にせえといいたくなる。

主治医のうんざりした顔は「ガキめ」といっていた。

そうです私はええ年したガキンチョです。なにか?

どっちにしろ台風の後始末は私の役目なんだから。


メタボはまあいいらしい。

2017年11月21日 | 楽しい後期高齢生活のために
メタボメタボと騒いだけど、結果は年寄りの自立力には関係なかったそうな。

むしろやせすぎがあぶないとか。

私はすれすれのやせすぎにはいっている。そっちの人のほうが介護される割合がたかかったそうだ。

11月に入り食後に訳もなく二回吐いた。

苦しかった。その後も食欲なく、丸2日ほぼ水だけの生活だった。結果2キロへってしまった。

もともと少ない体重だったのでごっそりと失った感じになり、年よりはやせてはいけないと痛感した。

力が入らない。何も感じない。やる気などさらさらない。

ますます食べなくなるとマイナススパイラルにおちいる。

コレはイカンとあわてて、食べる努力をしたが、体重はふえない。

食べても肉が付くのはおなかだけ。たまるのはガスと贅肉ではシャレにもなるまい。

年よりはメタボ気味のほうがいいと思う。痩せこんでからではおそい。

こつこつと本物の肉を蓄えないとヤバイそうだ。ウンわかる。

保護、よりそうい、見守りって難しい。 

2017年11月18日 | 病を斜めから見る
水着、スポーツパンツなど、するだけの用意をしておいて、妹はスポーツクラブにいこうとしない。

感情的には「どついたろか」というところだ。

私がやっきになるほど、妹は抵抗する。

そのくせ何もすることがないと苦しんでいる、らしい。

こちらから差し出したものはいや。が、自分では考え付かないというのも腹が立つ。

なんなんだろう。

それにいちいち腹を立てる私に主治医は「かまいすぎ」という。かまいすぎかあーー。

悪い時は保護で、こういうあいまいな時期にはかまいすぎと保護のさかいめが不明となる。

かまいすぎると今度はもたれかかり、依存となるとか。

だったら、もうほったらかしにしてもいいのだろうか。

保護、よりそうい、依存。どこまでもやっかいである。

と、いうようなことをいってはいけないのだろうか。後見人というのは。

だまされちゃーって。

2017年11月15日 | ほう、へーな話
昼間家をあけていた。夜になって男が尋ねてきた。

いわく、上の階で昼間に風呂場の工事をしたものである。

工事に当たり下の階のオタクにチェックさせてほしいところがあり、昼間にお願いをしたのだが、オタクは留守だったので今の時間になった。

お隣にはみせていただいているが、オタクだけが残った。

風呂場をみせてもらえば自分の仕事はおわる。という。

ここでいい訳をすると、うちは一度水漏れ事故を起した。

私はそういう話には極端に弱い。あわててその男を家にいれた。

結論をいえばこれはウソであった。

なぜ私はこういう単純なウソをやすやすと信じたのか。

オトコは家に入り風呂、台所まで入り込みかえっていった。

なにも被害はなかったのは、うちはそういうところを全部新しくし、文句のつけようがなかっただけのことであった。

 最近そういう事件が数軒あり、管理人に夜、人を家にいれたとあきれられた。

しっかりものと自認する手前、わたしはいいわけをしたが、みっともないだけであった。

反省しよう。

まず、近所の情報をもっていなかったこと。

うちのために夜遅くまで待っていたことを信じ、申し訳ないとおもってしまったこと。

昼間いなかったことなど、テキは事前調査をし、考える時間がないほどしっかり話しを作りこんでいた。

そして何をチェックするためなのか、何と言う会社なのかという事に考えが及ばなかった。

年寄りの弱いところはスピード。小さく早く話をまとめていたとおもう。

まわりにあきれられ、バカにされてしまったわたし。

クソー、次は…。って、おそいんだよね。

喪服を新調する老人

2017年11月08日 | ほう、へーな話
新聞の投稿記事である。

投稿者の意図とは無関係な私のおもいであるが。

最近あたらしく物を買うときに一瞬考える。

もう、新しくしてもしかたないかも…と。

明日どうなるかわからんのだ、というおもいである。

死ねばいらんこと。新しいものはいらんだろう。

そういう考えがいつから私にくっついたのだろう。

特に家具やデンキ製品を買うときによぎる思いである。

まして喪服なんか知るかいと。

人の葬式のために新しい服を買ってどうする。

だが、この投稿文中の人は私より年長なのに、新しいブランドの喪服をかうらしい。

人目に立つ場所といえば葬式くらい。そこに出るのだからいいものを、とのことだとか。

うーーーん。えらいなあ。人は最後まで、そうあらまほしきものであるわい。

わたしなんか、葬式のたびに嫌がって、出まいとする。

親しい人のおわかれに行くまいとする。

しかもその理由が喪服がないからである。

持っていない。喪服がきらいなのである。

そういう理不尽が通るわけもないことはわかっていても買うきがしない。

いい服はかっこいいのだろうが、普通の値段の喪服はほんとにかっこ悪い。

そういう理由で喪服を嫌がる私はこのままで最後まで突っ張りたいのだが。

憎まれ者は長生きするとか。はたしてこのまま喪服なしで通せるか。勝負。

それってサービスですか

2017年11月04日 | ほう、へーな話
銀行はほぼ機械操作のセルフサービスになった。

お金を入れるのも、出すのも送金も。

ドアを外から来た人には「いらっしゃいませ」、中から外にでて行く人には「ありがとうございました」

銀行内を通り抜けただけでも、機械はきちんとあいさつをする。

高齢の男性が、この声に振り返り、あわててお辞儀をした。

どこから、誰が?とあわてていたようである。

見ていて、おかしいような、気の毒なような、哀しいような、いまいましいような。

この人は通りぬけただけなのにあいさつをされてうろたえ、申し訳なくおもったのではないだろうか。

恐縮したもようだったからである。

それをみて、なんなんだ機械のくせに、人をたばかるなと、ハラがたつ。

いや、そういう小細工をする銀行にはらがたった。

私たち老人は突然降って沸いたこのゼン自動社会で、慌て、驚き、戸惑い、どうしてよいかわからないことがいっぱいある。

ほっといてくれといいたいようなところまで、機械がとやかくいう。

車までが機械で勝手に運転だって?

いいのかわるいのかなんてグダグダいっても始まらないけど。

銀行の出入り口の自動ご挨拶は、まさかサービスではないでしょうね。

ろうらん、と打ち込むと楼蘭が出たが

2017年11月01日 | ほう、へーな話
久坂部羊氏作「老乱」である。

長編作、しかも全編おいゆく人間の悲しさにみちているではないの。

そしてそして、みなどれもあてはまることばかり。

こわい小説だ。小説と言うよりドキュメンタリなみのリアティにみちている。

そして、死へ。

うーーん。

同じ医師である矢作直樹氏のエッセイ「おかげさまで生きる」と同時に読む。

それは実に正しいが、現実の老乱には対抗すべくもないという感じがした。

若い頃から精神をみがきすまし、欲を払い自分をつつしんでいればともかく、今ここに至ると、身辺にめい

わくをかけまくり、お金がかかりしかも自分の意思とは関係のないところで事はしんこうする。

ボケを直すくすりはない。ボケを止めることはできない。ボケは…。

医者やマスコミが流す呆けに関する肯定的な情報はすべて気休めである。

医師である作者は容赦なく現実を読み手に直視させてくる。

逃げても逸らしても老いは現実として目前にあると。

怖いなあ、夜夢をみてしまったわい。